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インパール作戦って実は、生存率高くね?

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/19(水) 23:46:34.00 ID:uJtMg2dy0.net
史上最悪の作戦なんて言われるけど、太平洋の島の戦いなんて、ほとんど全滅のところ、ざらにあるぞ

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/20(木) 00:19:28.99 ID:vVhfqx5Z0.net
じゃー、お前も参加してみる?

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/20(木) 00:25:53.88 ID:JDbXAG0L0.net
ナポレオンのロシア戦役の方が生存率遥かに低い

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/20(木) 02:06:27.79 ID:kbB7fTvc0.net
>>2
結構そこ
現場に行く気ないヤツがよく口が動く

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/20(木) 06:42:03.04 ID:NrzcYANF0.net
インパール作戦は将校の生還率は高い
参謀で戦士したのはゼロ
兵士は88%が死んでるけど

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/20(木) 15:30:38.60 ID:hwDSMTE70.net
佐藤幸徳は過大評価のゴミ

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/21(金) 00:53:11.45 ID:yXFMnDUm0.net
こんなクソ作戦が承認される軍なんか腐ってるわ

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/21(金) 02:52:10.40 ID:xmcLilxA0.net
インパール作戦
動員数 10万人
死者 3万人

なお、ナポレオンのロシア戦役は、脱走兵除けば、全滅に近い

しかし、日本人に言わせれば、ナポレオンは偉大な軍人らしい

ジャップの白人コンプ、半端ねえ

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/21(金) 12:39:44.07 ID:QwyAxX330.net
>>6
過大評価のゴミは宮崎繁三郎
佐藤幸徳や柳田元三は過小評価、名将

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/21(金) 12:40:29.71 ID:QwyAxX330.net
>>8
インパール作戦の死者は72000
戦病死が40000以上あるぞ

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/21(金) 23:27:09.97 ID:yXFMnDUm0.net
草食って生きていけるならやれよ
無理ならやるな

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/23(日) 09:48:20.92 ID:NEf5auiu0.net
インパール作戦は一応後方連絡線は繋がっていたから
太平洋の戦いはほとんどが制海権を失って援軍も補給も撤退も不可能な完全に包囲されている状態からのスタートだからどう頑張ろうと玉砕するしかない

サイパンもフィリピンも沖縄も後退できないんだから全滅必至
インパールは連絡がついているある意味まともな戦いができたはずなのに兵站が最低の作戦してるから際立つんだろう

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/28(金) 02:24:28.11 ID:M0+80wJD0.net
連絡線がつながっていたって…w
途中にはチンドウイン川があって、健康体じゃないと流されて死んでしまうし物資も輸送できんし
連絡は通信兵が持っていた無線だったし…。

インパールの無線兵の人が近所にいて、もっと話を聞いていれば良かったな。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/28(金) 12:34:06.32 ID:m5fE6d0U0.net
ポートモレスビーもインパールも陸上補給がなってなさすぎる
特にインパールはポートモレスビー攻略で南海支隊が散々な目に遭った戦訓を大本営も南方総軍も丸無視で健忘症としか思えん

ガダルカナルなど太平洋の島嶼戦も悲惨だがあれらは一応補給する意思はあって護衛つたなく輸送船が沈められたという話でインパールは敵の妨害もないのに自然の前に補給が出来ませんとか兵要地誌以前の話だ
カンビュセスのエジプト遠征レベル

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/28(金) 15:26:31.44 ID:IYlUa3cX0.net
牟田口中将とインパール作戦に対する批判本は中身はみな、お決まりのほぼ同じ内容ですが、
定説化されたそれらは事実を歪曲しておりデタラメです。

1ヶ月程度でインパールを攻略するというこの作戦は、
さほど無謀な作戦ではなく、また作戦計画(補給を含めて)も十分に練られたものであり、
予定通りに普通に作戦を遂行していれば難なく成功していた作戦です。

このことは連合軍の司令官、参謀など当時の関係者の多くがそのような
見解の記録を残しており、日本での定説、評価とはまったく異なります。

作戦失敗の最大要因は、太平洋の対米戦線に全兵力を投入すべきだとする、海軍とそれを支持する
対米決戦派の勢力(反東条派)による妨害工作です。
これが原因で作戦開始が遅れ、兵力の減少、統帥の乱れ等によって、作戦は失敗しました。

連合軍側の見解では、師団を指揮した師団長(特に31師・佐藤、33師・柳田)らが
あまりにも消極的で進行を遅くさせ、そのために日本軍は勝てた作戦で負けに転じた
(わざと勝たせたとも)と評してます。
これは多数の連合軍関係者が同じ見解です。英国公刊戦史にも記載されてます。

その他にもインパール作戦では定説化された嘘が多数あります。

●補給を無視した、補給をしなかった、険しい道なき道を進行したという定説の嘘

補給が無かったのは参加した三個師団のうち、31佐藤師団だけです。
他の2個師団には補給されてます。
また33師団は連合軍の物資集積拠点をほぼ無血で確保し有り余る物資(武器、弾薬、車両、燃料、食料)
を得ており、もし補給なしでも物資を持て余しています。
(シンゲルで師団2か月分の物資を確保したとの記録があります)
15軍の作戦計画である期間の1ヶ月程度、長くても2ヶ月程度では補給はまったく問題ないです。
(作戦が延長され4ヶ月にも及んだのは、参謀本部、南方軍の判断で牟田口の判断ではありません)

補給が無かったのは31師・佐藤師団だけです。
しかしこの部隊は敵の背後へ回り込むという、日本軍がもっとも得意とした迂回、浸透戦術の部隊です。
こういった特殊な任務の部隊は、普通、作戦が終了するまで補給が無いのは当たり前です。
佐藤師団長も、そんなことは百も承知だったはずです。
実際に15軍の想定した1ヶ月は物資に何の問題もありませんし、
2ヶ月間は問題無かったわけですから、補給が尽きた責任は15軍・牟田口の責任ではありません。
作戦延長の判断は参謀本部によるものです。

(参謀本部の判断は中国からB29で日本本土を空爆するという連合軍のマッターホルン作戦を阻止すべく発令された
大陸打通作戦との兼ね合いから、ビルマに米支軍を引き付ける意味でインパール作戦がさらに重要となったため)
(またチャンドラボースも作戦中止に猛反対したため、日本軍のインパール作戦中止の判断が遅れました)

進行経路は険しい山岳地帯の道なき道を進行した、という話も嘘です。実際には道路が完備されています。
33師団、15師団の進行経路は全てトラックが通れる道路が整備されてますし、
もっとも険しいとされた佐藤31師団の進行経路でさえも、実は連合軍側によってジープ道が整備されており
それを利用し道なき道では無かったことが判明してます。
牟田口15軍はそれらを綿密に調査した上で作戦を立てています。

●参謀ら皆が無謀だと反対していたという嘘。

参謀らが反対したのは、以前の計画のウ号作戦です。
これはインド、アッサム州を攻略するという作戦であって、
それより遥か手前のインパールを攻略するインパール作戦とはぜんぜん別物です。
話がスリ変えられています。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/28(金) 15:26:52.27 ID:IYlUa3cX0.net
●白骨街道の嘘

撤退時に飢餓で苦しんだのは15師団(山内師団)だけです。
31師団(佐藤師団)と33師団は飢餓に苦しんでいません。
また餓死者が多数という話も嘘です。
飢餓に苦しんだ15師団でも、餓死という記録はまったくありません。
負傷兵が撤退をあきらめて自決したのがほとんどです。

撤退時に飢餓で苦しんだのは15師団の特に60連隊(松村連隊)だけです。
しかしこの白骨街道の話の当事者である60連隊の公式連隊記録(二つの河の戦い)は驚くべき内容です。
60連隊が悲惨な撤退を強いられた原因は、佐藤師団の抗命、無断撤退が原因であるとして、
佐藤師団を激しく非難した内容です。牟田口に対する批判は一つもありません。

60連隊が飢餓で苦しむ2ヶ月の撤退を強いられた要因は(白骨街道となった)
佐藤師団(烈師団)の無通告撤退、撤退時に集積所の食料を強奪したためだと明確に書かれ、
31師、烈師団を「劣師団」だと激しく非難しています。

インパール作戦の資料として日本で最も価値のある一次資料は
この60連隊の公式連隊記録(二つの河の戦い)で間違いありません。
連合軍側の資料では、スリム中将の「敗北から勝利へ」です。

全てのインパール作戦本は、この二つの資料をソースとして書かれているはずです。
奇しくも両資料とも、佐藤師団に対する激しい批判が共通しています。そこに重点が置かれています。
牟田口15軍に対する批判はまったくありません。
しかしどの書籍にも、この肝心要の両資料の一番言いたかったことが作為的に削除、改ざんされてきました。
(スリム中将の佐藤批判を、牟田口批判であるかのように改ざんされてます)

他にも定説化されたインパール作戦批判は、事実の歪曲が多数あり突っ込みどころが満載です。
とても書ききれません。

なおこれらの貴重な情報は歯科医師、軍事研究家であった故・大田 嘉弘氏の功績です。
氏が始めてその全貌を書籍で明らかにしました。

戦後の日本の権力者は、陸軍の一部の人物を悪党に仕立てる手法で、海軍や政党、マスコミの戦争責任を
国家ぐるみでゴマカしてきました。それに迎合してきた文化人や学者、マスコミのほうこそが、
日本の悪しき体質を引き継いでいると言えるでしょう。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/28(金) 15:28:50.28 ID:IYlUa3cX0.net
牟田口の指揮は正しく佐藤がアホで、あと一歩で日本軍は勝利していたと
イギリスでは牟田口の作戦指導は評価されている。

■アーサー・スウィンソン大尉『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。
佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

■スチルウェル中佐(フーコン方面軍作戦主任)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、
マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

■アーサー・パーカー中佐の書簡(英第四軍団参謀)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」

■マウントバッテン大将の報告書(英軍東南アジア総司令部司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、そのころ、
まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。
ディマプールで補給を済ませれば、日本軍はインパール道路をコヒマで切るのと同じような有効さで切ることが出来る。
さらにもっと重大な全アッサム補給戦の切断ができ、対支援助も北部方面への補給も不可能になる」

■第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/28(金) 15:29:25.20 ID:IYlUa3cX0.net
★インパール作戦が失敗したのは、佐藤がアホだったから

連合軍を利する無能の佐藤は、殺すなと
連合軍が特命www


全くの話し、ストップフォードのごときは、英空軍が佐藤の本部を発見し、それを爆撃しようとしたとき、
爆撃しないように特命した事について話してくれました。
それは佐藤がもし殺されたら困る(もっと利巧な者が佐藤の代わりになってくるからだ)
とストップフォードは言ったそうです。

第四軍団参謀アーサー・バーカー中佐


私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価
した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず
そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。

後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している
熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。
彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、
彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。

第14軍司令官スリム中将

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/28(金) 15:38:14.26 ID:IYlUa3cX0.net
白骨街道の当事者、飢餓で苦しんだ当事者らが、牟田口ではなく佐藤師団のことを
どれほど恨んでいたか、その一部を紹介します。


『二つの河の戦い―歩兵第六十聯隊の記録 ビルマ篇』

「隣接友軍の無通告退却のために、直接の被害者となったわが右突進隊は、腹背の敵から挟撃されて、
推定260名以上に及ぶ犠牲者を出す運命の日となった。」

「損害の主因が戦場のルールと道義を無視した隣接部隊の友軍にあったという紛れも無い事実によって、
戦後なお敵に対するよりも、さらに激しいある種の感情を捨てきれない宿命を背負っている。」

「同じ戦場で同じ目的のために、死力を尽くしあってきた同胞に対し、ここに問題を提起して
新たな対立感情を起こすことは回避したいと思うし、この記録の目的とするところではないが、
「わが連隊の記録」への投稿者の戦友のうちには、この間の感情に対し、激烈な非難をこめた
ものが少なく無い異常さがあった。」

「歴史が単に局外者の推理やエゴイズムによって、創作されるとしたならば、それは恐るべきことである。
しかもこの形式が、ひとたび活字となった場合には公刊、非売、限定等の形式に関わらず、また内容の
当否は別として、既成事実化し、真実は葬り去られるのが世の常である。」

※これは佐藤師団長を美化した高木氏の小説に対すする反論だと思います
白骨街道の当事者らはみんな、牟田口ではなく佐藤師団長を激しく非難しています

『6月下旬、私は師団輜重連隊の本部と行動をともにしていた。
宿営地のそばのフミネ方面に通ずる道路をガヤガヤと大勢が通る足音に目覚め、天幕外に飛び出して驚いた。
見ると松明をかざした野盗に見まごう一団が歩いている。』

『その後、輜重連隊にも転進命令が下り、フミネに到着したが、そこには一粒の米も無かった。
耳に入ったのは6月下旬に烈の兵隊の襲撃を受け、否応無しに少ない糧秣を奪われたという情報であった。
友軍である烈の徒党を組んだ襲撃の情報は信じたくなかったが、タナンに向かう撤退行軍の苦難の日々が重なるにつれて、
烈の兵隊に対する憎しみの感情が起るのは、やむを得なかった。

戦後20数年を経た今日でさえ、捨てられた弁当箱にご飯粒が残っているのを見ると、
あの山の中で、この米粒があったらと思うと同時に、「あの時の米は烈に奪われたのだ」という思いが、
頭をかすめてくるのである。』

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/28(金) 15:39:31.95 ID:IYlUa3cX0.net
定説化されてきた牟田口批判、インパール作戦批判は

・無謀な作戦。初めから勝算が無かった。この作戦はやる意義、必要があったのか?

・部下や参謀らが無謀だと反対したが、聞く耳を持たず強行した。

・戦線を拡大しすぎている。補給のことを考えてない。

・防御を固めるべきなのに、攻勢に出た。

・勝算が無くなっても作戦を中止せず被害をひたすら拡大させた。

・そもそも牟田口は司令官の器ではない。

だいたいこういった内容でしょうか。
しかしこうした批判内容は、対米戦争で攻勢しまくって戦線を拡大し
結果、どこも補給が尽きて各地で玉砕を繰り返した
海軍主導の作戦と山本五十六の作戦指導こそが批判されるべき内容
そのまんまではないでしょうか?
しかしなぜか山本五十六は名将だと賛美されています

海軍側の太平洋戦線の作戦は、どんなにバカな作戦をやっても
だれも批判されない。
東部ニューギニアなんか20万もの兵力を送り込んでおきながら
補給なんか一粒の米も武器も、全く送ってません。
それで戦えとひたすら命令を出しているだけ、というのが
当時の日本軍です。
マスコミもそうしたバカな戦域の作戦を煽ってました。

こうした他の愚かな作戦が批判されず、だれも責任を問われず
インパール作戦だけが批判され、牟田口だけが批判されるのは
小学生でもおかしいと思うでしょう。
そうした出版社の意向に、ひたすら迎合しただけの書籍を出すような学者や作家が
人様を批判する資格があるんでしょうか?

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/28(金) 15:41:01.31 ID:IYlUa3cX0.net
インパール作戦は国家方針「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」に沿った戦いです。
海軍の暴走によって時期は遅れ、規模を縮小し陸軍単独作戦となってしまいましたが、
太平洋戦線の劣勢な状況を海軍側から知らされて無い東条首相が
この作戦を支持したのは当然の流れといえます。

当初予定した独伊と連携したインド、中東方面の作戦を西亜作戦と言います。
海軍ではインド洋作戦です。
大儀はビルマ、インド、イランの大英帝国からの独立支援です。

アジア独立を旗印にしたこの方面の作戦は、英軍に打撃を与えるだけでなく、
それ以上にソ連軍が窮地に追い込まれます。
スターリングラードの戦いで、補給の要衝であるペルシア回廊とバクー油田を
ソ連が失えば、独ソ戦の展開は大きく変わっていたでしょう。
ソ連軍は実は補給路が非常に限定されており、決定的な弱点がありました。

さらに日本軍が日本海を封鎖してシベリア鉄道の補給路を遮断すれば
ソ連軍の敗北はもはや決定的です。
ソ連が停戦を申し出た場合、単独講和を認めない連合軍の規定によって、
アメリカの戦争継続は不可能になりますので、戦争はこれで終結です。

アメリカ国民を刺激さえしなければ
大東亜戦争で日独伊が勝つのは、さほど難しくありません。
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」のとおりに
やっていれば良かったのです。

こういった主張を始めて行ったのは故佐藤晃氏です。
ハワイを攻撃した山本五十六を愚将だと評し、
インパール作戦で陸軍は勝てたという、その衝撃的な内容は、
当時はトンデモ本扱いされていましたが
徐々に認められ、今では保守派ではこの主張が完全に支持されています。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/28(金) 15:41:33.10 ID:IYlUa3cX0.net
要するに日本が大東亜戦争で勝つためには
ドイツのスターリングラードの戦いに合わせて
インパール作戦のようなインド方面の作戦をやり
海軍はインド洋作戦を実施し、ペルシア回廊の遮断、ドイツはバクー油田の攻略
政略としてビルマ、インド、イランなどアジアの独立支援
さらには日本海の封鎖によりシベリア鉄道のソ連軍補給路の遮断。

これだけやってれば日本は勝てたのです。
これは当時の日本の主導者も、ちゃんとそれを理解してましたし
現に「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」でもそうなってます。(対ソ宣戦布告を除いて)
単独講和の禁止規定によって、ソ連またはイギリスの脱落でWW2は停戦に持ち込めます。

当然こういった日本側の意図をチャーチルもルーズベルトも
百も承知で、連合軍側は相当な危機感があったと思います。
連合軍側は負けることも想定していたと思います。

そこで米軍が打った手は、ドーリットル空襲とガダルカナル攻略です。
この作戦は米軍にとって戦略的な意味がまったく無く多大な犠牲を覚悟した
バカな作戦で、軍から相当な猛反対されたと思うます。

しかしルーズベルトは、迷うことなくこの大博打作戦を早期に打ってきました。
そして結果は、連合軍の思惑通り大成功しました。
日本の海軍は愚かにもこの餌に反応し、全軍でこの太平洋の陽動作戦に食いついてしまいました。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/28(金) 18:27:57.54 ID:M0+80wJD0.net
むちゃくちゃw

前線で戦っていた兵士に、英軍は「牟田口は提示に退庁して、旅館〇〇に乗り込み。芸者□□と朝まで…」
なんて放送していたんだw

やる気がなくなるなくなるw

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/28(金) 19:00:44.40 ID:wPxnhXbu0.net
>>22
このコピペで一番わけ分からんのが連合国宣言の単独不講和の規定があるから英ソのどっちかが脱落したら全連合国が右へ倣えで停戦するという発想

第一次世界大戦のロンドン宣言で英仏露は単独不講和を誓った
ロシアは革命で脱落ブレスト=リトフスク条約で単独講和したが当然のように英仏連合国は戦争を継続した

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2020/08/28(金) 19:37:01.65 ID:Fn+uwkLx0.net
西亜作戦自体が他力本願的なゴミ作戦。
秋丸機関はガイジの集まり。
支持する林千勝は異常者w

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