初代内務卿 大久保利通
- 1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/02/27(火) 18:56:08.43 ID:adnx1zyx0.net
- 紀尾井坂の変さえなければ明治政府は藩閥化しなくて成功してたのに惜しすぎる
- 156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/29(月) 09:55:49.33 ID:egLYSz6p0.net
- 近代史板に変な荒らしが来てるな
- 157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/29(月) 13:45:48.68 ID:egLYSz6p0.net
- まめにアゲとかんと落ちそう
- 158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/29(月) 14:34:37.31 ID:ZeH8J5JR0.net
- 一蔵どん
- 159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/29(月) 14:45:19.73 ID:ZeH8J5JR0.net
- 西郷どん
- 160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/29(月) 16:24:44.92 ID:egLYSz6p0.net
- 幼名は正袈裟
- 161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/30(火) 01:06:02.46 ID:9cH7GuT60.net
- 乙
- 162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/30(火) 12:32:51.13 ID:+pE9iWcs0.net
- age
- 163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/30(火) 15:32:20.51 ID:9cH7GuT60.net
- ありがとう
- 164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/01(水) 02:10:24.38 ID:rKloKQdo0.net
- 初代内務大臣
- 165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/02(木) 02:52:08.35 ID:SCnUV93W0.net
- 薩摩揚げ
- 166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/03(金) 01:03:18.66 ID:Dzk06yxc0.net
- 大久保が長生きしてたならば
- 167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/04(土) 02:09:58.51 ID:l30WyGll0.net
- よかったのに
- 168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/04(土) 08:48:08.40 ID:RNuCq6dI0.net
- 大久保って煙管を愛用してたけど、マンガとかだと葉巻になってること多いのなんでだろ
世間に出回ってるイメージと違うから?
椅子も曲げ木細工のシンプルなものだったのに、革張りの重役椅子にされがちだし
- 169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/05(日) 03:21:48.54 ID:9lYjVLaq0.net
- >>152
王政復古の大号令だけは本当それ
- 170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/06(月) 15:19:49.46 ID:Osf/PX3U0.net
- >>153
西郷さんもじゃね?
やっぱ植民地支配(薩摩の琉球支配)の経験て色々な知見をもたらすんじゃね?
- 171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/07(火) 02:54:26.20 ID:OE1FZsi20.net
- 大久保は不毛の郡山開発に本気だったからな
- 172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/07(火) 11:08:38.88 ID:/gVQIcbo0.net
- 行政関係はやっぱ、若いときに田畑を回って直接農民と業務で会話をする機会があったかなかったかで変わってくるな
島津久光に一蔵って名前をもらうくらいだから、蔵方の仕事はきっちりやってたんだろうし
町から出ずにお勉強ばかりしてた人は、べき論や文句で終わって具体的な成果はいまいちだったりする
- 173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/10(金) 04:01:24.87 ID:TMm6oJL30.net
- 明治の世に用済みの武士に仕事を与える目的でも開拓工事士こそ最適
- 174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/12(日) 06:52:51.72 ID:nqV4Eyd80.net
- 用済みって言うより、薩摩では荒れ地の開墾は下級武士の特権
薩摩藩が新しい土地に開墾許可を出すと、下級武士の応募が殺到した
同じノリで明治にも開墾事業を立ち上げたら、他の藩出身の士族の中に「武士が刀を鍬に持ち帰るなど屈辱」とイジイジ被害者ぶる武士が出てきただけ
- 175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/14(火) 15:37:24.91 ID:QAfiFCG10.net
- ほんと、るろ剣オタうぜえな
るろ剣こそ史実、教科書は間違いって何十年言い続けるんだか
- 176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/17(金) 14:09:33.09 ID:XqSes81j0.net
- まじか
- 177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/18(土) 12:20:40.86 ID:eq7SMq/L0.net
- 武士の世を終わらせた英雄
- 178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/18(土) 14:49:00.41 ID:pj6jGGE/0.net
- 大久保がビスマルクに心酔してたとかいう史料的裏付けのない話が、なんで広まったか調べたら、司馬の影響が大きいみたいだな
(その前からそういう説はあったけど)
実際にはビスマルクに会う前より会った後の方がテンション下がってるという
- 179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/18(土) 17:03:55.30 ID:22juL4wo0.net
- 大久保とビスマルクの関係について、司馬遼太郎の影響が大きいことは指摘されています。司馬は、自身の小説の中で大久保をビスマルクに心酔する人物として描き、このイメージが広く世間に定着しました。
しかし、司馬の作品は史料に基づいて書かれたものではなく、必ずしも史実を正確に反映しているとは言えません。
- 180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/18(土) 19:57:13.53 ID:WNaP0Wnn0.net
- 大久保とビスマルクの関係にネットでも普通の検索できるが。
大久保のヒゲはビスマルクの真似だとか。
だいたい、大久保がビスマルクに心酔して変なのか?
- 181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 03:32:16.77 ID:vStvdz9P0.net
- 19世紀後半の世界で黄金期を築き上げてたのがドイツだから
鎖国から抜け出して西洋世界に触れたばかりの日本人がドイツに魅了されきってしまったのは仕方ない面もある
- 182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 07:54:40.14 ID:9qNXpcO+0.net
- >>180
ネットで検索して出るのは司馬が広めた風説だよ
1873年に大久保がビスマルクに会った時、ビスマルクにはまだ口ヒゲしかないし、大久保はもう頬ヒゲを生やしてた
史料でちょっと裏取りすれば、間違ってるのがわかる話なのに、>>181みたいに妄想でどんどん話を盛っていって、なんか変な方向に行くのが面倒くさい
- 183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 10:33:38.68 ID:16XkMadx0.net
- >>182
とりわけ大久保利通はビスマルクに強い感銘を受け、
「新興国家ヲ経営スルニハ、ビスマルク侯ノ如クアルベシ。我、大イニウナズク」と
書いている。また西郷隆盛や西徳二郎などに宛てた手紙の中でもビスマルクのことを
「大先生」と呼んでいる
勝田政治『“政事家”大久保利通―近代日本の設計者』
- 184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 11:32:27.83 ID:9qNXpcO+0.net
- >>183
その本持ってるけど、そんなこと一切書いてないぞ
手紙の文章も、大久保がビスマルクとの面会後に出したものと違う
勝田政治はむしろ、大久保がドイツを手本にした国家を作ろうとしたという「常識」をもう一度見直してみよう、という立場
その本の2年後に書いた「大久保利通とビスマルク」って論文が国士舘大学サイトからダウンロードできるから、読んでみ
- 185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 11:51:41.66 ID:16XkMadx0.net
- >>184
大久保は明治天皇と自分の関係はヴィルヘルム1世とビスマルクの関係であるべしと考え、
常にビスマルクたらんと意識し続けた[619]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%93%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF
- 186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 12:02:15.22 ID:s8pB0zW40.net
- 勝田本人か?
最初はさほど気にしてなかったがドイツに渡り大久保だけでなく伊藤も木戸も
すっかりドイツに染まって帰国したのが真相だろう
ましてアメリカよりドイツは参考になるしな
- 187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 12:17:03.03 ID:9qNXpcO+0.net
- 本人w
一応歴史の板なんだから「だろう」とかの妄想じゃなく、大久保本人の書いたものとかの史料を確認してよ
- 188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 12:23:13.61 ID:9qNXpcO+0.net
- なんかビスマルクのWikipediaの記事、出典が歴史小説だったり、いろいろやばいな
勝田の本も、◯◯という常識があるけど見直してみよう、って趣旨の分の◯◯だけを抜き出してたり
- 189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 12:29:29.04 ID:16XkMadx0.net
- >>186
>勝田本人か?
そんなわけないだろw
私が言いたいのは「大久保がビスマルクに心酔してたとかいう史料的裏付けのない話」とか
「それは司馬の作った風説」というのを否定したいだけ
- 190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 12:35:59.73 ID:VMC7dsP40.net
- 大久保利通とドイツの関係は調べなおせばいいだろ。
ただあまり変わらんと思うけどな
- 191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 12:45:31.08 ID:9qNXpcO+0.net
- 史料ってWikipediaの受け売りのことじゃないよw
- 192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 12:53:22.66 ID:16XkMadx0.net
- 著書もネットもしょせんは他人の受け売り
- 193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/20(月) 04:32:04.17 ID:BlwK5fOe0.net
- 真相はいかに
- 194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/20(月) 08:29:56.45 ID:7b8uhJlS0.net
- 今現在、幕末専門の学者の支持の多いのは、この人の意見だな↓
瀧井一博
「史料を読み直してみると、果たして大久保がどれほどビスマルクに入れ込んでいたのかよく分からないところがある。(中略)大久保がビスマルクに触れている手紙は、よく読めば、ドイツ滞在が時間切れとなったため満足のいく成果に乏しく、ビスマルクと面会できたことくらいだ、という趣旨である。大久保を『日本のビスマルク』と呼ぶことは再考の余地があると言える。」
勝田政治の「大久保利通とビスマルク」もほぼ同じ見解
- 195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/20(月) 22:16:05.46 ID:uBdFpuDN0.net
- 大久保のヒゲは西洋かぶれの証明
あのヒゲはドイツ人に多い
- 196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/20(月) 22:28:28.71 ID:74c6oeeg0.net
- 大久保がドイツ贔屓なのは常識
- 197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/21(火) 03:05:00.97 ID:RS9jWz4j0.net
- 勝田は大久保はイギリス贔屓にしたがってる
- 198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/22(水) 13:08:12.72 ID:611r5pb90.net
- 岩倉遣欧使節団の、ほぼ全員がドイツに魅了されて染まりきって帰国したから大久保だけじゃない
特に伊藤なんて密航するほどの超親英派だったのに超親独派に様変わりしてしまった
- 199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/22(水) 13:13:12.70 ID:O+jSxf3h0.net
- >>190
あれこれ証拠書類に大久保のドイツ崇拝が残ってるからな
- 200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/22(水) 15:36:00.87 ID:14J90IMJ0.net
- >>197
と言うより、ドイツ贔屓って決めつけて書いたのは毛利敏彦のみ
この人、江藤新平の縁戚だから、大久保がビスマルクを真似して独裁者になり、江藤を陥れたってストーリーにしたがった
それを司馬が小説に採用して一般に広まった
実際に大久保の書いたものは、合う前に期待して褒めてるわりに、会った後はそれほどでもない
- 201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/22(水) 17:00:32.65 ID:+Dm6qtVn0.net
- 心酔したかどうかはわからないが、弱小だったドイツを強国にした優秀な宰相なんだから尊敬はするだろう
逆に、ビスマルクは大久保をどう思ったのかの方が興味ある
大久保あんさつの時とか、一国の宰相がころされたんだから各国が追悼文を寄せるはずなんだがそれに触れた記述を見たことがない
極東の弱小国家だから無視されたのかな
ただの宰相ではなく欧米歴訪して中国にも行って当時の首脳と面会してるのに
- 202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/22(水) 18:37:23.38 ID:I4RIuHzq0.net
- >>42
大久保さんの目指していた理想は、時代によって変化してきたと考えます。
初期の頃は、富国強兵による日本の近代化を目指していました。欧米列強に追いつき追い越すために、軍備を強化し、経済発展を図ろうとしたのです。
しかし、日清戦争や日露戦争を経て、大久保さんは大陸進出の必要性を唱えるようになります。朝鮮半島や中国大陸へ勢力圏を広げることで、日本の安全保障を確保し、更なる経済発展を促進しようとしたのです。
晩年には、立憲政治の導入を提唱するようになります。欧米諸国のように、国民が政治に参加できる体制を築くことで、日本の将来をより良いものにすることができると考えたのです。
このように、大久保さんの目指していた理想は、常に日本の置かれている状況に合わせて変化してきました。その根底には、日本の発展と繁栄への強い思いがあったことは間違いありません。
私個人の意見としては、大久保さんの理想は現代社会にも通じるものがあると思います。
グローバル化が進む現代社会においても、日本は競争力を維持し、国際社会の中で存在感を発揮していく必要があります。そのためには、経済発展はもちろんのこと、政治体制の改革や教育制度の充実など、様々な課題に取り組んでいく必要があるでしょう。
大久保さんのように、常に時代の変化を見据え、日本の将来を見据えたビジョンを持つことが重要だと考えています。
- 203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/22(水) 20:20:28.97 ID:EqFnvyer0.net
- >>200
大久保がやたら評価さるようになったのも司馬の影響だと思う
戦前は西郷が圧倒的人気だったからね
- 204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/23(木) 02:31:28.50 ID:+zz39Gn30.net
- 戦前の歴史評論でも評価高いぞ
- 205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/24(金) 03:44:21.70 ID:WsDNIURH0.net
- 大隈重信なんかは大久保利通を讃えてたしな
- 206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/24(金) 15:49:42.50 ID:qG00PmiH0.net
- >>202
>日清戦争や日露戦争を経て、大久保さんは大陸進出の必要性を唱える
どこの大久保さんについて述べてるのかね君は?
- 207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/24(金) 16:21:14.85 ID:K6meXkks0.net
- 日本語が不自然な人に触っちゃだめ
- 208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/28(火) 20:57:54.89 ID:sWHE0BHA0.net
- あちこちのスレで書いてるけどこのキモい文章はAIなんじゃないの
- 209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/28(火) 22:14:51.54 ID:tQdEzMFr0.net
- AIより頭悪そう
- 210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/28(火) 22:22:39.17 ID:3Ro/l9MN0.net
- この人(AI?)、世界史板のいくつかのスレにも出没してて、やっぱり事実誤認があるんよ。
AIで納得。 つーかAIもまだまだダメだな
- 211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/28(火) 23:05:36.35 ID:tQdEzMFr0.net
- 一応AIチェッカーだと人間って出るぜ
- 212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/29(水) 04:09:09.12 ID:LO6kXqUC0.net
- 日本をドイツ崇拝の国に決定したのは大久保より伊藤やで
- 213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/29(水) 07:52:26.94 ID:MoP3NkqL0.net
- 大久保は国の政体は「土地風俗人情時勢」に従って自然に決まるもので
どこかの国のやり方をそのまま持ってきてもうまく行かないって書いてるんだから
ネット民あるあるの「どこかの国ひとつだけを熱烈に崇拝したはずだ。それはどこか?」
っていうゼロか100かの議論はナンセンス
- 214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/29(水) 15:32:00.04 ID:5wgKMMrL0.net
- だが昭和初期の敗戦を見れば
いくら全盛期時代のドイツ帝国に多くの日本人が魅了されたとはいえ
何故に新政府は同じ島国のイギリスを参考にしなかったんだとは思うわ
イギリスを参考にしてれば昭和の敗戦は無かったわ
- 215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/29(水) 16:19:49.52 ID:kGtbMiM20.net
- 国籍別お雇い外国人では英国が他を圧倒している 海軍もイギリス一辺倒
だが、英国の憲法はイギリスの歴史的経緯を経てできた不成文憲法で、これを日本に導入するのは困難
となるとセカンドチョイスで同じ君主国で、しかも日本と似た領邦国家の連合からなるドイツが挙がるのはやむ得ないのではないか
フランスは第三共和制になってしまったし、アメリカのような共和主義は適用出来ない ロシアはあまりにも遅れている
- 216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/29(水) 16:57:48.62 ID:MoP3NkqL0.net
- 大久保が昭和初期まで生きていたと思ってる人が来てるね 笑
- 217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/29(水) 20:17:14.44 ID:5LcKGJDW0.net
- >>214
明治維新後の新政府は、欧米列強の中でも特にドイツ帝国に強い関心を持ち、その政治制度や軍事制度などを積極的に導入しました。しかし、イギリスもまた、当時世界最強の海軍力を誇り、植民地帝国を築き上げていた島嶼国家です。新政府がイギリスの政治制度や経済システムを参考にすることで、より安定した繁栄を築き、第二次世界大戦の敗北を回避できた可能性もあったかも
- 218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/30(木) 14:39:22.02 ID:A0uk+7V30.net
- そもそも何をしたらあんな風に顎髭鼻髭もみあげがつながるんだ?
- 219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/30(木) 14:58:46.59 ID:FA+nV+gk0.net
- 黒田清隆や副島種臣など他の九州藩士も似たような風貌だろ。
逆に東北藩士は中性的な草食系の藩士が多い風貌が残された写真で見た限りはする。
- 220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/30(木) 15:08:04.93 ID:gElqOP/F0.net
- 長州藩士と会津藩士は中身の性質は正反対だが見た目だけなら秀麗顔で似てんだよw
- 221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/30(木) 15:10:38.02 ID:0d3yrKld0.net
- 現代の世界だと同じ白人でも中身が丸っきり違う米英アグロサクソン人種と露スラブ人種みたいなもんか。
- 222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/30(木) 22:54:04.49 ID:TS7ZLqfM0.net
- >>219
同意
- 223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/31(金) 03:51:50.21 ID:4Y+ggaQ60.net
- >>212
伊藤の罪は重い
- 224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/01(土) 12:22:29.57 ID:K5nbEHuL0.net
- どいつんだ!
- 225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/01(土) 21:21:56.95 ID:gb3vYSBd0.net
- >>195
グラバー、アーネストサトウ、パークスというイギリス人
ロッシュというフランス公使
クラークスというアメリカ人博士
ラフカディオハーン日本名小泉八雲というギリシャ出身の文学者
他にも多数の非ドイツの外国人ヒゲ面ですが?
- 226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/01(土) 21:30:33.37 ID:gb3vYSBd0.net
- >>194
大久保はアメリカに一番衝撃を受けだけど伝統重視の日本人には合わないし、島国で貧しい日本がアメリカみたいに投資、再投資しまくっている状況が違い過ぎてお手本にするには合わないっていう見解だったからね
そこで資源は少ないし少し前まではヨーロッパでは弱小連合国家に過ぎなかったドイツは何をどうやったのか?という事に興味があったと思われる
心酔と興味を持っているのとは全く意味が違うのに言葉をすり替えたり帰国後の大久保の殖産興業政策への力の入れようを見てもドイツを目指したというよりは将来的な経済成長のために必要なインフラ整備を重視したとか考えられないと思うわ
- 227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/01(土) 23:54:28.64 ID:JZwxd9Ff0.net
- インフラ整備の重視はその前の工部省段階だろ
農業国のドイツが強国になった先例として農業重視に変えたのが大久保の内務省
- 228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/02(日) 08:31:22.55 ID:fRp34LVP0.net
- >>226
最初の問題提起は「大久保がビスマルクに心酔してた」って大昔の常識の否定なのに、旗色が悪くなると論旨をすり変えて反論してくる人いるね
なんでそんなに固執するんだろ
ところで大久保がいちばん熱心に感想を書いてるのはイギリスの工場かなと思ったんだけど、アメリカって何かある?
息子二人をアメリカに留学させたのは知ってるけど、あれは受け入れ体制の問題だと思うし
- 229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/02(日) 10:28:44.40 ID:acQDzTag0.net
- >>225
19世紀半ば過ぎから欧米でヒゲが流行り出した
日本の開国はそのブームの真っ最中だったので、ざんぎり頭に加えヒゲも導入されたのである
アメリカの歴代大統領を見るとワシントンから15代ブキャナンまでほぼヒゲはない
16代リンカーンが女の子のアドバイスを手紙でもらってヒゲを生やすと、27代タフトまではヒゲが大勢を占める
ちなみにヘイズとガーフィールドはヒゲが伊藤博文と似てる
28代ウィルソン以降、アメリカではヒゲブームは収束しバイデンまでほぼヒゲはない
ロシア皇帝は、アレクサンドル1世までほぼヒゲなし 1825年即位のニコライ1世からヒゲ時代に入りニコライ2世まで全員ヒゲ ソ連時代もヒゲは引き継がれレーニン、スターリンとヒゲだが、フルシチョフ以降はプーチンに至るまでヒゲはいない
イギリス首相は19世紀に入るとそれまでのツルツルからヒゲ時代に入る イギリスの場合ラッセルなどモミアゲがとんでもないのがいてヒゲかモミアゲか判断に窮するが、ディズレーリあたりから確実にヒゲとなり20世紀半ばまでヒゲ時代となる
と見ていくと欧米では19世紀中葉あたりからヒゲブームが到来 20世紀半ばでほぼ終焉したようである
この時代は文豪の時代でもあり、ロシア文学の3大巨頭を筆頭に教科書の欧米の文豪の大抵ヒゲである
なお、当然ながらこれは欧米限定で、アラブ人とか敬虔なユダヤ人などは流行に左右されず常にヒゲである
- 230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/03(月) 14:58:01.28 ID:dOQ/43Xe0.net
- >>212
なのに日独同盟の土台は大久保によって形成されたと思い込まれてる不幸。
明治日本をドイツ風にしたのは伊藤であるのが歴史的事実。
- 231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/03(月) 15:52:38.09 ID:Zs6JqsJX0.net
- 明治の元勲に日独同盟なんて国際連盟脱退後の話を持ってこられても困るわな
防共協定結ぶまで政治的には三国干渉、第一次世界大戦と、ほとんどドイツと日本は対立してたんだし
- 232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/03(月) 16:13:28.62 ID:d0eADN0V0.net
- とりあえず大久保死後の話は、全部スレチ荒らし
- 233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/03(月) 16:26:09.86 ID:ohSa6LIg0.net
- >>231
明治の元勲が生きていた時代は、日独関係は複雑でしたね。確かに、三国干渉や第一次世界大戦では対立していました。日独同盟が結ばれたのは、国際連盟脱退後の1940年です。歴史上、同じ時代の人物や出来事を混同してしまうことはよくあることですが、正確な理解のために、歴史的背景をしっかり把握することが大切ですね。
- 234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/03(月) 17:41:10.71 ID:3WfXHQK/0.net
- いつものキモい人キタ
- 235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/04(火) 04:24:38.17 ID:6HLuqRGe0.net
- 日本人のドイツ贔屓は大久保に作られた?
- 236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/04(火) 12:01:29.36 ID:umsoCXGw0.net
- 明治天皇の功績ってなにがあるんだ?
一般的に明治天皇の功績とされている事柄って大久保利通ら国の官僚・政治家が実施して
うまくいった部分だけをピッキングしたものを功績扱いしているけど
その中で本当に明治天皇が言い出しっぺのものってあるのか?
- 237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/04(火) 12:06:50.58 ID:umsoCXGw0.net
- 続き
うまく日本を近代化できたのは薩長土肥の官僚の施策がうまくいった結果だけど
藩閥以外の人間にとっては藩閥の人間による功績とするよりも
明治天皇の功績としたほうが都合が良かったのかもしれない
- 238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/04(火) 12:35:17.64 ID:jQQXBxgE0.net
- またスレチ荒らし来た
- 239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/04(火) 12:40:09.19 ID:umsoCXGw0.net
- 荒らしではない
明治天皇について語るスレがないので
明治の諸施策を主導した大久保のスレに書いてみた
- 240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/04(火) 13:38:52.26 ID:jQQXBxgE0.net
- 自分でスレ立ててね
それすらできない情弱なら諦めろ
- 241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/05(水) 03:47:51.24 ID:DiQ/PUIb0.net
- ドイツ崇拝も天皇絶対主義も伊藤博文だろ?
- 242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/05(水) 13:53:18.70 ID:l3PJ1YPv0.net
- >>236
明治天皇の功績は、大久保利通ら官僚・政治家による改革を象徴するものとして語られることが多いですが、天皇ご自身が直接指示や発案した政策も存在します。
例えば、教育勅語の渙発は、欧米化の波に揺れる国民の精神的な支柱となるべく、儒教思想を基にした道徳教育の重要性を訴えたものであり、天皇自身の強い意志に基づいて行われたものです。これは、単なる官僚主導の改革にとどまらず、天皇自身の理念に基づいた国家統治への関与を示すものです。
また、軍制改革においても、天皇は積極的に意見を表明しました。徴兵制度の導入や陸軍士官学校の設立など、近代的な軍隊組織の構築に深く関与し、国力の強化に貢献しました。
このように、明治天皇は必ずしも官僚・政治家の指示通りに動くだけの存在ではなく、自ら積極的に国家運営に関わり、近代化への道筋を指し示したのです。
- 243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/07(金) 03:39:34.83 ID:574R2+gJ0.net
- >>241
伊藤かもしれん
- 244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/14(金) 03:34:51.21 ID:48XVT0TN0.net
- せやか
- 245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/18(火) 04:08:02.15 ID:qRDo6ZnV0.net
- そう
- 246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/20(木) 19:08:11.48 ID:kcjvPblB3
- なんか生意気な感じやねん
- 247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/22(土) 04:23:17.97 ID:9VnLplim0.net
- 総理大臣を見たかった
- 248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/23(日) 03:47:28.49 ID:4TGP/wEr0.net
- 維新の精神を貫徹する三分割
戦乱の世もようやく収まり、平和な時代が訪れた。我々はこの機に乗じて、維新の精神を貫徹し、新しき国家を築き上げねばならぬ。
この大業を成し遂げるには、三十年の歳月が必要となるだろう。これを三つの時期に分割すれば、
第一期:明治元年から10年まで
創業の時代である。戦乱の余燼冷めやらぬ中、まずは土台を築き上げねばならぬ。
第二期:明治11年から20年まで
内治を整え、民産を興す建設の時代である。私はこの時まで、内務の職に精励し、国家の基盤を確立したいと考えている。
第三期:明治21年から30年まで
後進の賢者たちに道を譲り、国家の発展を見守る時期である。
かくして、三十年の歳月をかけて、維新の精神を体現した新しき国家を築き上げていくのである。
- 249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/23(日) 19:34:40.34 ID:fE93khXS0.net
- 終了までお早めに
https://i.imgur.com/nldQxEB.jpg
- 250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/23(日) 20:04:51.94 ID:5HDBGc+J0.net
- >>249
とっくに全員がやってね?
- 251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/25(火) 04:29:50.30 ID:RxJml2wO0.net
- 内務大臣
- 252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/26(水) 03:44:21.52 ID:GEhejXDm0.net
- 総理大臣にはなれんかったな
- 253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/27(木) 17:00:21.41 ID:1F+UqTwr0.net
- 西南戦争勃発時、大久保利通は伊藤博文へ書簡で、鹿児島の暴徒を一掃できるとし、「朝廷にとって不幸な出来事ではあるが、ひそかに心中には笑いを生じている」と記していました(明治10年2月7日付)。また、西郷隆盛については、「私学校党の活動に同意せず、無謀な挙兵は行わないだろう」と分析していました。
しかし一方で、「西郷の性格を考えると、進退窮地に陥っている可能性もある」と懸念し、勅使を派遣して明治天皇の意向を伝え、挙兵を思い止まらせようとしました。西郷の縁戚である川村純義も会見を試みましたが、実現には至りませんでした。
周囲からは「西郷は必ず乱に参加する」と忠告を受けても、大久保は最後まで西郷の不参加を信じ疑いませんでした。しかし、西郷が反乱軍を率いて鹿児島を出立したという確報や証拠を突きつけられると、「そうだったのか」と涙を流したといいます。
大久保は西郷と会談するため、自ら鹿児島への派遣を希望しましたが、伊藤博文らに朝議で反対され、その願いは叶いませんでした。伊藤らは、大久保が殺されることを危惧していたのです。
- 254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/28(金) 04:35:39.36 ID:w3mIJiM70.net
- ai
- 255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/28(金) 23:59:44.44 ID:CEc8zBLQ0.net
- >>249
これ割とお得
- 256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/01(月) 12:56:07.24 ID:VbHmakQn0.net
- >>254
自分の書けない文章を見るとなんでもAIと思ってしまう、可哀想な旧時代のおじさん。
ちなみにそれ、AIじゃなかったよ。
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