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【Wikipedia】ウィキペディア第127版【IDあり】
- 418 :名無しの愉しみ:2021/12/07(火) 12:57:59.87 ID:r7ZYT9UT.net
- おおよそ時代順にまとめてみるか
内田魯庵は私学は最高学府とは認めないという立場
「何といっても日本の最高学府たる帝国大学に対しては民間私学は顔色なき中に優に大学と拮抗して覇を立つるに足るは実業における三田(注:慶応)と文学における早稲田とで……」(1912年)
薄田泣菫は少なくとも京大は最高学府に含めている、断言はできないが大学全般を指して使っているように見える
「そして昼飯を済ますなり、(注:上田敏は)直ぐ表へ飛び出して、逃げるやうに(注:京都)大学の構内へ俥を走らせた。大学は世間体最高学府といふ事にはなつてゐるが、誰一人この女中程上品な口を利かなかつたし、それに揃ひも揃つてお喋舌しやべりが過ぎた。」(1916年)
佐々木邦は慶応も最高学府に含めている
「しかし名刺を誂あつらえる時にもう後悔しました。何と工夫しても三越呉服店員という肩書がつきます。兎に角最高学府(ここでは慶応)を出たものが呉服店員は情けないですな。」(1925年)
平林初乃助は複数の大学を指しうる語として使っていると思われる
「だいぶ古い話だが××大学の勅任教授の遠藤博士が」(略)「しかも当事者は最高学府の勅任教授なのだから、実際博士が典拠としてあげた書物は、どこの国にでもある与太学者のいかさま著述で、とうてい医学上の権威にするような価値のないものだったのである。」(1929年)
岸田国士はおそらく幅広い大学を指す語として使っている(この「君」は中学の教師も務まらないレベルで英語が苦手と評されているため)
「さうか。だつて、さう面白い仕事ぢやないからね、建築事務所なんて……。苟も最高学府へ卒業間際まで通つたといふ君が」(1929年)
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