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初代内務卿 大久保利通

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/03(日) 12:14:00.15 ID:ZBPQfiLY0.net
藩閥政治を無視できたのは偉い

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/03(日) 19:31:04.06 ID:hSFT92n80.net
大久保は西郷下野後に薩長閥で固めている
土佐の代わりに幕臣をちょっと入れた程度

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/04(月) 01:51:28.08 ID:hLCum9IX0.net
岩倉具視との史上最強コンビ

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/04(月) 21:25:13.27 ID:IhuyeisR0.net
大久保「江藤は処刑と聞いて、腰を抜かしよったwww」
やはり、大久保のような人物はテロや私怨で殺されてたと思うわ。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/04(月) 22:29:44.31 ID:fcRT/5oL0.net
ただ大久保が暗殺されて明治政府が失敗に終わってしまったよ

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/05(火) 00:33:04.68 ID:UX4+85uF0.net
これから本格的な内地改革という時に暗殺されてしまったからな残念無念

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/06(水) 01:31:45.47 ID:Aey/E7o40.net
大久保は政治家よりも陰謀家と評したほうがいい

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/10(日) 21:40:45.81 ID:idlxLYZF0.net
「維新の政治と明治天皇―岩倉・大久保・木戸の「公論」主義 1862~1871―」を読んだ人居る?
気になってるんだが

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/11(月) 12:20:06.26 ID:J4jtN1Sq0.net
>>5
山岡鉄舟「刺客、心事を知らず」

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/11(月) 20:45:12.14 ID:F5Owt4gu0.net
大久保は自分で政治権力をコントロールしたい人ってだけでしょ
大久保独自の政策を持っていた訳でない

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/11(月) 22:51:51.04 ID:oMupIi+D0.net
大久保と岩倉のコンビが長く続いたのという一面がある。
大久保のその陰謀家という一面が早死の原因だったのかな

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/12(火) 00:58:32.17 ID:lVDOG8vD0.net
琉球人と嗜好が同じだったと言われるぐらい琉球通

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/12(火) 18:58:30.11 ID:7Oq3gZaB0.net
1人の暗殺だけで歴史の流れがガラリと変わってしまった稀有なる大物

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/12(火) 20:51:30.82 ID:FLSHQrh60.net
大久保は徳川家康を尊敬していたと言うが、
家康が豊臣家を潰した陰謀力を尊敬していたかもしれない。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/12(火) 21:39:08.23 ID:djloukhM0.net
> 彼らはよく、社会に貢献したいと口にする。
> なんでも社会悪のネトウヨを自殺に追い込むことが、社会に貢献することなんだそうで。
> イジメや嫌がらせで社会に貢献できる教師や警官になるために、あえて帰化したんであって、祖国同胞を裏切ったわけではなく、心は●●人なんだそうだ。
> 
> 昔は帰化すると裏切り者と呼ばれたりしたが、祖国に国籍を残したまま帰化する方法が確立された現在では、社会に貢献するためにむしろ帰化することが推奨されている。
> 拳銃所持で前科のある生粋の反日家ですら、今では普通に帰化している。
> 
> ●●学会などはネトウヨ認定した日本人を盗撮して、痴漢の写真だと言ってばらまいている。
> それらの写真は、集団ストーカーに使用される。
> 彼らは集団ストーカーを、[地域で子供を守る安心安全パトロール]と称している。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/13(水) 01:06:52.97 ID:CsX6c1oL0.net
だが大久保は石田三成と比較されることが多い

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/13(水) 08:45:19.89 ID:fD2hBIGz0.net
石田三成は江藤新平かな。
まあ司馬遼太郎が意図的に似させたかもしれないが。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/13(水) 11:43:22.45 ID:BuPG0XyN0.net
死に際まで両者とも似てるんだろうが。
 
ただ死後に大久保利通を祭り上げる人は地元にはいないが
江藤新平を祭り上げる人は地元には多いのを見ると

意外に江藤新平は地元限定だが人望が厚かった
なにしろ処刑後に墓参が絶えなかったみたいだ

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/13(水) 13:42:56.47 ID:blVFXm740.net
逆に大久保は地元より国益を至上とした真の国士とも言えなくないがな。
江藤だけでないが士族反乱の主導者は地元偏重しすぎて自滅した。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/14(木) 14:14:54.99 ID:8198DONO0.net
どことなく小沢一郎は大久保利通的

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/15(金) 05:03:56.91 ID:WnMwGBCu0.net
幕末随一の無能暗君である島津久光の暴走を抑え込めたのは大久保利通

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/15(金) 14:38:53.95 ID:J3jAdrXY0.net
江藤も西郷も前原も地元偏愛しすぎて自滅した

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/16(土) 02:25:47.55 ID:op4AbMCn0.net
>>1
かくも一人の死は歴史の悲劇を体現した人間がいただろうか?

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/16(土) 16:54:26.61 ID:bpaOHY//0.net
あの日あの時あの場所で広沢真臣暗殺てどんな意味あったん?

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/17(日) 01:39:16.41 ID:sPWGB8i30.net
暗殺で日本の行く末が180℃ガラリと変わった人物の筆頭は大久保利通かな。
大村や広沢の暗殺も日本の未来には痛手だったのには違いないが。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/17(日) 17:38:16.82 ID:JtVU7Tx90.net
大久保も台湾出兵してるし、その上、陰謀好きのマキャベリスト。
たとえ大久保が生きていても、その後の日本の針路は変わらんだろ。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/17(日) 22:21:49.05 ID:8o80zn9k0.net
>>34
それはそう御本人も大久保利通を目指していたいみたいで。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/18(月) 00:36:41.37 ID:JjzfNqkF0.net
大久保の目指してた理想とは

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/18(月) 12:08:02.94 ID:E5Fxgqa90.net
藩閥政治を除外した真の法治国家でしょ?

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/18(月) 19:46:18.60 ID:eCDH3fS30.net
土佐や肥前を追い出し薩長閥になったのは大久保からだろう

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/18(月) 21:10:33.09 ID:Z6DoTmM/0.net
西郷のいなくなった軍部を誰に任せたのかが、気になる

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/18(月) 21:56:56.99 ID:VPVq9vJ30.net
大久保は江藤殺しとか汚い仕事をやり過ぎた
自業自得。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/19(火) 00:11:33.81 ID:jWjIgn8R0.net
大久保が薩長藩閥の元締め?
初めてきいたが

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/19(火) 12:02:05.35 ID:UqT2ZBDD0.net
なわけないでしょう

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/19(火) 12:59:46.14 ID:L7J+JGMk0.net
1873(明治6)年、大久保利通は岩倉使節団の欧米視察の経験をもとに、政府に対して政体を定めるよう建言した。次の引用文はその一部である。これを読んで下記の設問に答えよ。なお、引用文は現代語に改め、一部は要約してある。

(1) 政体には、君主政治、民主政治、君民共治(後にいう立憲君主制)の三種類がある。

(2) 民主の政は、天下を一人で私せず、広く国家全体の利益をはかり、人民の自由を実現し、法律や政治の本旨を失わず、首長がその任務に違わぬようにさせる政体であって、実に天の理法が示す本来あるべき姿を完備したものである。アメリカ合州国はじめ、多くは新たに創立された国、新しく移住した人民によって行われている。

(3) 君主の政は、蒙昧無知の民があって、命令や約束によって治められないとき、ぬきんでた才力をもつ者が、その威力・権勢に任せ、人民の自由を束縛し、その人権を抑圧して、これを支配する政体で、一時的には適切な場合もある。

(4) イギリスは土地・人口の規模が日本とほぼ同じであるが、その国威は海外に振い、隆盛をきわめている。それは3200万余の人民がおのおの自身の権利を実現するために国の自由独立をはかり、君長もまた人民の才力を十分にのばす良政を施してきたからである。

設問

大久保は諸国の政体を比較した上で、日本には君民共治の制がふさわしいと主張した。なぜそう考えたのか。当時の日本がおかれていた条件や国家目標を考えて、5行以内(一行30字)で説明せよ。

1994年 東大日本史 第四問

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 00:48:00.64 ID:droZWm+R0.net
米英の国力を現に見て一時は政界から引退したいと申し入れたらしい。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 12:11:23.87 ID:T4GAxytk0.net
>>50
そこはさすがリアリズムに徹した現実主義者の大久保利通よ。

今流行りの日本スゴイ!の幼稚な自画自賛に逃避することは無く日本の遅れを認識することができたのは偉い。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 14:36:46.66 ID:T4GAxytk0.net
日本のドイツ偏狂の元凶は大久保じゃなくて伊藤な
これ多くの日本人が今も誤解してる

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/20(水) 17:20:15.31 ID:4Qj8EnEv0.net
ドドイツなんて遊びもアル問菜

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 01:04:38.89 ID:pdh5Hftx0.net
>>50
特に感想を残していない小栗上野介と大違いだな

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 08:03:00.33 ID:X5Gr04/50.net
1882~1883(明治15~16)年、伊藤博文らは、ドイツをはじめヨーロッパ諸国において、憲法や立憲的諸制度の調査にあたった。
その際、彼等はしばしばドイツの政治家や学者などから、明治維新以来日本政府が進めてきた改革は余りに急進的であり、日本がいま立憲政治を取り入れようとするのは、必ずしも賢明なこととはいえない、とする忠告を受けたといわれる。

そこで、諸君が伊藤博文らの調査団に加わっていたと仮定し、上述のようなドイツ側の忠告に対して、日本として立憲政治を取り入れる必要があることを説明する文章を8行以内(注:1行30字)で記せ。

1989年 東大日本史 第四問

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/21(木) 13:04:04.83 ID:k0/Cy/l20.net
>>54
アメリカの巨大すぎる国力を目のあたりにして何も感想を残さないなんて政治家や役人としては無能の3流にすぎない。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/22(金) 00:40:55.94 ID:bUEqekX+0.net
小栗の外交感覚は東條の外交感覚と似てるわ

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/22(金) 13:46:33.24 ID:FCx5gqw50.net
生き永らえていれば初代総理大臣も間違いなかったんだが運も尽きたんだな。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/22(金) 15:09:09.15 ID:a3gFzV3Z0.net
大久保総理大臣を見たかったわ

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/22(金) 21:31:14.16 ID:vnEQRkkq0.net
麻生さんが大久保さんの玄孫ってよくよく考えたらすごすぎるくらいすごいよな。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/23(土) 00:35:47.01 ID:1ZI0XZwH0.net
吉田茂は土佐人の血統なのに大久保利通の親類

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/23(土) 01:27:14.17 ID:fXsMV77s0.net
「貴兄の写真は…」大久保利通宛ての西郷隆盛の手紙100年ぶり発見
https://mainichi.jp/articles/20240322/k00/00m/040/299000c

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/25(月) 01:11:04.34 ID:JUiS4FbP0.net
>>61
薩土のハイブリッド

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/26(火) 13:49:20.11 ID:oLyxXzuk0.net
大久保利通は、華美な生活などなしてこなかった。
それどころか予算がつかない公共事業に私財をつぎ込んだため、死後に莫大な借金を抱えていた事が判明したが、債権者たちは彼の金の遣い道を知っていたために遺族側に借金の返済を求めることはなかったとされている。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/27(水) 15:41:03.73 ID:7Pf89Np+0.net
>>63
それとたんこ太郎のハイブリッドが麻生太郎

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/27(水) 19:42:59.79 ID:DihFmrl/0.net
>>49
すげー難しい問題だな
東大すげー

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/27(水) 20:18:42.37 ID:+YizSNsI0.net
>>49
これ模範回答なに?
「天皇どけるわけにもいかんからソフトランディング的に当時世界一だったイギリスの例に飛びついただけ」
としか思わないんだけど

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/27(水) 23:10:34.27 ID:2Z+QwDzX0.net
問題だけ書いて解答を書かないのは不親切だね

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/29(金) 06:59:54.33 ID:WlupcMs30.net
明治政府の目標は条約改正を達成することであり、そのためには諸制度の整備とともに富国強兵、殖産興業に努めて列強に並ぶ国力を養う必要があった。大久保は、民主政治を理想としたが、不平士族の反乱などで当面は強力な君主権の下で政府主導により近代化を進め、その間に民度を高めていく君民共治がよいと考えた。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/29(金) 15:06:19.81 ID:hXU2W4Js0.net
>>69
それ模範解答?
大久保についての問題なのに長州の言い分っぽくて感覚古くね?と思ったら1994年か
立憲君主制を選んだ理由は、暗殺直前に福島県令に語った内容を知ってりゃ答えられるよね

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/29(金) 16:15:42.21 ID:kj7hD/aQ0.net
土佐の議会主義派がぐちゃぐちゃにしたから、
立憲主義者の木戸と大久保がくっついたイメージだわ。
木戸は憲法があってこその議会だろって立場。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/29(金) 17:45:14.58 ID:WlupcMs30.net
ようやく戦乱も収まって平和になった。よって維新の精神を貫徹することにするが、それには30年の時期が要る。それを仮に三分割すると、
明治元年から10年までの第一期は戦乱が多く創業の時期であった。
明治11年から20年までの第二期は内治を整え、民産を興す即ち建設の時期で、私はこの時まで内務の職に尽くしたい。
明治21年から30年までの第三期は後進の賢者に譲り、発展を待つ時期だ

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/29(金) 17:49:56.93 ID:WlupcMs30.net
>>70
いや、相手は高校生だよ。
高校生相手に高度な答えなんて求めていないでしょ。教科書レベルの範囲で書ければ部分点確保できれば上出来だと思う。
それに大学入試は英語が主戦力だから。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/30(土) 01:06:14.17 ID:1sawaQth0.net
>>71
それこそが近代法治国家でしょ

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/03/30(土) 22:31:53.55 ID:82AUQmtv0.net
明治になってかなり経つけど元会津藩士で自分で生計稼げるのは1~2割
民主制にしたら当然、士族・華族を無くせという意見が多数になるけど、それやったら大半が露頭に迷う
とりあえず用水引いて広大な開拓地を作って、こいつらに生活の道を教え込んでからじゃないと、完全に民の自由意志で政治を行うなんて危なくてできない
殖産事業は政府が明治天皇の下で強権を発揮しないと到底実現は無理だから、しばらくは君民共治

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/01(月) 01:05:05.49 ID:LW0b9tRF0.net
安積疎水工事

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/01(月) 12:50:59.36 ID:EhV95qVr0.net
今の郡山の発展はわりと大久保の功績なんだよな

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/04(木) 01:01:46.76 ID:dwnqxfIf0.net
そりゃそう

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/06(土) 01:51:40.41 ID:zdNSUM/30.net
信者とアンチが極端に分かれる人物

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/06(土) 17:13:25.60 ID:jp18SPKu0.net
やたらと創作で政敵を暗殺してた設定にされるので、鵜呑みにして信じている人が多い
そんな証拠はないと言うと「権力を使ってもみ消したんだ。やっぱり創作の方が真実」と反論してくるまでがお約束

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/08(月) 02:41:12.61 ID:nCZcTB9S0.net
特技 畳回し

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/11(木) 01:02:35.94 ID:rrxbeqy30.net
子供が多すぎだろ。
見掛けによらず性欲が強すぎたんだな

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/11(木) 13:11:14.12 ID:l6FxVTz50.net
氷塊のイメージは戦後に作られたものか?

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/11(木) 14:13:07.75 ID:OA7f4+wd0.net
氷塊って言い出したのは旧幕臣の福地源一郎だな
福地は、日ごろ大久保が無口で慎重で笑顔を見せなかったので、北洋の氷塊のような政治家だと噂して苦手にしていた
岩倉使節団で一緒になったときに福地は、「あなたは私が知的で意見をはっきり言うから気に入らないんでしょう。気に入られたかったら、相手の話を聞いてから少しずつ意見すればいいとはわかっているが、私の才知は天が与えたものだから隠したくない」と言った
すると大久保は微笑んで「わかっているならやってみなさい。政治家として成功したければ、まず信頼を得ることが必要だ。君は若くて将来国家の役に立つ人なんだから、才知をひけらかさず、深慮熟考を学びなさい」と父が息子に情愛をかけるような親切な口調で諭したので、温かい人だなと思ったという回顧談

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/11(木) 19:12:50.23 ID:OA7f4+wd0.net
メディアの切り取りは怖い
福地「大久保は冷たいと思ったら温かかった」→メディア「大久保は冷たい」

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/12(金) 00:49:18.43 ID:nGbITyzP0.net
せめて残り5年は生きてもらいたかった

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/12(金) 12:42:22.99 ID:EBXu7sim0.net
良きも悪しきも現代の大久保イメージは池辺三山に完成させられた

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/12(金) 14:58:26.99 ID:YnKnTfEl0.net
勝田孫弥じゃなく?

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/13(土) 07:45:55.80 ID:szot1tPR0.net
福地は彰義隊戦争のときに江湖新聞で官軍批判して逮捕されたのを
木戸が助けてからは、木戸一派だからな。

渋沢も福沢も福地も木戸派の連中は大久保は苦手なんだよ。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/13(土) 12:45:52.72 ID:1Blq8Z5r0.net
大久保利通の手によって憲法や議会制度が確立されてたなら、
今の国会のようなヤジや審議拒否なんて起こらない物になってたであろう事は想像に付く。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/13(土) 14:03:12.39 ID:Y5xY6KKQ0.net
一歩、間違えれば独裁国家やぞ、それ

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/13(土) 15:37:40.63 ID:U/gpEHbJ0.net
>>89
読解力ないやつがここにも 笑

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/13(土) 17:16:01.40 ID:ojen/Q2p0.net
大久保の政治手腕は俺も高く評価するが、このスレの大久保評は過大評価傾向があるな。

>>90
関係ないと思う。91氏も指摘しているが、それはそれで問題ある。 やじや審議拒否も健全な議会政治プロセスだと思うし、
そう思えるほど成熟した議会政治年数を経たことをむしろ評価すべきだろう。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/13(土) 17:55:12.84 ID:U/gpEHbJ0.net
評価なんてどうでもいいじゃん
木戸オタとか来ると、木戸を持ち上げるためには大久保を貶さないといけないって必死になるけどさ

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/13(土) 19:50:26.34 ID:ojen/Q2p0.net
93だが。俺は伊藤オタではないんだが、元老スレで伊藤博文の評価がボロクソなのがなんだかなあ、と思ったわけ。
伊藤ら第二世代が三傑と比べると俗物で小物臭なのは同意するが、「伊藤には実績が無い」というレスには驚かされた。
結局、その対極に大久保への過大評価があるような、と思った次第。
反発覚悟で書くと、大久保利通って、外国の近代政治家や戦国武将と比べてそんなに傑出しているとも思わない。
ディスってるわけじゃないよ。伊藤や原を評価している俺だから当然大久保の凄さも踏まえた上だ。
当たり前だが大久保も完全無欠人間ではない。政治家としても老成の域までは行ってない。
だから誰かも書いているが 5年後10年後の彼を見たかったね。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/13(土) 20:04:01.71 ID:U/gpEHbJ0.net
伊藤の話をしてるやつなんて20日以上来てないやん
長州スレ行って語りなw

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/13(土) 20:34:48.38 ID:evbE1zI00.net
スレ違いだが

高杉晋作には見た目によらず老成の域があり西郷隆盛も越えていたと
三浦梧郎が最高級の評価をしてたぞ

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/13(土) 21:04:31.21 ID:ojen/Q2p0.net
>>96
で、お前の大久保評はどうなん? 語ってくれや

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/13(土) 21:18:19.59 ID:mTLPYd/C0.net
このスレ見るとホントはみんな幕末明治についてもっと語りたいんだろな
でもその場がないんだろなというのが伝わる

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/13(土) 21:34:22.73 ID:U/gpEHbJ0.net
長州スレはあるから荒らしてるだけだろ

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/13(土) 21:37:40.06 ID:ojen/Q2p0.net
何こいつ?

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/13(土) 21:54:44.73 ID:ZleO7PNL0.net
大久保って一歩間違うとスターリンや中国の歴史に出てくる宮廷陰謀に長けた宦官みたいな人物でしょ
本人は無私無欲だから良かったが
権力で政敵倒したり、言論封殺したり、西郷や木戸亡き後は独裁者になってた可能性もあるよね

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/13(土) 23:49:48.59 ID:evbE1zI00.net
暗殺される前には大隈重信を後継者にして譲って政界から隠居したいと語っていたんだが?

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 00:55:00.52 ID:NlvHo8dJ0.net
>>103
それ一次史料ある?

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 01:15:19.39 ID:fXWWFzJo0.net
自由民権主義者の大隈が大久保を崇拝しきってたのは事実だがな
大久保も専制一辺倒じゃなくて国内の治安がまとまれば
イギリスみたいな自由選挙主義に切り替えようとしてたんじゃないか?

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 02:48:32.95 ID:NlvHo8dJ0.net
なんだソースないのかw
大隈を後継者とか何言ってんだと思った
大久保が独裁者って旧来の見方は間違ってたってのが歴史学者の主流意見になりつつあるのに、後継者も何もないわw

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 04:29:55.58 ID:HP0I4yHZ0.net
大久保が決して専制主義者ではないことは、
山縣より大隈と親しかったことが何よりの証拠だわな。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 06:12:44.04 ID:KIUvxulE0.net
その大隈も独占主義の三菱と仲が良かったようで。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 12:33:31.72 ID:I4Ftyj2A0.net
>>103
何言ってんの? 暗殺当日の朝、大久保は自宅を訪ねてきた山吉盛典に今後10年自分が先頭に立って頑張る、
と言ってる。その後に後継者に譲って自分は後見役になると。
一体 大隈を後継者にとか、政界引退とか、史料出して欲しいな。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 13:49:45.85 ID:0KFsXPFF0.net
大隈が大久保をべた褒めしてたからじゃね
大久保も大隈を信頼しきってたしな

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 14:18:24.26 ID:I4Ftyj2A0.net
べた褒めしたら 「後継者にして譲って政界から隠居したいと語っていた」になるんかね?
だとしたら、103は相当アタマおかしいぞ。全然「語って」へんがなw
話作りすぎw

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 14:20:46.42 ID:myz4Slyi0.net
いうても木戸、大久保と同路線を歩んでいたのは大隈しかいないでしょ

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 14:33:26.08 ID:7rh+L/RS0.net
木戸、大久保、大隈vs伊藤、山縣、井上

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 14:35:14.61 ID:u2BB0+0w0.net
>>113
両師匠が早死にしたんで大隈重信は残りの長期間を一人だけで孤軍奮闘してたな。
国民世論から支援を受けていたから一匹狼も可能であったんだろう。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 14:47:48.14 ID:I4Ftyj2A0.net
ちょっと気になるんだが、大久保を木戸や大隈のような「議会重視派」にカウントしてるけどなんで?
俺は思想的には大久保は伊藤より保守だと本で学んできたんだが、今の研究では違うのか?

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 15:07:39.32 ID:I4Ftyj2A0.net
>>112
君の大隈評はどうでもいいが、大久保は「後継者にして譲って政界から隠居したいと語ってい」ないなら、それでええ。
>>103をガセと処理して話進める。
俺の知ってる知識と矛盾してるので確認しただけ。>>109は有名なエピだから皆知ってるよね?

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 15:35:14.60 ID:CZZL3WPw0.net
大久保は別に専制主義者ちゃうよ。

だが江藤、西郷への苛烈な仕打ちや幕末の志士時代に岩倉と共同して権謀術数も多く仕掛けてきて
そう思われてきてるのは致しかない面もあろう

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 15:47:12.70 ID:NlvHo8dJ0.net
今度はフィクションを鵜呑みにしてる人きた

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 15:55:22.92 ID:nKZC49RO0.net
江藤殺し

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 16:01:06.52 ID:jht9jfbM0.net
決定的に故郷から三行半を突き付けられてきたのは西南戦争後でしょ

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/14(日) 16:24:30.94 ID:I4Ftyj2A0.net
>>117
専制主義チヤウのはいいけど、それのどこが「議会重視派」なんかね? 伊藤とどう違うんかね?
木戸と大隈は議会政治を志向していたが、大久保は反対はしないが、慎重派・懐疑派はだろ。
リアリストだから時期尚早として当面は有志専制でいくと。
ていうか、「有志専制」て単語習ったことない?明治初期の必須ワードだけど。

だから>>113の仕分けに えっ? となる。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/15(月) 00:33:27.27 ID:yH6UJ4o60.net
>>121訂正

有志専制<誤>
有司専制<正>

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/15(月) 01:45:07.95 ID:BnBltwbD0.net
>>120
大久保の銅像は何故か福島県郡山市にあるという・・

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/16(火) 18:43:04.16 ID:bSaXPvoi0.net
福島県民は大久保に感謝せえ

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/18(木) 12:25:18.00 ID:v8LQFSob0.net
銅像を建てるぐらいしてますとも

少なくとも鹿児島県民よりかはw

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/18(木) 17:19:09.07 ID:n8RZ9S8/0.net
郡山にあるのは、銅像じゃなく大久保神社
安積疎水の銅像は、何人かの群像で大久保も入ってる形式で、鹿児島の銅像より後
大久保は、東北の農民や商人には優れた人材がいると言って、彼らの手柄にする気満々だったから、この形式の方が合ってると思うけど

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/18(木) 18:38:11.22 ID:A9DUHk/F0.net
なんで農民? 本当に言ったのか?

優秀な商人もいたのか?

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/18(木) 19:16:08.84 ID:n8RZ9S8/0.net
>>127
明治天皇が東北巡幸するとき、大久保が事前に予定の行き先を回って、地元民に聞き取りをしたときの感想
大久保は、具体的な提案(ここ重要)を持ってアポ無し凸してくる農民代表とかには、わりと気軽に会う
東北は西日本より身分差がはっきりしてるせいか、いまだに武士の活動しか話さん奴が多い
でも行ってみたら、武士たちに目下は意見するなと放置されてた分、農地のほしい農民たちと投資したい商人たちが自発的にタッグ組んで開墾事業とかしてた

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/18(木) 21:11:26.90 ID:hk/OTYWa0.net
大久保利通存命だったら自由民権派をどう抑えたのか?

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/18(木) 22:40:53.76 ID:3RfNx4N40.net
大久保も明治中期から完全自由選挙に移行すると言ってたではないか

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/18(木) 23:01:10.19 ID:CCa0caPh0.net
大久保は陰謀臭が強すぎる
西郷でさえイザとなれば陰謀をつかう
それに比べ木戸はさっぱり陰謀臭がしない
清潔すぎるくらいで、よく国家転覆をやったなと感心する。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/18(木) 23:27:16.44 ID:n8RZ9S8/0.net
木戸オタってなぜか、思い込みで大久保をdisれば木戸を美化できると必死になるよなあ
大久保好きの人が誰かを引き合いに出す場合は、ほぼ西郷だけど

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/19(金) 00:21:23.91 ID:MDB8D+T/0.net
>>130
出典ある? 詳しく

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/19(金) 00:30:44.35 ID:gb/REMDQ0.net
>>4を読め

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/19(金) 15:04:09.12 ID:6D2fFslC0.net
たしかに意外に大久保は自由主義者

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/19(金) 15:04:44.68 ID:ia+GNm490.net
たしかに意外に大久保は自由主義者

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/19(金) 15:08:25.71 ID:ia+GNm490.net
せめて大久保が10年は長生きしてたなら東北地方の発展度は今とは別物になってたかもしれん。
おそらく国内の産業育成やインフラ整備を最優先させたのが東北地方。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/19(金) 15:09:48.83 ID:rQ5t3/Ef0.net
三島通庸の強引な手法は東北人の反発を招くだけだったわな。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/19(金) 15:37:46.51 ID:VmghkHyU0.net
>>4
現実に大久保に最も近い後継者候補は大隈重信しかいないだろ

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/19(金) 20:14:52.39 ID:T+CoI1kP0.net
大久保が生きてたら、憲法も議会もまだ早いとか言って遅れそうだよね
ただ当時イギリス型の政治を理念としてたから良く分からんよね

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/19(金) 20:45:10.18 ID:MDB8D+T/0.net
>>134
アホなくせにレスすんなw >>4は暗殺当日に大久保が山吉に勝った言葉だが、
どこが>完全自由選挙に移行すると言ってた になるねん?ww
おまえ日本人か? 日本語理解できてるんか?

>>130
近代史板の伝統芸の「捏造」でっか? 出典だしてみ

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/19(金) 21:15:56.22 ID:MDB8D+T/0.net
>>140
大久保は伊藤と同じくビスマルクにもろ影響されてるし、憲法や議会政治には漸進主義をとっただろう。
廃藩置県や秩禄処分は富国強兵のためには必要不可欠だったから、断固とした大ナタを振るったが、
議会政治は別に英国型でなくてもよいわけだし、伊藤のようなドイツ型を選択した可能性が高い。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/19(金) 22:23:11.31 ID:VmghkHyU0.net
伊藤みたいなドイツ狂のバカにならねえよバカw
このバカ伊藤ヲタ!w

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/19(金) 22:24:24.02 ID:VmghkHyU0.net
大久保がバカ伊藤みたいなドイツ狂信者になるわけがねえよバカ伊藤信者が!w

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/19(金) 22:39:01.97 ID:Jgf8A3110.net
>>140
イギリスを参考にした日本独自型じゃないか?

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/19(金) 22:40:18.46 ID:cJCfNYfj0.net
>>134
毎度アホを相手にしちゃいけねえよ

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/19(金) 23:00:35.50 ID:MDB8D+T/0.net
ID:VmghkHyU0
何このキチガイ。誰と間違えてんの? 伊藤の名前だしたら「伊藤信者」なの?
バカなの? 死ぬの?

>>139
ああ大隈信者ね。はいはい。大隈俺も好きだよ。田舎佐賀だし。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/19(金) 23:19:33.18 ID:TBf5fz6O0.net
>>145
岩倉も米英派だったかな

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/20(土) 01:08:35.67 ID:kVbnuhcH0.net
>>148
岩倉使節団が最大に滞在してたのがイギリスだったから親英派。

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/20(土) 02:30:09.23 ID:kVbnuhcH0.net
>>147
おい糞ガイジ死ねボケ殺すぞボケ!

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/20(土) 04:39:53.90 ID:0sJvzeH/0.net
事実上に岩倉、大久保だけで王政復古の大号令を成し遂げたようなもん。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/20(土) 04:40:09.88 ID:oA2ABrxd0.net
事実上に岩倉、大久保だけで王政復古の大号令を成し遂げたようなもん。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/20(土) 04:42:35.85 ID:aNtVQFLn0.net
>>138

まだ大久保の方が東北人の扱いを理解してたという

154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/20(土) 12:45:38.53 ID:NsV5S4+f0.net
>>140
大久保の「まだ早い」は「具体的な準備をして環境整えるから待て」の意味だからな
当時の国民はそもそも話し合いで政を行うとはどういうことかすらイメージできていないから、行政の最小単位の区戸長を民選にし、彼らが住民の意見をすくい上げて地方議会で議論し共同自治する制度を確立するところから始めるべきという意見
大久保は三条に意見書出した後で殺されちゃったけど、翌年に民選の地方議会の制度はできる

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/29(月) 01:36:02.52 ID:ZeH8J5JR0.net
ヘビースモーキング大久保

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/29(月) 09:55:49.33 ID:egLYSz6p0.net
近代史板に変な荒らしが来てるな

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/29(月) 13:45:48.68 ID:egLYSz6p0.net
まめにアゲとかんと落ちそう

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/29(月) 14:34:37.31 ID:ZeH8J5JR0.net
一蔵どん

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/29(月) 14:45:19.73 ID:ZeH8J5JR0.net
西郷どん

160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/29(月) 16:24:44.92 ID:egLYSz6p0.net
幼名は正袈裟

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/30(火) 01:06:02.46 ID:9cH7GuT60.net


162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/30(火) 12:32:51.13 ID:+pE9iWcs0.net
age

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/30(火) 15:32:20.51 ID:9cH7GuT60.net
ありがとう

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/01(水) 02:10:24.38 ID:rKloKQdo0.net
初代内務大臣

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/02(木) 02:52:08.35 ID:SCnUV93W0.net
薩摩揚げ

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/03(金) 01:03:18.66 ID:Dzk06yxc0.net
大久保が長生きしてたならば

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/04(土) 02:09:58.51 ID:l30WyGll0.net
よかったのに

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/04(土) 08:48:08.40 ID:RNuCq6dI0.net
大久保って煙管を愛用してたけど、マンガとかだと葉巻になってること多いのなんでだろ
世間に出回ってるイメージと違うから?
椅子も曲げ木細工のシンプルなものだったのに、革張りの重役椅子にされがちだし

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/05(日) 03:21:48.54 ID:9lYjVLaq0.net
>>152
王政復古の大号令だけは本当それ

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/06(月) 15:19:49.46 ID:Osf/PX3U0.net
>>153
西郷さんもじゃね?
やっぱ植民地支配(薩摩の琉球支配)の経験て色々な知見をもたらすんじゃね?

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/07(火) 02:54:26.20 ID:OE1FZsi20.net
大久保は不毛の郡山開発に本気だったからな

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/07(火) 11:08:38.88 ID:/gVQIcbo0.net
行政関係はやっぱ、若いときに田畑を回って直接農民と業務で会話をする機会があったかなかったかで変わってくるな
島津久光に一蔵って名前をもらうくらいだから、蔵方の仕事はきっちりやってたんだろうし
町から出ずにお勉強ばかりしてた人は、べき論や文句で終わって具体的な成果はいまいちだったりする

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/10(金) 04:01:24.87 ID:TMm6oJL30.net
明治の世に用済みの武士に仕事を与える目的でも開拓工事士こそ最適

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/12(日) 06:52:51.72 ID:nqV4Eyd80.net
用済みって言うより、薩摩では荒れ地の開墾は下級武士の特権
薩摩藩が新しい土地に開墾許可を出すと、下級武士の応募が殺到した
同じノリで明治にも開墾事業を立ち上げたら、他の藩出身の士族の中に「武士が刀を鍬に持ち帰るなど屈辱」とイジイジ被害者ぶる武士が出てきただけ

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/14(火) 15:37:24.91 ID:QAfiFCG10.net
ほんと、るろ剣オタうぜえな
るろ剣こそ史実、教科書は間違いって何十年言い続けるんだか

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/17(金) 14:09:33.09 ID:XqSes81j0.net
まじか

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/18(土) 12:20:40.86 ID:eq7SMq/L0.net
武士の世を終わらせた英雄

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/18(土) 14:49:00.41 ID:pj6jGGE/0.net
大久保がビスマルクに心酔してたとかいう史料的裏付けのない話が、なんで広まったか調べたら、司馬の影響が大きいみたいだな
(その前からそういう説はあったけど)
実際にはビスマルクに会う前より会った後の方がテンション下がってるという

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/18(土) 17:03:55.30 ID:22juL4wo0.net
大久保とビスマルクの関係について、司馬遼太郎の影響が大きいことは指摘されています。司馬は、自身の小説の中で大久保をビスマルクに心酔する人物として描き、このイメージが広く世間に定着しました。

しかし、司馬の作品は史料に基づいて書かれたものではなく、必ずしも史実を正確に反映しているとは言えません。

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/18(土) 19:57:13.53 ID:WNaP0Wnn0.net
大久保とビスマルクの関係にネットでも普通の検索できるが。
大久保のヒゲはビスマルクの真似だとか。
だいたい、大久保がビスマルクに心酔して変なのか?

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 03:32:16.77 ID:vStvdz9P0.net
19世紀後半の世界で黄金期を築き上げてたのがドイツだから
鎖国から抜け出して西洋世界に触れたばかりの日本人がドイツに魅了されきってしまったのは仕方ない面もある

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 07:54:40.14 ID:9qNXpcO+0.net
>>180
ネットで検索して出るのは司馬が広めた風説だよ
1873年に大久保がビスマルクに会った時、ビスマルクにはまだ口ヒゲしかないし、大久保はもう頬ヒゲを生やしてた
史料でちょっと裏取りすれば、間違ってるのがわかる話なのに、>>181みたいに妄想でどんどん話を盛っていって、なんか変な方向に行くのが面倒くさい

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 10:33:38.68 ID:16XkMadx0.net
>>182
とりわけ大久保利通はビスマルクに強い感銘を受け、
「新興国家ヲ経営スルニハ、ビスマルク侯ノ如クアルベシ。我、大イニウナズク」と
書いている。また西郷隆盛や西徳二郎などに宛てた手紙の中でもビスマルクのことを
「大先生」と呼んでいる
勝田政治『“政事家”大久保利通―近代日本の設計者』

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 11:32:27.83 ID:9qNXpcO+0.net
>>183
その本持ってるけど、そんなこと一切書いてないぞ
手紙の文章も、大久保がビスマルクとの面会後に出したものと違う
勝田政治はむしろ、大久保がドイツを手本にした国家を作ろうとしたという「常識」をもう一度見直してみよう、という立場
その本の2年後に書いた「大久保利通とビスマルク」って論文が国士舘大学サイトからダウンロードできるから、読んでみ

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 11:51:41.66 ID:16XkMadx0.net
>>184
大久保は明治天皇と自分の関係はヴィルヘルム1世とビスマルクの関係であるべしと考え、
常にビスマルクたらんと意識し続けた[619]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%93%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 12:02:15.22 ID:s8pB0zW40.net
勝田本人か?
最初はさほど気にしてなかったがドイツに渡り大久保だけでなく伊藤も木戸も
すっかりドイツに染まって帰国したのが真相だろう
ましてアメリカよりドイツは参考になるしな

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 12:17:03.03 ID:9qNXpcO+0.net
本人w
一応歴史の板なんだから「だろう」とかの妄想じゃなく、大久保本人の書いたものとかの史料を確認してよ

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 12:23:13.61 ID:9qNXpcO+0.net
なんかビスマルクのWikipediaの記事、出典が歴史小説だったり、いろいろやばいな
勝田の本も、◯◯という常識があるけど見直してみよう、って趣旨の分の◯◯だけを抜き出してたり

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 12:29:29.04 ID:16XkMadx0.net
>>186
>勝田本人か?

そんなわけないだろw
私が言いたいのは「大久保がビスマルクに心酔してたとかいう史料的裏付けのない話」とか
「それは司馬の作った風説」というのを否定したいだけ

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 12:35:59.73 ID:VMC7dsP40.net
大久保利通とドイツの関係は調べなおせばいいだろ。

ただあまり変わらんと思うけどな

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 12:45:31.08 ID:9qNXpcO+0.net
史料ってWikipediaの受け売りのことじゃないよw

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/19(日) 12:53:22.66 ID:16XkMadx0.net
著書もネットもしょせんは他人の受け売り

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/20(月) 04:32:04.17 ID:BlwK5fOe0.net
真相はいかに

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/20(月) 08:29:56.45 ID:7b8uhJlS0.net
今現在、幕末専門の学者の支持の多いのは、この人の意見だな↓
瀧井一博
「史料を読み直してみると、果たして大久保がどれほどビスマルクに入れ込んでいたのかよく分からないところがある。(中略)大久保がビスマルクに触れている手紙は、よく読めば、ドイツ滞在が時間切れとなったため満足のいく成果に乏しく、ビスマルクと面会できたことくらいだ、という趣旨である。大久保を『日本のビスマルク』と呼ぶことは再考の余地があると言える。」

勝田政治の「大久保利通とビスマルク」もほぼ同じ見解

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/20(月) 22:16:05.46 ID:uBdFpuDN0.net
大久保のヒゲは西洋かぶれの証明
あのヒゲはドイツ人に多い

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/20(月) 22:28:28.71 ID:74c6oeeg0.net
大久保がドイツ贔屓なのは常識

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/21(火) 03:05:00.97 ID:RS9jWz4j0.net
勝田は大久保はイギリス贔屓にしたがってる

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/22(水) 13:08:12.72 ID:611r5pb90.net
岩倉遣欧使節団の、ほぼ全員がドイツに魅了されて染まりきって帰国したから大久保だけじゃない
特に伊藤なんて密航するほどの超親英派だったのに超親独派に様変わりしてしまった

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/22(水) 13:13:12.70 ID:O+jSxf3h0.net
>>190
あれこれ証拠書類に大久保のドイツ崇拝が残ってるからな

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/22(水) 15:36:00.87 ID:14J90IMJ0.net
>>197
と言うより、ドイツ贔屓って決めつけて書いたのは毛利敏彦のみ
この人、江藤新平の縁戚だから、大久保がビスマルクを真似して独裁者になり、江藤を陥れたってストーリーにしたがった
それを司馬が小説に採用して一般に広まった
実際に大久保の書いたものは、合う前に期待して褒めてるわりに、会った後はそれほどでもない

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/22(水) 17:00:32.65 ID:+Dm6qtVn0.net
心酔したかどうかはわからないが、弱小だったドイツを強国にした優秀な宰相なんだから尊敬はするだろう

逆に、ビスマルクは大久保をどう思ったのかの方が興味ある
大久保あんさつの時とか、一国の宰相がころされたんだから各国が追悼文を寄せるはずなんだがそれに触れた記述を見たことがない
極東の弱小国家だから無視されたのかな
ただの宰相ではなく欧米歴訪して中国にも行って当時の首脳と面会してるのに

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/22(水) 18:37:23.38 ID:I4RIuHzq0.net
>>42
大久保さんの目指していた理想は、時代によって変化してきたと考えます。

初期の頃は、富国強兵による日本の近代化を目指していました。欧米列強に追いつき追い越すために、軍備を強化し、経済発展を図ろうとしたのです。

しかし、日清戦争や日露戦争を経て、大久保さんは大陸進出の必要性を唱えるようになります。朝鮮半島や中国大陸へ勢力圏を広げることで、日本の安全保障を確保し、更なる経済発展を促進しようとしたのです。

晩年には、立憲政治の導入を提唱するようになります。欧米諸国のように、国民が政治に参加できる体制を築くことで、日本の将来をより良いものにすることができると考えたのです。

このように、大久保さんの目指していた理想は、常に日本の置かれている状況に合わせて変化してきました。その根底には、日本の発展と繁栄への強い思いがあったことは間違いありません。

私個人の意見としては、大久保さんの理想は現代社会にも通じるものがあると思います。

グローバル化が進む現代社会においても、日本は競争力を維持し、国際社会の中で存在感を発揮していく必要があります。そのためには、経済発展はもちろんのこと、政治体制の改革や教育制度の充実など、様々な課題に取り組んでいく必要があるでしょう。

大久保さんのように、常に時代の変化を見据え、日本の将来を見据えたビジョンを持つことが重要だと考えています。

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/22(水) 20:20:28.97 ID:EqFnvyer0.net
>>200
大久保がやたら評価さるようになったのも司馬の影響だと思う
戦前は西郷が圧倒的人気だったからね

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/23(木) 02:31:28.50 ID:+zz39Gn30.net
戦前の歴史評論でも評価高いぞ

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/24(金) 03:44:21.70 ID:WsDNIURH0.net
大隈重信なんかは大久保利通を讃えてたしな

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/24(金) 15:49:42.50 ID:qG00PmiH0.net
>>202
>日清戦争や日露戦争を経て、大久保さんは大陸進出の必要性を唱える

どこの大久保さんについて述べてるのかね君は?

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/24(金) 16:21:14.85 ID:K6meXkks0.net
日本語が不自然な人に触っちゃだめ

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/28(火) 20:57:54.89 ID:sWHE0BHA0.net
あちこちのスレで書いてるけどこのキモい文章はAIなんじゃないの

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/28(火) 22:14:51.54 ID:tQdEzMFr0.net
AIより頭悪そう

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/28(火) 22:22:39.17 ID:3Ro/l9MN0.net
この人(AI?)、世界史板のいくつかのスレにも出没してて、やっぱり事実誤認があるんよ。
AIで納得。 つーかAIもまだまだダメだな

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/28(火) 23:05:36.35 ID:tQdEzMFr0.net
一応AIチェッカーだと人間って出るぜ

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/29(水) 04:09:09.12 ID:LO6kXqUC0.net
日本をドイツ崇拝の国に決定したのは大久保より伊藤やで

213 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/29(水) 07:52:26.94 ID:MoP3NkqL0.net
大久保は国の政体は「土地風俗人情時勢」に従って自然に決まるもので
どこかの国のやり方をそのまま持ってきてもうまく行かないって書いてるんだから
ネット民あるあるの「どこかの国ひとつだけを熱烈に崇拝したはずだ。それはどこか?」
っていうゼロか100かの議論はナンセンス

214 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/29(水) 15:32:00.04 ID:5wgKMMrL0.net
だが昭和初期の敗戦を見れば
いくら全盛期時代のドイツ帝国に多くの日本人が魅了されたとはいえ
何故に新政府は同じ島国のイギリスを参考にしなかったんだとは思うわ
イギリスを参考にしてれば昭和の敗戦は無かったわ

215 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/29(水) 16:19:49.52 ID:kGtbMiM20.net
国籍別お雇い外国人では英国が他を圧倒している 海軍もイギリス一辺倒

だが、英国の憲法はイギリスの歴史的経緯を経てできた不成文憲法で、これを日本に導入するのは困難

となるとセカンドチョイスで同じ君主国で、しかも日本と似た領邦国家の連合からなるドイツが挙がるのはやむ得ないのではないか

フランスは第三共和制になってしまったし、アメリカのような共和主義は適用出来ない ロシアはあまりにも遅れている 

216 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/29(水) 16:57:48.62 ID:MoP3NkqL0.net
大久保が昭和初期まで生きていたと思ってる人が来てるね 笑

217 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/29(水) 20:17:14.44 ID:5LcKGJDW0.net
>>214
明治維新後の新政府は、欧米列強の中でも特にドイツ帝国に強い関心を持ち、その政治制度や軍事制度などを積極的に導入しました。しかし、イギリスもまた、当時世界最強の海軍力を誇り、植民地帝国を築き上げていた島嶼国家です。新政府がイギリスの政治制度や経済システムを参考にすることで、より安定した繁栄を築き、第二次世界大戦の敗北を回避できた可能性もあったかも

218 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/30(木) 14:39:22.02 ID:A0uk+7V30.net
そもそも何をしたらあんな風に顎髭鼻髭もみあげがつながるんだ?

219 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/30(木) 14:58:46.59 ID:FA+nV+gk0.net
黒田清隆や副島種臣など他の九州藩士も似たような風貌だろ。

逆に東北藩士は中性的な草食系の藩士が多い風貌が残された写真で見た限りはする。

220 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/30(木) 15:08:04.93 ID:gElqOP/F0.net
長州藩士と会津藩士は中身の性質は正反対だが見た目だけなら秀麗顔で似てんだよw

221 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/30(木) 15:10:38.02 ID:0d3yrKld0.net
現代の世界だと同じ白人でも中身が丸っきり違う米英アグロサクソン人種と露スラブ人種みたいなもんか。

222 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/30(木) 22:54:04.49 ID:TS7ZLqfM0.net
>>219
同意

223 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/05/31(金) 03:51:50.21 ID:4Y+ggaQ60.net
>>212
伊藤の罪は重い

224 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/01(土) 12:22:29.57 ID:K5nbEHuL0.net
どいつんだ!

225 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/01(土) 21:21:56.95 ID:gb3vYSBd0.net
>>195
グラバー、アーネストサトウ、パークスというイギリス人
ロッシュというフランス公使
クラークスというアメリカ人博士
ラフカディオハーン日本名小泉八雲というギリシャ出身の文学者
他にも多数の非ドイツの外国人ヒゲ面ですが?

226 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/01(土) 21:30:33.37 ID:gb3vYSBd0.net
>>194
大久保はアメリカに一番衝撃を受けだけど伝統重視の日本人には合わないし、島国で貧しい日本がアメリカみたいに投資、再投資しまくっている状況が違い過ぎてお手本にするには合わないっていう見解だったからね

そこで資源は少ないし少し前まではヨーロッパでは弱小連合国家に過ぎなかったドイツは何をどうやったのか?という事に興味があったと思われる
心酔と興味を持っているのとは全く意味が違うのに言葉をすり替えたり帰国後の大久保の殖産興業政策への力の入れようを見てもドイツを目指したというよりは将来的な経済成長のために必要なインフラ整備を重視したとか考えられないと思うわ

227 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/01(土) 23:54:28.64 ID:JZwxd9Ff0.net
インフラ整備の重視はその前の工部省段階だろ
農業国のドイツが強国になった先例として農業重視に変えたのが大久保の内務省

228 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/02(日) 08:31:22.55 ID:fRp34LVP0.net
>>226
最初の問題提起は「大久保がビスマルクに心酔してた」って大昔の常識の否定なのに、旗色が悪くなると論旨をすり変えて反論してくる人いるね
なんでそんなに固執するんだろ

ところで大久保がいちばん熱心に感想を書いてるのはイギリスの工場かなと思ったんだけど、アメリカって何かある?
息子二人をアメリカに留学させたのは知ってるけど、あれは受け入れ体制の問題だと思うし

229 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/02(日) 10:28:44.40 ID:acQDzTag0.net
>>225
19世紀半ば過ぎから欧米でヒゲが流行り出した
日本の開国はそのブームの真っ最中だったので、ざんぎり頭に加えヒゲも導入されたのである

アメリカの歴代大統領を見るとワシントンから15代ブキャナンまでほぼヒゲはない

16代リンカーンが女の子のアドバイスを手紙でもらってヒゲを生やすと、27代タフトまではヒゲが大勢を占める
ちなみにヘイズとガーフィールドはヒゲが伊藤博文と似てる
28代ウィルソン以降、アメリカではヒゲブームは収束しバイデンまでほぼヒゲはない

ロシア皇帝は、アレクサンドル1世までほぼヒゲなし 1825年即位のニコライ1世からヒゲ時代に入りニコライ2世まで全員ヒゲ ソ連時代もヒゲは引き継がれレーニン、スターリンとヒゲだが、フルシチョフ以降はプーチンに至るまでヒゲはいない

イギリス首相は19世紀に入るとそれまでのツルツルからヒゲ時代に入る イギリスの場合ラッセルなどモミアゲがとんでもないのがいてヒゲかモミアゲか判断に窮するが、ディズレーリあたりから確実にヒゲとなり20世紀半ばまでヒゲ時代となる

と見ていくと欧米では19世紀中葉あたりからヒゲブームが到来 20世紀半ばでほぼ終焉したようである 
この時代は文豪の時代でもあり、ロシア文学の3大巨頭を筆頭に教科書の欧米の文豪の大抵ヒゲである

なお、当然ながらこれは欧米限定で、アラブ人とか敬虔なユダヤ人などは流行に左右されず常にヒゲである

230 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/03(月) 14:58:01.28 ID:dOQ/43Xe0.net
>>212
なのに日独同盟の土台は大久保によって形成されたと思い込まれてる不幸。
明治日本をドイツ風にしたのは伊藤であるのが歴史的事実。

231 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/03(月) 15:52:38.09 ID:Zs6JqsJX0.net
明治の元勲に日独同盟なんて国際連盟脱退後の話を持ってこられても困るわな

防共協定結ぶまで政治的には三国干渉、第一次世界大戦と、ほとんどドイツと日本は対立してたんだし

232 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/03(月) 16:13:28.62 ID:d0eADN0V0.net
とりあえず大久保死後の話は、全部スレチ荒らし

233 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/03(月) 16:26:09.86 ID:ohSa6LIg0.net
>>231
明治の元勲が生きていた時代は、日独関係は複雑でしたね。確かに、三国干渉や第一次世界大戦では対立していました。日独同盟が結ばれたのは、国際連盟脱退後の1940年です。歴史上、同じ時代の人物や出来事を混同してしまうことはよくあることですが、正確な理解のために、歴史的背景をしっかり把握することが大切ですね。

234 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/03(月) 17:41:10.71 ID:3WfXHQK/0.net
いつものキモい人キタ

235 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/04(火) 04:24:38.17 ID:6HLuqRGe0.net
日本人のドイツ贔屓は大久保に作られた?

236 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/04(火) 12:01:29.36 ID:umsoCXGw0.net
明治天皇の功績ってなにがあるんだ?
一般的に明治天皇の功績とされている事柄って大久保利通ら国の官僚・政治家が実施して
うまくいった部分だけをピッキングしたものを功績扱いしているけど
その中で本当に明治天皇が言い出しっぺのものってあるのか?

237 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/04(火) 12:06:50.58 ID:umsoCXGw0.net
続き
うまく日本を近代化できたのは薩長土肥の官僚の施策がうまくいった結果だけど
藩閥以外の人間にとっては藩閥の人間による功績とするよりも
明治天皇の功績としたほうが都合が良かったのかもしれない

238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/04(火) 12:35:17.64 ID:jQQXBxgE0.net
またスレチ荒らし来た

239 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/04(火) 12:40:09.19 ID:umsoCXGw0.net
荒らしではない
明治天皇について語るスレがないので
明治の諸施策を主導した大久保のスレに書いてみた

240 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/04(火) 13:38:52.26 ID:jQQXBxgE0.net
自分でスレ立ててね
それすらできない情弱なら諦めろ

241 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/05(水) 03:47:51.24 ID:DiQ/PUIb0.net
ドイツ崇拝も天皇絶対主義も伊藤博文だろ?

242 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/05(水) 13:53:18.70 ID:l3PJ1YPv0.net
>>236
明治天皇の功績は、大久保利通ら官僚・政治家による改革を象徴するものとして語られることが多いですが、天皇ご自身が直接指示や発案した政策も存在します。

例えば、教育勅語の渙発は、欧米化の波に揺れる国民の精神的な支柱となるべく、儒教思想を基にした道徳教育の重要性を訴えたものであり、天皇自身の強い意志に基づいて行われたものです。これは、単なる官僚主導の改革にとどまらず、天皇自身の理念に基づいた国家統治への関与を示すものです。

また、軍制改革においても、天皇は積極的に意見を表明しました。徴兵制度の導入や陸軍士官学校の設立など、近代的な軍隊組織の構築に深く関与し、国力の強化に貢献しました。

このように、明治天皇は必ずしも官僚・政治家の指示通りに動くだけの存在ではなく、自ら積極的に国家運営に関わり、近代化への道筋を指し示したのです。

243 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/07(金) 03:39:34.83 ID:574R2+gJ0.net
>>241
伊藤かもしれん

244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/14(金) 03:34:51.21 ID:48XVT0TN0.net
せやか

245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/18(火) 04:08:02.15 ID:qRDo6ZnV0.net
そう

246 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/20(木) 19:08:11.48 ID:kcjvPblB3
なんか生意気な感じやねん

247 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/22(土) 04:23:17.97 ID:9VnLplim0.net
総理大臣を見たかった

248 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/23(日) 03:47:28.49 ID:4TGP/wEr0.net
維新の精神を貫徹する三分割

戦乱の世もようやく収まり、平和な時代が訪れた。我々はこの機に乗じて、維新の精神を貫徹し、新しき国家を築き上げねばならぬ。
この大業を成し遂げるには、三十年の歳月が必要となるだろう。これを三つの時期に分割すれば、

第一期:明治元年から10年まで
創業の時代である。戦乱の余燼冷めやらぬ中、まずは土台を築き上げねばならぬ。

第二期:明治11年から20年まで
内治を整え、民産を興す建設の時代である。私はこの時まで、内務の職に精励し、国家の基盤を確立したいと考えている。

第三期:明治21年から30年まで
後進の賢者たちに道を譲り、国家の発展を見守る時期である。

かくして、三十年の歳月をかけて、維新の精神を体現した新しき国家を築き上げていくのである。

249 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/23(日) 19:34:40.34 ID:fE93khXS0.net
終了までお早めに
https://i.imgur.com/nldQxEB.jpg

250 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/23(日) 20:04:51.94 ID:5HDBGc+J0.net
>>249
とっくに全員がやってね?

251 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/25(火) 04:29:50.30 ID:RxJml2wO0.net
内務大臣

252 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/26(水) 03:44:21.52 ID:GEhejXDm0.net
総理大臣にはなれんかったな

253 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/27(木) 17:00:21.41 ID:1F+UqTwr0.net
西南戦争勃発時、大久保利通は伊藤博文へ書簡で、鹿児島の暴徒を一掃できるとし、「朝廷にとって不幸な出来事ではあるが、ひそかに心中には笑いを生じている」と記していました(明治10年2月7日付)。また、西郷隆盛については、「私学校党の活動に同意せず、無謀な挙兵は行わないだろう」と分析していました。
しかし一方で、「西郷の性格を考えると、進退窮地に陥っている可能性もある」と懸念し、勅使を派遣して明治天皇の意向を伝え、挙兵を思い止まらせようとしました。西郷の縁戚である川村純義も会見を試みましたが、実現には至りませんでした。
周囲からは「西郷は必ず乱に参加する」と忠告を受けても、大久保は最後まで西郷の不参加を信じ疑いませんでした。しかし、西郷が反乱軍を率いて鹿児島を出立したという確報や証拠を突きつけられると、「そうだったのか」と涙を流したといいます。
大久保は西郷と会談するため、自ら鹿児島への派遣を希望しましたが、伊藤博文らに朝議で反対され、その願いは叶いませんでした。伊藤らは、大久保が殺されることを危惧していたのです。

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/28(金) 04:35:39.36 ID:w3mIJiM70.net
ai

255 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/28(金) 23:59:44.44 ID:CEc8zBLQ0.net
>>249
これ割とお得

256 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/01(月) 12:56:07.24 ID:VbHmakQn0.net
>>254
自分の書けない文章を見るとなんでもAIと思ってしまう、可哀想な旧時代のおじさん。
ちなみにそれ、AIじゃなかったよ。

257 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/01(月) 13:35:48.42 ID:3ykRKyM70.net
誰かの書いたのコピペしただけに見える

258 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/01(月) 13:40:24.80 ID:3ykRKyM70.net
Wikipediaをそのままコピペすると馬鹿にされるから、口調と細かい単語を変えただけかw

259 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/02(火) 04:29:07.20 ID:xH2iCEek0.net
しかしAIも進化すぎたな

260 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/03(水) 10:06:24.87 ID:USlm5ByL0.net
金銭には潔白で私財を蓄えることはせず、むしろ必要だが予算が足りない公共事業には私財を投じてまで行い、国の借金を個人で返済していました。その結果、死後の財産は現金140円に対して8,000円もの借金が残っており、所有財産も全て抵当に入れられていました[16]。しかし、大久保の志を知っていた債権者たちは借金の返済を遺族に求めませんでした。政府は協議の結果、大久保が生前に鹿児島県庁に学校費として寄付した8,000円を回収し、さらに8,000円の募金を集めて、この1万6,000円で遺族を養うことにしました。

261 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/03(水) 10:08:42.40 ID:USlm5ByL0.net
大久保利通の西郷隆盛に対する複雑な感情と、西南戦争に対する苦悩が垣間見える書簡である。西郷の挙兵を阻止したいという強い思いと、かつての盟友との対決を避けたいという葛藤が表れている。

伊藤博文の鹿児島暴徒に関する楽観的な見方に対して、「朝廷不幸の幸」と皮肉を込めた表現を用いることで、戦争の悲惨さを憂いている。 一方、西郷の決断力や行動力に懸念を抱きつつも、私学校党への同調や「無名の軽挙」はありえないと信じていたことは、西郷への深い理解と信頼を示している。

しかし、西郷の挙兵が確実になると、その現実を受け止められず涙を流したというエピソードは、大久保の心情の複雑さを象徴している。 西郷への友情と国家への忠誠の間で揺れ動き、苦悩する大久保の姿が浮かび上がる。

262 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/03(水) 11:38:09.37 ID:eF80B3Ji0.net
この荒らし、何がしたいんだろう

263 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/05(金) 03:29:43.47 ID:FZDMhUl90.net
AIの実験じゃないか?

264 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/06(土) 08:47:34.81 ID:aGwqJ45f0.net
>>263
お前近代史板のあちこちのスレにAIからコピペしたデタラメな文章を貼り付けてるキチガイだろ
AIで生成した誤謬だらけの文章なんて自分で二重チェックしないと使えたもんじゃないのを「学習」したほうがいいぞ

265 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/07(日) 04:11:15.93 ID:wHse3HlN0.net
大久保利通が総理大臣になってれば・・

266 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/07/07(日) 07:03:21.37 ID:K3oZQFdF0.net
大久保「アイムソーリー・・・」

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