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太平洋戦争は共産主義者の陰謀【3】

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/02/01(水) 23:46:04.52 ID:lh2AaZrt0.net
>>43 《続き》
 まず、第二次近衛内閣の「基本国策要綱について見ておきたい。・・・(略)・・・この「基本国策要綱」の基になったのは、
国策研究会で検討されていた「日本綜合国策要綱」(「綜合国策十カ年計画」)ともいう)である。それは、陸軍軍務課の牧達夫と
満鉄の小泉吉雄が練ったたたき台を、青木一男、湯沢三千男、岸信介、武部六蔵、矢次一夫といったメンバーが揉んでできあがっ
たものであった。この中で近衛が「アカ」の中心と見なしていた軍人がいる。それは秋永月三である。秋永については、『細川日記』で、
「秋永一派が顧みて『赤い舌』を出し居る所なるべし」とされているし、『近衛日記』では、梅津の周囲にいる「アカ」の中心人物として
名前があげられている。秋永は、陸軍から東京帝大に派遣され、そのころ『偕行社記事』にマルクス主義についての論文を掲載した
こともある。
 秋永の指示の下働いていた満鉄出身の小泉吉雄にも注目したい。・・・(略)・・・
 小泉については、最近になって新資料が発見されている。「関東憲兵隊資料」がそれである(資料全体の概要や解説、そして
その発見・公開に至る詳しい経緯は、それを発掘した小林英夫氏・福井紳一氏の『満鉄調査部事件の真相』を参照)。この史料は
首都新京(現長春)にあった関東憲兵隊の司令部があった敷地内の土の中から発見されたもので、この中に小泉の手記もあった。
ここには、小泉が尾崎の組織の一員で、尾崎からコミンテルンの極東支部員を紹介されたということや、関東軍司令部の爆破計画に
関わっていたということが記されている。・・・(略)・・・
 ただし、この新資料については、そもそも憲兵隊が作成した調書であり、その信憑性に関して論争があり、小泉が共産主義者で
あったのかどうかははっきりとしない。・・・(略)・・・
 陸軍内に「国体の衣を着けたる共産主義者」は存在していたのであろうか。「アカ」と名指しされた軍人は多数いる。上記で
言及した秋永月三ばかりでなく、武藤章、牧達夫、梅津、池田、瀬島龍三、さらには驚くことに永田鉄山、東條英機、そして
統制派そのものが「アカ」ではないかと疑われた。・・・(略)・・・
 戦争の末期、陸軍は盛んにソ連と接触を持とうとしたが、それが、陸軍赤化の証拠だと言われる。確かにこの時期陸軍の重要な
将校が盛んに訪ソしている。「近衛上奏文」の一年前、秦参謀次長は、陸軍参謀本部戦争指導班(大本営20班)の種村佐孝に
ソ連行を命じている。時期は異なるが参謀本部のエリート将校瀬島龍三も訪ソしている。・・・(略)・・・
          (中略)
 なおも多くの未解明の部分が残る「近衛上奏文」であるが、拙著『終戦と近衛上奏文』(彩流社)において、さらに多くの事例に
ついて検討を加えているので参照願えれば幸いである。

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