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第二次世界大戦の戦犯って結局誰?

1204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2019/11/14(木) 13:32:11.79 ID:Xr8xP2gs9
連隊長時代、二年兵が満期除隊を迎えるのを見送っていた。
ある年、羽織袴姿で並ぶ満期兵を前にして、かつての中隊長が長々と訓示をしていると突然、にわか雨が降り出したが、中隊長は訓示を止めない。
その時、石原は「中隊長の馬鹿野郎、紋付きは借り物であるぞ!」と怒鳴り、訓示を中止させた[35]。


いつからか、人間操作術をよく学習して、「雲の上のような存在の校長先生」なんて怒鳴り上げれば解決する事も学んだ!!!!!!!!


戦犯自称の真相
よく東京裁判の法廷において「軍の満州国立案者にしても皆自分である。
それなのに自分を、戦犯として連行しないのは腑に落ちない」「満州事変の責任は自分にある。私を裁け」[40]と述べたと書かれることが多いが、
実際には『石原莞爾宣誓供述書』によると「満州建国は右軍事的見解とは別個に、東北新政治革命の所産として、東北軍閥崩壊ののちに創建されたもので、
わが軍事行動は契機とはなりましたが、断じて建国を目的とし、もしくはこれを手段として行ったのではなかったのであります」と満州事変と満州国建国について、
自分が意図したのではないと述べ、自らが戦犯とされるのを避けるとともに、板垣・土肥原の弁護に繋がる発言をしていた。

なお、柳条湖事件が関東軍の謀略であるという確たる証言が得られたのは、板垣・石原の指示で爆破工作を指揮した関東軍参謀花谷正が昭和30年(1955年)に手記を公表してからである[16][41][42]。

ちなみに、石原は法廷に先立って重慶通信社の特派記者から取材を受けている。
満州国の運営が理想通りに進まなかったことについて言及した後、「わしが理想郷を心に描いて着手した満州国が、心なき日本人によって根底からふみにじられたのである。
在満中国人に対する約束を裏切る結果となってしまった。その意味において、わしは立派な戦争犯罪人である。独立に協力した中国人に対してまことにすまなかった、と思っている」と述べ、中国当局に独立へ協力した人々へ理解を願う発言を行っている。[43]

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