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南京大虐殺はなかった

939 :浮月斎:2024/05/17(金) 05:26:19.75 ID:WcOc3NcM0.net
>931

今までの話の流れをちゃんと見ろよ。

俺はベイツやマギーのいう「集団虐殺」「数千件の強姦事件」や東京裁判のいう「二十万人以上の殺害」があるとすれば安全区にしかあり得ない、と云っている。

なぜなら、日本軍による入城の直前、南京に残存する人々は安全区に集合させていた、というラーベによる公式記録(南京安全区档案・第九号文書)があり、それに符合するダーディン発電報、ヴォートリンとウィルソンの記録があり、更に日本軍側の記録も住民は安全区に集中していて、それ以外の地区には殆ど居なかったという記録になっているからだ。

人がいない場所で「集団殺人」はできない。だから、住民が集中していた安全区でしか、「南京大虐殺」はない。

むろん、これと矛盾するダーディンのインタビュー記事があることも承知している。しかし、この記事は事件から50年後の記憶であり、本人もスマイスの記録のほうが正確だとしていて自信がないようであり、インタビュアーが虐殺派の総帥・笠原十九司であることから誘導された記事である可能性があり、この記事だけで安全区外になお数万人が残存していたと結論づけることはできない、と俺は感じた。

ティンパーリの「戦争とは何か」も「1月末まで安全区外の地域は事実上無人地帯」としていて、インタビュー記事が真とすれば、上述の記録に加え、ティンパーリの記述は偽となってしまう。ダーディンの50年後の記憶に、それほどの真正は認めることはできない。

そこで、俺は虐殺派の連中に、「安全区外のどこで、いつ、どのように集団虐殺があったのか」と訊いたのだ。

そうしたら、おみしゃんは敗残兵に対する掃討作戦の「戦果」を出してきよった。敗残兵の摘発は「功績」であって不法な虐殺ではない。しかも、掃討作戦は入城式のあった12月17日前後には、ほぼ終わっている。

これに対して「南京大虐殺」は12月13日から6週間続いたことになっている(東京裁判判決、アイリス・チャンの「レイプ・オブ・南京」とも)。

掃討作戦による「戦果」が虐殺数になるはずはないのに、おみしゃんは部隊別に掃討作戦の「戦果」の数を並べよった。恥も外聞もないとはこのことだ。だから、俺は確認のため、そこに民間人はどれくらい居るかと聞いたのだ。分けられるはずがない。全員が支那兵だ。

金沢第七連隊による安全区における便衣兵の摘発処分の合法性については、現在のガザの事例を見れば明らかだが、法律との兼ね合いでは、なお疑問の余地があろう。だから、俺は信夫淳平博士の戦前の著書からの一節を引用した。すると、それではなお足りない、「つまみ食い」だというコメントが付いた。引用しなかった部分に、引用部分との矛盾があれば「つまみ食い」呼ばわりしてもよいが、矛盾がないのに「つまみ食い」呼ばわりするのはタメにする発言だ。

それはともかく。掃討作戦による「戦果」を虐殺数として並べる、これが欺まんでなくて何だ。あきれるわ、全く。

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