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南京大虐殺はなかった

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/17(水) 10:50:53.05 ID:qeG3cXOm0.net
>>477
第6師団も当然クロ

宇和田弥市 歩兵第23連隊第1中隊 上等兵
日記(朝日新聞昭和59年8月5日掲載)
12月15日
今日逃げ場を失ったチャンコロ約二千名ゾロゾロ白旗を掲げて降参する一隊に会ふ。老若取り混ぜ、服装万別 、武器を何も捨ててしまって、大道に蜿々(えんえん)ヒザマヅイた有様はまさに天下の奇観とも言へる様。処置なきままに、それぞれ色々の方法で殺して仕舞ったらしい。
12月21日
今日もまた罪のないニーヤ(中国人のことか?)を突き倒したり打ったりして半殺しにしたのを壕の中に入れて頭から火をつけてなぶり殺しにする。退屈まぎれに皆おもしろがってやるのであるが、・・・・まるで犬や猫を殺すくりのものだ。これでたたらなかったら因果関係とか何とか云うものはトントンで無有と云う事になる

歩兵第13連隊
児玉房弘 歩兵第13連隊第2機関銃中隊 上等兵
証言(毎日新聞昭和59年8月15日掲載)
山上に重機関銃を据え付けると、ふもとのくぼ地に日本兵が連行してきた数え切れないほどの中国兵捕虜の姿。そこに突然「撃て」の命令。・・・・『まるで地獄を見ているようでした。血柱が上がるものもはっきりと分かりました。』

前田吉彦 歩兵第45連隊第7中隊 小隊長 少尉
陣中日記
(南京戦史資料集Ⅰ)
12月15日
第三大隊長小原少佐は激怒したがもはや後のまつり、折角投降した丸腰の捕虜の頭上に加えた暴行は何とも弁解出来ない、ことだった。
かかること即ち皇軍の面目を失墜する失態と云わざるを得ない。
この惨状を隠蔽する為彼等補充兵は終夜使役されて今朝になって漸く埋葬を終ったる由。非常と云うか、かかる極限的状態においてともすれば人間の常識では考えられない様な非道が行われると云う実例である。

浜崎富蔵 歩兵第45連隊第11中隊 軍曹
「証言による「南京戦史」(第11回)
同連隊が下関で捕獲した捕虜について、関係したのは第9中隊・第10中隊の可能性、白旗を掲げる中国兵約1コ小隊を殺害したと証言する者がいる、大虐殺ではない

野砲兵6連隊 分隊長
回想(揚子江が鳴いている)
二百近い敗残兵が投降してきたのを、二十五人で引き連れて歩兵に渡すと”捕虜を連れて戦が出来るか”と一括され、数日後に皆殺しにしたと聞かされた。その前日にも三百人近い敗残兵や住民を機銃で射殺したという。老農夫をなぐり殺したシーンも見た。

山本武 第9師団歩兵第36連隊第6中隊 分隊長
『一兵士の従軍記録』
この朝風聞するところによると、こんどの南京攻略戦で、抗州湾に上陸した第六師団(熊本)が、南京の下関に於いて、敵軍が対岸の浦口や蕪湖方面に退却せんと揚子江岸部に集まった数万の兵達を、機関銃掃射、砲撃、あるいは戦車、装甲車などによって大虐殺を行い、白旗を掲げ降伏した者を皆殺しにしたというので、軍司令官松井大将が「行軍にあるまじき行為」と叱り、ただちに死体を処理せよとの厳命を下し、毎日六師団が死体を焼却するやら、舟で揚子江上に運び捨てているなど、現場は実に惨憺たる状況である、と言う。

「熊本師団戦史」
のみならず南京攻略戦では南京城西側・長江河岸間は敵の退路に当たり、敗兵と難民がごっちゃになって第六師団の眼前を壊走した。師団の歩砲兵は任務上当然追撃の銃砲弾を浴びせ、このため一帯の沼沢は死屍で埋められたという。

秦郁彦『南京事件』
なお南京戦に参加した師団のうち、第6師団だけは偕行社版の『南京戦史』に不法殺害を思わせる手記、日記のたぐいが宇和田日記をふくめ登載されていないので、連隊会は第6師団を担当した編集委員の努力に感謝したという話が伝わっている。

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