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太平洋戦争は共産主義者の陰謀【3】

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/09/10(土) 22:24:01.45 ID:EkWjEknG0.net
>>14 《続き》

 @支那事変の積極拡大志向
       (中略)
 2日後の7月11日、現地停戦協定が成立し、日本国内の師団派兵が実施保留になったにもかかわらず、近衛首相は言論界・政界・財界
の代表者たちをこの順番で首相官邸に招いて会見し「支那に反省を促すための『北支派兵』」を高らかに謳い上げたうえで、各界代表者
たちから政府の対支那施策に関する満場異議なしの「白紙委任状」をとりつけました。事変推進に向けた内外各方面や国民各層への
強力なアピール、巧みな演出です。・・・(略)・・・
 これらはマスコミ対策に長じていた風見が、近衛の了解の下でもっぱら取り組んだしかけです。彼は「近衛公と直接に相談し(中略)これ
を実行に移した」と自らの仕掛けであったことを認めています。
 後で振り返っても、風見が実行したこの仕掛けが国内外において事変拡大に向かう流れに大きな力を与えたことは否定できません。事実、
このときちょうど南京国民政府は全支那の政・財・学・言論界や中国共産党の代表者150人余を集めた会議を開催中で、会議場は近衛首相
の「北支派兵」の宣言に抗戦決意一色の極度な興奮状態となったのです。風見が、早くから「北支には一大戦雲の渦巻き起さるべきを予見
する」とか「北支に戦雲みなぎる」などの予断を持っていたことを示す記載も多見されます。注目すべきことです。
       (中略)

 A日本での革命志向(支那事変は日本での革命の手段) 風見にとって事変は、「世の中は大変革を予想せねばならぬ」契機とする
べきものでした。「今度の変革では華族なんて無くなってしまふことになるだろう」「前大臣や華族の乞食ができるやうにならなくては、
どうしてもこの事変はおさまるまい」ということです。更に「ひょっとしたらこの秋ごろは、米も切符制になるのでは無いかと思ふ。そうなれ
ば当然土地も国家管理と云うことになってくる。統制経済はそこまで行かなくてはならぬ」と述べています。・・・(略)・・・
       (中略)
 昭和14年9月には東亜新秩序建設の構想を練ったものがあります。そこでは、「10年間は大兵の支那駐屯を覚悟すること」、「憲法停止」
などが書かれ、政治綱領として、「旧勢力は一種の革命的手段によるにあらざれば、日本に於いても亦これを払拭し得ざること明白と
なれり。随って晩かれ早かれ、旧勢力払拭のために大衆の蜂起を見るに相違なし」とし、「此の混乱季に在りては、満州、朝鮮、台湾共に
叛逆すべし」、「この過程中にありて革新日本体現され、その力によりて東亜新秩序の建設は行はるべし」などの案が際立っています。
 支那情勢については、いち早く昭和14年10月に「支那に於ける赤化勢力の抬頭は傾向としてこれを認識するの必要あり」と断じ、
「かくて日本の東亜新秩序建設にあたりては、支那に於いて大衆獲得のため一層徹底したる社会主義政策の実現の必要なるを認識
するの要あり」、「支那に於ける共産軍は反共の勢力と拮抗して、此処に支那大陸は共産反共産の決勝戦に於ける死闘場と化する」
としています。・・・(略)・・・
 そして、支那における反共的抗争による「情勢の圧迫は自ずから日本の革新を急速に実現するの必要を生み、此の革新のために
国内問題は益々重大化する」、「早く事変を収拾せんとするも望む可からざる也。却って国民の溌剌たる奮発心を盛り上がらしむるに足る
新しき政治を生み出すことこそ、事変処理のための先決要件たり」としています。・・・(略)・・・
       (中略)
 ・・・(略)・・・風見の日記が物語るのは、日本側にも革命のために支那事変を利用する意図が、よりによって政府中枢にあったという
ことです。当然、両者が通じていた可能性も浮上します。近衛や風見の周辺には中国共産党とも通じた尾崎秀実がいました。支那事変は
中国共産党が仕組んだ「国共合作」の成果ではなく、「日本政府と中国共産党の合作」の成果であったのかもしれません。今後、検証され
るべきテーマだと考えます。
《続く》

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