2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

☆★☆★☆南京大虐殺を語ろう41☆★☆★☆

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/18(金) 01:29:57.34 ID:cHyYTye+0.net
>>132
3,
「お前らが根拠にしている東京裁判ではこうなっている」と言ってるだけw

4,
師団の記録が残っていれば末端の大隊の戦闘詳報は不要。
組織的殺害命令の存在の有無が判断可能なのは「第一大隊戦闘詳報(w)」が証明しているw

5,
『第一大隊長の田山芳雄少佐は、四国の丸亀市出身の人。直接会って取材したときの私のメモには次のようにある。
「解放が目的でした。だが、私は万一の騒動発生を考え、機関銃八挺を準備させました。舟は四隻――いや七隻か八隻は集めましたが、とても足りる数ではないと、私は気分が重かった。でも、なんとか対岸の中洲に逃がしてやろうと思いました。』
(阿部輝郎著『南京の氷雨』)

『歩兵六十五連隊の連隊機関銃中隊に所属する箭内亨三郎准尉は、捕虜を集合させる場所を河原で設定したという。
福島市の人だが、既に故人となった。私とは懇意にしており、生前その状況について詳細に語ってくれている。
私は回想談を速記メモしていたが、それを紹介しよう。
「目の前は揚子江の分流(爽江)が流れており、背景は幕府山に続く連山でした。河川敷はかなり広くてね、柳やらススキやらが生えていて、かなり荒れたところでしたよ。
〜中略〜
 明るいうちに場所の設定を終えた。上流や下流を捜し歩いて六隻か七隻の舟を集めたものの、ほかには見当たらず、舟はこれだけだったという。』
(阿部輝郎著『南京の氷雨』)


板倉由明氏『南京事件 虐殺の責任論』より

一九八三年に筆者が聴取した、当時第十三師団作戦参謀・吉原矩中佐の証言によれば、鎮江で渡河準備中の師団司令部では、「崇明島」に送り込んで自活させるよう命じたという。
崇明島は揚子江河口の島だが、草鞋洲の記憶違いとすれば、正に「島流し」 ( 栗原スケッチの題 ) である。(P194-P195)

総レス数 878
514 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200