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日本近代史における食人を語るスレ

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/20(月) 19:43:33.06 ID:NaSonaKw0.net
まず辻参謀から語ろうか

47 :代理屋 ◆XFizselqIb3B :2015/09/20(日) 19:28:45.08 ID:gEEbNsc00.net
もはや死に体の「戦後」に哀悼の意をこめて、一言。

>>28
>井上靖の敦煌読んでみ冒頭からいきなり西夏の女が

その井上靖氏の、中国の北宋(960-1127)時代を舞台とした『敦煌』のイントロは、
1924年の桑原隲蔵論文から着想を得たものだった。

《……「支邦人の食人肉風習」という論文に小説家的な食指を動かし、それを小説の
書き出しの部分に使わせていただく結果になった》
(*井上靖「桑原隲蔵先生と私」『桑原隲蔵全集〈5〉』岩波書店 付録「月報5」1968)

同論文は、以下で閲覧できる。(↓)
h ttp://www.aozora.gr.jp/cards/000372/card42810.html
この論文は大作だったけれど、今日の眼でみれば【本質的な過ち】を犯していた。↓

48 :代理屋 ◆XFizselqIb3B :2015/09/20(日) 19:29:58.57 ID:gEEbNsc00.net
東洋史の黎明を支えた桑原隲蔵氏の主張は、「日本人は飢餓でも食人しない」
などという、江戸時代の杉田玄白や橘南谿が聞けば首を傾げるしかない……、
また明治の南方熊楠もため息をつくだろう【偏向バイアス】に満ちたものだった。

この件に関し、桑原氏に師事した宮崎市定氏は師の過ちを以下のように書いた。

《ここに注意すべきは先生は最初、この風習は中国には見られるが、日本には古来
嘗て行われたことがなかったと、堅く信じておられたらしい点である。ところが其の後、
この主題を心にとめつつ見聞するところを総合すると、事実は必ずしもそうとは断定
できぬのではあるまいか。殊に今次の大戦中の異常な経験の中には、日本人による
このような忌むべき蛮行も、否定することが出来ぬようである。それにしても日本人が
人肉を食するなどは、考えられぬ話として堅く信ぜられた大正という時代は、後から
顧みて実に結構な良き時代であったと言わざるを得ない。…… しかし結構な良き
時代は過ぎ去った。今日の我々は桑原論文を他国他民族のこととしてではなく、
我々自身の上に引きあて、内在する魔性を懺悔するの念をこめて読み直すべきだろう》 
 ↓ (*桑原隲蔵『東洋文明史論』解説:宮崎市定 東洋文庫 1988 頁301-302)

49 :代理屋 ◆XFizselqIb3B :2015/09/20(日) 19:33:23.11 ID:gEEbNsc00.net
余所で何度か指摘(*)させてもらったが、満州事変から太平洋戦争において、日本軍は
梅毒治癒や戦意高揚、飢餓にいたるさまざまな理由により「食人」のタブーを破っていた。

しかし、歴史検証をまともにしなかった戦後日本は、その記憶を急速に失った。

血で贖われた教訓はドブに捨てられ、再び戦前の桑原隲蔵氏らの立ち位置で語る
諸君が台頭してきた。

昨日の、戦後70年を戦前元年にしかねない法案を強行採決した政治家諸氏も、
そんなひとたちを後援者にもつケースが多そうだ。

子供騙しの伝説に、もうごまかされてはならない。

  ********************代理屋・関連投稿**************
●「はてなブログ」投稿
h ttp://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120710/1341937475の 2013/07/04付コメント欄
●「日本食人考1-6」
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/dcamera/1342193517/782-784、798-800
●「【三十一谷人】福沢諭吉について(其の10)」
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1404555135/958-978、988-990
●「【三十一谷人】福沢諭吉について(其の11)」
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1404555135/44-46、215、233-235
251(訂正文)、254、257、262-264(レスふくむ)、432、449-452(452は主題だが、
コロンブスをマルコポーロと誤記)、494等々。

●「世界食人史」02/01/22付投稿も。文中の脳食の迷信は日本産に訂正。
http://mentai.2ch.net/whis/kako/990/990595677.htmlの382-384
          ********************************

50 :代理屋 ◆XFizselqIb3B :2015/09/21(月) 10:22:35.45 ID:ENDgumGb0.net
>>49の訂正<(_ _)>

×
●「【三十一谷人】福沢諭吉について(其の10)」
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1404555135/958-978、988-990 は「×」


○ 
●「【三十一谷人】福沢諭吉について(其の10)」
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history2/1380950643/958-978(レスふくむ)、
988-990 が「○」

51 :代理屋 ◆XFizselqIb3B :2015/09/24(木) 18:46:37.32 ID:6uhH+Nzj0.net
>>48の捕捉(自己レス)
>江戸時代の杉田玄白や橘南谿が聞けば首を傾げるしかない

天明の大飢饉では、食人はむろん、人肉を犬肉として売る者が出てきたり、
   (*杉田玄白「後見草」 所収:『日本の名著〈22〉』中央公論社 頁242)
肉をやるからと他人にわが子を殺させ、直後「仇」として殺し二人分の肉を
手に入れた村人まで現れたと、杉田玄白や橘南谿は書き残していた。
             (*橘南谿『東西遊記〈2〉』東洋文庫 1975 頁264)

関連情報については「レファレンス協同データベース」の以下を参照のこと。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id
=1000077018

>明治の南方熊楠もため息をつくだろう

拙「芳賀説の嘘」で論述ずみ。以下を参照されたし。
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/dcamera/1342193517/782-784

52 :代理屋 ◆XFizselqIb3B :2015/10/14(水) 12:24:03.51 ID:tVh4RLvh0.net
またまた補遺と訂正。拙>>51
○ 橘南谿『東西遊記〈1〉』編:宗政五十緒 東洋文庫 1974
×    『東西遊記〈2〉』              1975

お詫びに一部引用しとく。書き出しは、次の文ではじまる。
《天明三卵春、奥州、羽州大に饑饉して、人、相食に至る》
                       (*橘/前掲/頁261)
《……其父一計策を案じ出し、其隣家に行て……我子を打殺して
給はらば……肉半分を贈り申べし……》と依頼。殺させておいて、
すさかず《……マサカリにてしたゝかに打》ち、《近所へは……仇を
報ぜりと吹聴……》したとあった。
                (*橘/前掲/頁264-265)
同エピソードは『東遊記』の補遺「一○四 餓渇負(青森)」の一節で、
                      (*橘/前掲/頁261-270)
編者の宗政五十緒氏の解説によれば、これは江戸期来、刊本には載って
おらず、写本のみで伝わっていたもの。 ↓

53 :代理屋 ◆XFizselqIb3B :2015/10/14(水) 12:27:45.41 ID:tVh4RLvh0.net
公刊されたは、この平凡社の東洋文庫版が最初だとか。

従って戦前の芳賀矢一、桑原隲蔵はじめ、その前の神田孝平氏も、
この話を知らなくても不思議ではなかった。
以上、公平を帰すため付記しとくです。

とまれ、1881年の神田孝平論文や、のちに魯迅『狂人日記』が紹介した、
中国における飢餓の際の「子を替えて食べた」事例と比較し、ここに日本
文化の特色が見いだせる……などと当方は発想しない。
極限状況においても、わが子は手にかけられないという「親心」が日中に
「共通」して見いだせるだけだ。しかし【確証バイアス】に侵された者には、
これらの悲劇が相手の民族性を示す事例に思えてしまうように思う。

戦前の芳賀説や桑原説の誤りは、その点に起因していたのではあるまいか。

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