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【白馬青牛】瀬島龍三を語ろう【廣島もみじ民】

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/13(木) 20:30:28 ID:4il4eL8c0.net
>>129‐131
志位和夫の伯父の志位正二が、卑怯にも日本を売ってソ連のスパイになった
から、他の抑留された高級参謀も「国を売ったに違いない!」と日本共産党が
卑怯にもプロパガンダをやっている。

瀬島は11年も抑留されてたんだぜ。志位正二のように本物のスパイ
なら3年で帰国して、GHQや外務省など国家の中枢に勤務する。

瀬島は帰国後も、防衛庁に復帰するように散々元同僚達から勧められながら、
断り続けて畑違いの商社勤務を行うことになる。

共産党のクズどもは「志位正二が売国してソ連のスパイになったから
同じ立場の瀬島も転んだに違いない!」と卑怯にも決めつけているだけ。

卑怯者の志位一族みたいな根性の腐りきった人間のクズばかりじゃねぇんだよ、
売国奴め(ペッ

■志位正二
泰緬鉄道建設で危険な雨季の突貫工事を命じて数十万人を殺した
【ビルマの殺人鬼】こと志位正人陸軍少将の長男で関東軍隷下の第3方面軍
情報参謀に最終ランクは陸軍少佐。日本共産党委員長の志位和夫の伯父。
終戦後シベリア抑留にあい、1948年4月にソ連諜報員となる誓約を行い[1]、
モンゴルのウランバートルにあった「第7006俘虜収容所」において諜報員、
共産主義革命のための特殊工作員としての訓練を受ける。1948年11月シベリア
より復員[1]。しかし帰国後の志位は1949年2月からGHQ参謀第2部(G2)の地理
課に勤め、抑留帰還者の尋問調書からソ連や中国の地誌を作成していた[3]。
1950年6月、GHQの取調べを受ける[1]。1951年10月以降G2在職のままソ連国家
保安委員会(KGB)にエージェントとして雇われる[3]。1953年11月、外務省
アジア局調査員となる[1]が、「二重スパイ」の活動は継続した[3]。
ユーリー・ラストヴォロフがアメリカに亡命した後の1954年2月5日、警視庁
公安部に自首し、自身がソ連の工作員(スパイ)であったことを認めた[4]。
しかし罪には問われず、その後、海外石油開発株式会社常務となる。1973年
3月31日シベリア上空を飛行中の日本航空のダグラス DC-8型機の機内で死去
した[1]。

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