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【最後の】徳川慶喜【将軍】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2023/12/30(土) 17:01:25.79 ID:zVG0uPry0.net
徳川慶喜だけは有能か無能かで極端に評価が分かれやすい

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/27(土) 23:35:01.92 ID:R/Z4kviR0.net
>>91
祝! 岩倉越え達成!

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/28(日) 11:00:56.10 ID:fQMT9sNV0.net
>>96
もう少し評価してあげても1.5流といったところだ。

相手が超1流の木戸、西郷、大久保では戦う前に降伏宣言して政権委譲させたのは
たしかに賢すぎる判断。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/28(日) 13:06:37.98 ID:HEek/deQ0.net
政権ほっぽり出して逃亡した三流大根役者という評価もあれば
高度な戦略眼のゆえに無血革命の大政奉還を実現させた一流という評価もある

そのどちらも間違って間を取って二流こそが妥当な評価である。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/28(日) 23:02:46.09 ID:v08VTDzl0.net
3流4流の志士だらけの佐幕派で2流になれるのは大物よ

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/28(日) 23:25:55.05 ID:v08VTDzl0.net
存命の著名人では伊東潤と磯田道史は慶喜への評価は低い
特に伊東潤は慶喜を手厳しく批判してる
慶喜を高評価してる著名人はいるか?

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/29(月) 09:00:26.32 ID:kpkCnbhI0.net
第15代将軍職というポジションは極めて難しい
こうすれば最適解ということもはっきりしない
よくある誰それになったらシチュエーションの小説でも慶喜になったパターンは見たことがない

北条高時なら、足利義昭ならこうしていればとか出てくるだろう 日本国内だけの話だから目標は幕府存続だけ 話は単純だ
慶喜の場合は、欧米列強の圧迫という状況であり幕府存続だけ目指せばいいと言えるのか

慶喜を批判する歴史家は慶喜が一体どうすれば良かったのかその辺も説明が欲しい 鳥羽伏見で神君のように押し出せばいいとかそんな単純な話でもあるまい

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/29(月) 10:27:08.32 ID:yV5HtgRv0.net
逆に慶喜を一流とか持ち上げすぎなんだよ。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/29(月) 10:52:08.99 ID:8aoZ0na40.net
家茂が存命だったら、どうなっていたかを考えてみたらいい

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/29(月) 11:17:15.71 ID:vER7RIxE0.net
>>103
そういうことだ。
2流以外の何ものでもない。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/29(月) 17:55:48.43 ID:uwqXdLBA0.net
>>105
東大教授の本郷和人も徳川慶喜は知識人としては優秀だが将軍としては大失格だと。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/29(月) 18:15:47.86 ID:A7LhB+oZ0.net
失格と言われても本人がやりたくて将軍になったわけじゃないしな

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/29(月) 21:28:11.64 ID:E0tg0U1j0.net
幕末の西郷や大久保は権力闘争しか考えてなかったからね
大久保は明治でも西郷やらと権力闘争しかしてないし
権力闘争なんて後世は評価しないで何やった人と評価される
慶喜は大政奉還や江戸城無血開城して戦火から救った人として評価される

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/29(月) 21:38:22.20 ID:csQM3iaf0.net
>>105
伊東潤を高評価してる著名人が少ないだろ。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/29(月) 23:50:08.28 ID:f9YiX5Si0.net
>>110
いったい歴史評論家連中の誰が徳川慶喜を評価してるんだ?

ほぼ全員が批判的意見に終始してる

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/29(月) 23:50:51.50 ID:f9YiX5Si0.net
司馬遼太郎も徳川慶喜を百術あれど一誠なしと批判してる

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/29(月) 23:52:54.33 ID:f9YiX5Si0.net
伊東潤は小策士だと批判してたが。
これらの批判を考察して集約すると徳川慶喜という人物は策士策に溺れて自滅したわけか。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/30(火) 00:05:42.25 ID:bkyWMTn80.net
批判している歴史家というのは一体慶喜にどうしろというんだろうな
腹でも切ってりゃよかったのか

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/30(火) 00:09:58.39 ID:0RYpPOZX0.net
磯田道史のyoutube最新動画でも慶喜は政治指導者として失格者の烙印を押してる

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/30(火) 19:07:38.06 ID:B5Pecbhf0.net
フランス文学者の鹿島茂が、わりと徳川慶喜を評価してる。
司馬遼太郎も晩年は批判から一転して評価気味に変わっていたが。

ただ批判が多数派であるのは結果を見れば仕方ない
この世は結果が全て、
負け戦に同情はあれど評価は無い

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/30(火) 19:32:38.99 ID:9uNjQegK0.net
結果は日本の内乱を縮小させた
戦の勝ち負けはどうでも良い
中国じゃ宦官が権力闘争に勝って国が亡びるなんてあるし
権力闘争に強いのと良い政治を行うのは全く別である

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/30(火) 21:13:27.12 ID:iFPwB+490.net
人口3000万人の幕末で双方1万数千人の戦死者で終わった内戦は人口比率的で
世界史的にはどれくらいの規模なんだろうか?

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/30(火) 22:48:04.85 ID:0RYpPOZX0.net
今の人口比ならともかく幕末の人口比では普通に大きい。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/30(火) 22:48:37.28 ID:0RYpPOZX0.net
完全に阻止できなかったのが徳川慶喜

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/30(火) 23:35:32.07 ID:fye5ddzp0.net
>>121
同時期のアメリカ南北戦争で両軍合わせて70万〜90万が死亡したという。
開戦の時点で北部の人口は約2200万、南部の人口は約900万だった。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/30(火) 23:38:19.84 ID:0RYpPOZX0.net
あくまでも19世紀の米中露の大国を持ち出したらな

やはり人口3000万人の島国で1万人余りの戦死者は大きすぎるよ

まあ全面戦争になってたなら10万人は超えていたから
そこは徳川慶喜を褒めてあげるか

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/31(水) 10:50:33.62 ID:XdQE0Fi/0.net
会津を捨てたのは正解

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/31(水) 17:40:25.37 ID:iEniCh6A0.net
戊辰戦争が最悪の悲劇を免れたのは土佐藩の功績なんだがな
日光東照宮の焼き討ちも松平一族の大量処刑も薩長からは強く要求されていたのに
土佐藩が待ったをかけたからに他ならない

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/01/31(水) 22:25:46.41 ID:T3YndXYm0.net
土佐の板垣退助だな

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/01(木) 22:38:00.34 ID:XtnFzElp0.net
鳥居耀蔵「自分の言う通りにしなかったから、こうなったのだ」

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/01(木) 22:45:36.41 ID:S+Oj77Ab0.net
豚一様

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/02(金) 19:47:38.51 ID:QARRZPP60.net
土佐は中岡慎太郎の功績が大きい
板垣や勤王党らを結び付け土佐に武力討幕派を形成させた
こいつらが居なければ維新の功績も評価されず芸州や越前の様に土佐も消えてた

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/03(土) 13:13:52.15 ID:5OoCoj4S0.net
フランスを依怙贔屓して米英を敵に回してしまったあたり外交能力は低い

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/03(土) 22:46:38.90 ID:oGUMt9Ih0.net
大好きなフランスのナポレオン三世と同様の人生かな?

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/04(日) 19:44:41.93 ID:QZgzsS+p0.net
慶喜は薩長から野心ある危険人物と見られ排除されたが
実際に野心があったのは西郷はそれほどでもないが大久保らの方であった

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/06(火) 13:38:04.36 ID:mUXNwxud0.net
けふ慶喜公撮影のてふてふの写真を見て参った

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/06(火) 14:24:42.70 ID:QZlsyYzh0.net
>>132
それが慶喜の限界

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/16(金) 21:32:14.09 ID:8cOTp46n0.net
ほんと思うけど、なぜ大将が生き残るのか?
大将の為に戦って死んでいった将兵たちは何のために死んだのか?

慶喜公も会津の松平容保公も戊辰戦争の後も生き延びて天寿を全うされた

戦の常だが、戦死した方々が不憫でならない

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/17(土) 11:47:34.56 ID:Mal3KVAx0.net
そこら辺こそ多くの歴史評論家や歴史小説家から徳川慶喜の評価が低い元となってる

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/17(土) 12:18:52.30 ID:BtZyQ+R10.net
別に褒めるところなんて何もないんだろう

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/17(土) 18:33:54.64 ID:wj7M5xl30.net
>>139
もしかしたらそうかも知れん。
特段に政策で見るべき業績は何一つないが、
日本史上最後の征夷大将軍というネームバリューだけで注目を集めてる偉人。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/17(土) 21:05:50.79 ID:cqeTVSjM0.net
>>137
慶喜の場合は徹底恭順して戦を避けたが、戦いたい家臣が勝手に戦ったので慶喜の責任ではないだろう

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/17(土) 21:13:02.68 ID:cqeTVSjM0.net
慶喜の言う通りにしてれば慶喜の新政府入りは確定していた
それを薩摩の挑発があったとは言え強硬派が薩摩討つべしと強引に京に入り戦争して負けて朝敵になった
さらに自分が恭順してるのに言う事を聞かずに交戦
慶喜が家臣に冷え切ってるのは当然と言えば当然

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/17(土) 21:31:22.27 ID:VhAvuuPl0.net
徳川将軍には生まれた時に将軍となることが決定したものもいれば、先代が亡くなった後議論の上選ばれた者もいる
前者の方が幕臣の忠誠は高く威令も届く
吉宗のように一大名家から将軍になるのであれば周辺を紀州から連れてきて固めるという事で権力を作るというやり方もある

慶喜は徳川一族のワンオブゼムでありさらに母体の一橋は御三卿で人材はなく、頼みの水戸藩も統制が失われている

慶喜には頼みとなる家臣団、親衛がいない
兵を持たぬ将軍など足利義昭となんら変わらない

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/17(土) 23:40:15.38 ID:SnjQQWFq0.net
結果で言えば、今の日本が存在できているのは慶喜公の政治判断があったから

兵力で勝る既存政権側が、戦う前から政権返上をするなど人類の歴史を見ても他に例がない

大政奉還が無かったら内戦で疲弊した日本は欧米列強の草刈り場と化して国体を維持できなかっただろう

幕府を守るよりも日本を守ることを優先した将軍だよ
自分が泥を被ってまでもね
大変な傑物なのに評価されない不遇の人だね

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/18(日) 00:52:02.82 ID:4iKMbVmc0.net
>>138
わりと慶喜を評価してる鹿島茂も批判の割合が多いからな。
今後も極一部の信者以外では評価が上回ることはないだろ。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/18(日) 23:09:36.34 ID:4iKMbVmc0.net
批判者には徳川慶喜は単純に政権ほっぽり出した逃亡者としか思われてないよ

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/19(月) 22:20:57.96 ID:D9HTud6G0.net
慶喜の大坂城からの逃亡は仕方がないよ。
何しろ関西の親藩や譜代大名が新政府に寝返って、
重包囲してるんだから、早く逃げ出すしかない。
大将の首取られたら負けなんだ。
ナポレオンでもエジプトやロシアで部下を
置き去りにして逃げている。恥ではない。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/19(月) 23:56:18.51 ID:hSEYxpzz0.net
徳川慶喜「我が方に西郷、大久保に匹敵する人物がいるのか?」

これ好き

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/20(火) 06:27:10.28 ID:IciWrf9z0.net
勝に山岡に大久保と居たではないかとw

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/20(火) 10:59:42.43 ID:+hByqMYX0.net
一蔵ではなくて一翁か?
東京都知事として具体的な成果あるんすかね?

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/20(火) 19:49:27.32 ID:8q41eKgW0.net
王政復古の会議では容堂や春嶽の意見が押して、岩倉も慶喜を議定として入れる方向性に決まってた
強硬派の西郷や大久保は孤立してた
所が討幕の際に関東で挙兵させるはずの、水戸浪士らが暴れまわり薩摩藩邸焼き討ち事件が起き、触発された旧幕府軍が京に行き薩摩と戦いになった
鳥羽伏見も奇跡的に兵力で劣る薩長が勝利したに過ぎなく、経過も結果もほとんど偶発的なものでしかない
小説だと西郷や大久保らがさも情勢を読み手を打ったかのようにされるが

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/20(火) 23:33:40.26 ID:fImLkgxD0.net
山内容堂を黙らせたのは岩倉具視

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/21(水) 04:05:41.00 ID:SLBtEFkn0.net
東北諸藩は徳川家のために戦って戦災被害をうけたのに
どうして徳川家は東北諸藩の戦災復興のために私財を供出しないのか?

そもそも明治政府は敵であり、戦勝側なのだから廃藩置県のあとも地域に賠償金を請求できる立場だ
でも明治政府は賠償金を放棄した上に藩の借金まで肩代わりした上に復興に幾分の金も出してくれたし
近代化インフラの整備も明治政府に縁の深い九州よりも東北地方を優先して整備してくれている

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/21(水) 18:01:25.26 ID:m/wOLzhE0.net
奥羽越列藩同盟は徳川のためになど戦っていない
彼らが担いだのは輪王寺宮
徳川の方も御三家御三卿の一族の誰1人として奥羽に走るものはいなかった

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/21(水) 22:55:14.48 ID:oTazq2Jf0.net
>>153
最初から新政府に恭順すればよかっただけ。
そんな逆恨みをするから東北は発展しない。

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/22(木) 18:47:04.52 ID:bHn+eBbg0.net
東北電力でもアイリス・オーヤマでもない東北人自身が作った大企業て何かあるんすかね?
ふと思いました

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/22(木) 19:56:06.63 ID:O5xhogBU0.net
企業の話になれば北海道東北、中国四国九州はモノの数にも入らない

日本の誇る企業群は関東中部近畿がほとんどを占める それはすなわち近畿の天皇家藤原家平家、坂東の源氏北条新田足利、中部の織田豊臣徳川と支配者たちも全てこの地域出身であった事と通じる

毛利島津も所詮は狂言回しに過ぎぬ 日本の頭脳にして心臓部とは関東中部近畿 後は手足に過ぎない

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/22(木) 23:34:19.53 ID:zyFM9FM60.net
>>156
なにもないんじゃないか?

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/23(金) 19:24:41.02 ID:aoa09T1P0.net
東北の政治家で言えば角栄や小沢が有名だが
スポーツ選手なら大谷や羽生が居るな

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/24(土) 09:28:43.41 ID:Afo5SfsX0.net
角栄は新潟だろう

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/24(土) 12:17:57.37 ID:qAIYYs2a0.net
経済産業面で北海道、東北が21世紀でも不毛の地でいるのは
東西日本での人種的能力差を確信せざるを得ない

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/24(土) 23:35:58.16 ID:+v8r7Cxu0.net
東北を見捨てた徳川慶喜

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/25(日) 12:23:34.07 ID:GDzXP1yZ0.net
>>160
新潟なら東北だろ?(西日本太平洋側ではそこそこ通用する見解)

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/25(日) 12:38:00.67 ID:wH6RIHLo0.net
それ西日本太平洋側の人間が日本史にも日本地理にも無知蒙昧ですと言っているに等しいな
5chのニュースで時々見かけるけどそんな地方とか田舎の地理はしりませーんとか無知自慢するのってほんとなんなんだろな

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/12(火) 09:09:23.99 ID:ktnxI8aJ0.net
>>147
籠城してる連中は慶喜を殺してでも戦いたいと沸騰してるから、もう統制できない暴徒だしな

>>152
小説やドラマではそうだが、史実ではそうでもないような

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/13(水) 22:33:19.79 ID:blVFXm740.net
大政奉還は天狗党を見捨てた罰が下った

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/01(月) 01:02:30.45 ID:LW0b9tRF0.net
無責任大将軍

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/06(土) 14:11:49.51 ID:waJhiYaO0.net
父おやの徳川 斉昭から幕府と天皇が対立することがあれば、天皇に味方せよと幼いころから教えを受けていたんだから
錦の御旗が討幕軍に立ったら、そりゃ逃げるわな
というか一人で逃げるなんてことしないで、全軍撤退を命じておくべきだったよなあ

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/06(土) 19:25:42.68 ID:OPUPcuMZ0.net
>>168
敗退した幕府軍がヒステリックに徹底抗戦を叫ぶから
慶喜は黙って逃亡するしかなかった
しかも慶喜が有能なのは会津と桑名の殿さんを人質して、逃げたこと。
残った会津兵も桑名兵も大坂城から逃げるしかないわなw

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/06(土) 21:49:02.17 ID:AJ7AYZsG0.net
慶喜の方が不利なんだよね
国際環境も考えながら、国内も考えなきゃいけんから
薩長は内乱起こしてでも、とくにかく慶喜を排除できればって考えだから

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/07(日) 23:39:26.16 ID:PlIgQ/hY0.net
彼は身分に対しての固定概念から抜けきれなかった、飽くまで藩を動かせるのは各諸侯であって部下達ではない
でも薩長はその部下達が動かしていたのを最後まで理解できなかったのだと
晩年、それは変わらずで家人は家人、下人は下人であると

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/08(月) 10:10:06.41 ID:lcsP375g0.net
令和になってすら、身分に対しての固定概念から抜けきれてない佐幕オタが多いしな
幕末を徳川家vs島津家+毛利家と捉えてる連中とか

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/11(木) 01:28:42.20 ID:rrxbeqy30.net
静岡県知事の川勝平太も脳味噌が19世紀のままだろ
ああいうクズに比べたら19世紀の日本で大政奉還を実現した徳川慶喜は偉いといえば偉いか

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/11(木) 07:14:40.02 ID:v/vZ9Cie0.net
大井川すら橋を架けない徳川だからなあ。
技術的に無理って嘘つけよ。明治12年につくっとるがなw
幕府なんて滅んで当然。

三傑に超進歩的な木戸孝允がいたから明治が進歩しただけなのに
自分らもできたとかほざくなっての。

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/11(木) 11:33:01.90 ID:OA7f4+wd0.net
大井川架橋の許可を出したのは大久保利通
アイデア出したのは地元民など
安積疎水や天竜川治水と同じ構図
木戸の功績は何か建設したとかのハード面じゃなく、教育とかソフト面じゃね?

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/11(木) 13:09:28.74 ID:cF4A9N0l0.net
>>174
蓬莱橋は洪水のたびに流出した
大井川は土砂量が多く洪水時の水量も多いからクリアランスが大きくスパンの大きい近代橋じゃないと持たない
江戸時代では大雨のたびに架け替えするのは費用負担上困難だったのでは

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 15:59:01.63 ID:p0WHyVfn0.net
河越も参勤も元は同じ、苦労して越えさせるのも方針だったと

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 16:35:46.83 ID:I4Ftyj2A0.net
>>169
えらく好意的な見方だなあ。ま、激高している集団を抑えるのは至難だし、降伏するなら大坂より江戸と考えたなら、
ああいう不細工な手段もありかもしれない。実際うまくソフトランディング出来たわけだし
しかし、本当に最初から「うまい幕引き」を狙ってたのかな?
少なくとも鳥羽伏見直前は権力奪回路線で 江戸到着直後も恭順か抗戦かどっちつかずだった。
慶喜は自分で状況を生み出すタイプではなかったのかもしれないよ。

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 19:39:07.21 ID:NlvHo8dJ0.net
蓬莱橋は旧東海道にかかる橋ではない

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/18(木) 19:00:31.31 ID:A9DUHk/F0.net
大政奉還だけは徳川慶喜の大偉業

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/19(金) 00:41:50.21 ID:gb/REMDQ0.net
日本史上最高の一発屋

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/20(土) 17:11:19.43 ID:HitmrWuI0.net
利根川を江戸湾から太平洋に流してるのに
大井川の橋ができないとは思えないわ。
西から攻められるのが怖かったんだろうよ。

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/20(土) 20:59:34.49 ID:zfVl+bnO0.net
慶喜は腹心とか忠臣とか謀臣と言った存在がいなさすぎた
神君には本多佐渡があり、太閤には黒田如水が、独眼竜には片倉小十郎が、と戦国大名にはそう言う存在が多々いる
松平春嶽には由利公正が、慶喜の父斉昭には藤田東湖あり 

だが将軍となった慶喜にいたのは若輩の渋沢栄一、平岡円四郎は殺されてるし、幕臣は数だけはいても、一橋から入った慶喜とは気心は知れているとは到底言えないだろう 

腹を割って話せ、献策してくれる、動いてくれる臣もなくこの難局を切り抜けるのは大変である 

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/20(土) 21:10:53.97 ID:0Nf2jgRR0.net
慶喜自体が長期的に見ると正しい判断してるから、
謀臣が居ても変わらんのではないか

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/20(土) 21:33:43.56 ID:NsV5S4+f0.net
がんばったのに忘れられてる可哀想な原市之進
この人が殺されて以降の慶喜は、判断力が落ちてポンコツ化する

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/20(土) 23:45:42.39 ID:AAzDO2Rl0.net
>>183
これは憶測だが、慶喜は容易に人と打ち解けない、腹を割って話さないタイプだったんじゃないかな。
孤高の人といえば格好良すぎるが、元来が親友とか信頼できる家臣がいないタイプ。
原市之進と清水昭武なんかはレアケース

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/21(日) 09:26:28.24 ID:rJNe+rLC0.net
「風雲児たち」では、「自分以外は全員バカ」と思っているキャラとして描かれているね

他にそんなキャラは、高野長英と佐久間象山

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/21(日) 09:37:05.85 ID:qsLD4d/+0.net
マンガをソースにするなよ
あれって幕末あたりは史観がめっちゃ古くて史実と異なること多いし

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/21(日) 14:23:10.17 ID:pXHdiHSV0.net
家康の再来と評されたとも言うが、家康っぽくはないなあ 綱吉の方がタイプが近いんじゃないのか 自分に妙に自信があるところとか

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/21(日) 15:50:49.87 ID:y7oh8XUG0.net
>>187
静岡県知事かよw

慶喜も隠居後は静岡で暮らしていたんだっけ?

まさか静岡の風土か?

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/21(日) 23:26:37.98 ID:wyu7KY5j0.net
>>182
当時の工法では無理だった説や相次ぐ、もしくは水害多々で諦めた説
多摩川も当初は橋がかかっていたらしいがやはり水害多々で無くしたとか

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/22(月) 01:39:45.16 ID:RAWzF+sq0.net
家康の再来と評してたのは木戸孝允

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/22(月) 20:24:55.05 ID:A33KlBq00.net
政治的には、慶喜が新政府に入るのは、確定的だったんだから
戊辰戦争なんて、本来要らんかったんだよね

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/22(月) 20:50:51.48 ID:Vc9X8K/e0.net
そうそうバカな幕臣や会津・桑名が武装して京都に上ろうなんて
長州のやらかした失敗をなぞらなければ戦にならずにソフトランディングできてた

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/22(月) 20:59:14.85 ID:A33KlBq00.net
池田屋は薩摩藩邸焼き討ちと被る
長州も朝敵なのに戦ったので会津もなぞる様同じ事をしてる

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/22(月) 22:02:57.46 ID:Vc9X8K/e0.net
失敗から学ばない会津w

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 13:29:51.29 ID:iS2MfTZr0.net
太平の世になれきってしまった幕臣たちが
いざ戦争になると知らされたら
隠居して8歳の息子に家を継がせたとかひどい例が続出して
慶喜はこれじゃ幕府は滅ぶわと嘆いたとか
そんな感じだったから、慶喜も腐りきった幕府はつぶしてもいいかなあと思っていたんじゃないかな?

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/24(水) 18:49:38.16 ID:EDSBnnaX0.net
幕末の頃日本とアメリカの人口は、ほぼ同じ3000万程度だったそうである

鳥羽伏見の戦いでは、幕府軍1万5千、新政府軍5千が交戦し両軍合わせ500人が戦死したと言う

南北戦争最大の激戦ゲティスバーグの一戦では北軍9万、南軍7万が戦い両軍合わせて約8千が戦死

天下分け目の関ヶ原ではゲティスバーグとほぼ同規模の動員兵力で戦死はそれ以上だったそうである

戊辰戦争も天下分け目であるが交戦戦力が戦国時代、同時期の欧米に比べ、また人口の割には小規模であるのは何故なのだろうか

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/25(木) 00:49:52.27 ID:w8V0vYZc0.net
>>198
想像だけど、長年戦争が無かったから百性を兵として徴兵する制度が無くなってしまっていて、武士だけが参戦したから人数が少なかったのではないだろうか?
戦国時代は徴兵された百性の他、足軽というフリーの兵士というべき職業もあったが、幕末にはそんな職業も無くなってしまっただろうし

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/25(木) 12:18:03.26 ID:OFMffbjb0.net
四境戦争でも会津戦争でも上越戦争でも町人・農民などの非武士階級が志願兵として多く参加している。
慶応の幕政改革でも幕府軍には天領の農民が参加している。
>>199
なんか根本的に知識不足による歴史間違いしてるけど、足軽どころか、将校と兵卒が現れたのが戊辰戦争だぞ。
それまでは一人の上士が数人の徒歩(家来)を率いており、それの集合体が軍を構成したていたが、幕府や雄藩では近代的な兵制改革を行っており、
兵卒不足を補う意味からでも非武士階級からの志願兵を積極動員した。
それから戦国時代の農民徴兵は強制でも根こそぎでもないよ。それは昭和の歴史観だな。

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