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南京大虐殺はなかった

567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/04/21(日) 23:54:02.62 ID:wpyHLfF20.net
>>559
出典書いてんのにワザワザ一つ一つ説明するの?
イチャモン派に?
さすがイチャモン派だけはある

児玉義雄 歩兵第38連隊 副官
証言(証言による南京戦史(5) より)
 連隊の第一線が、南京城一、二キロ近くまで近接して、彼我入り乱れて混戦していた頃、師団副官の声で、師団命令として「支那兵の降伏を受け入れるな。処置せよ」と電話で伝えられた。私はこれはとんでもないことだと、大きなショックを受けた。
 師団長・中島今朝吾将軍は豪快な将軍で好ましい御人柄と思っておりますが、この命令だけは何としても納得できないと思っております。参謀長以下参謀にも幾度か意見具申しましたが、採用するところとならず、その責任は私にもあると存じます。
部隊としては実に驚き、困却しましたが、命令やむを得ず、各大隊に下達しましたが、各大隊からは、その後何ひとつ報告はありませんでした。激戦の最中ですからご想像いただけるでしょう。

歩兵第三十三連隊戦闘詳報 第三号附表
自昭和十二年十二月十日
至昭和十二年十二月十四日
[俘虜] 将校14、准士官・下士官兵3、082、馬匹52
[備考]
1、俘虜は処断す

中島今朝吾 第16師団 師団長 中将
日記
十二月十三日 天気晴朗
一、大体捕虜はせぬ方針なれば片端より之を片付くることとなしたるも千五千一万の群衆となれば之が武装を解除することすら出来ず唯彼等が全く戦意を失いゾロゾロついて来るから安全なるものの之が一旦騒擾せば始末に困るので部隊をトラックにて増派して監視と誘導に任じ十三日夕はトラックの大活動を要したり乍併戦勝直後のことなれば中々実行は敏速には出来ず  
斯る処置は当初より予想だにせざりし処なれば参謀部は大多忙を極めたり
一、後に至りて知る処に拠りて佐々木部隊丈にて処理せしもの約一万五千、太平門に於ける守備の一中隊長が処理せしもの約一三〇〇其仙鶴門附近に集結したるもの約七八千人あり尚続々投降し来る
一、此七八千人、之を片付くるには相当大なる壕を要し中々見当らず一案としては百二百二分割したる後適当のカ処に誘きて処理する予定なり

佐々木到一 歩兵第30旅団 旅団長(佐々木支隊隊長) 陸軍少将
「佐々木到一私記」(抄)
一月五日
 査問会打切、此日迄に城内より摘出せし敗兵約二千、旧外交部に収容、外国宣教師の手中に在りし支那傷病兵を俘虜として収容。
 城外近郊に在つて不逞行為を続けつつある敗残兵も逐次捕縛、下関に於いて処分せるもの数千に達す。

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