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太平洋戦争は日本なら誰が悪かったの?

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/06/08(土) 12:08:12.40 ID:ygkU8Pky0.net
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1710218625

462 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/04(水) 00:53:34.45 ID:Rp262yvI0.net
ハワイの米太平洋艦隊と英東洋艦隊および蘭東洋艦隊は潰した
南方作戦も予定通り完了し資源の確保も予想以上にうまくいった 石油は幾らでも湧き出てくるしボーキサイトも鉄鉱石もゴムも取り放題

これで大東亜共栄圏は確保でき自存自衛もなった 援蒋ルートも潰せた

英国と蒋介石を屈服させる事により米国の継戦の意味をなくし講和に持っていくと言うのが計画なのだから、次にすべきは、支那派遣軍を増強して100万の兵力で四川作戦を決行重慶を落として蒋介石を屈服させる もう一つは南方総軍の主力並びに連合艦隊によりインドを攻撃、インド帝国をイギリスから離反させ英国の国力をそぐ

ドイツを助けるため、レンドリースのウラジオルートとイランルートを封鎖する
ベルリンの大島がヒトラーのケツを叩いて英本土上陸作戦を決行させる

と言うのが素直な流れだろう 山本五十六以下連合艦隊が国策方針に背を向け艦隊決戦ごっこに興じた結果、一年持たずに日本の敗北は決定した

463 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/04(水) 01:12:16.50 ID:P3l+jLBW0.net
キトゥン
 昭和一七年五月、昭和天皇はミッドウェー島攻略作戦を主張する山本海軍司令長官を更迭・逮捕・投獄し、六月中旬、ラエ・ポートモレスビー攻略とこれを阻止するために南下してくる米空母部隊をラバウル航空基地の戦力と協調の上殲滅のため、主力空母部隊・戦艦部隊を珊瑚海およびソロモン海へと派遣した。

464 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/04(水) 01:20:58.57 ID:P3l+jLBW0.net
 昭和一七年五月、帝国海軍はインド周辺における英通商船破壊のため、ビルマに港湾基地を設け、駆逐艦を通商船破壊にあてた。駆逐艦は連合国の巡洋艦部隊に遭遇した際には退避した。補給艦がかなりの数、この方面に展開した。

465 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/04(水) 04:39:42.89 ID:P3l+jLBW0.net
大事なところへの進軍は中断し
どうでもいいところへ攻めていく山本五十ロクな門じゃない

466 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/04(水) 15:11:40.82 ID:JkkaloDY0.net
山本五十六に空気を吹き込んだのは結局近衛文麿だろw

467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/04(水) 16:05:18.31 ID:Py6k7Lf80.net
駆逐艦じゃ索敵機飛ばせないから
やっぱり巡洋艦も必要
あるいは索敵機飛ばせるタイプの潜水艦

468 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/04(水) 16:50:44.12 ID:JkkaloDY0.net
南方の資源もアメリカの潜水艦にほとんどやられたんだろw
当時の日本にはゼロ戦の数くらいに潜水艦の数も必要だったのは確かだw
結局中国に攻め込んだのも時期早尚だったって話だろアホw

469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/04(水) 16:51:26.59 ID:JkkaloDY0.net
時期尚早〇

470 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/04(水) 18:22:32.15 ID:aCtl7G600.net
日本に必要だったのは潜水艦じゃなく対潜護衛艦
現代では潜水艦同士の戦闘は当たり前だが、二次世界大戦当時は潜水艦は水上艦と戦闘するもので潜水艦同士の戦いはほとんどなかった

水中で敵潜を捕捉する技術はないしそもそも、魚雷は水上艦を攻撃するもので潜航している潜水艦を潜水艦が攻撃する手段は何もない 強いて言えば体当たりくらいだが、潜水中はそんな速度も出ない

米英の通商破壊をすることは重要だが、連合国の通商ルートは大西洋がメインで日本の出る幕はない インド洋も重要で実際日本の通商破壊戦はインド洋ではそこそこ成果があった

断然重要なのは、こちらの輸送船の護衛で、輸送船はたいりょうであり護衛艦は幾らあっても足りない だが海軍は船団護衛に全く熱がなく、輸送船はバカスカ撃沈されていった 

戦後日本商船の船員は海軍そして海上自衛隊を嫌ったと言うのも当然だろう 海軍軍人より商船乗りの方が被害が大きいんだから

危険なことは民間に押し付ける海軍 太平洋の監視用に漁船を徴用し特設監視艇として太平洋上に配置した 米機動部隊発見の功績を上げ、漁船で巡洋艦に突撃して撃沈された第二十三日東丸は大東亜戦争で最も勇敢な艦艇だった

宮崎駿がこれら徴用された漁船群のことを最貧前線という小作品にしている 宮崎駿には、死ぬ前にこれをアニメにしてほしい 30分程度の次作の同時上映でもいいから

471 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/04(水) 21:51:20.60 ID:6zkTK1qS0.net
司馬遼太郎は、日露戦争時の上村艦隊事件を取り上げて、国民に軍のオーナーであるという意識があった表れだと褒めている
しかし太平洋戦争では、大本営の無為無策によって大勢の人が「犬死に」したのに、大本営は全く批判されてない
海上輸送にしても、船団に毎日位置を報告させていたために、それを米軍が傍受して待ち伏せする結果になったと言われている
日露戦争の時と違って、高級軍人に当事者意識がなくお役所仕事になっていた
極端に言えば兵士を大量に死なすことで、自分の権力を確認し快感を覚えるような気持ちすらあったんじゃないか

472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/04(水) 22:00:52.90 ID:u5fub80N0.net
>>470
うむ。日本の敗戦は個々の戦闘よりも、本土空襲と通商ルートの破壊が直接原因だからねえ。日米の国力差がはっきり出た。ま、開戦前から日本の敗戦は予想出来てたわけだが、奇跡を信じて日本は賭けに出た。前レスにもあるが、たしかに第一段階までは日本が勝ってた。しかし、昭和20年1月頃はシーレーンは完全に米軍に握られ、本土空襲も始まった。誰が見ても日本の勝ち目ゼロなのに日本は降伏しなかった。僕はこの「最後の半年」にすごく興味があるんだよ。
日本の終戦はなぜ半年遅かったのか?

473 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/04(水) 23:14:39.82 ID:wlj4+WFr0.net
>>472
連合国が無条件降伏を要求したから。

474 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/04(水) 23:54:49.69 ID:BT7iEMDE0.net
カイロ宣言は連合国側の講和条件である
では、大日本帝国側の講和条件はというと、徹頭徹尾、大東亜共栄圏確立一点張りで、交渉になるわけがない
1945年になると敗北必至は誰にでも見えて終戦工作が始まるが、講和条件をどうするかなどという議論は全然なされていない

別にカイロ宣言を丸呑みする必要はない 交渉を通じてある程度の条件を加えることは出来なくはないハズでそのために軍は必死の抵抗を続けているのである

何せ負けた時にどうなるかってことを真面目に検討した者がいない 負ければ滅亡だから戦い抜くしかないの思考停止状態

連合国は少なくとも4島の領土の保障はしているんだからこれを立脚点として、妥当な落とし所を探る 一撃講和論の講和部分はそのハズなのだがそれは全然置いてきぼりで一撃しか考えない 軍はまあそれでいいとして、政府特に外務省も何にもしていない というか講和研究なんて始めたら特高憲兵が飛んでくる 

講和部分の検討もしてないんじゃ一撃講和論って一体なんなのよって話なのだが、当時はそういう理屈の通じる状況ではなかったようである

475 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/05(木) 11:52:10.88 ID:5i2WFKMK0.net
>>472
いや直接原因と言うより前線で負けて負けて負けて本土近辺まで押し込まれたんだが
ドイツが何とかしてくれるってのが崩れた時点でなあ

476 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/05(木) 12:14:17.53 ID:kGFyKOL30.net
1944年6月から7月にかけて敗北は誰の目にも決定的になった

マリアナ沖海戦に破れ海軍機動部隊は壊滅 サイパンが陥落 同時に欧州ではノルマンディー上陸作戦で連合軍がフランス上陸 東部戦線ではバグラチオン作戦でドイツ中央軍集団が壊滅、前線はポーランド国境まで一気に後退した

そしてドイツではこの時期にワルキューレ作戦、ヒトラー暗殺が試みられた 

これだけのことが僅か1、2月の間に起きた
仮にワルキューレ作戦が成功し後継政府と連合国とが講和となれば、日本はどうしただろうか

同時期に計画された東條英機暗殺計画遠決行し一気に講和まで持ち込むことができたかどうか

477 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/05(木) 12:26:01.94 ID:O1/1wJnI0.net
ルーズベルトは無条件降伏しか認めていない。
そうなれば昭和天皇が処刑される可能性があった。

アメリカでは戦争終結直前の1945年6月29日に
行われたギャラップの世論調査によれば、
「昭和天皇を処刑するべき」とする意見が33%、
「裁判にかけるべき」とする意見が17%、
「終身刑とすべき」とする意見が11%であった。
もちろん、当時の日本人は天皇処刑を認める訳にはいかない。
徹底抗戦するしか道がなかった。

478 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/05(木) 12:36:24.61 ID:kGFyKOL30.net
カイロ宣言では皇室の存廃について特に触れていない これはポツダム宣言も同様

日本のアレなところはその宣言に対し、書かれてもいない事で軍人や皇族は処刑されるだの、日本人は奴隷にされるとか解釈する点にある
ハル・ノートも書いてもいない満州国の放棄を声高に言い立てる

まず、条件に不明点があれば照会する 交渉とはそうしたもののハズであるが、そう言うことは全然しない 

天皇の地位の保障に懸念があるなら、天皇の地位が保障されない限りカイロ宣言には応じない
と通告すればいいのである 講和条件は別にルーズベルトが1人決めするわけではない

蒋介石は日本が大陸から叩き出せれば天皇などそのままでも全然構わない チャーチルも問題は対独戦で天皇なんてどうでもいい
そして米軍も米国民も天皇の保障で何万もの米兵の命が失われないから普通に賛成する

479 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/05(木) 12:48:48.50 ID:Z2RyzNr20.net
アメリカが「中国から撤退しろ、ただし満州国は除く」って明言してない限り、中国からの撤退には満州国解体も含まれると考えるのが当然だと思うがね
満州国はダメって明言しなかったのは、ルーズベルトが日本を追い詰めた結果、戦争が起きたと言われるのを懸念したからだろう

480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/05(木) 14:20:46.45 ID:/PKA34g/0.net
だから日中戦争しなければよかったとぐるぐる回る話w
アメリカに手を出さなければアメリカの中国支援も今のウクライナ支援レベルだったのだからw
けど資源がなくあんな広い中国を占領しきる戦力のない日本はあんな戦争を長期続ける必要はなかったw

481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/05(木) 14:22:27.02 ID:O1/1wJnI0.net
アメリカは満州国を承認していないので
中国からの日本軍の撤退に満州国も含まれる。

>カイロ宣言では皇室の存廃について特に触れていない
無条件降伏なんだから皇室の存廃も含まれるのは当然。

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/05(木) 17:36:56.13 ID:/PKA34g/0.net
アメリカはクリミアも承認してなかったけどロシアがウクライナに攻めるまではほとんど放置だっただろがw
当時の中国もアメリカが煮え切らないから何度も日本に降伏しようとしてたらしいぞw
アメリカなんてそんなもんだアホw
アメリカに攻める必然性を生んだアホが元凶だろw

483 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/05(木) 17:41:41.25 ID:/PKA34g/0.net
>>470
ラバウルを簡単に失ってサイパンフィリピン沖縄とアメリカに楽に大量上陸させたのはハイレベルな潜水艦がなかったからだろw
海に囲まれてる島なのに島も守れねえぞw

484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/05(木) 18:08:49.22 ID:tsZw7TfP0.net
スレタイに沿うなら武藤章の日記で公家のせいでこうなったと。

これって原田、牧野、木戸辺りのことを言ってるんじゃないだろうか。
畑俊六は陸海軍のいがみ合いで悲惨な結果になったと回想録に書いている。
特に海軍の予算拡大、戦後の陸軍への責任の押し付け(但し米内へは感謝しているとも)は酷すぎると。

485 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/05(木) 18:40:47.27 ID:kGFyKOL30.net
>>483
ラバウルは失ってなどいない
今村均大将の元終戦まで完全に保持している
テキトー言ってもらっては困るな

486 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/05(木) 20:22:27.85 ID:Z2RyzNr20.net
>>484
どういう理屈で公家のせいになるんだw
僕も武藤章の日記は読んだけどそんな部分あったのか

487 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/05(木) 20:33:12.18 ID:YqC8BVi50.net
>>484
その3人は華族だが公卿ではないな 当時は公家とか大名とか勲功とかその辺華族も識別していただろうから
公家というなら近衛と西園寺のどちらかで、まあ近衛のことだろう

488 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/05(木) 21:41:17.76 ID:O1/1wJnI0.net
お公家って近衛のことではないかな?
宇垣一成の日記にこんな記述がある
御公家様を擁して平家と同様に壇ノ浦まで行かねばならない!
仕方がなく国民もその御相伴を為さねばならない。

489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/05(木) 22:38:21.19 ID:Rs+oOUN70.net
>>480
戦争をどこで止めるか?という発想が無かったんだろうねえ。南京陥落させればシナは根を上げ、日本の講和条件を全部飲む、と安易に考えていた。日清戦争や北清事変という成功体験があったからね。ところが今回の蒋介石はナポレオン戦争時のロシアのような戦略で臨んできたから、もうゴールの見えない泥沼戦になって、「落としどころ」そのものが「消えた」。
こういった軍事的行き詰まりの処方箋を用意するのが政治や外交の役割なんだが、日本はここが決定的に無能過ぎた。

490 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/05(木) 22:47:30.37 ID:Z2RyzNr20.net
宇垣一成はともかく、武藤章が近衛のせいだとか言うのはね

491 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/05(木) 22:56:56.09 ID:Rs+oOUN70.net
>>474
昭和20年の初頭で海軍の一部で検討されてた講和案がハルノートのラインだったらしい。満州国は認めてもらい、シナ本部と東南アジアからの撤兵、つまりシナ事変以前の状態だな。カイロ宣言と相当な開きがある。昭和20年初頭でこんな呑気な講和条件を考えているとは今更ながら当時の軍人たちの政治感覚の低さに驚かされる。日本本土の保障占領回避の一択で講和に持ち込めれば御の字なんだが、一撃講和論のゴール設定がそもそもお花畑だったんだねえ。

492 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/05(木) 23:06:39.91 ID:O1/1wJnI0.net
昭和20年初頭の参謀本部の考えではソ連に仲介を頼む見返りに満州を献上する、
だから満州の関東軍はスカスカにしたと読んだことある

493 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/05(木) 23:37:06.17 ID:Z2RyzNr20.net
元高級参謀がテレビで「満州の部隊を南方に送ってたらカラッポになっちゃったんですよ、お金を使ってばかりだとサイフからお金が無くなるのと同じで」ってヘラヘラしながら言ってた

494 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/06(金) 00:07:45.73 ID:u4epHuLX0.net
ドイツが戦っている限りソ連の対日参戦はない
同様に日本がアメリカと戦っている限り日本のソ連侵攻もない

そして日ソの中立状態を保障しているのは、日誌中立条約などと言う紙っぺらではなく、極東ソ連軍と関東軍の軍事バランスである

ドイツが降伏し、関東軍がスカスカになった
ソ連の対日参戦を止めるストッパーは全て外れた ソ連はドイツのポーランド侵攻後死に体のポーランドに、ソ波不可侵条約を破り侵攻した

条件が整えば不可侵条約など破り侵攻する
フィンランドもバルト三国も不可侵条約を結んでいたのに一方的に侵攻された

こうした前科があり、1945年5月ソ連の対日参戦はもはや仮定ではなくいつになるかと言う時間の問題となっていたのは誰の目にも自明である
在外公館の武官や外交官もソ連の対日参戦をしきりに打電してくる
何よりシベリア鉄道で東送されるソ連軍大部隊をシベリア鉄道で帰朝する武官が目の当たりにしている

大本営が一撃を期待して計画した本土決戦の決号計画はソ連が中立であることが絶対条件で、ソ連が参戦してきたら本土決戦なんて絵に描いた餅である
配備は九州南部と関東に集中していて北海道も東北も日本海側もガラ空きなんだから

故にドイツ降伏時点で日本はカイロ宣言ベースで降伏交渉に入るのが当然の政策のはずだった

495 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/06(金) 11:34:28.29 ID:lHg51Vb70.net
>>485
制海権はとっくになかっただろw
抵当な解釈するなよアホw

496 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/06(金) 11:36:20.52 ID:lHg51Vb70.net
抵当×

適当〇

497 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/06(金) 11:38:38.25 ID:lHg51Vb70.net
適当×

本筋の読めない三流つっこみみたいな〇

498 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/06(金) 11:45:10.72 ID:lHg51Vb70.net
>>494
どちらにせよアメリカの核開発に第二次世界大戦を終わらせる絶対的なパワーがあったw
この開発を阻止するか先に開発できなければ負けは濃厚w
そもそも戦うべきではなかったw
ソ連もアメリカの核でそこそこ日本から手を引いたといってもいいのかも知らんw

499 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/06(金) 12:12:53.20 ID:8CzYJOuJ0.net
>>495
その考えでいくと1945年4月に大和が沖縄へ半分も行かないうちに撃沈される状態で、ほぼ日本は陥落
1945年7月には青函連絡船群が壊滅し主要港湾は機雷で封鎖で内地と北海道も瀬戸内海すら航行不可で完全に落ちたってことだろうな

米爆撃航空団と米海軍が日本はこれで落ちたと豪語するのも当然だろう

この状況下では、カイロ宣言を緩和したポツダム宣言は即時受諾の一択のはずだった

500 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/06(金) 12:24:07.55 ID:8CzYJOuJ0.net
>>498
原子爆弾が戦争を終わらせた これは米側の認識 ソ連参戦が戦争を終わらせた これはソ連の認識である

では当事者である日本はと言うと戦後は原爆派が多い だが、終戦の経緯を見ると原爆よりソ連参戦の方が衝撃が大きかったことが窺える

まず、日本がポツダム宣言を受諾するには陸軍が承知するのが絶対条件である 原爆に対して確かにすごいが決定打となりうると言う認識はなかった もろに喰らった畑元帥にしても、九州方面の防備で連合軍の阻止は困難と考えたが原爆でどうこうとは言ってない

何より広島に原爆が投下されて、閣議が開催されたのがなんと丸3日後 理由はメンバーが揃わないから 次々原爆が投下されるかもって状況でこの悠長な対応 とても戦争を左右する脅威と言う認識があったとは思えない

ようやく閣議を開いた当日ソ連参戦 ソ連参戦から24時間以内にポツダム宣言受諾は決定した
原爆があっても本土決戦は可能である だがソ連参戦により本土決戦は不可能となった 連合軍でも手一杯なのに恐れに恐れて恐ソ病にかかっていた参謀本部の根性はこれでへし折れた

501 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/06(金) 12:49:35.58 ID:Nc5uzSpn0.net
軍部が終戦を望んだのは、原爆でもソ連参戦でもなくて本土決戦だよ
だから45年の4月に、終戦に持っていくための鈴木内閣になってる訳だろ
満州国を作ったのは、大正時代の軍縮ムードをブッ壊すため
その後も、予算が増えるから戦火拡大が止まらなくなった
アメリカと戦争を始めたのは、すでに満州に20万人近い移民を送り、投資もしていたから、軍人だけが悪者になるハルノート受諾はできなかった
本土決戦の寸前に降伏したから、満州国は国民の要求に軍が応えただけだ、230万人の戦死者がその証拠だと言えるようになった
そして一億総懺悔論の下で軍人恩給をもった

502 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/06(金) 12:55:57.02 ID:8CzYJOuJ0.net
降伏後GHQの指令により軍人恩給は廃止された

503 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/06(金) 13:32:25.52 ID:BV7hoJOU0.net
>>499
>日本はと言うと戦後は原爆派が多い
平成、特にこの20年程は“ソ連参戦派”が多いように思う。

>>500
>軍部が終戦を望んだのは、原爆でもソ連参戦でもなくて本土決戦
本土決戦を最後まで主張したのは陸軍。宮城占拠事件を知らんのかね? トンデモ解釈は却下w

504 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/06(金) 14:32:11.13 ID:BV7hoJOU0.net
ちょっと今、俺もトンデモ解釈を思いついたので書いてみる。
>>500
一撃講和論を妄想し、無謀な本土決戦を考えていた陸軍の心をへし折ったのがソ連参戦だったが、その理由は「本土決戦が出来なくなったから」ではなく、「満州を失ったから」だったりする。
そもそも、シナ本土や満洲からの撤兵は断固拒否するが、九州や南関東への米軍上陸歓迎という本土決戦は、普通に考えてオツムがおかしい。松代に天チャンを疎開さてまでやることか?
しかし、事実は小説より奇なりでソ連軍の満州侵攻で日本の大本営はグダグダになった。
日本本国より大切なもの、それが満洲だったなら、「大日本帝国」の新たな側面が見える。
満州事変後、日本は様変わりしたが、それは日本帝国の核心が東京や本州ではなく、満州に移っていたからかもしれない。華北分離工作や南京政府樹立もみんな満洲防衛のためだったし。

とか言ってみる。

505 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/06(金) 15:51:22.39 ID:8CzYJOuJ0.net
米軍の侵攻が早すぎて情勢の推移に軍の再配置がついていけてなかった面はある

それでも満州からは南方や本土に精鋭師団を引っこ抜き、関東軍に残ったのは三流以下の警備師団のみ 

理解し難いのは支那派遣軍で、こちらはほとんど100万の精鋭を擁したまま終戦を迎えた
1944年末に大陸打通作戦が終わった頃、すでにマリアナを失いフィリピンは大苦戦 連合軍は沖縄、台湾から本土に侵攻は時間の問題である
であれば、支那派遣軍を転身、台湾、沖縄、本土の防衛に振り向けるべきである 幸い大陸打通作戦で国府軍は大打撃を受けているから追撃もしてこない

ところが何故か大本営は支那派遣軍は動かさずに、沖縄から第9師団を抜いて台湾に移動したりと迷走する 台湾の防衛をしたいなら台湾海峡の対岸に布陣する支那派遣軍から抜いた方が早い

そして本土決戦は、無理やり拵えた3桁番号の即席師団群が担うことに 沖縄戦の頃には大陸から本土への移動も困難だったにせよもっと早い時期に戦力配置の転換はできたはず

何故支那派遣軍を動かさなかったのか またソ連参戦を想定するなら、支那から満州への移動は後期でも可能だからやるべきだった
支那派遣軍主力であれば、極東ソ連軍に敵わないまでも相当持ち堪えて避難民を守ってさすが帝国陸軍と称えられたかもしれない

結局戦局になんの影響もなく、国府を虐めて中共の勝利に貢献すると言う支那派遣軍はなんだったのか、疑問は尽きない

506 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/06(金) 22:23:20.12 ID:BV7hoJOU0.net
>>505
一応、大本営は昭和20年5月30日に支那派遣軍から4個師団を関東軍に転用する命令を出している。ソ連参戦時に間に合ったかどうかは知らん。
大本営は米軍の中国大陸侵攻を想定し光一号作戦などを立案して北支・中支の強化を図っていた。
多分 日本本土侵攻より先に中国侵攻が実施されると大本営は踏んでいたのではないか。

507 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/06(金) 22:31:51.08 ID:VdU1e7bG0.net
>>492
おまけにソ連の参戦に関東軍は無抵抗の命令を出している
そして瀬島龍三の7月の満州行き、くさいねー

508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/07(土) 11:20:26.39 ID:4PaephKO0.net
>>485
自活する捕虜ってやつだな

509 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/07(土) 11:37:17.78 ID:aODZ0r9s0.net
大戦末期クリミア半島にいたドイツ17軍がソ連将校から同じ事を言われてたな
ソ連最大の捕虜収容所 食事は自前、休暇を取っても自発的に戻ってくる

孤立した軍でも大陸なら包囲する敵を引きつける事で友軍の役に立つ スターリングラードのドイツ第6軍はそうだった
でも半島では意味は半減 まして孤島では軍事的な意味は全くない ラバウル、メレヨン、ブーゲンビルと太平洋に数十万の兵が孤立

ドイツ陸軍は大打撃を受けつつも後退した残兵の古参兵を中心に新兵を補充して再編を行っていたが、日本陸軍は歴戦の兵は玉砕するか孤立放置で、常に戦場童貞が前線に向かっていた

510 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/07(土) 21:27:35.90 ID:fjMqTsgU0.net
>>504
トンデモ解釈ってどういうこと
本土決戦やったら軍人恩給がもらえなくなる
それどころか戦闘や空爆で、あるいは戦争が終わってから国民に吊し上げられて虐殺されるかもしれない
戦争を止める決定的な理由だろ

511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2024/09/08(日) 03:18:16.00 ID:Kr2nnvsB0.net
本土決戦をやろうがやるまいが恩給なんて出はしない
1945年までに戦費として積み上がった臨軍費は国家予算の数十年分 これの償還は不可能である

逆さに振っても恩給の財源なんてありはしないし、ハイパーインフレで出ても線香代がせいぜい

恩給が欲しいならそもそも対米開戦なんてあり得ない

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