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☆会津プロパガンダの嘘と真実の会津★

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/05/05(木) 07:02:18.24 ID:ILkZBJIM0.net
>>113
ん?何言ってんの?誤爆か?
>>63>>89も征討軍の徴発や残虐行為、それに対する領民の抵抗の事例だぞ

>>63
>大芦村では会津軍を破った官軍が村民を動員して荷駄を運ばせてるし、
栗生沢村では官軍の略奪行為があり村民が官軍を襲撃するという戦闘が発生してる

>>89
>明治元年9月12日、会津城攻防の最中に出された征討軍参謀の廻章

各藩へ
討ち取り候ところの賊死体の腹を屠り肉を刻み、残虐の振舞あるいはこれある趣相聞け、
もってのほかのことに候、賊と言えども同じく皇国の赤子、右等粗暴の処置これ無きよう
兵隊末々まで申し渡す旨御沙汰候事
 (討ち取った敵戦死者の腹をえぐり肉をきざむなど残虐行為が確認されている)

6月の北越戦線では生け捕られた米沢藩士が「見附市中を晒し、川原へ連れゆき、指を落とし、股を切り取り、腹を割き、
なぶり殺し」となった(越後戦争日記)。なお、米沢藩側の残虐行為も同書には記載されている。
「沼田あたりで殺した人の肝を嘗めた。肉なども竹の皮に包んで持たせられたが、私は捨ててしまった」(八代孫次郎、簗田戦績史)
「官軍兵がこの野郎大きな野郎だなあ、肝を取ってやれ、と言って死んだ歩兵の腹へ刀を突きたててグルグルとイグって茄子の糠漬のようなものを取り出した」
(岩井元次郎の目撃談)

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