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武豊さんについて教えてもらえないか?

1 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 10:25:28.74 ID:ONWTdN5O0.net
競馬歴→3年
マイスターホース→オルフェーヴル
好きな騎手→岩田、福永、池添、戸崎
平成の競馬界を支えた武さんの全盛期を知りません。騎手スレでG1勝ちの内訳で分かってるが、レースに秘められたドラマとか、殴りたくなったレースとか、性格、何かと話題の福永騎手との関係性とか些細な事でもいいので、いろいろ教えて下さい。

2 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 10:27:58.49 ID:841ZsoGp0.net
全盛期は武豊が乗ってるだけで前走二桁人気の馬が1番人気になってたからマジで迷惑だった

3 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 10:32:52.71 ID:OSOAY4ti0.net
YouTubeにあるG1100勝の軌跡って動画あがってるから、見るといいよ(^o^)
凄いと唸る様な名勝負があるから
何度見ても、戦慄を覚える
言葉で語るには足りない。それが武豊。

4 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 10:39:21.76 ID:SI7NNNld0.net
ひと昔前は馬と会話ができるといってたな。

5 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 10:52:06.31 ID:Q5ZdGezY0.net
性格?競馬場の達人がようつべにあるから見たらいい
全部詰まってるから

6 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 11:10:15.87 ID:PYeWCffg0.net
マイスターホースって職人馬?

7 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 11:17:48.76 ID:fD5mWWNC0.net
溜め殺し

8 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 11:21:07.47 ID:XtdILovi0.net
バカが「溜め殺し」言うけど、それ以上に勝ちまくっていたからな。
福永とは1000倍格がちがうよ。

9 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 11:23:02.06 ID:THi3ApZY0.net
全盛期は本当にどんな馬でも持ってきてたな。

10 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 11:31:28.41 ID:2zNU5w9P0.net
好きな騎手に福永池添を入れるあたりセンスないから競馬やめろ

11 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 11:33:46.39 ID:gExiTtf20.net
今年一回もため殺ししてないからな

12 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 11:38:29.01 ID:ph57rJOi0.net
「武豊の原点」

武豊の競馬学校卒業時の報道陣の数200人と異例の数だった。(96年福永祐一の時は300人超え最多記録更新)
邦彦の息子だという事で、注目を浴びた。
デビュー時の有名な発言がある
「武邦彦の息子ではなく、武豊の父と言わせてみせる。」

初勝利のダイナビジョップは逃げ切り勝ち。その日は雪でこのレースを最後に中止になった。
話題がなかった中継TVは、この武豊の初勝利ビデオを延々と流したのである。

重賞初騎乗時は、インで斜行し騎乗停止を受けた。
裁決室から出た武豊が1人ポツンとゴーグルを洗う姿が映された。
その姿はあまりにも暗く、こんな騎手が後のスターになるなんて、誰も思わなかった事は間違いない。

夏は小倉に遠征をし、腕を磨いた。
秋、初重賞制覇を遂げた。
京都大賞典トウカイローマンである。紙面は無印、六番人気であった。
ロスの無い完璧なコーナーリング、
馬場の真ん中から突き抜けてきた。
田原も人気薄でインからスルスル2着に入り、これはビックリ大波乱、と実況が唸った。
デビュー時はコーナーリングが下手でフラフラ斜行気味になり、いつも膨れていたのだが、夏を超えて急激に成長していた。
あの勝ち方を超える新人騎手は今だに現れていない。
そこから更に重賞を勝ち、新人最多勝記録更新(08年三浦皇成が更新)をする等、鮮烈なデビュー年を飾った。

そんな武豊の活躍を見ていた1人の男がいた。
この男は後に、武豊の初G1制覇に大きく関わる事になって行く、

ビックレットの岡田繁幸氏である。


終わり

13 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 11:38:39.68 ID:cjd+eVpt0.net
またアフィカススレか

14 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 11:41:44.99 ID:xYpWtICu0.net
オグリキャップ、スーパークリーク、イナリワン、バンブーメモリー、シャダイカグラなど
ここらの世代で岡部、柴田政、河内、南井克などとのバランス・ヤネ変化を感じながらレース見ると楽しめると思うよ。

オグリの主戦騎手は武豊の馬ではありません。
では、武豊は何に騎乗していた?というのをオグリの戦績から把握していくと面白いよ♪
スーパークリーク■http://db.netkeiba.com/horse/1985104409/
バンブーメモリー■http://db.netkeiba.com/horse/1985104122/
イナリワン■http://db.netkeiba.com/horse/1984106229/

15 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 11:44:53.95 ID:qCQw94YvO.net
昔は凄かった言うても、馬質はべらぼうに良かったし、腕は確かだったかも試練が如何せん他の騎手のレベルも低かったからなぁ…

16 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 11:45:41.52 ID:CKfHwbXmO.net
あえて例えるなら
太陽=武豊。

17 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 11:46:56.01 ID:6dY8uTAK0.net
>>15
煽りのレベルも低いな

18 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 11:54:23.02 ID:SI7NNNld0.net
>>10
強い馬に乗ってる騎手なら誰でもいいんだろ。俺も15年前は和田が好きだった。今では真っ先に切るけど。

19 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 11:57:18.24 ID:Josht9yM0.net
>>1
武豊を知るには先ず、スーパークリーク含む「平成の3強」は欠かせない
サンデー全盛=武豊のイメージだろうが、それは違う
サンデーの前に、この馬達が競馬を盛り上げ、どんなドラマを繰り広げていたかを知る必要がある
サンデーは二の次だ
長くなるから、ゆっくりと読めばいい

73 名無しさん@実況で競馬板アウト sage 2014/12/02(火) 23:46:21.28 ID:WPGfvarC0
スーパークリークの生まれ故郷は、門別の柏台牧場というところである。柏台牧場は、現在は人手に渡っており、
その名前を門別の地図から見出すことは、もはやできない。
しかし、この牧場はもともと昼夜放牧を取り入れたり、
自然の坂を牧場の地形に取り入れたりするなど先進的な取り組みを恐れない先進的な牧場として知られており、
スーパークリーク以外にも、スーパークリークが生まれた1985年当時に既に重賞戦線で活躍中であり、1987年の宝塚記念(Gl)をはじめ重賞を8勝したスズパレードを出している。
当時の柏台牧場は、
繁殖牝馬の数も20頭前後を揃えた堅実な中堅牧場だった。
 
 スーパークリークの母であるナイスデイは、岩手競馬で18戦走って1勝しただけにすぎなかった。
これではいくら牝馬でも繁殖入りすることは難しいと思うのが普通だが、幸いなことに、彼女の一族は繁殖入りすればくず馬を出さない牝系として、柏台牧場やその周辺で重宝されていた。
そんなわけで、ナイスデイはその戦績にも関わらず、繁殖入りすることができた。
 
 このような感じだから、繁殖牝馬としてのナイスデイの資質はまったく未知数だった。
ただ、ナイスデイの父であるインターメゾは、代表産駒が天皇賞、有馬記念、菊花賞を勝ったグリーングラスであることから分かるように、明らかなステイヤー種牡馬だった。
そのため、柏台牧場の人々がナイスデイの配合を決めるにあたって考えたのは、この馬に眠っているはずの豊富なスタミナをどうやって引き出すか、ということだった。

20 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 11:58:36.56 ID:Josht9yM0.net
74 名無しさん@実況で競馬板アウト sage 2014/12/02(火) 23:47:29.46 ID:WPGfvarC0
 しかし、「スタミナを生かす配合」と口で言うのは簡単だが、実践することは極めて難しい。
一般にスピードは父から子へ直接遺伝することが多いが、スタミナについては、それを生かすための気性や精神力は遺伝以外の要素が大きいこともあって、当たりはずれが激しいからである。

 そこで、柏台牧場のオーナーは、ビッグレッドファームの総帥であり、「馬を見る天才」として馬産地ではカリスマ的人気を誇る岡田繁幸氏に相談してみることにした。
オーナーは岡田氏ともともと古い友人同士であり、繁殖牝馬の配合についても、それまでに何度も岡田氏に相談に乗ってもらっていた。

 「この馬の子供で菊花賞を取るための配合は何をつけたらいいでしょうか」
 
 気のおけない間柄でもあり、柏台牧場のオーナーは大きく出てみた。すると岡田氏は、
 
 「ノーアテンションなんかはいいんじゃないか」
 
と、これまた大真面目に答えたという。

 ノーアテンションは、仏独で33戦6勝、競走馬としては、主な勝ち鞍が準重賞のマルセイユヴィヴォー賞(芝2700m)、リュパン賞(芝2500m)ということからわかるように、競走成績では「二流のステイヤー」という域を出ない。
しかも、前記戦績のうち平場の戦績は25戦4勝であり、残る8戦2勝とは障害戦でのものである。
しかし、日本へ種牡馬として輸入された後は重賞級の産駒を多数送り出し、競走成績と比較すると成功といって良い水準の成果を収めた。
産駒の特色は、スーパークリークと同じような晩成の長距離馬が多いことである。

 インターメゾの肌にノーアテンション。菊花賞を意識して考えたというだけあって、この配合はまさにスタミナ重視の正道をいくものだった。
これぞ、現代競馬からは忘れ去られつつある、古色蒼然たる純正ステイヤー配合ということができる。 

21 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 11:59:25.98 ID:Josht9yM0.net
しかし、翌年生まれたナイスデイの子には、生まれながらに重大な欠陥があった。左前脚の膝下から球節にかけての部分が外向し、大きくゆがんでいたのである。
 
 毎年柏台牧場には、自分の厩舎に入れる馬を探すために、多くの調教師たちが訪れていた。
彼らはナイスデイの子も見ていってくれたが、馬の動きや馬体については評価してくれても、やはり最後には脚の欠陥を気にして、話はなかなかまとまらなかった。
 
 結局庭先取引で買い手が決まらなかったナイスデイの子は、まず当歳夏のセリに出されることになった。しかし、この時は買い手が現れず、いわゆる「主取り」となった。
1年後にもう一度セリに出したものの、またも主取りに終わった。こうしてナイスデイの子は、早くも競走馬になれるかどうかの瀬戸際に立たされることになってしまった。
競走馬になるためには、最後のチャンスとなる2歳秋のセリで、誰かに認めてもらうしかないところまで追いつめられてしまったのである。
 しかし、そんなナイスデイの子に救い主が現れた。栗東の調教師・伊藤修司師である。
 
 伊藤師は、最初騎手として競馬界に飛び込み、通算150勝をあげた。
その勝利の中には、チトセホープのオークス、シーザーの宝塚記念といった大きなレースでのものも含まれている。しかし、伊藤氏が本当に一流のホースマンとして頭角を現したのは、むしろ騎手から調教師に転進した後のことだった。
1963年に調教師だった父の死によって厩舎を引き継いだ伊藤師は、
マーチスで皐月賞を勝ったのを手始めに、大きなレースを続々と勝ち始めた。障害の帝王グランドマーチスや、「華麗なる一族」として知られるハギノトップレディ、ハギノカムイオーも手がけ、4年連続リーディングトレーナーに輝くなど、
当時の関西を代表する名伯楽とされていた。

22 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:00:05.02 ID:Josht9yM0.net
そんな伊藤師は、もともと庭先取引のために柏台牧場にやって来た段階から、ナイスデイの子に強い関心を示していた。
最大の問題点は脚の欠陥だったが、伊藤師は過去に同じような欠陥があったハギノトップレディを走らせた経験があり、致命的なものではないと考えていた。
庭先の段階では様々な事情があって話がまとまらなかったが、
かつて目を付けていたナイスデイの子がセリで二度も売れ残ったと聞いた伊藤師は、
 
 「これほどの馬を競走馬にさえできないのはもったいない」
 
ということで、知り合いの馬主にかけあって、ぜひこの馬を競り落としてもらえるよう話をつけた。
そんな伊藤師の尽力もあって、競走馬になるための最後のチャンスといっていい2歳秋のセリでようやく買い手が決まったナイスデイの子は、
伊藤厩舎から中央競馬へとデビューすることになった。
セリでついた価格の810万円は、
「馬が作る端から売れていく」と言われたバブル時代に生まれた競走馬としては、かなり安い部類に入るものだった。
 
 何はともあれ、なんとか競走馬としてデビューできることになったナイスデイの子は、
競走名「スーパークリーク」として戦いの世界へと身を投じることになった。
スーパークリークという競走名の由来は、建前は「最初は小川(creek)でも、やがて大河となるように」という意味であるとされている。
もっとも、一説によれば馬主がこの名前を思いついたのはゴルフ場で、たまたまその時ボールをクリークに打ち込んでしまったからだとも言われているようである。

23 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:01:22.06 ID:kBQRmpmb0.net
 伊藤師は入厩当初から、スーパークリークは距離が伸びていいタイプであると考えていた。
伊藤師は、スーパークリークのデビュー戦を決めるにあたっても、新馬戦に多く組まれている距離の短いレースには見向きもせず、
芝2000mのレースを選んだ。
これは、スーパークリークをクラシックや天皇賞を狙える中長距離馬に育てたいという伊藤師の強力な意志の表明にほかならなかった。
 
 ところで、武豊騎手とのコンビの印象が強く、ややもするとデビューから引退まで武騎手とコンビを組んでいたかのような誤解さえしてしまいやすいスーパークリークだが、デビュー当初に騎乗したのは武騎手ではなく田原成貴騎手である。
 
 この時期のスーパークリークは、慢性的なソエに悩まされていたことから、なかなか思うような競馬をすることができなかった。
2戦目で初勝利をあげたところで3歳戦を終えたスーパークリークは、明け4歳になると福寿草特別、次いで南井克巳騎手に乗り替わって格上挑戦のきさらぎ賞(Glll)へと進んだが、いずれもマイネルフリッセの前に4着、3着と終わった。
 
 ちなみに、この時マイネルフリッセの鞍上にいたのが後の主戦となる武騎手だったことは、運命の皮肉であろうか。このマイネルフリッセは、
やがてスーパークリーク自身の馬生にも大きく関わってくることになる。

24 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:01:56.88 ID:kBQRmpmb0.net
 とはいえ、ソエに苦しみながら格上挑戦で挑んだ重賞のきさらぎ賞でも3着に入ったことは、うまくすれば現時点でもスーパークリークの実力が一線級に通用するのではないか、という期待を抱かせるものだった。
 
 「距離がもっと伸びれば…」
 
もともとそう考えていた伊藤師は、この時春の大目標として、
はっきりと日本ダービー(Gl)を意識することができた。

 「皐月賞よりもダービーを」そう考えた伊藤師は、スーパークリークを皐月賞のステップレースではなく、
すみれS(OP)に向かわせることにした。
すみれSは、この時期にはまだ少ない2200mのレースである。
それまで2000mのレースばかりを選んで走ってきていたスーパークリークにとって、このローテーションは、明らかにダービーを意識しての予行演習という色彩を持っていた。
 
 また、スーパークリークはこの日、初めて鞍上に武騎手を迎えた。武騎手は、レース前に伊藤師から
 
「ちょっと脚を痛がっているから…」
 
と言われたため気にしていたところ、実際に乗ってみても明らかに右前脚を気にしていたことから、
「こんな様子では、無事に回ってこれればいいな」という程度に思っていた。ところが、実際のレースになってみると、スーパークリークは一変した。道中よく折り合った上で、直線で武騎手が軽く追うと、もの凄い伸びを見せてくれたのである。
距離延長によってステイヤーの資質が目覚めたのか、
スーパークリークはパワーウイナーを半馬身抑えて優勝した。
 

25 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:02:33.12 ID:kBQRmpmb0.net
武騎手にとってもこの日のレースはうれしい誤算だった。
まともに回ってこれるかどうかをまず心配しなければならなかったはずのレースでこれほどの走りができる逸材に、若き天才騎手はすっかり惚れ込んでしまった。
 
 「この馬は他人に渡したくない」
 「この馬でダービーへ行きましょう」
 
と怪気炎をあげた彼は、スーパークリークの中に、これまでに乗ってきた多くの馬たちとは明らかに違う何かを感じ取っていた。
 
 この年の春のクラシック戦線出走ボーダーは、2勝であるといわれていた。スーパークリークもこの時点で2勝馬になったにすぎないが、勝ち鞍がオープン特別のすみれSであるということで、皐月賞は登録しさえすれば出走がほぼ確実な情勢となった。
しかし、距離が伸びて持ち味を発揮したこの日の競馬は、皐月賞というよりはむしろダービーへの希望を感じさせるものだった。
伊藤師は、皐月賞には見向きもせず、
目標をダービーに絞ることにした。
 しかし、運命とは皮肉なものである。スーパークリークが、皐月賞を回避してまで目指したダービーの舞台に立つことはなかった。
スーパークリークは、ダービートライアルの青葉賞に向けた追い切りの際に、左前脚を骨折してしまったのである。
 
 スーパークリークは、生まれながらの脚部のゆがみゆえに、慢性的な脚部不安と戦い続けなければならない宿命を背負っていた。
サラブレッドのガラスの脚は、その能力が高ければ高いほどかかる負担も大きくなる。
スーパークリークの脚のゆがみは、その負担をさらに増幅するものだった。
しかも、スーパークリークは脚に痛いところがあっても、人間にはそれを隠して走ろうとする変わった馬だった。
スーパークリークの並はずれた賢さが、人間たちに心配をかけまいとさせたのだろうか。
この時の骨折も、ソエを気にしていた右前脚をかばって走っているうちに、
反対側の脚に余計な負担がかかってしまったための故障だった。
人間たちがスーパークリークの痛みを知るのは、
いつも彼が痛みを隠せなくなるほどに症状が悪化した後のことだった。

26 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:03:59.34 ID:uSGtRiLf0.net
 ちなみに、スーパークリークは、3歳暮れにデビューしてから6歳秋で引退するまでの約3年間にわたる現役生活の中で、わずかに16戦しか走っていない。
これも、すべては彼にとりついた脚部不安ゆえだった。
 
 こうしてスーパークリークは、その実力と器の大きさの片鱗を見せたところでのアクシデントによって、ダービーを棒に振ってしまった。
大器スーパークリークが世に大きく羽ばたくためには、まだ天の時を得ていなかったというのであろうか。
こうしてスーパークリークは、もうしばらくの雌伏の時を過ごすことを強いられた。
 左前脚骨折による失意の時から4ヶ月、スーパークリークは神戸新聞杯(Gll)でようやく戦列復帰を果たした。
皐月賞、ダービーへの出走はかなわなかったものの、クラシック最後の一冠である菊花賞(Gl)にはまだ間に合う。ここでは過ぎ去った過去を振り返るよりも、まだ見ぬ未来に向かって歩むことが大切だった。
スーパークリークの血統はもともと「菊を勝てる配合」として考えられたものであり、菊花賞は彼のためのレースとなるはずだった。
 
 しかし、武騎手を鞍上に神戸新聞杯に臨んだスーパークリークは、直線ではよく伸びたものの、前をとらえきれずに3着に終わった。半年ぶりにしてはなかなかのレース内容だったが、当時の神戸新聞杯は菊花賞トライアルではなかったため、
3着に入っても菊花賞の優先出走権はなかった。2着以内に入れなかった以上、
3着は最下位と同じことだった。
 
 ただ、伊藤師、武騎手ともこの日のレース内容自体には納得していた。どんなレース展開でもばてることなく、
直線ではむしろ着実に伸びてくる。そんなスーパークリークのいいところは、骨折を経ても健在であることが分かったからである。
純粋ステイヤーのこの馬がもっとよくなるのは、距離がもっと伸びてから。
だからこそ、彼らはなんとしてもスーパークリークを菊花賞に出してみたかった。3000mの菊花賞なら、出すことさえできれば、きっと好勝負ができるに違いない。

27 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:04:32.98 ID:uSGtRiLf0.net
 賞金獲得状況からいうと、スーパークリークの菊花賞出走は微妙なところだった。
しかし、当時は京都新聞杯(Gll)で5着に入れば、菊花賞への優先出走権をとることができた。
2000mの神戸新聞杯ならともかく、すみれSと同じ距離、2200mの京都新聞杯で、それも5着以内でいいのなら、今のスーパークリークにとってそんなに高いハードルとは思えない。
伊藤師らは、むしろ神戸新聞杯は「ひと叩き」というような感覚で、
自信を持ってスーパークリークを京都新聞杯に送り込んだ。

 ところが、その京都新聞杯でスーパークリークを待っていたのは、予想もしない悲運だった。
この日は後方待機策で菊への切符獲りを目指したスーパークリークだったが、直線で前が壁になってしまった。
もっとも、この時の不利はそう致命的なものではなく、武騎手は落ち着いてスーパークリークを外へと持ち出して追い始めた。
事件が起こったのは、その時のことだった。この時近くにいた騎手のステッキが、スーパークリークの顔面を直撃したのである。
それも1発や2発ではなく、その馬と並んで上がっていこうとしたところを何発もぶつけられたのである。
これでは、いくらスーパークリークの精神力が強くても、まっとうに走れるはずがない。
 
 結局、スーパークリークはこの時の不利がこたえて6着に終わった。
菊花賞への優先出走権には、あと一歩届かなかったのである。
 
 「何ですか、あの乗り役は!? 」
 
外に持ち出した時に1発や2発当たったというのなら、まだ理解できる。しかし、この日のそれは違った。
直線に入ってまっすぐ追い始める段階になってから、何度も同じ馬の顔面にステッキがぶつかったのでは、故意であるといわれても仕方がなかった。実力が及ばなかったのではなく、
明らかな人災で実力を発揮できなかったのだから、武騎手が思わず声を荒げたというのもやむを得ない。

28 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:05:08.45 ID:uSGtRiLf0.net
しかし、その馬が結局スーパークリークに先着できなかったこともあってか、この結果はそのまま確定してしまった。そのため着順にも変動はなく、スーパークリークは菊花賞の優先出走権獲得に失敗してしまった。
 
 そして、スーパークリークの関係者がかたずを呑んで見守った菊花賞の最終登録では、彼らが恐れたとおりの事態が起こってしまった。
この年フルゲート18頭の菊花賞に登録したのは36頭いたが、スーパークリークの出走順位は、そのうち19番目だったのである。
本賞金上位、または優先出走権を持つ18頭の中から回避馬が出なければ、
スーパークリークの菊花賞は、出走するどころか抽選にさえ加われないまま終わってしまう。
 しかし、窮地に陥ったスーパークリークに対して思いがけない救いの手がさしのべられた。
春のきさらぎ賞を勝っていたことから本賞金が上位で、菊花賞への出走が確実だったマイネルフリッセが、直前になって出走を断念したのである。
 
 マイネルフリッセは共有馬主クラブ「サラブレッドクラブ・ラフィアン」の持ち馬だったが、同クラブの代表を務めるのは、
以前にスーパークリークの配合決定にも関わった岡田繁幸氏だった。
 
 岡田氏にとって、スーパークリークはもともと
 
「菊花賞を勝てる馬」
 
として自ら配合を考えたという因縁があった。岡田氏の助言どおりの配合で生まれ、いま充実期を迎えようとしているスーパークリークは、相馬眼という点では絶対的な自信を持っていた岡田氏の目からも、
菊花賞に出ることさえできれば必ず勝ち負けできるように思われた。
それが、あのようなトラブル…というよりは人災で、一生に一度のチャンスを戦わずして諦めなければならないということが、果たして許されるのだろうか。
 

29 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:06:34.11 ID:j36f/H+b0.net
 一方、マイネルフリッセは、この年の初頭には武騎手を鞍上に福寿草特別、きさらぎ賞でスーパークリークを破っている。
しかし、マイネルフリッセが本賞金を稼いだのは他の馬が完成していないこの時期だけで、晩成馬の成長が追いついてきた秋の戦績はさんざんなものだった。この馬が菊花賞へ進んでも、おそらく勝ち負けする事は難しい。そこで岡田氏が思いついたのが、
スーパークリークにせめて抽選の機会を与えるために、マイネルフリッセの出走を見合わせるということだった。

しかし、それを実践することには、
多大な犠牲が伴うことも確かである。
マイネルフリッセは、岡田氏個人の持ち馬ではなく共有馬主たちの持ち馬である。マイネルフリッセの菊花賞への出走を取りやめることは、菊花賞を楽しみにしている共有馬主たちの期待を裏切ることになるのではないか。
 
そして、「サラブレッドクラブ・ラフィアン」の代表という企業人の立場からも、「マイネル」の冠名が付いた馬が大レースに出るメリットは大きい。マイネルフリッセは、クラブが募集した第1期の馬であるとともに、初めての重賞勝ち馬だった。
この馬が菊花賞に出走すれば、「ラフィアンの馬は走る」ということの何よりの宣伝になる。
それは、まだ立ち上がったばかりの「サラブレッドクラブ・ラフィアン」にとって、金銭には替えがたい巨大な宣伝効果を生むはずだった。
そんな計り知れない宣伝効果を、何の見返りもないのにあっさりと捨ててしまうのか…。
それは、単なるホースマンにとどまらない企業グループの総帥としての顔も持つ岡田氏ならではの苦悩だった。
 
 悩みに悩んだ岡田氏だったが、彼は最終的には企業人ではなく、ホースマンとしての選択をした。
岡田氏は、マイネルフリッセを管理していた中村均師に出走を取りやめるよう要請したのである。
岡田氏からの要請は、その悩みの深さを物語るかのように、菊花賞出馬投票日前日の夜のことだったという。

30 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:07:12.26 ID:j36f/H+b0.net
 しかし、岡田氏の要請を聞いた中村師は激怒した。
確かにマイネルフリッセが出走しても、勝ち負けまで持ち込むことは難しいかもしれない。
しかし、中村師や中村厩舎のスタッフは、管理馬を菊花賞へと送り込むことができることを誇りとし、
少しでも上の着順に持っていけるように丹精を込めてマイネルフリッセの調整に臨んでいた。
それなのに、それまでに自分に一言の相談もなく、出馬投票の前日になっていきなり「出走をやめろ」とはどういうことなのか。
菊花賞の日のためにこれまで頑張ってきた自分の気持ちはどうなるのか。
そして、スタッフに対してもどう説明すればいいのか…。
 
 それでも中村師は、最終的に岡田氏の要請を受け入れ、マイネルフリッセの菊花賞出走をとりやめることにした。実際には、岡田氏の選択は、マイネルフリッセの共有馬主たちの大部分からはむしろ好意的に受け止められたという。
 
 しかし、管理馬を菊花賞へと送り込むはずだった厩舎の主として、
そしてホースマン中村均自身として悔し涙を流した中村師の怒りと悲しみは深かった。
この事件が起こったのは1988年だが、
同クラブの持ち馬のうちこの時既にデビューしている1985年生まれ、1986年生まれの産駒は、2世代で7頭が中村厩舎に入厩している。
ところが、この事件の翌年にデビューする1987年生まれの馬はわずかに1頭と急減し、1988年、1989年生まれの2世代に至っては、
クラブ全体の募集馬は増えてきたにもかかわらず、中村厩舎への入厩はない。
1987年生まれの1頭が前からの約束ができていた馬だとすれば、両者の関係はこの間事実上絶縁していたに等しい。
現在でこそ両氏の関係は復活しているが、一般に「美談」として語られがちな「マイネルフリッセ事件」の陰にはこんな犠牲があったことは、忘れてはならないだろう。
 

こうしてマイネルフリッセが出走を回避し、さらにもう1頭本賞金上位馬が突然の故障でリタイアしたことにより、
スーパークリークの道は大きく開けた。
 
 
 

31 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:07:50.96 ID:j36f/H+b0.net
武騎手のもとには、菊花賞への出走予定馬のうちスーパークリークを含めた5頭から、既に騎乗依頼が来ていた。
しかし、彼が最後までこだわり続けたのはスーパークリークだった。
本人の決断によっていつでも菊花賞に騎乗馬を確保できる立場にいた武騎手だったが、彼の頭からは初騎乗のすみれ賞での衝撃、そして前走の京都新聞杯の無念が頭から離れなかった。
 
 さらに、こんなこともあった。
武騎手が一人で馬房へ様子を見に行って帰ろうとすると、
突然スーパークリークが、彼を引き留めるように袖をくわえて引っ張ったという。
その時彼は、出走できるかどうか分からないこの馬に賭けることを決めた。
 
 「出られるかどうか分からないけれど、なんとかスーパークリークで菊に行きたい…」
 
そんな彼の思いは、スーパークリークの出走決定によって、天に通じたのである。

 こうして念願の淀に立ったスーパークリークには、ファンからも単勝830円という、出走18頭中3番目の支持が寄せられた。
通算成績が7戦2勝2着1回、しかも前走が京都新聞杯6着の馬とは思えない人気だが、これもスーパークリークのステイヤーとしての資質に期待が集まったからにほかならない。
 
 この年は春の実績馬に故障が多く、
ダービーで5着までに入った上位馬のうち、無事菊花賞までたどり着いたのは、4着の皐月賞馬ヤエノムテキだけだった。
そんな状況の中では、前哨戦の京都新聞杯も快勝しているヤエノムテキに人気が集まるのは仕方がない。
では、春の実績馬の代表格であるヤエノムテキの足元をすくう馬が現れるとしたらどの馬か、という観点から見た場合はどうか。
そんな観点ですべての出走馬をくまなく見回した場合目についてくるのが、「菊を勝つための配合」たるステイヤー血統を背景に持ち、
若き天才騎手が最後までこだわり続けたというスーパークリークだった。
 

32 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:08:34.37 ID:j36f/H+b0.net
そんな期待を集めて菊花賞に出走したスーパークリークは、
カツトクシンが逃げて平均ペースに落ち着いた流れの中で完全に折り合いながら、馬群の真ん中に陣取った。
多くの回り道と苦難を経てようやくたどり着いたこの日、この舞台に立てる喜びの中で。
これは、生まれる前から定められていた「彼のためのレース」だった。

淡々と流れたこの日のレースだったが、武騎手は冷静にこの日の展開を分析し、「ある馬」の動きを注視しながら、微妙に位置取りを変えていった。
彼の読みが正しければ、
その「ある馬」の動きによってスーパークリークは他の馬よりも1歩も2歩も有利な地位に立てるはずだった。
逆に読みが外れれば彼は大きな不利を受けることになるが、彼はそうならないことを確信していた。
 
 武騎手が待っていた「機」が訪れたのは、第4コーナーを回って直線に入る入り口でのことだった。
それまで逃げていたカツトクシンが、
急に外に振られる形で走路を変えたのである。
そのため、それまで内を内を走っていたカツトクシンのポジションに、ちょうど1頭分のスペースができた。
これに備えて中団から少しずつ押し上げていたスーパークリークと武騎手は、この好機を見逃さなかった。
彼らは、測ったようにカツトクシンがいたスペースへと一気になだれ込んでいった。
内ラチ沿いのゴールへの最短距離は、
スーパークリークにとってはそのまま菊花賞への最短距離だった。
 
 それにしても驚くべきは、まるで前が開くことを知っていたように最内、
それもカツトクシンの後ろにつけていた武騎手の騎乗だったが、
実はかつてカツトクシンにも騎乗していた武騎手は、この馬が直線入り口で外に行きたがる癖があることを知っていた。
最初にインコースに陣取ることに成功し、さらにそのインコースの前をカツトクシンが逃げているのを見たときから、武騎手は第4コーナーで必ず訪れるであろうこの機を虎視眈々と窺っていたのである。

33 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:09:13.37 ID:j36f/H+b0.net
直線でカツトクシンをかわして先頭に立つと、後はスーパークリークの独り舞台だった。
既に3000m近い距離を走った他の馬にはほとんど余力がなかったが、
スーパークリークだけは脚色に衰えはなく、みるみる後続を引き離して独走態勢を築いていった。
スーパークリークの血に凝縮された長距離適性が、晩秋の淀に花開いたのである。
 
 後続が激しい2着争いを繰り広げる中で、5馬身差をつけての勝利を勝ち取ったスーパークリークのこの日のレース内容は、まさに他の馬たちとは異次元の「圧勝」と評すべきものだった。
2着には写真判定の結果、スーパークリークと同様に除外対象から滑り込み出走を果たしたガクエンツービートが入った。
ちなみに、この日は騎手が乗り替わっていたものの、
京都新聞杯でこの馬に乗っていた騎手が、スーパークリークの顔面をステッキで叩いた騎手である。
馬に罪はないといえばそのとおりだが、スーパークリークと武騎手は、この上ない形で因縁の相手に格と実力の違いを見せ付け、溜飲を下げた。
 
 この日の武騎手による19歳7ヶ月での菊花賞制覇は、菊花賞だけでなくクラシックレースの最年少制覇記録だった。
今に連なる武騎手の常勝街道は、この時始まったのである。
 

こうして菊花賞馬となったスーパークリークだったが、彼は菊花賞を機に一気に飛躍した上がり馬の典型であり、
一般への浸透という意味では春の実績馬にはかなり見劣りしていた。
有馬記念へのファン投票でスーパークリークは出走権を得ることができず、
有馬記念へは推薦委員会の推薦馬という形で出走することになった。
 
 しかも、この年の4歳馬でファン投票の上位を占めたのは、オグリキャップ、サッカーボーイといった、クラシックとは無縁の馬たちだった。
もちろん彼らには彼らなりの事情があったとはいえ、伝統の菊花賞馬としては、屈辱といわざるを得ない。

34 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:09:59.35 ID:j36f/H+b0.net
 武騎手もライバルたちになんとか一泡吹かせようといろいろと考えたし、
この日に臨む意気込みも並大抵のものではなかった。
だが、この執念は思いもかけぬ結果につながることになった。

 有馬記念では4番人気だったスーパークリークは、中団から競馬を進めていたが、第4コーナーを回ってからは馬群から抜け出し、
いい末脚を使って伸びてきた。
最強古馬タマモクロスと死闘を演じてついにはこれをうち破ったオグリキャップにこそ及ばなかったものの、
やはり同世代の雄とされたサッカーボーイには先着して3着入線を果たした。
スーパークリークにとって、まずは菊花賞馬の面目を保つ結果だと思われた。
 
 しかし、その結果はすぐには確定せず、掲示板には審議のランプがともっていた。
審議対象は、第4コーナーで強引に仕掛けた際に、前年の覇者であるメジロデュレンの進路を妨害したスーパークリークと武騎手だった。
 
 審議になったことを知った時、武騎手には覚悟ができていたという。
 
 「(審議を)取られるとは思っていた。でも、あそこを通らないと勝てないと思った」
 
 果たして、審議の結果は武騎手の予想に違わず「失格」となった。
半ば確信犯的ですらあった武騎手の騎乗は、ある意味で彼の本質を物語っている。
この年武騎手は、皐月賞でマイネルフリッセに騎乗した際にも、
1番人気モガミナインの進路を妨害したとして失格になっている。
1年に2度もGlで失格となり、騎乗停止処分を受けるというのはほめられた話ではない。
しかし、勝つための騎乗は、一歩間違えれば斜行につながるというのもまた否定しがたい事実である。
若き日の武騎手の最大の武器は、

天才的な技術ではなく、むしろ勝利への執念だった。
 

35 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:10:48.23 ID:j36f/H+b0.net
とはいえ、スーパークリークの立場からすると、3着入線とはいえ、負けは負けだった。
失格というのは最下位以下の結果であり、その戦績に大きな汚点を残す結果となってしまった。
しかも、失格をとられるほどの強引な仕掛けをしても、なお届かなかった馬が2頭もいた。
それも、相手が年上の古馬ならまだしも、1頭は同世代である。
上には上がいることを思い知らされた形のスーパークリーク陣営の人々の胸に、それを思い知らせてくれた
「オグリキャップ」という名前は深く刻み込まれた。
こうして菊花賞馬スーパークリークの年末は、充実と栄誉ではなく失意と屈辱とともに暮れていった。
 
有馬記念失格の後、スーパークリークはしばらくの間競馬場から姿を消した。伊藤師は当然天皇賞・春を目指すつもりだったが、
スーパークリークの腰にひどいコズミが出たため、盾を断念せざるを得なくなったのである。
 
 いつもレースでは全力で走るスーパークリークは、レースの後に厩舎に帰る馬運車の中では、いつも疲れのあまり、壁にもたれて眠っていたという。そんな彼が初めて経験した、激戦続きの秋。またそれだけではなく、
スーパークリークは菊花賞、有馬記念でようやくその実力をかいま見せたものの、その激しい走りゆえに、生まれつきゆがんでいた脚にかかった負担は非常に大きかった。
そうしたことが重なって疲れきっていたスーパークリークを見た伊藤師は、
将来のある馬でもあり、まずは放牧に出して春を全休させることで、体調を取り戻すことに専念させた。
 
 武騎手が「スーパークリークが復帰するまで」という条件で騎乗を依頼されたイナリワンの手綱を取って、初めての天皇賞制覇を果たしたこの時期、
スーパークリークは北の大地で静養中であり、
その疲れを癒すとともに、来るべき復帰の時に備えて英気を養っていた。
結局スーパークリークは、この休養によって復帰まで10ヶ月近い空白を余儀なくされ、
1988年の上半期を雌伏の季節とせざるを得なかった。

36 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:11:32.61 ID:j36f/H+b0.net
 春が過ぎ、夏が終わったころに、
スーパークリークはようやく戻ってきた。激戦の疲れ癒えたスーパークリークは、秋の中長距離戦線を目指して、
まずは京都大賞典(Gll)から始動することになった。
 
 鞍上にはもちろん武騎手がいた。
しかし、果たして「もちろん」とまで言い切っていいものか。
武騎手は、スーパークリークが休養していた春の間にイナリワンに騎乗し、
天皇賞・春と宝塚記念を制していた。
 
 最初に騎乗依頼があった時には
「スーパークリークが復帰するまで」という条件がついていたイナリワンへの騎乗だが、これほどの結果を残してしまうと、いつの間にか代打が代打でなくなっているというのもよくある話である。
現に、武騎手のもとにはイナリワン陣営から
 
 「できれば秋も乗ってくれないか」
 
という打診もあったという。
 
 しかし、武騎手が選んだのはスーパークリークだった。
実力ではイナリワンもスーパークリークと遜色ないものを持っており、さらにスーパークリークには長期休養明けというハンデもあった。
しかし、スーパークリークの主戦は自分しかいないという自覚、
そして自分に初めてクラシックを勝たせてくれた特別な馬という愛着が、
武騎手にスーパークリークを選ばせたのである。


この年の京都大賞典の出走馬は11頭しかおらず、しかもライバルの顔ぶれは決して豪華なものではなかった。
対抗視されたのがミスターシクレノン級では、前年の菊花賞馬スーパークリークが単勝140円の圧倒的な支持を集めたのもむしろ当然のことである。
 

37 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:12:17.71 ID:j36f/H+b0.net
ところで、京都競馬場で京都大賞典が行われる直前、東京競馬場では天皇賞・秋の東のステップレースである毎日王冠(Gll)が行われ、
「白い怪物」オグリキャップがこの年の天皇賞・春と宝塚記念を制しているイナリワンをはじめとする強豪たちとの死闘を制した。
オーロラビジョンを見ていた京都のファンたちも、一代の怪物が怪物であり続けていることを確認し、歓喜の声をあげた。
 
 毎日王冠が決着した時は既にゲート付近にいたため、
オーロラビジョンを見ることができなかった武騎手だったが、
観衆の大歓声を聞いて、東で何が起こったのか、そのすべてを悟ったという。
 
 「オグリが勝ったな。直接対決の前にこんなところで負けてられない」
 
前年の有馬記念でオグリキャップの実力をまざまざと思い知らされていた彼らにとって、
この瞬間京都大賞典は、単なる有馬記念の汚名返上の舞台ではなく、
これから始まる秋の中長距離Gl戦線でオグリキャップと戦い抜き、世代、否、日本最強馬の地位を勝ち取るに足る馬であることを証明するために、
絶対に負けられないレースになった。
 
 そして、スーパークリークは絶対負けられないプレッシャーを力に変えたかのように、当然勝つべき秋の初戦を当然のように勝った。
先行しての押し切り勝ち、それもレコードタイムのおまけつきでの横綱相撲は、こちらも盾に向けて名乗りを上げるのに十分なパフォーマンスだった。この日の勝利は、前年の有馬記念を不名誉な失格で終えたスーパークリークの真の実力を見せつけるものだった。
毎日王冠で春の最強馬を力でねじ伏せたオグリキャップの残像に最強伝説の夢を見たファンは、京都大賞典で二線級に付け入る隙を与えなかったスーパークリークの姿に、打倒オグリキャップに最も近い位置にいるのがどの馬なのかを思い知らされたのだった。

38 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:13:49.35 ID:gpArDEi00.net
 東西のステップレースである毎日王冠、京都大賞典を経て、いよいよ天皇賞・秋(Gl)へと向かう役者は揃った。
ちなみにこのレースは、1937年に帝室御賞典として始まった天皇賞が第100回を迎える記念すべき日でもあった。
復活なった怪物オグリキャップがこの年も前年と変わらぬ強さを誇示するのか、天才に選ばれたスーパークリークが才能の煌めきを見せつけるのか、それとも天皇賞・春、宝塚記念を連勝した野武士イナリワンが、毎日王冠で敗れた雪辱を果たすのか。
これに無冠の大器メジロアルダンや東京巧者のヤエノムテキといった脇役というにはあまりにもったいない強豪たちも加わって、第100回天皇賞はいよいよ熱く燃え上がろうとしていた。
 
 天皇賞・秋当日、東京競馬場には15万人の大観衆が詰めかけた。
これは、約20年ぶりとなる観客数のレコード更新だった。
そして、この日の競馬場が何よりもそれまでと違っていたのは、
これまで競馬にはまったく縁のなかった若い女性たちの華やかな姿が目立ったということだった。
彼女たちを競馬場へと導いたのは、前年「地方から来た怪物」として話題を集めたオグリキャップの活躍とともに、
20歳を迎えたばかりながらスーパークリークを操って競馬界の記録を次々と塗り替える武騎手のアイドル的人気だった。
 
 こういった新しいファン層はこの時どの程度知っていたかはっきりしないが、この時スーパークリークの枠順は、14頭だての14番枠、東京2000mでは不利といわれる大外枠に入ってしまった。
 
 馬券の上ではオグリキャップが単勝190円の支持を集めて1番人気に推され、スーパークリークが450円、メジロアルダンが550円、イナリワンが620円と続いた。
オールカマー(Gll)、毎日王冠を連勝して天皇賞・秋へと駒を進めたオグリキャップにとって、2000mはおそらく最も得意な距離だろうと思われていた。
どちらかというとステイヤーだと思われていたスーパークリークがこの舞台での下馬評でオグリキャップに及ばなかったのは、ある意味でやむを得ないことだった。
 
 しかし、武騎手にしてみれば
 
 「こんなに差があるはずはないのに」
 
という思いもあった。彼には人気のまま、距離適性と枠順の不利に甘んじるつもりはなかった。

たとえ、オグリキャップが相手であっても。

39 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:14:24.54 ID:gpArDEi00.net
そして、武騎手はスーパークリークに絶好のスタートを切らせることに成功した。
これならば大外枠の不利も気にならない。スーパークリークはこのスタートの利を生かし、そのまま3番手につけた。これは中団待機策をとった菊花賞、有馬記念よりもかなり前の位置取りである。
しかし、武騎手はこの日は少々強引であっても前の位置をとろうと思っていた。好位での競馬は、彼が考え抜いた末に選んだ作戦だった。
 スーパークリークの前にいたのは、
もともと人気薄で実力的にも一枚も二枚も劣る馬たちばかりだった。
第3コーナーから第4コーナーにかけて、スーパークリークは早くも先頭を奪おうと思えばいつでも奪える状況を作り出していた。
 
 しかし、武騎手にとって気がかりだったのは、1頭だけ抜け出してしまうと気を抜くという、スーパークリークの悪いくせだった。
早すぎる仕掛け、早すぎる抜け出しは、他の馬につけいられる隙を作ることになる。
そこで、この日は先頭に立っても一気に突き放しにかかるのではなく、ヤエノムテキが上がってくるのを待ってから仕掛けることにした。
 
 武騎手の思惑どおり、スーパークリークは上がってきたヤエノムテキ、
そしてメジロアルダンによって戦闘意欲を刺激され、走る気満々となった。
彼らと競り合いながらもスーパークリークはゴール、そして先頭を譲る気配を見せず、ますます末脚の冴えを増していった。
 
 この時点で後方にいる強敵の姿は、
まだ武騎手の視界に入ってきていなかった。
しかし、彼には確信があった。
 
 「あの馬は、必ずやってくる」
 
と。その馬の強襲に耐えるためには、
直線に入るまでになるべくその馬を引き離しておくことである。
また、好位から競馬を進めた上で、直線ではその馬が来る前から他の馬と並ぶ形での叩き合いに持ち込んで、
スーパークリークのねばり強さを存分に発揮できる展開に持ち込む必要もある。
これこそが、武騎手が意図した作戦の全貌だった。
そして、この日の展開はまさに彼の狙いどおりとなっていた。
 

40 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:15:13.11 ID:gpArDEi00.net
やがて、武騎手が恐れていたとおり、
最大の敵とみていたその馬が、
ゴール前になってようやく外から追い込んできた。
オグリキャップ、芦毛の怪物である。
もともと並外れた瞬発力を持つオグリキャップは、烈風のごとき激しい末脚で粘るスーパークリークとの間を確実に狭めながら、懸命に追いつめてくる。
しかし、オグリキャップがスーパークリークとの差を逆転するには、ゴールまでの距離は短すぎた。
2頭は並ぶようにゴールしたが、ゴール地点ではスーパークリークがまだ前に残っていることも、観衆にははっきりと確認できた。
2000mを1分59秒1で駆け抜けた2頭の間の差は、わずかではあるが絶対のクビ差だった。
 
 この日武騎手が考えたのは、
「どうやったらオグリキャップに勝てるか」ではなく、「どうやったらオグリキャップに負けないか」だったという。その「負けないレース」が功を奏して見事凱旋した武騎手に対し、伊藤師は
 
 「やっぱり前に行ってくれたんやな! 」
 
とその作戦の妙を称えた。特に指示を出したわけではなかったが、
伊藤師自身も、この日のスーパークリークのレースとして、前で競馬を進める姿をイメージしていたのである。
武騎手が実演して見せた乗り方は、
まさに伊藤師のイメージしたとおりのものだった。
 
 武騎手の騎乗がスーパークリークの実力を100パーセント以上引き出したのに対し、オグリキャップには道中ひとつ重大なロスがあった。
直線で上がっていこうとした時、先に仕掛けたヤエノムテキに仮想進路を奪われてしまい、仕掛けるチャンスを一度逸していたのである。
2頭の間の着差はわずかにクビ差しかなかった。
あるいは、スーパークリークにとって距離不足である東京芝2000mに限っていうならば、むしろオグリキャップの方が優勢だった。
しかし、第100回天皇賞馬の栄誉に輝いたのは、その大舞台で己の能力を発揮しつくしたスーパークリークだったのである。

41 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:16:55.25 ID:P/dT1ApA0.net
 それまでは血統的にステイヤーとみられていたスーパークリークだったが、菊花賞だけでなく、スピードを兼ね備えていなければ勝てない天皇賞・秋をも制したことによって、
単なるステイヤーにとどまらない実力馬として、より高い評価を受けるようになった。
こうして名実ともに一流馬の仲間入りを果たしたスーパークリークは、
その後ジャパンCから有馬記念という、
古馬中長距離Glの王道ともいうべきローテーションを歩むことになった。
 
 この年のジャパンCには、世界各地から多士済々たる顔ぶれが集結した。
欧州からは凱旋門賞馬キャロルハウス、ジョッキーズクラブ大賞典勝ち馬で、キングジョージでも3着に入ったアサティス、当時4連勝中のイブンベイ、米国からは前年の覇者ペイザバトラー、
1ヶ月前に芝2400mの世界レコードを樹立したばかりのホークスター…。
 
 それを迎え撃つ日本勢も、今年こそはと思わせる顔ぶれを揃えていたが、
その中でも特に天皇賞・秋を制して勢いに乗るスーパークリークは最有力の評価を得ており、単勝460円の1番人気に支持された。
一方、前年3着のオグリキャップも本来ならばスーパークリークに勝る評価を得てしかるべきだったが、
前の週に京都のマイルCSで優勝しての連闘だけに評価も割り引かれ、530円の2番人気にとどまった。

 だが、お祭り気分が抜けきらないままスタートしたジャパンCは、
やがてそんな気分を吹き飛ばす恐ろしいレースとなった。
まずレースの先導役を務めたイブンベイが狂気のペースを作りだし、それを世界レコードホルダーのホークスターとホーリックスも追走した。
実力馬の強引な先行により、この日の府中は他に類をみない過酷なハイペースの渦に巻き込まれていった。
それは、その後ろにつけたスーパークリークの武騎手とオグリキャップの南井騎手も、

寒気を感じるほどの狂気の激流だった。

42 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:17:31.83 ID:P/dT1ApA0.net
海外の実力馬たちが作り出したハイペースは、あまりにも日本競馬の常識とはかけ離れたものだった。
そのことを顕著に物語るのは、道中の驚異のラップである。
 
 1800m地点通過時のラップは、1分45秒8というものだった。
これは、当時サクラユタカオーが持っていた芝1800m1分46秒0の日本レコードよりも速い。
2000m通過地点のラップは、1分58秒0。これはさすがに当時の芝2000m日本レコードだったサッカーボーイの1分57秒8を下回っているとはいえ、天皇賞・秋のレコードより0秒3、1ヶ月前の天皇賞・秋の決着タイムよりは1秒1も速い。
ちなみに、この翌年の天皇賞・秋では、ヤエノムテキが1分58秒2の「レコードタイム」で走破し、優勝する。
 
 こんなペースでは、先行勢は当然総崩れになる・・・はずだった。
案の定、レースを引っ張ったイブンベイ、これを追走したホークスターは一杯になり、ただ1頭ホーリックスだけが粘る状況になっていた。
そんな中、道中では2頭並んで先行集団にとりついていたスーパークリークとオグリキャップの2頭が抜け出しにかかったかにみえた。
 しかし、狂気のハイペースを好位で追走したスーパークリークには、
この時既に余力は残っていなかった。
常識はずれの連闘で不利なはずのオグリキャップがすいと抜け出し、
ホーリックスと死闘を演じるために向かっていったのに対し、
スーパークリークはここから伸びず、
道中ずっと併走してきたはずの宿敵から、あっさりと置き去りにされていった。
 
 結局、この後オグリキャップはホーリックスをあと一歩まで追い詰めたものの、狂気のハイペースを前で追走しながら最後まで止まることなく走りぬいたホーリックスの世界レコードの激走にはわずかに及ばなかった。
しかし、マイルCS(Gl)からの連闘という過酷なローテーションをものともせず世界に肉薄したオグリキャップの姿は、世に
 
 「やはり最強馬はオグリキャップだ」
 
と印象づけるものであり、その戦いは感動と称賛の的とされた。
その一方でスーパークリークは、天皇賞・秋から中3週という満を持したローテーションでありながらオグリキャップとホーリックスという2頭の芦毛馬による名勝負には、加わることすらできないまま4着に敗れた。
タイム的には、スーパークリーク自身も東京の芝2400mコースを2分22秒7という破格のタイムで走破したものの、
2分22秒2という想像を絶するタイムの前では目立たなくなるのもやむをえない。
 
 こうしてスーパークリークは、天皇賞・秋でオグリキャップを破って世代の両雄であることを印象づけたのもつかの間、ジャパンCではまたもオグリキャップの引き立て役にまわってしまった。
そんなスーパークリーク陣営にできることは、

有馬記念での雪辱を誓うことだけだった。

43 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:18:18.52 ID:P/dT1ApA0.net
実は、ジャパンCの後、既に秋3走をこなしたスーパークリークの調子は、下降線に入りつつあった。
しかし、天皇賞・秋、ジャパンCから有馬記念へと続く秋の中長距離戦線を皆勤した馬は、たいていそんなものである。
伊藤師は、スーパークリークが少しでも実力を発揮できるよう、その調子をできる限り維持することに務めた。
 
 中央競馬の1年を締めくくる有馬記念は、毎年「ドリームレース」と呼ぶにふさわしい豪華な出走馬たちが集う。
この年も各世代を代表するというに足るメンバーが揃っていた。
しかし、豪華な顔ぶれにもかかわらず、ファンによる単勝人気の大部分はスーパークリークとオグリキャップの2頭に集中した。
オグリキャップが180円、スーパークリークが310円の支持を集めたのに対し、他の馬の中は、最も人気を集めた4歳世代の雄サクラホクトオーでさえ1260円だったという人気が、
この年の有馬記念を何よりも雄弁に物語っている。
 
 「両雄対決」。中山競馬場をそんな雰囲気が取り巻く中で、有馬記念は幕を開けた。
オグリキャップはジャパンCと同様に先行策を採り、逃げるダイナカーペンターのすぐ後ろの2番手へとつけた。
スーパークリークはオグリキャップをマークするような形で、さらにその後ろを追走する。
天皇賞・秋ではスーパークリークが前、
オグリキャップが後ろにつけ、ジャパンCでは2頭は併走する形でレースを進めたが、今度はオグリキャップが前でスーパークリークが後ろという競馬になったのである。

 有力馬2頭が敢然と積極策を採ったのをみて、他の馬も動かずにはいられなかった。
本来直線での末脚にかける、後方のイナリワン、サクラホクトオーといった馬たちも、徐々に後方から進出していった。
並の馬ならゴールまでに止まるだろう。しかし、この2頭は止まらない。
そんな恐れが彼らを駆り立てた。
 
 「こいつら相手だと、このまま行ったのでは届かない…」
 
1ヶ月前のジャパンCの残像は、彼らの脳裏に強く焼きついていたのである。
 

44 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:19:01.96 ID:P/dT1ApA0.net
その一方で、スーパークリークとオグリキャップは、前で互いの様子だけを窺いながらレースを進めていた。
天皇賞・秋ではワン・ツーフィニッシュを決め、ジャパンCでも日本馬最先着と2番目でゴールインした2頭は、
互いの実力を知り尽くしているがゆえに、相手のことしか眼に入っていなかったのかもしれない。
 
 やがてオグリキャップが動くと、
スーパークリークも置いていかれてはならない、とばかりにその後を追った。武騎手の手綱は、第3コーナーあたりで早くも手ごたえがあやしくなっていたが、スーパークリークはそれでも一生懸命走った。
秋の死闘続きでぼろぼろになった肉体をさらに鞭打って、己の持てるすべての能力を出し尽くそうとした。
 
 そして、スーパークリークの手応えが悪くても、他の馬の手応えがもっと悪ければやはり勝てるというのは、
競馬界の道理である。この日は、宿敵オグリキャップに異変が生じていた。
 
 タフなことでは人後に落ちないオグリキャップだったが、この秋にはオールカマー、毎日王冠、天皇賞・秋、マイルCS、ジャパンCと使ってこの日はなんと秋6走目だった。
マイルCSからジャパンCへと強行した過酷すぎる日程による疲労は、やはりオグリキャップの肉体をも蝕んでいたのである。抜け出したスーパークリークに懸命についていこうとするオグリキャップだったが、ジャパンCとは反対に、今度はオグリキャップがついていけなかった。
 
 ジャパンCの府中第4コーナーではオグリキャップにおいていかれたスーパークリークだったが、この日は逆に、中山の坂下でオグリキャップを置き去りにして抜け出した。
手応えが悪いままもがく宿敵の姿を横目で見ながら、

武騎手は栄冠との距離が一気に縮まるさまを感じていた。

45 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:19:46.51 ID:P/dT1ApA0.net
 だが、直線でいったんは抜け出したかに見えたスーパークリークと武騎手の背後に、
もうひとつの激しいステッキの音が迫りつつあった。
武騎手は、振り返らずとも背中で感じることのできる寒気のするようなその音、その殺気に
 
 「オグリが差し返してきた!」
 
と思ったという。しかし、激しい音を立てるステッキは南井克巳のもの騎手ではなく柴田政人騎手のものであり、
外から一気に並びかけてきたのは、
鈍い灰色ではなく、黒だった。
 
 スーパークリークを強襲した黒い馬の名は、イナリワンである。
春には武騎手とコンビを組んで天皇賞・春、宝塚記念制覇を果たした、南関東競馬出身の野武士のような馬だった。
 
 春こそGlを連勝したイナリワンだったが、この秋の成績はふるわなかった。緒戦に選んだ毎日王冠こそオグリキャップとハナ差の2着に入ったものの、その後天皇賞・秋では6着、
ジャパンCでは11着と掲示板に載ることさえできず、そのためこの日は4番人気とはいえ単勝1670円という、
完全な「穴人気」まで評価を落としていた。そんなイナリワンによるまさかの急襲に、
武騎手は一瞬我を失った。
イナリワンに抵抗しようと懸命に負う武騎手だったが、スーパークリークに余力は残っていなかった。
2頭の馬体はほぼ並んでゴールし、
勝敗の結論は写真判定に持ち越されたが、
その結果はハナ差、イナリワンが前に出ていた。
 
 これで宝塚記念に続くグランプリ連覇を達成したイナリワンは、
天皇賞・春も加えてこの年Gl3勝目をあげた。勝ち時計の2分31秒7は、当時の有馬記念レコードである。
春にはイナリワンに騎乗した武騎手だけに、折り合いがついたときのこの馬の怖さはよく知っていたが、
それと同時にその折り合いをつけることがいかに難しいかも十二分に分かっていた。
だからこそこの日もオグリキャップに相手を絞った競馬を進めたのだが、
最後にはそんな作戦が裏目に出たのである。
逆に柴田騎手は、スーパークリークとオグリキャップの動きを見て、
どこから仕掛ければ前の2頭をとらえられるかを読みきって仕掛けてきていた。完敗だった。
 

46 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:20:33.98 ID:P/dT1ApA0.net
 武騎手は、「イナリワンの大駆けにやられたと思うしかないですね」とコメントすることしかできなかった。
結局、この日の結果によって年度代表馬はイナリワンで確定的となり、
「スーパークリークが一番強いことを証明したい」と言っていた武騎手の宿願は、わずかにハナ差で果たされなくなってしまった。

 4歳時に菊花賞を制しながら有馬記念でタマモクロス、そしてオグリキャップに遅れをとったばかりか失格という憂き目まで見たその時以降、
スーパークリーク陣営の人々にとっては、スーパークリークの強さを誰もが認める形で世に示すことが最大の目標となっていた。
しかし、5歳時のスーパークリークは、
宿敵オグリキャップ、そしてイナリワンに対して2勝1敗と勝ち越したものの、春を全休したことが響き、彼らが最強の証と考えていた年度代表馬はGl3勝のイナリワンにさらわれてしまった。
また、一般に対するパフォーマンスの意味では、無茶なローテーションが同情を引いたオグリキャップに比べ、
着実なローテーションで着実に走ったものの、それ以上の上積みがなかったスーパークリークは印象が弱かった。
そんな彼の一般的なイメージは
「オグリのライバル」というものだった。
 
 「今年こそ『オグリのライバル』ではなく、オグリキャップが『スーパークリークのライバル』と呼ばれるような年にする」
 
6歳を迎えたスーパークリークにとって、この1年は最強馬の評価を得るという宿願を果たす最後の機会と思われた。
 
 この年のスーパークリークにとって最初の目標となるのは、ステイヤーであるスーパークリークに最もふさわしい勲章である天皇賞・春(Gl)制覇だった。
 
 「春天の勝ち馬にフロックなし」
 
歴代の勝ち馬を見ると、この評価もなるほどとうなずくことができる。
勝ち馬一覧にずらりと並ぶ名馬の顔ぶれは、このレースに勝つ者たちが単なるスタミナだけでなく、スタミナ、勝負根性、そして真の強さを兼ね備えた本当のサラブレッドたちであることを物語っている。
 
 最強馬への道のステップとして、
スーパークリーク陣営は、産経大阪杯(Gll)から始動して天皇賞・春へと向かうというローテーションを選んだ。


 

47 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:21:19.86 ID:P/dT1ApA0.net
 産経大阪杯の出走馬には同期の皐月賞馬ヤエノムテキ、1歳下の朝日杯馬サクラホクトオーや急成長中の上がり馬オサイチジョージといった名前が並んでいた。
しかし、Gl2勝のスーパークリークは、
その中にあって一枚も二枚も上手の存在だった。他の馬たちは、みなスーパークリークの動きを見ながら競馬を進めたのである。
スーパークリークはこの日、他のすべてからマークされていた。
 
 しかし、スーパークリークは第3コーナーあたりで早くも馬なりのまま先頭に立つと、そのまま力で押し切ってしまった。
第4コーナー付近で一度オサイチジョージにつめよられてヒヤリとする瞬間はあったものの、それは武騎手いわく
 
 「併せて走る形にしたかったので、ほかの馬が来るまで(追うのを)待っていた」
 
からだそうである。この余裕ともいえる作戦こそ、スーパークリークの競走馬としての完成を物語っていた。
 
 前哨戦を快勝し、目指すは天皇賞秋春連覇。
スーパークリークは、新しい目標に向けて最高のスタートを切った。

 天皇賞・春は、オグリキャップ対スーパークリークという構図が明らかだった前年秋の中長距離Gl戦線とは様相を異にしていた。
「平成三強」を形成する他の2頭のうち、最大の宿敵であるオグリキャップは距離適性の問題から安田記念(Gl)に向かい、天皇賞・春連覇がかかるイナリワンも、わずか6頭だてとなった前哨戦・阪神大賞典で5着に惨敗していた。
そうした中で、産経大阪杯を快勝して順調に天皇賞・春へと向かったスーパークリークに対しては、単勝150円という圧倒的な支持が寄せられた。
 
 あまりの人気に緊張したわけではあるまいが、スーパークリークは、この日珍しくスタートで出遅れてしまった。そのため最初はやむなく中団にとりつかざるを得なかったスーパークリークだったが、
状況に応じた作戦の変更で馬を助けることは、騎手の腕である。
また、スーパークリーク自身も、騎手の指示に従って軌道を修正していく知性を持っていた。
武騎手は、ショウリテンユウが引っ張る緩やかな流れを利して、徐々に、しかし確実に前方へと進出していった。
道中かかる心配もなく思うように好位へ進出できたのは、この馬のおとなしい気性と賢さゆえだった。
 

48 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:22:04.88 ID:P/dT1ApA0.net
スタートでの失策による不利から人馬一体で立ち直ったスーパークリークは、下り坂あたりでショウリテンユウが脱落し始めたあたりからは早くも先頭を窺う勢いを見せた。
これはいつもと同じように、あとは仕掛けどころを図るばかりという横綱競馬である。
目指すは天皇賞連覇と、無念を残した前年ジャパンC、そして有馬記念の雪辱のみ。
 
 だが、この時不気味な動きを見せる馬が1頭いた。
この馬も最初は中団で競馬を進めていたのだが、スーパークリークの動きに合わせて次第に進出を開始し、
第4コーナー付近ではいつの間にかスーパークリークの背後にぴたりとつけていた。のである。
 
 その不気味な黒い影は、前年の年度代表馬にしてこの日はスーパークリークの最大のライバルとなると思われたイナリワンだった。
この日も柴田政人騎手を背にしたイナリワンは、ゴール寸前で差し切った有馬記念の再現による天皇賞・春連覇を狙っていた。
直線に入ると、スーパークリークは満を持して馬群を抜け出した。
そんな彼を追撃するのは、やはり年度代表馬イナリワンだった。
この日も柴田騎手はスローペースの中でよく折り合いをつけ、直線での瞬発力比べに持ち込もうとしていた。
 
 しかし、この日のスーパークリークは、有馬記念の時とは違っていた。
秋4走目で調子も下降ぎみだった有馬記念と違い、この日は産経大阪杯からの2走目で、はじめから目標をここにおいての満を持したレースだったこと、
スーパークリークの本質であるステイヤーの実力を発揮するために、この日は距離が十分だったこと。
そして何より、有馬記念の時とは違った状態の良さを肌で感じ取り、
勝利を確信した武騎手の自信に満ちた手綱。

そうした違いが、彼の背中を後押しした。

49 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:22:16.63 ID:TlIZ5LPxO.net
菊の二着は京都新聞杯でクリークの邪魔したガクエンツービート

50 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:22:50.66 ID:P/dT1ApA0.net
 スーパークリークは、イナリワンとの間で半馬身のリードを保ったままゴールした。
天皇賞秋春連覇は、88年にタマモクロスが達成した春秋連覇に続く偉業だった。
今度こそイナリワンを抑えたスーパークリークは、ゴール前の一瞬の攻防で一気に逆転された有馬記念の雪辱を果たすとともに、
見事に天皇賞秋春連覇を達成したのである。
 
 本質がステイヤーであるスーパークリークにとって、最大の勲章は天皇賞・春である、という思いが強かった。前年は体調が整わずに出走すらできなかったが、それだけに今回の栄誉は感無量だった。
スーパークリークは、これでGlの勝利を3つとし、
天皇賞秋春連覇の偉業も達成した。
残された目標は、雪辱を期するであろうイナリワンを返り討ちにし、
さらにこれまで2勝2敗のオグリキャップと完全に決着をつけることのほかには、まだ見ぬ海外への遠征くらいしか残っていなかった。
これらを果たせば、年度代表馬の栄誉もおのずからついてくるだろう…。
 
 しかし、この時既に時代は次なる潮流に向かって動き始めていた。
スーパークリークの関係者たちにとって、この日が平成三強との最後の戦いになるということは、

想像することもできなかったに違いない。

51 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:23:38.01 ID:P/dT1ApA0.net
 天皇賞秋春連覇によって古馬中長距離戦線最高の栄誉を手に入れたスーパークリークの今後について、
巷では秋には凱旋門賞(仏Gl)に挑戦する、というプランが噂されるようになった。
この話にはオーナーも乗り気で、ライバルのオグリキャップがアメリカのアーリントンミリオン(米Gl)に挑戦する、という話もあわせ、
この2頭の秋のローテーションには注目が集まった。
 
 しかし、このプランは実現には至らなかった。春競馬のフィナーレを告げる宝塚記念(Gl)は、
スーパークリークにとってはそれと同時に凱旋門賞へのステップレースという性格も併せ持っていたことに間違いない。しかし、その宝塚記念を直前に控えたスーパークリークの脚部に、またもや不安が発生したのである。
 
 結局スーパークリークは、宝塚記念を直前に回避した。
伊藤師は、スーパークリークの今後について
 
 「国内戦に専念させたい」
 
と明言した。これは、海外挑戦を封印して、目標を天皇賞3連覇におくことを明らかにしたことにほかならなかった。遠征のプランがかなり具体化しつつあった矢先の発表だけに、ファンは突然の断念を残念がった。
しかし、この決定の裏側には、海外遠征を断念せざるを得ない事情があったということも事実である。
 
 実は、このころスーパークリークの脚部不安は極めて深刻なものとなりつつあった。
生まれつき脚が曲がっていたスーパークリークにとって脚部不安は慢性的な持病だったが、それに加え空前の高いレベルでライバルたちとの死闘を繰り広げたことで、その症状は年を追うごとに悪化していった。
ある場所が痛むと、それをかばって走るうちに、また別の部分を悪くする。
そうしたことの積み重ねの結果が、宝塚記念の直前回避だった。
伊藤師は後に、スーパークリークの生涯で、完全な状態で出走させることができたのは5歳秋、それも京都大賞典からジャパンCにかけての3戦だけだったと述懐している。
武騎手に至っては、天皇賞・秋一度きりだったとしているほどである。
ただでさえ壊れやすい脚を持ったサラブレッドだが、スーパークリークの場合はさらに脚の湾曲というハンデまで負い、まさにぎりぎりの状態で戦っていた。

52 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:24:12.36 ID:lpTntlb/0.net
【菊花賞】クリークしか乗りません【お手馬5頭】

2chが当時あったら絶対に立ってた

53 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:25:19.98 ID:elfsAV/h0.net
 凱旋門賞遠征を断念して前人未踏の天皇賞3連覇を目指したスーパークリークの秋の始動戦は、
京都大賞典(Gll)とされた。
京都大賞典といえば前年も優勝して天皇賞・秋への弾みをつけた、相性のいいレースである。
 
 スーパークリークが出走するという情報が流れると、それまで京都大賞典への出走を目指していた他の馬たちは、勝負を捨てて続々と回避していった。結局この年の京都大賞典のゲート入りまで残ったのは、
なんとスーパークリークも含めて6頭だけだった。
ここでファンが彼に与えた単勝110円という数字が、スーパークリークへの信頼の厚さを何よりも雄弁に物語っていた。
 
 そして、スーパークリークはここでも当然のように勝利で秋の始動戦を飾った。
スタートしてからすぐに2番手につけ、
勝負どころで先頭に立つとそのまま押し切るレース内容は、
着差こそ大きくはないにしても、余力すら感じさせるものだった。
この日の競馬に、ファンの多くは天皇賞3連覇へ向けて死角なし、と感じたはずである。
 
 ところが、天皇賞・秋直前に、スーパークリークに異変が発生した。
右後脚に軽靱帯炎を発症したのである。
そのため天皇賞・秋への出走は不可能となり、天皇賞3連覇の偉業は幻に終わった。
 
 伊藤師は、最初は天皇賞・秋を回避して有馬記念に直行するつもりだったが、長年の激しい戦いにきしむスーパークリークの肉体はそれを許さなかった。
もともと脚部不安を抱えていたこともあって、故障の回復状況は思わしくなく、結局スーパークリークはそのまま引退することになった。

6歳時の戦績は3戦3勝、力の衰えなきままの突然の引退だった。

54 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:26:06.09 ID:elfsAV/h0.net
 スーパークリークの引退が決まった後、無事ならばスーパークリークも出走するはずだった有馬記念を前にして、伊藤厩舎のスーパークリークの担当厩務員のところに、
武騎手から突然連絡が入ったという。
 
 「有馬記念でオグリキャップの騎乗を依頼されたんですが、乗っていいでしょうか」
 
 スーパークリークはこの時既に引退を決めており、有馬記念への出走はあり得なかった。
ならば、オグリキャップに騎乗するからといって、
わざわざスーパークリーク陣営に連絡する必要はないはずである。
しかし、この時武騎手は迷っていた。
 
 武騎手は、この年の安田記念でオグリキャップに騎乗し、
そのことをオグリキャップ、スーパークリーク両方のファンから批判されたという苦い経験もあった。
しかし、彼がこの時考えていたのは、
スーパークリークの宿敵として戦い続けたオグリキャップに騎乗することへの単なるわだかまりではなかった。
 
 この年のGl戦線は勝ち馬がレースごとに異なる激戦で、この時点ではGl1勝のスーパークリークにも年度代表馬の可能性がある、といわれていた。
しかし、もしオグリキャップが有馬記念を勝ったとすると、
既に安田記念(Gl)を勝っていることもあわせると、年度代表馬の栄冠がオグリキャップに輝くことは確定的になってしまう。
武騎手としては、スーパークリークに宿願の年度代表馬を取らせるためにも、オグリキャップの騎乗は断ろうかと迷っていたのである。
 
 しかし、返ってきた答えは
 
 「ぜひオグリに乗って、そして勝たせてほしい」
 
というものだった。
 

55 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:26:50.26 ID:elfsAV/h0.net
「みんなが今年の4歳馬は凄いといってるけど、一番強いのは間違いなく、
オグリ、イナリ、それにうちの馬です。でも、クリークもイナリも(引退が決まって)もう出られない。
だから、オグリに乗って勝たせることで、本当に強いのはクリークやイナリであることも一緒に証明してほしい…」
 
 ひとあし早く引退を決めたスーパークリークを最も身近で見守り続けた男が、宿敵といわれながらこの年はついに直接対決することがなかったオグリキャップに自分たちの誇り、
そして最後の願いを託したのである。
これは、約2年間の長きにわたって競馬界の頂点で戦い、時にはその背中を追い、時にはその追撃に震え、
その果てに互いを認め合ったものたちだけがたどり着ける境地だった。
 
 その言葉を聞いた武騎手は、迷っていたオグリキャップへの騎乗依頼を受けることにした。
その年の有馬記念は、クラシック戦線を戦い抜いてきたばかりの4歳世代が強いと評判であり、
それを迎え撃つ古馬の大将格であるべきオグリキャップが天皇賞・秋6着、
ジャパンC11着と低迷していたことから、「4歳馬が有利」というのがもっぱらの噂だった。
 
 しかし、その結果は武騎手が手綱を取ったオグリキャップの見事な復活劇だった。
オグリキャップは、最後の直線で強いといわれた4歳世代のメジロライアン、
ホワイトストーンに並ばれながら、
そこから凄まじい粘りを発揮し、
決して抜かせることなく先頭でゴールを駆け抜けたのである。
 
 この奇跡のラスト・ランは、
「平成三強」が覇を競った時代の劇的な幕切れとなった。
その後の年度代表馬の選考では、武騎手が予測したとおり、オグリキャップが年度代表馬に選出された。
しかし、そのことはスーパークリークの価値を高めこそすれ、落としたという者は誰もいないだろう。
 
 その後、スーパークリークは総額15億円という巨額のシンジケートが組まれて種牡馬入りし、北海道へと帰っていった。

オグリキャップ、イナリワンもそれぞれ種牡馬として第二の馬生を歩むことになった。

56 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:27:36.15 ID:elfsAV/h0.net
 あれから長い時が過ぎ、その間に日本の競馬界も大きく変わった。
日本の競馬界全体がどのように変わったかは、ここで改めて説明することを要しないだろう。
ここでは、スーパークリークを取り巻く人や馬の変化についてのみ取りあげておきたい。
 
 スーパークリークとともに19歳で菊花賞を勝ち、さらに天皇賞秋春連覇を達成した武騎手は、
その後押しも押されぬ騎手界の第一人者としての評価を不動のものとしていった。彼は20世紀の終わりを告げる2000年にアメリカ、そして21世紀の始まりである2001年にはフランスへの長期遠征に旅立ち、
「日本の武」から「世界のTake」へとさらなる飛躍を遂げようとしている。
また、今年もフランスでの騎乗の合間に帰国、騎乗したNHKマイルC(Gl)をクロフネで制したことにより、
スーパークリークでの菊花賞制覇以来続く14年連続Gl制覇も達成している。
 
 また、スーパークリークを管理していた伊藤修司師は、JRA史上5位(当時)の通算1223勝、27年連続重賞勝利などの輝かしい実績を残しつつ、
2000年2月に調教師としての定年を迎え、競馬界を引退していった。
スーパークリークの菊花賞出走に関連して一度は壊れかけた岡田繁幸氏と中村均師との関係も時間とともに復活し、「マイネルの勝負厩舎は中村均厩舎」と言われるまでになった。
1996年にこの組み合わせでマイネルマックスが朝日杯3歳S(Gl、年齢表記は当時のもの)を勝つに至ったのは、その象徴である。
 
 だが、変わったのはいい方向ばかりではない。
スーパークリークの生まれ故郷だった柏台牧場は、跡を継ぐべき後継者に恵まれず、今は人手に渡って名前を変えている。
そして、時の流れが最も強烈に直撃したのは、スーパークリーク自身だった。

57 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:28:21.32 ID:elfsAV/h0.net
 天皇賞秋春連覇、菊花賞制覇。
その輝かしい戦績とともに種牡馬入りし、引退当初は15億円というシンジケートが組まれたスーパークリークだったが、その評価は決してスーパークリークの種牡馬としての客観的な価値を示していたわけではなかった。
馬を作れば売れて当然、シンジケートの株の価格も上がって当たり前。
そんなバブル経済の影に踊った馬産界は、冷静な判断力を失って金色の夢に酔い、あまりに高すぎる15億円という値を付けてしまったというのが本当のところだった。
実際には、スーパークリークの古色蒼然たるステイヤー血統は、スピード競馬の時代へと移ろいつつあった当時の馬産界の状況からしてみれば、
決して価格ほどの評価を得られていたわけではなかった。
 
 しかも、なお悪いことに、スーパークリークの初年度産駒がデビューするタイミングも最悪のものだった。
15億円もの大金が投じられた以上、産駒は走って当たり前。
そんな大きな期待を背負った初年度産駒にかけられた夢は、
たった1頭の怪物種牡馬の前に完膚無きまでに叩き潰された。
よりにもよって、産駒のデビューが日本競馬に破壊的な旋風を巻き起こしたサンデーサイレンスのそれと重なろうとは。
 
 サンデーサイレンス産駒が無人の野を行くように3歳戦線、そしてクラシック戦線を荒らし回る中で、なかなか結果を残せないスーパークリーク産駒は、たちまち淘汰されていった。
わずかに2年目の産駒のうち、オグリキャップの生まれ故郷である稲葉牧場が生産したハダシノメガミがスイートピーSで2着に入ってオークス(Gl)への出走権を確保した。
しかし、そんな彼女もオークスではまったく通用せず、
エアグルーヴの18着に敗れ去った。

 バブル経済の崩壊を経験し、さらにサンデーサイレンスという圧倒的な現実を目の当たりにした馬産界が夢から醒めるのは早かった。
しかも、スーパークリークの場合、シンジケートの代表者を務めていた牧場の経営が事実上破綻したことで、
後見人を失うという悲運にまで見舞われた。産駒が走らない上に後見人まで失った種牡馬に有力牝馬を交配しようという馬産家はいない。
スーパークリークのシンジケートはたちまち解散してしまい、
その後は繁殖牝馬もほとんど集まらなくなった。
 

58 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:29:07.40 ID:elfsAV/h0.net
 当時のスーパークリークは、牝馬の発情度合いを試す「アテ馬」との兼業でかろうじて種牡馬生活を続行していた状態である。
Gl3勝馬が「アテ馬」なんて、と嘆くことはたやすいが、「アテ馬」をしていなかったならば、種付け料収入をほとんど生まないスーパークリークは、
今まで種牡馬生活を続行できていなかったかもしれない。
あるいは、いろいろな牧場を流れているうちに、「穀潰し」としてどこかで闇に消えてしまっていたかもしれない。
もっとも、こんな状態だから交配数はこのところずっと一桁で、質についてもまったく期待できない。

 種牡馬としてのスーパークリークは、残念ながら失敗に終わってしまったようである。
中央競馬での長距離戦の減少、ステイヤー血統が強調されすぎたこと、高すぎたシンジケート価格…。
その原因をいくつかあげることはたやすいが、だからといって彼の種牡馬としての現状が今さら好転するとも思えない。
 
 しかし、だからといってスーパークリークが歴史の中に残した足跡は、決して消えることがない。
それまで一部のギャンブルにすぎなかった競馬が今大衆の娯楽としてここまで認知されたことの背景に
「平成三強」が果たした役割は、極めて大きい。
彼が「平成三強」として現在の競馬に残した財産は、
間違いなく現在の競馬の基盤として息づいているのである。

59 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:29:53.83 ID:elfsAV/h0.net
 スーパークリークのもとには、
今でも遠方から彼を訪ねてくるファンがまだまだたくさんいるという。
彼の走りに魅せられてついには日高まで訪ねてきたというファンの数は、
引退後間もない時期に比べるとかなり減ってしまったとはいえ、
その一人一人の思いは相変わらず熱い。
いや、10年もの時を超えてなお彼のことを思い続ける人々だから、
その熱さはむしろ上がっているという。
 
 「例え最初は小川でも、やがて大河となるように」
 
 そんな由来で命名されたのがスーパークリークである。
スーパークリークは、残念ながら種牡馬として大河になることはできなかった。しかし、悠久の時を超えて生き続ける大河は、途中でたくさんの小川を呑み込み、それらをも己の一部としながら下流へと流れ続ける。
それがない大河は、次第に細っていってついには「大河」どころか小川とさえ呼ばれない流れと化して、やがて消えてゆく。
 
 日本競馬の危機がうたわれる今だからこそ、果たして日本競馬が
「大河」というにふさわしいものなのかどうか、その真価も問われている。
種牡馬として大河になれなかったスーパークリークがなお誇りを失うことなき生涯を送ることができるほどに競馬文化が成熟したものとなっているならば、日本競馬という大河は一時的には細ることがあっても、
長期的には必ず我々の前に悠然として堂々としたその姿を見せてくれるはずである。そして、スーパークリークによって魅せられた人々が、
日本競馬という大河の中を流れ続けている限り、

スーパークリークもまた大河の中で生き続けるのである。

[完] 

60 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 12:31:44.00 ID:TlIZ5LPxO.net
塩崎の本に菊勝った夜、未成年の豊も含めて関係者一同祗園でドンチャン騒ぎしたとあった

61 :人馬一体:2014/12/03(水) 12:43:28.44 ID:QVN9Ffdd0.net
クリークの話しは、この記者の書いたエピソードが好き。

「人は初めての恋を生涯忘れない。
その結末によって人生が変わる。
騎手と馬との関係もそれに似ている。
一頭の馬との出会いが一人の人間の運命を左右する。
スーパークリークとのコンビなくして今の武豊はなく、武豊が騎乗してスーパークリークは名馬となった。
それは不変の事実である。


目の前に、あどけない表情をした恐るべき19歳がいた。
88年の菊花賞ウイーク。仕事の合間にJRA栗東トレセン事務所の公正室をぶらりと訪れた筆者は、
初めて武豊と一対一で話す短い時間を得た。たまたま彼も公正室に用事があった。騎手時代に「ターフの魔術師」といわれた武邦彦の三男は、すでにマスコミの寵児としてもてはやされ、なかなかそういう機会は巡ってこない。
武豊はまだ菊花賞の騎乗馬が確定していなかった。
確実に出走可能なのはケイコバン。
賞金不足だが出走できれば伏兵になると目されていたのがスーパークリーク。他にも候補はいたが、そのどちらかだろうと見られていた。
オフィシャルの会見では言わないはずの本音を聞き出す絶好のチャンスだ。
横には厩舎関係者のお目付役である公正室長がいる。
正直に話してくれるだろう。
「率直に聞くけどケイコバンとスーパークリークのどっちに乗りたい?」

武豊は一瞬考えて答えた。「ケイコバンです。距離がもたないと見られているようですが、乗り方ひとつだと思います。確かにスーパークリークは魅力ある馬です。
でも、出走できるかはっきりしない馬の方に乗りたいとは言えません」。
妙な言い回しだった。
その言葉からスーパークリークの方により気があることは、分かったが、2頭の評価に大差はないようだ、と受け止めた。
とんでもない間違いだったと気づいた時、競馬は終わっていた。
武豊は滑り込みで出走にこぎつけたスーパークリークに騎乗して圧勝。一方のケイコバンはしんがり負けを喫し、くっきりと明暗が分かれた。

62 :人馬一体:2014/12/03(水) 12:45:35.82 ID:QVN9Ffdd0.net
からくりを知れば、武豊が本音をシャットアウトした理由は簡単に釈明できた。
ケイコバンの調教師は浅見国一。
武豊と直接の師弟関係はないが、武邦彦から後見人を頼まれていた。
スーパークリークの調教師、伊藤修司は騎手時代、浅見としのぎを削り、同じ年に厩舎を開業した親しい間柄だった。3000mでどちらが強いか、浅見は戦うまでもなく分かっていた。
誰の管理馬であろうが、武豊にGIを取らせたいという後見人としての姿勢を優先させた。
つまり、スーパークリークが出走できた場合に騎乗するというのは、最初から暗黙の了解事項だったのだ。

しかし、狭い厩舎社会の中では誰の話がどう伝わって誤解を生むか分かったものではない。
武豊はそこまで計算して、ストレートな表現を避けたのだろう。
スーパークリークに乗ったという事実が、本音のすべてだった。
騎乗はもちろん、言動にもスキをみせない。今振り返れば、すでにその頃から武豊はあらゆる面で、同世代や年が近い騎手のはるか前方を走っていた。

「あの馬がいたから今の僕がある」。

デビューから1年7ヵ月という史上最短のクラシックVで、武豊の未来は360度開けた。彼の天才を完全開花させた名馬を語るには、
生まれる以前までフィードバックしなければならない。
配合の段階からすでに菊花賞馬となるべきストーリーを背負っていたのである。

63 :人馬一体:2014/12/03(水) 12:47:28.35 ID:QVN9Ffdd0.net
明け4歳。スーパークリークは福寿草特別、きさらぎ賞で武豊が騎乗したマイネルフリッセの後塵を拝した。
その頃はソエが悪化していた。他ならぬマイネルフリッセが菊花賞制覇をアシストすると、その時は誰一人として想像したはずがない。
すみれ賞で初めて武豊がコンビを組んだ。一度でいいから乗ってみたかった馬。武豊は内心小躍りしたが、またがって不安になった。
明らかに右前肢を気にしている。

「こんな状態で走れるんだろうか」

スーパークリークはどのレースでも飄々と走る馬だった。
内面の苦しさを決して表に出さない。
この時も痛みを我慢して走って勝った。その無理がたたった。痛がった右とは反対の左前肢を骨折。
かばった反対側を故障するのはよくあるケースだ。
「この馬でダービーに行こう」と決めた武豊の、「よし、これでダービーに間に合う」と確信した伊藤の夢は一瞬に打ち砕かれる。
春絶望――。
ショックを受けた武豊に追い打ちをかける事件が起きた。
その頃、関西のスーパースターを迎える関東のファンの目は、どことなくよそよそしかった。
敏感な男が感じないはずはない。やはり、関東の騎手もそっけなかった。
ジョッキールームが居づらく感じた。
そんな雰囲気が手綱の感覚を微妙に狂わせたのか。
関東初のクラシック騎乗となった皐月賞のマイネルフリッセで失格。
武豊は痛恨の騎乗停止を食らった。

デビュー以来初めて味わう苦い体験だった。

64 :人馬一体:2014/12/03(水) 12:49:43.11 ID:QVN9Ffdd0.net
それが解けて間もない中京競馬場で、またしても騎乗停止。
2度のつまずきで狙っていたリーディングを諦めた。
その後の自発的行動が武豊を大きく変える。
「リーディングを完全に諦めたから、小倉に星稼ぎに行っても仕方がないな、気分転換に函館に行ってみようと思ったんです」。
自厩舎(当時は武田作十郎厩舎の所属)の馬が1頭もいない場所に、ステッキ一本を頼りに乗り込んだ。
かつての天才ジョッキー、福永洋一が同じく2年目で騎乗停止になり、夏の北海道に行ってから大躍進したことを武豊は調べていた。
関東の知らない騎手、知らない馬がたくさんいる。最初は騎乗依頼もないゼロからの出発。
難しい競馬で2ケタの勝ち星をあげた武豊は、すっかり自信を取り戻す。
そして函館には、傷が癒えて秋へ向けて本格的な調教を開始したスーパークリークがいた。
「行ってよかった。スーパークリークの調教もできたし、行く前と帰ってきてからとでは成績が全然違うんですよ」。自分に課したテーマをまた一つ克服した武豊は声を弾ませた。
「ジョッキーは馬と違って検疫もないからステッキ一本で世界のどこにでも行ける。その特権を使わないのはもったいない」。
2000年にアメリカに本格進出を果たした武豊の原点がそこにあった。

65 :人馬一体:2014/12/03(水) 12:52:14.58 ID:QVN9Ffdd0.net
外の17番枠をどう克服するか。
武豊は父が昭和53年、16番枠のインターグシケンで勝った時の騎乗をメモリーから引っぱり出した。
好スタートを切ったスーパークリークは、いつの間にか1周目のスタンド前では馬群の中に入っていた。
仮柵が取れた絶好のコースを通って1番人気のヤエノムテキを射程圏に入れて行く。3コーナー手前でレースが動いた。目の前にいたヤエノムテキが外に持ち出したと同時、スーパークリークはインに潜り込んだ。
「どうやってインに入ったのか分からんかった」。
自分の馬を追い続けていた伊藤の目さえ欺く瞬間芸だった。




武豊はすでにその先のシミュレーションを完了していた。
逃げるカツトクシンには何度も乗ったことがある。
「あの馬は直線で外に行きたがる癖がある。4コーナーを回ったら間違いなく内が開く」。
まさにそのとおりだ。直線、前方の視界がパッと開けた。
残り約400m。抑圧されていたステイヤーの血が、奔流となって全身を猛スピードで駆けめぐる。
もう、スーパークリークのラストスパートを止められる馬はいなかった。
西日を受ける後続馬の長い影が武豊の視界から消えた。
記録的な5馬身の差をつけ、人馬とも初GIのゴールに飛び込んだ。


伊藤はウイニングランから戻った武豊を真っ先に出迎えてガッチリ握手。
その途端に笑顔が崩れ、人目もはばからず大粒の涙を流した。
表彰式のあと厩舎へ戻る道すがら、伊藤は苦笑した。
「ワシも年とったもんだ。柄にもなく泣いたりして。ユタカはケロッとしとったのになあ。
出られれば間違いなく勝ち負けになると思っとったが、想像以上の勝ち方をしてくれた。
ユタカがすべてや。やっぱり、名人・武邦の息子や。ワシが見てきた騎手の中では一番。
あれだけセンスのいい乗り役はおらん。
すぐに天下を取る」。

66 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 13:20:42.22 ID:MdvtaRPs0.net
オグリの死去から1か月後に死んだんだよなクリーク
オグリが死んでから、急激に体調悪化して、オグリが連れてっちゃうのかな…と話していた矢先だったと牧場主がコメントしてたな

67 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 13:25:59.74 ID:jhSv46my0.net
全兄の俺が泣いた(´;ω;`)

これは良スレ

68 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 13:32:44.13 ID:MLk/0cQW0.net
次はサンデー腐の攻撃が始まりまーす!

69 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 13:33:25.78 ID:md7+fRpE0.net
スーパークリークをシバいたのは坂井千明

70 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 13:39:59.99 ID:wRc4YjPI0.net
伊藤修司は自宅で自殺、発見されたのは4ヶ月後だった

死因不明だから自殺で間違いないだろうな

71 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 13:43:14.61 ID:Gvn3tuLJ0.net
オグリのエピソードまだぁ??

72 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 13:46:39.05 ID:KKLUvvdt0.net
長いから産業で頼むわ

73 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 13:53:16.26 ID:bFri/dKg0.net
サンデーは日本競馬を変えた
サンデーがいなければ世界で戦えなかった
全てはサンデーのおかげ

平成の3強?今の日本馬より弱いだろ?
今の条件馬より弱いだろうな
馬場までサンデー仕様に造り上げた
サンデーは日本競馬の革命であり








終わりを齎した

74 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 13:56:53.42 ID:AmbCxCC10.net
キチガイしかいないのかこのスレは

75 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 14:21:04.91 ID:gCF1DxES0.net
>>54
その話しは知らなかった
今のリーディング騎手達に聞かせてやりたいね
武豊が何故あれだけの騎乗馬が集まり結果を出して来たか、良く分かる

76 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 14:33:08.98 ID:OSOAY4ti0.net
夢中で読んでしまったw

サイレンススズカとステイゴールドのエピソードとかも聞きたい

77 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 14:40:35.23 ID:bOKH22080.net
>>2
そんな馬なかなか乗らないだろ

78 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 15:01:02.32 ID:305Rs2CA0.net
ながい

79 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 15:12:59.34 ID:UTSq78U/0.net
>>77
2ではないけど、俺が競馬場で見た中でも数回あった
特にファンってわけじゃなかっただけに逆に印象に残ってるわ

80 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 15:15:33.29 ID:335y2fO00.net
岡田繁幸すげえな
そしてそんな人間だから未だにダービー勝てないんだろうな

81 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 15:16:57.88 ID:e2X9riFr0.net
233 名無しさん@実況で競馬板アウト sage 2014/12/03(水) 03:14:41.67 ID:b2excV7J0
ふなっしーが騎手に 中山競馬場「グランプリロード」内覧会1
ttp://www.youtube.com/watch?v=rTiKSzjkIIo

ふなっしー「有馬記念の馬券は買う!」 中山競馬場「グランプリロード」内覧会2
ttp://www.youtube.com/watch?v=UaG9SFGvfRA

ふなっしー、乗馬に初挑戦 中山競馬場「グランプリロード(はなみち)」内覧会
ttp://www.youtube.com/watch?v=7wLKn3Z7eUI

82 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 16:02:30.81 ID:e2X9riFr0.net
武豊は、デビュー時から休日でも全国を周り競馬の為にPRをして来た
それは、28年目の現在も変わらない

ファンに対しても、年下の厩務員に対しても紳士的である
地方騎手からも尊敬の眼差しで見られている

83 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 16:08:26.61 ID:p3fD8RO30.net
>>82
言い方は悪いけど「競馬村の人間にしては」随一の人格者だよね。

84 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 16:15:53.07 ID:215ljfY+0.net
テンザンユタカ、サクラユタカオー兄弟の主戦

85 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 16:31:25.23 ID:e2X9riFr0.net
>>83
後は、河内位だね
河内の存在が、武豊の人間性に大きな影響を与えた
様々な危険な誘惑に負けずに済んだ

86 :武豊の軌跡:2014/12/03(水) 16:40:08.17 ID:0cmFYbxA0.net
 武は、スーパークリーク、オグリキャップ、イナリワンの
「平成三強」すべてに騎乗した、ただひとりの騎手である。
クリークは高いレベルで安定したステイヤーで、相手を見下ろし、横綱相撲でねじ伏せた。
オグリはマイルでもチャンピオンディスタンス(2400m)でもひたむきに走り、鋭い末脚を武器とした。
イナリは掛かり癖さえ封印すれば、
中・長距離でとてつもない爆発力を発揮した。
  タイプのまったく異なる3頭の名馬の背で得たものが、
「騎手・武豊」のスキルをさらに高めていく――。 

 騎手デビュー2年目の1988年に菊花賞を勝ち、次走の有馬記念で3位入線するも失格となるなど、嬉しさも悔しさも分かち合った相棒のスーパークリークが、89年の春シーズン、筋肉痛のため休養することになった。
  その穴を埋めるように古馬中・長距離戦線でのパートナーとなったのが、
クリークより1歳上のイナリワンだった。
  中央入りしてから日が浅く、環境に適応し切れていなかったためか、イナリワンはカッカしやすい状態で、もともとの掛かり癖がさらにひどくなっていた。ほかの騎手が乗って2戦するも4、5着と連敗していた。
  馬をなだめるテクニックのある騎手として武が指名されたのだが、
初めてこの馬に乗ったとき、彼は行きたがるイナリを抑え切れず、コースを2周、持って行かれてしまった。
  陣営が大目標に据えているのは天皇賞・春だった。

  ――この馬で3200mの長距離を、乗り切れるかな……。

87 :武豊の軌跡:2014/12/03(水) 16:43:07.21 ID:0cmFYbxA0.net
とにかく前への推進力が凄まじかった。走る馬を「エンジンが違う」と表現することがよくあるが、まさにそれだった。コンパクトカーのボディに大排気量のスポーツカーのエンジンを搭載しているようなもので、アクセルを踏んだら止まらなくなる。
  さらに困ったことに、この天皇賞・春で、イナリワンは1番枠を引いてしまった。
掛かる馬で馬ごみのなかを進むと、前の馬にのっかかっりそうになってしまうため、危険でもあるのだ。
  ゲートがあいた。武は、イナリワンの闘争心に火がついてしまわないよう、長い手足をロングストロークのサスペンションのように使って馬の行く気を抜きながら、道中を進んだ。
  どうにか暴走させることなく2周目の3コーナーに差しかかったとき、
「あれ?」と思った。イナリの手応えが抜群なのだ。
  折り合いに専念していた武は、このときまで勝負を意識していなかった。
  彼は、イナリが溜めていたエネルギーを思いっきり解き放ってやった。
  武豊・イナリワンは淀の直線を独走し、3分18秒8のレコードで、2着を5馬身突き放してフィニッシュした。
  武とイナリは次走の宝塚記念も勝った。それに対するご褒美として、オーナーの保手浜忠弘が、
アメリカのアーリントン国際競馬場(当時の名称)で所有する馬に、
その年の夏、騎乗するチャンスを与えてくれた。
「イナリワンは、ぼくに幸運をくれた馬だった」
  武はそう振り返る。
春の国内GTふたつと海外初騎乗をプレゼントしてくれたこの馬は、
スーパークリークとはまた違った意味で、彼にとって特別な存在なのである。

 その年の秋、武は戦列に戻ったスーパークリークとコンビを組み、
柴田政人が乗るイナリワン、南井克巳が手綱をとるオグリキャップと対決することになった。
  天皇賞・秋でオグリを負かして優勝するも、ジャパンカップではニュージーランドの牝馬ホーリックスの4着に終わり、有馬記念ではイナリワンにかわされ、鼻差の2着に敗れた。

88 :武豊の軌跡:2014/12/03(水) 16:45:31.90 ID:0cmFYbxA0.net
 翌90年、武はスーパークリークでイナリワンを2着に退け、前年の有馬記念の雪辱を果たす。
これで武は前年の春、秋、このレースと天皇賞を3連覇。
「平成の盾男」と呼ばれるようになっていた。
  そんな彼に、オグリキャップの陣営から、安田記念と、その後のアメリカ遠征(アーリントンミリオン参戦が予定されていたが、故障のため中止)の騎乗依頼が来た。
「アイドルコンビ」の初戦となった安田記念で、オグリは楽に先行し、
1分32秒4のコースレコードで圧勝した。
  その後オグリは不振に陥り、岡潤一郎が騎乗した宝塚記念で2着に破れ、増沢末夫が乗った天皇賞・秋は6着、ジャパンカップは11着に沈み、
「燃え尽きた怪物」などと言われるようになっていた。
  そんななか、12月23日の有馬記念で、武はふたたびオグリに乗ることになった。
  本番に向かう過程で、武はオグリにいくつかの「課題」を与えた。
まず、追い切りを、実戦に近い芝コースでするよう進言し、オグリの覇気を呼び起こそうとした。
  さらに彼は、オグリが調子のいいころに見せていた「癖」を引き出そうとした。オグリは、右前脚を前に出して走る右手前で走るのが好きで、
右回りのコースで直線に入っても、
左鞭を入れないと左手前に替えようとしない。
そのとき内(右)に差さるので、騎手はつい右鞭を入れて左に進路を修正したくなるのだが、
左側を叩かれないと、オグリは手前を替えないのだ。
  1週前追い切りでそれを試しても手前を替えなかったが、
直前の追い切りでは、左鞭を合図にパッと替えてくれた。

89 :武豊の軌跡:2014/12/03(水) 16:49:11.60 ID:0cmFYbxA0.net
まず先に、調子がよかったころの癖を引き出し、それによって心身の状態をそのころに近づけようとする――いわば「逆転の発想」である。
  オグリは、有馬記念の直線で武の左鞭に応えて手前を替え、見事な勝利をおさめた。
「奇跡のラストラン伝説」の舞台裏には、武のそうした工夫があったのだ。

 90年限りで現役を退いた「平成三強」の次の時代の主役となったのは、芦毛の王者・メジロマックイーンだった。
  90年の菊花賞を内田浩一の手綱で制したマックイーンは、ある大きな使命を背負っていた。
  84年に世を去った「メジロ軍団」の総帥・北野豊吉の悲願だった「メジロアサマ、メジロティターン、メジロマックイーンによる、史上初の天皇賞父仔3代制覇」である。
  北野の遺志を現実のものとすべく、
陣営は武を鞍上に指名した。
  武にしてみると、この騎乗依頼はすなわち「何があっても天皇賞を勝ってくれよ」というものだった。
以来、つねに重圧を背負いながら、この馬と大舞台に臨むことになる。
  コンビ初戦の阪神大賞典をレコード勝ちし、その勢いで、
武・マックイーンは91年4月28日の天皇賞・春を圧勝。
天皇賞父仔3代制覇を見事にやってのけた。

  その年の天皇賞・秋で1位入線も最下位に降着となる屈辱を味わい、
ジャパンカップも有馬記念も勝てなかった。が、翌92年、前年の二冠馬トウカイテイオーとの「天下分け目の決戦」と言われた天皇賞・春を勝ち、「復権」した。
  実績面ではターフの独裁者となっていたそのときでもなお、武は、マックイーンの強さに首をかしげることがあった。
それは、この馬の走りには平成三強が持っていたような「凄味」がなく、言ってみれば「つかみどころのない強さ」だったからだ。
  皮肉なことに、マックイーンが、武に初めて三強に匹敵する「凄味」を感じさせたのは、
引退レースとなった93年、旧7歳時の京都大賞典だった。
  最後に一番強いレースをしてターフを去った「名優」メジロマックイーンに、武はサラブレッドという生き物の奥深さを教えられた。

90 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 16:50:24.88 ID:kY1/vFao0.net
田原のブログより


三浦皇成って、そんなにうまいの。
現時点の勝ち星で豊を抜いたって大騒ぎしてるけど。
馬に乗る技術は比べものにならないよ。
もちろん豊の方が今の三浦より数段うまかった。

豊の場合は新人の夏の段階でもう相当うまかった。
そして秋になって、グ〜ンと伸びて、ベテラン並みにうまくなった。
今の三浦じゃ、いくら伸びたって知れてる。
河野調教師のバックアップがなけりゃ普通の新人で終わっていた可能性だってある。

ちがった意味で、俺は河野調教師を褒めたいね。
いまどきあれほど自分の弟子を一生懸命育てる人はいないよ。
師匠の鑑だね。

91 :武豊の軌跡:2014/12/03(水) 16:51:27.66 ID:0cmFYbxA0.net
 騎手デビュー3年目の1989年、
武はイナリワンで天皇賞・春と宝塚記念を制した。
  それに対するご褒美として、馬主の保手浜忠弘が、アメリカのシカゴ郊外のアーリントン国際競馬場(当時の名称)の厩舎に預けている所有馬に騎乗するチャンスを与えてくれた。
  武は、競馬学校にいたときからアメリカ競馬に憧れていた。
「ブラッドホース」などの雑誌やビデオでクリス・マッキャロンやゲイリー・スティーヴンスといった名手の騎乗を見て、いつか自分が「スピード競馬の本場」で騎乗する日が来ることを夢見ていた。
  そのときが来た。
  アメリカの競馬場はすべて左回りで、芝コースとダートコースの位置関係が日本と逆になっている。
メイントラック、つまり、スタンドに近く、一周の距離が長い外側がダートコースなのである。
  厩舎は日本の地方競馬のように競馬場内にあり、調教も競馬場で行われる。
  現地入りした武が、初めて調教に騎乗したときのことだった。
砂というより土に近いダートは、クッションがよく利き、蹄音を吸収する。
コースに出た彼は、音もなく近づいてきた馬に追い越され、驚いたと同時に不思議な感覚に襲われた。
周りはみなアメリカ人で、女性の乗り手も多く、ランディ・ロメロやパット・デイなど、雑誌やビデオでしか見たことのなかった騎手もいる。
  まるで自分が
「絵本のなかの世界」に迷い込んだかのような気分だった。

92 :武豊の軌跡:2014/12/03(水) 16:53:58.05 ID:0cmFYbxA0.net
アメリカ初騎乗は8月31日。
初勝利は渡米2戦目で、9月2日だった。
芝のレースがダート変更になり、
  ――これじゃあゴーグルが足りないかも。
  と、砂をかぶらないよう前に行ったら、そのまま勝ってしまった。
  ここアーリントンでマッキャロンやデイが勝つシーンは何度も見ていたが、よもや自分が一番でゴールを駆け抜けることになるとは……すぐには現実感を持つことができなかった。
 この遠征で、武は、海外初勝利と同じくらい大きな「土産」を持ち帰ってきた。
  エアロフォームである。

  今でこそ、肌に密着した素材で空気抵抗の小さいエアロフォームは珍しくないが、これを日本で初めて着たのは武だった。
  アメリカ遠征に行く前から雑誌で見て気になっており、現地の騎手に頼んで試着させてもらい、その利点を教えてもらった。
帰国後、調教師(当時)の浅見国一に相談し、スポーツ用品メーカーの協力を経て日本第一号を製作し、9月17日のレースで着用した。
  翌90年以降も、武は毎年夏になるとアメリカ遠征に出るようになる。

 ――賞金の高い日本の競馬を休んで、なぜわざわざアメリカに行くのか。
  その問いに、彼はこう答えた。

「ワクワクしたいからです」
 
夢見ていたおとぎの国で、
自身も登場人物となり、世界の名手と腕を競う――。
  それがたまらなく楽しかった。
みながまっすぐ馬を走らせるなかで乗っていると、自分も上手くなるのがわかった。
その意味で、彼にとっては武者修行でもあった。
  そうして渡米を繰り返していた彼に、

大きなチャンスが舞い込んできた。

93 :武豊の軌跡:2014/12/03(水) 16:57:02.83 ID:0cmFYbxA0.net
91年8月22日にニューヨーク州サラトガ競馬場で行われるセネカハンデキャップ(GIII、芝2600b)の有力馬、
エルセニョール(牡7歳、米ウィリアムズ・ライト厩舎)の陣営から騎乗依頼があったのだ。
  当時は、「強い円(=ジャパンマネー)」が世界の富を買い漁っていた。
エルセニョールも、現役引退後、日本で種牡馬とするため日本人オーナーが購入した。その流れで武に声がかかった……という背景があったため、現地での風当たりは強かった。
  武は、エルセニョールの調教には乗せてもらえず、レース本番が初騎乗となった。
コーナーを6回も回るトリッキーなサラトガ競馬場の芝2600mも、事前に馬で走る機会は与えられなかった。

「経験の少ない22歳の日本人騎手に勝てるわけがない」
「もしユタカ・タケが勝ったら、私は裸踊りをする」
 
と新聞で宣言する者まで現れた。
  レース当日の朝、武はコースを歩いてハロン棒の位置を頭に叩き込んだ。
  そして、本番。パドックで初めてエルセニョールに跨った。
  ――なかなか走りそうな馬だな。
  いい感触を得ることはできたが、他馬との比較がわからない。
  そうした状況に置かれた騎手がすべきことは、調教師の指示どおりに乗ることだ。
「中団か後方のインにつけて、3コーナーから仕掛けて徐々にぺースアップする」
  それが、調教師のライトからの指示だった。
  武は、そのとおりにエルセニョールを操作した。
道中は後方2、3番手に控え、3コーナー過ぎから仕掛けた。しかし、エルセニョールの反応は鈍い。
バテてはいないが、少しずつしか伸びないのだ。
  直線。内に2頭、外に1頭を引き連れての壮絶な叩き合いとなり、
エルセニョールが首だけ抜け出したところがゴールだった。
  勝った。エンジェル・コルデロやラフィット・ピンカイJr.といったアメリカの一流どころでもなかなか勝たせることのできなかった馬を勝利に導いたのだ。
「コングラッチュレーションズ!」
  ほかの騎手が馬上から握手を求めてきた。
  現地のメディアから、
  ――こちらに永住する気はないのか。
  という質問まで飛び出した。
  日本人騎手による海外重賞初制覇は、
全米に「ユタカ・タケ」の存在を強く印象づけるものとなった。

94 :武豊の軌跡:2014/12/03(水) 16:59:02.59 ID:0cmFYbxA0.net
 94年、武はホワイトマズルでキングジョージVI&クイーンエリザベスステークスと凱旋門賞に参戦することになり、戦前から広く注目を集めていた。
 7月のキングジョージは2着に惜敗。
そのままフランスに渡り、帰国後また渡仏し、その後定例のアーリントン遠征に出た。
そろそろアーリントン滞在を切り上げようかというとき、彼が滞在していたホテルにファックスが届いた。
4日後の9月4日にフランスのロンシャン競馬場で行われるムーランドロンシャン賞(GI、芝1600m)で牝馬のスキーパラダイス(4歳、仏アンドレ・ファーブル厩舎)に乗ってほしい、という依頼だった。
 オーナーの吉田照哉が武を起用したのは、このレースのスタート地点が凱旋門賞(芝2400m)のコースの途中にあり、同じく吉田所有のホワイトマズルで凱旋門賞に出る武にとって恰好の予行演習になるから、といったところだった。
 スキーパラダイスは出走馬7頭中、単勝10・2倍の4番人気。
世界トップクラスのマイラーだが、まだGI勝ちはない。
武を背に迎えるのは、これが5度目だった。 「抑えて内に入れてくれ。
それと、腹帯をこれ以上締めないように」
 レース前に指示など滅多に出さないファーブルが、珍しくそう言った。
 スタートした。いつも掛かり気味に走るのに、このときは折り合ってくれた。
 そして直線、横並びになった馬群の隙間から、武のパラダイスは鋭く伸び、勝った。
 日本人騎手による史上初の海外GI制覇の瞬間である。

「お前は世界中、どこにでもいるな」
 ランフランコ・デットーリ、ウィリー・カーソンといったヨーロッパのトップジョッキーが武に言った。
日本、アメリカ、イギリス、フランス、そして香港、ドバイと世界を転戦する武は、この勝利によって
「世界のレギュラー騎手」としてのポジションを、さらに固めることになった。

95 :武豊の軌跡:2014/12/03(水) 17:02:55.16 ID:0cmFYbxA0.net
「子供のころからの夢」だった日本ダービーを初めて勝った98年、
武は、もうひとつの金字塔を打ち立てる。
 8月9日、フランスのドーヴィル競馬場で行われたモーリスドゲスト賞(GI、芝1300m)で森秀行厩舎の牝馬シーキングザパール(4歳)に騎乗して優勝、日本馬による史上初の海外GI制覇を達成したのだ。
 武は、ニューマーケットで追い切りに乗ったときから、シーキングザパールの好調ぶりを感じとっていた。
 どんなレースになるかは、これが海外初戦で、初めて対戦する相手ばかりなので読めなかった。
それでも、スピードの違いでハナに立つ可能性があると思っていた。
 思っていたとおり、ゲートをポンと出たシーキングは、そのまま先頭に立って気分よく走り、押し切った。
並ばれるところのない圧勝だった。
 
翌週、同じドーヴィルで行われたジャックルマロワ賞(GI、芝1600m)
を岡部幸雄が乗る藤沢和雄厩舎のタイキシャトルが制し、
日本馬による2週連続の仏GI制覇という快挙が達成された。
 日本の名手が、「世界」との間にあった壁を、またひとつとり払った。

 騎手デビュー10年目の1996年、
武は初めてダービーで1番人気の馬に騎乗した。
  ダンスインザダークである。前年のオークスを自身の手綱で勝ったダンスパートナーの全弟で、育成馬として牧場にいたときに跨って惚れ込んだ逸材だ。
  しかし、第63回日本ダービーで、
ダンスインザダークはフサイチコンコルドにかわされ、首差の2着に惜敗した。
  2年前の94年、スキーパラダイスで日本人騎手初の海外GT制覇をなし遂げ、95年には史上最速で通算1000勝を達成するなど、数々の金字塔を打ち立てていた彼にとっても、
ダービーだけは「遠いタイトル」でありつづけた。
「ターフの魔術師」と呼ばれた父・邦彦の背中を見て育った彼は、
子供のころ、気がついたら「騎手になりたい」と思っていた。
その思いはイコール、

  ――ダービーを勝ちたい。
  という夢でもあった。
  だが、ランニングゲイルで臨んだ翌97年も夢は叶わず、5着に終わった。

「武豊はダービーだけは勝てない」

  いつしかそう言われるようになっていた。

96 :武豊の軌跡:2014/12/03(水) 17:07:26.18 ID:0cmFYbxA0.net
ダービーのスターティングゲートに入れば、自分はダービージョッキーになり得る18人のうちのひとりになれる。
短期免許の外国人騎手を入れても、
200人ほどのうちのひとりだ。
しかし、感覚的には、その年に日本で生まれた約1万頭のうち、
ただ1頭のダービー馬を自らのものとしなければならない――つまり、
自分がダービージョッキーになる確率は1万分の1ぐらいしかないように思うときもあった。
  そんな彼は、97年11月、1頭の駿馬と出会う。
  整った顔をしたその馬、
スペシャルウィークに跨り、新馬戦に向けた追い切りをこなした彼は、
翌年のダービーのゴールが確かな現実感をもって近づいてきたように感じた。
  素晴らしい乗り味だった。
デビュー前の若駒とは思えない強靱な心臓と、些細なことには動じない精神力を持っている。
  その背で、思った。

  ――ダービーを勝つのって、こういう馬なのかな。
  彼は、芝1600メートルの新馬戦と500万特別でも、1800メートルのきさらぎ賞でも、
東京芝2400メートルのダービーで過去の勝ち馬が刻んだものに近いラップでスペシャルウィークを走らせた。
そうして「ダービー仕様」の走りを習得しながら収得賞金を加算する、
という厳しいリクエストに、スペシャルは見事に応えた。
  1番人気に支持された皐月賞では、
荒れた馬場に瞬発力を封じられ3着に敗れた。
  それでも、ダービーの追い切りでスペシャルに騎乗した武は、自信を深めていた。スペシャルは、ずっと磨きをかけてきた瞬発力を、いつでも発揮できる状態にあったのだ。
  98年6月7日、第65回日本ダービーのゲートがあいた。
  遅れ気味にスタートしたスペシャルは、先頭から6、7馬身離れた中団につけて向正面に入った。

  ――大丈夫だ。慌てなくていい。

  スペシャルの絶好の手応えが、
自身にそう言い聞かせる余裕を与えてくれた。
  直線、それまで溜めたエネルギーを爆発させたスペシャルは、
2着を5馬身突き放す圧勝劇で「競馬の祭典」を制した。
武が施してきた「英才教育」の成果を、最高の形で見せてくれた。

97 :武豊の軌跡:2014/12/03(水) 17:09:59.14 ID:0cmFYbxA0.net
これが武にとって通算1468勝目。
騎手としてのキャリアのすべてをぶつけ、ダービーでの過去9度の敗戦を糧に、ついに栄冠を勝ちとった。
「子供のころからの夢」が叶った。
  レース後、検量室前に戻った彼とスペシャルは大きな拍手で迎えられた。
  初めて味わう「ダービーの味」は格別だった。
「こんなにいいものなら、また何度でも味わいたい。
そう思わせてくれるのが、ダービーの味です」

 翌99年、彼は、自身が騎乗して93年の牝馬二冠を獲ったベガの初仔、
アドマイヤベガでダービーに臨んだ。
15番手で1コーナーを回り、
向正面に入ると、先頭との差は20馬身以上、50メートルほどになっていた。
それでも彼は動かず、アドマイヤベガの瞬発力を最大限引き出す戦術をとった。そして直線、大外から凄まじい脚を使い、ゴールまでラスト数完歩のところでライバルたちを差し切った。
  騎手による「日本ダービー連覇」がなされたのは史上初のことだった。
  彼は、3年後の2002年、タニノギムレットでまたもダービーを制し、前人未到のダービー3勝を達成。
  その後、05年にはディープインパクト、13年にはキズナで勝ち、
自身のダービー最多勝記録を「5」に伸ばした。
「武豊はダービーだけは勝てない」などと言われていたのが嘘のような、「ダービー男」への転身ぶりである。
「ダービーには勝ち方がある」
  彼はそう言い切る。
  ――どんな馬がダービーを勝てるのか。
  という問いに対する答えも明快だ。
「強い馬です」
「折り合えば……」とか「良馬場なら……」とか「外枠を引けば……」といった条件がつく馬はダービーを勝てない。デビューしたときから、
いや、その前からダービーを見据え、
東京芝2400メートルで強さを発揮する走りを覚えさせながら、
前述したような「負の条件」をとり除いて、本番を迎える。
  これを実践し、結果を出しつづけているのは彼だけである。

98 :武豊の軌跡:2014/12/03(水) 17:12:57.47 ID:0cmFYbxA0.net
「遠いタイトル」を「お得意様」にしてしまうのは、ダービーだけにとどまらない。なかなか勝てなかったエリザベス女王杯も、
01年にトゥザヴィクトリーで初勝利を挙げると、02年はファインモーション、03、04年はアドマイヤグールヴで勝ち、4連覇してしまった。
「天才」という冠は、「すごいことは確かだが、なぜ飛び抜けた能力を発揮するのかわかりにくい人」にあてられるものだ。
  かつての武もそうだった。
  しかし、ダービーやエリザベス女王杯で彼が見せたパフォーマンスは、
感覚や偶然に頼ったものではなく、
確固たる方法論に裏打ちされたものである。
  手法を自分のものにしているから、
何度でも繰り返すことができる。
  ということは――。

  武は、これからもダービーを勝ちつづけるのだろう。

 武は2000年の初夏から暮れまで、
騎乗ベースをアメリカの「南カリフォルニアサーキット」と呼ばれる、
サンタアニタパーク、ハリウッドパーク、そしてデルマーという3つの競馬場に移した。
  翌01年と02年はフランスに腰を据え、ジョン・ハモンド厩舎の主戦騎手として、ロンシャン、シャンティー、
サンクルーなどの競馬場を拠点として騎乗した。
  そして03年、海外遠征は夏場のイギリスとフランスだけに絞り、
国内に騎乗ベースを戻した彼は、
「夢」とも「不可能」とも言われていた記録を達成する。
  年間200勝、である。
  かつては岡部幸雄がつくった年間138勝が壁になっていたのだが、
1996年に159勝の新記録を樹立すると、
その後も記録を更新しつづけ、99年には178勝を挙げた。
00年から02年は海外に長期間遠征したため国内では130、65、133勝と勝ち鞍を減らしたが(それでもこれだけ勝っていたのだ)、
異国にベースを移して得たものが生きたのか、この03年には204勝をマークした。
翌04年は211勝、05年は212勝と、
3年連続で年間200勝を突破するという離れ業をやってのけた。

99 :武豊の軌跡:2014/12/03(水) 17:14:34.92 ID:0cmFYbxA0.net
 そうして無敵の強さを誇った彼は、
自身のキャリアにとってきわめて大きな意味を持つ名馬に出会う。

  そう、ディープインパクトである。

  04年の12月、新馬戦に向けた追い切りで初めてディープに跨った彼は、
馬名どおりの衝撃を受けた。

  ――来年はとんでもないことになるぞ。
  スペシャルウィークに出会ったときと同じように、
まず意識したのはダービーだった。
  しかし、東京芝2400メートルで栄冠を狙うにはスピードがありすぎるように感じた。
そこで、新馬戦では、序盤からあまりスピードに乗らないよう気をつけた。
馬群のなかで折り合いをつけ、3コーナーあたりから行かせると、
予想以上の脚を使い、2着を4馬身突き放してしまった。
  年明け初戦の若駒Sも、ぐるりと回ってきただけで2着に5馬身差をつける圧勝だった。

  ――三冠獲得は確実。

  早くもそんな声が聞かれた。
  東上初戦の弥生賞も順当に勝って、
三冠の第1弾の皐月賞。スタート直後に大きくつまずく不利をものともせず、
中山の短い直線で、前をまとめて差し切った。
「走っているというより、飛んでいるような感じです」
  レース後、武がそうコメントし、
以来、ディープの走りは

「飛ぶ」と表現されるようになる。

100 :武豊の軌跡:2014/12/03(水) 17:17:01.64 ID:0cmFYbxA0.net
そして二冠目のダービー。
パドックで尻っ跳ねを繰り返し、馬場入りしてからは待機場所の砂の上で寝ようとしたり、幼さとも余裕ともとれる所作をしながら、
いざレースとなると、直線で鮮やかに「飛んで」、5馬身差の勝利をおさめた。
  史上6頭目の「無敗の二冠馬」となったディープについて、
翌週のインタビューで、武はこう語った。

「ぼくはずっと、こういう馬を探していたような気がします」

  のちに、彼の言う「こういう馬」とは具体的にどのような馬のか訊いた。
それに対する答えがふるっていた。

「足の速い馬です。瞬発力があるとか、いい切れ味を持っているとか、
そういったことを超越した、単純に『走るのが速い馬』。
こういう馬がどこかにいるんじゃないかと思っていたら、本当に現れてくれた」
  夏場を休養にあてたディープは、
秋初戦の神戸新聞杯を勝ち、戦績を土つかずの6連勝として、三冠の掉尾を飾る菊花賞へと駒を進めた。
  コースを1周半回る競馬が初めてだったため、1周目の3、4コーナー中間点を勝負どころと勘違いしたらしく、
序盤に引っ掛かって武を焦らせたが、
2周目でようやく落ちつき、最後はまたも「飛び」、優勝。
1984年のシンボリルドルフ以来21年ぶり、史上2頭目の「無敗の三冠馬」となった。
  次走の有馬記念で初めての敗戦を喫するも、翌06年初戦の阪神大賞典を快勝して健在ぶりをアピール。
天皇賞・春と宝塚記念を勝ち、秋、フランスの凱旋門賞に臨むも、3位入線後失格という結果に終わる。
  帰国初戦のジャパンカップ、次走、
引退レースとなった有馬記念を勝ち、
2年ほどの競走生活を締めくくった。

「ぼくは今でもこの馬が世界で一番強いと思っています」

  有馬記念後の会見で、
武は半分誇らしそうに、そして半分悔しそうに言った。

101 :武豊の軌跡:2014/12/03(水) 17:19:23.39 ID:0cmFYbxA0.net
もう1年現役を続行してくれたら、
世界のGIを総なめにできたのに――という思いがあったからだろう。
  食事をしているときもクルマを運転しているときも、ついディープのことを考えてしまった。
「ずっとこういう馬を探していた」とまで言った、大きな存在が、ターフを去った。
  胸に大きな穴があいた。それが埋まるまで年の単位の時間を要した。
  ディープが残してくれたもの。
それは、大きな喪失感の向こう側にある、さらに大きな期待感だった。
  ――こういう馬がどこかにいるはずだ、と、探していた馬が本当にいた。

一頭が現実にいたのだから、もう一頭、いや、何頭にもまた出会えるはずだ。
  そんな思いを胸に、乗りつづけた。
  スズカフェニックス、メイショウサムソン、ヴァーミリアン、ウオッカ、ローズキングダム、サダムパテック……。
  ディープが引退してからも、
武は、さまざまなタイプの馬でGIを制した。
  ――ずっと探していたディープのような馬がまた現れるとしたら、
それはディープ産駒のなかにいる可能性が高いはずだ。
  ディープのような馬。ディープを超えるかもしれない馬。
  そんな夢を見せてくれるディープ産駒に、ついに彼は出会った。

  キズナである。

102 :武豊の軌跡:2014/12/03(水) 17:21:01.84 ID:0cmFYbxA0.net
「天才」の名をほしいままにし、
第一人者として日本の騎手界を牽引してきた武も、2010年3月の落馬負傷を機にリズムが狂ってしまった。
  手術を受け、復帰まで4カ月を要したその年は69勝、翌11年は64勝、12年はデビュー以来最低の56勝に終わった。
  そんな悪い流れを断ち切ってくれたのが、キズナだった。
  伏線はあった。11年秋、彼はノースヒルズ代表の前田幸治が所有するトレイルブレイザーでブリーダーズカップターフに参戦。
4着と健闘したその舞台は、00年に長期参戦した「南カリフォルニアサーキット」のサンタアニタパーク競馬場だった。
  ――帰ってきた。
  という感覚があった。
  サンタアニタに、そして、当たり前のように日米英仏のGIを転戦していた「世界のレギュラー」の座に。
  ――やはり自分は、こういうところにいなければいけない。
  と思った。
  帰国後、サダムパテックでマイルチャンピオンシップを勝って2年ぶりのGI制覇。
  本来のリズムをとり戻しつつあったところに、キズナの騎乗依頼が来た。
ノースヒルズの生産馬で、同場始まって以来の逸材と呼ばれた期待馬である。
  コンビ初戦のラジオNIKKEI杯2歳ステークスは折り合いを欠いて3着。
年明け初戦の弥生賞では直線で前があかず5着に敗れ、皐月賞の出走権を獲得できなかった。
  陣営は即座に次走を毎日杯と決めた。
  弥生賞ではある程度前を射程に入れ、流れを見ながら動く競馬をしたが、結果がともなわなかった。
  その反省をもとに、毎日杯では、
キズナの「武器」を最大限に引き出すレースに徹することにした。

103 :武豊の軌跡:2014/12/03(水) 17:23:27.89 ID:0cmFYbxA0.net
  ――キズナですべて断ち切りたい。
  そんな思いを胸に毎日杯に臨んだ。
2年前に落馬負傷し、不振の引き金となったのも毎日杯だった。
  道中後方に控えたキズナは、
直線で外に出ると鋭く伸び、最後は流すようにして2着を3馬身突き放した。
「正直、毎日杯のイメージはあまりよくなかったのですが、あの勝利で吹っ切れました」
  つづく京都新聞杯も、直線で前をまとめて差し切り、ダービーに駒を進めた。
  追い切りの動きがよく、1枠1番という絶好の枠を引き、当日の好天が予想された。
  何の不安要素もなく第80回日本ダービーを迎え、そして、勝った。
「この一戦ですべてが戻ったというつもりはありませんが、再浮上のきっかけになるといいですね」
  その言葉どおり、トウケイヘイローで鳴尾記念から札幌記念まで3連勝するなど重賞を9勝し、
トータルでも9月17日終了時で73勝と、
すでに昨年の勝ち鞍を上回っている。

  美しい騎乗フォーム、馬の個性を引き出す技術、周囲を幻惑する戦術。
彼は、年間200勝を涼しい顔でやってのけた「武豊」のまま、私たちの前に帰ってきている。

 ダービー後、キズナの凱旋門賞参戦が正式に発表された。
  そして9月15日、武豊・キズナは、
凱旋門賞本番と同じコースで行われる3歳限定の前哨戦、ニエル賞(GII)に臨んだ。
  出走馬は、レース前までブックメーカーで凱旋門賞の1番人気になっていた地元のフリントシャー、
英国ダービー馬ルーラーオブザワールドなど10頭。
  3番枠(馬番は8番)を引いたキズナは、ゆっくりとゲートを出た。
  道中は後方2番手に控え、スローな流れのなかでピタッと折り合った。
  下り坂でも行きたがる素振りを見せず、フォルスストレート(偽りの直線)に入っても脚を溜めつづけた。
  直線、外に出ると、馬なりで前との差を詰めた。
  ゴール前では凄まじい叩き合いとなり、内のフリントシャーを競り落とし、馬群を割って伸びてきたルーラーオブザワールドと鼻面を揃えてフィニッシュ。
写真判定の結果、短頭差でキズナに軍配が上がった。

104 :武豊の軌跡:2014/12/03(水) 17:31:01.16 ID:0cmFYbxA0.net
日本のダービー馬が、競馬発祥の地である英国のダービー馬を下し、ニエル賞初制覇を果たした。
  道中、自分のリズムで折り合い、
直線でグイグイ伸び、加速したままゴールを駆け抜ける――その走りは、
日本ダービーで見せたものと同じだった。



キズナは来年、京都記念で新たに進化した姿を、我々に見せるであろう。

その時まで、

エピファネイアよ、待っていろ

(終わり)

105 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 17:43:37.18 ID:Kou9mBUi0.net
SUGEEEEEEEEEEEEE!!
武豊優先主義もビックリ仰天のスレや!!
濃い〜〜濃すぎる〜〜
生きるレジェンドジョッキーユタカタケやで!!

106 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 17:50:35.67 ID:w51788Op0.net
ステゴの話しを載せろよ
ディープいらないから

107 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 17:56:14.94 ID:F83omNKE0.net
劇場型騎手だよね、エンターテイナーだし
引退したら、映画化されても不思議ないよこの騎手

108 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 17:59:44.13 ID:O1CD+Gj60.net
有馬記念でオグリキャップの復活劇を演じたのは凄い
当時は全く知らないけどw

109 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 18:05:02.17 ID:tfqiY7yD0.net
映画にしたらエピソードてんこ盛りでわけ分からなくなりそうだw

110 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 18:09:02.09 ID:F83omNKE0.net
平成の三強物語だけで1作出来るね
クリークとオグリだけでも個別で出来るかー参ったな
サンデーの到来かはダービー制覇まで1作出来るし、ステゴも個別で1作出来るかな
後はディープでも1作出来るか
で、ドン底から復活まで1作と
シリーズ化しなきゃ駄目だこりゃ…

111 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 18:12:38.22 ID:gzs8Fo6d0.net
凄いねー、改めて見るとさ
出て来たのが奇跡みたいな騎手だよね(笑)

112 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 18:25:05.40 ID:O3Z3dji20.net
G1100勝について

福原 「空前絶後の大記録ですよね!?」

豊「いや、でで来るでしょうまた。」

福原「もう2度と破られない様な気がしますが」

豊「いや〜もっと凄いのが出て来ますよ、これから。天才君が(笑)」

福原「やっぱり豊さんにとっては、出て来て欲しい、現れて欲しいと?」

豊「出て来ると思いますよ。出ないと駄目でしょう。競馬もまた盛り上がりますしね(ニッコリ)必ず出て来ますよ」


武豊は、早く後継者の誕生を願っている
いつまでも自分では駄目だと分かっているからである
早く自分に引導を渡すスター騎手を待っているのだ
かつて自分が、岡部に引導を渡した様に

113 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 18:39:14.11 ID:2ptHD7fa0.net
大体20年サイクルで現れるんだけどね
中々難しいよ…武さんはそれだけ偉大過ぎるんだよ
2年目でクリークのレース出来る子なんていないしね…

114 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 18:55:42.02 ID:THi3ApZY0.net
やっぱり武は凄いよな。
昔は武が勝ち過ぎてムカついてたが、今は武が勝つと馬券ハズレても嬉しい。

115 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 19:10:03.03 ID:oeTOgvXn0.net
今競馬板で一番の良スレだわこれ

116 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 19:16:56.20 ID:6HNB2fN00.net
>>112
小牧がコラムに書いてた
武が休養中だった夏の小倉で恒例の騎手トークショーがあったけど、100人も集まらなくてガラガラだったと
やっぱり武豊がいないと駄目だと書いていた
最近、武豊TVに出た時も、豊君にはまだまだ居てもらわないと困る、後が出て来てないからと話していた

騎手仲間ですら、まだまだ武豊頼みなんだよな
浜中や川田福永じゃ駄目だと言ってる様なもんだからね

117 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 19:29:52.80 ID:mNc6VP1G0.net
トウカイテイオーという
名馬も武豊がいなければ誕生してなかった

118 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 19:32:08.13 ID:Os7q204E0.net
ノリの息子が今年4年目なわけだが武豊は同時期にはすでにリーディング取ってて
春天3連覇してて宝塚記念・有馬記念の両グランプリ勝ってた

そんな騎手だった

119 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 19:34:08.13 ID:rttL3F5k0.net
武豊、イチロー、羽生善治、

昔からこの御三方はどことなく似ているような気がする

120 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 19:35:00.77 ID:duGPqD3D0.net
内田博之騎手「やっぱりね、この人は偉大ですよ。海外で100勝してる日本人騎手なんて他にいますか?いないでしょ?武豊だけなんだよ。早く怪我を治してまたリーディングしましょう」武豊TVにて

121 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 19:38:46.30 ID:3YnYZ9ryO.net
武の時代と比べると騎手志願者ってどれくらい居るの?

122 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 19:44:14.92 ID:QIDaeuAM0.net
>>119 武豊、イチローに子供がいないのは悔やまれるw 莫大な遺産はどうなるのかw

123 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 20:08:01.75 ID:duGPqD3D0.net
岩田がダービー制覇後、武豊TVにて

岩 : 角田さんに、「おめでとうだけど、1番人気で勝つのが本当のダービージョッキーなんだぞ」と言われました。
武:ダービージョッキーはリーディングジョッキーがとるべきだと僕は思ってますけどね。
リーディングジョッキーが1番人気乗って勝つのが本来のあるべき姿だと思うんですよね。
ダービーだけじゃだめだと思うし、
リーディングジョッキーというのは、
一番いい馬が集まるのがリーディングジョッキーだし、その中からパートナーを自分で決めるわけだから、
最高の馬に一番乗れるポジションですよね。それは普段から勝たないとそのポジションになれないし、
そういう人がダービー勝つべきだと思っているんです。
今の僕の状況としては、確かにこういう状況になるんですよ。
新馬も勝ってないですし。。。
リーディングジョッキーだといい新馬と出会うし、それだけ僕今、成績が悪いから、そういった状況でチャンスがどんどん少なくなってるんで、まずは普段からがんばらないと、ダービーは突然勝てるもんじゃないですからね。

岩:もう一回豊さんも、前の成績で一緒にがんばっていきたいですね。

武:リーディング争いしないと駄目だと思っています。

岩:ほんとに凄いと思ったのは、
この日の騎手紹介で感じたのは、福永祐一でもない、僕でもない、内田さんでもない、ノリさんでもない。
18番のあの豊さんの名前がバンとあがった瞬間に、
ファンがブォオオオンってあがったんですよ。
やっぱ凄い、ああ、やっぱ豊さん凄いんや。ファンが見てるスターなんですよ。僕も今でも凄い人だと思ってるんで。

武:やっぱ僕もがんばって、リーディング争いしないとあかんな。

福原アナ:豊さんがこの先どんな凄い事をやってのけるのか。。。

この対談の2年後、キズナでダービーを制して、武豊は帰って来た。
約14万人の競馬ファンが歓喜と涙でスタンドを揺らした。
そしてディープの仔トーセンラーでG1100勝達成。
お帰り武豊。これからも凄いレースを魅せてくれ。

124 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 20:28:57.87 ID:5S7dR2KXd
私は四半世紀競馬をやってるけど武豊という男と競馬を歩めたことが改めて幸せだったと思う!これからの人にはそれがないのが気の毒かな、いやまだまだ新たな物語を豊自身が魅せてくれかもしれないな、いやあの男なら魅せてくれに違いない!

125 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 20:45:45.96 ID:8GgiEcwe0.net
半弟の俺、号泣

126 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 20:58:16.30 ID:RLNdzfO40.net
全弟の俺、号泣

127 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 21:11:29.13 ID:2usAAXPR0.net
武豊産駒の俺、歓喜

128 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 21:34:11.57 ID:9iD7TGzU0.net
野平祐二
「武君は天性の柔らかさを持っている。そして、馬に対しても、馬から降りても紳士である。彼の様な騎手は、
もう出て来ないでしょうね。」

129 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:08:14.43 ID:sPRRXMEN0.net
池江泰郎氏
「ひと言で100勝というけどGTは1つ勝つのも大変なのだから、
凄い数字ですよね。僕も随分とお世話になりました。
メジロマックイーン、ステイゴールド、トゥザヴィクトリー、ゴールドアリュール、
そしてディープインパクト。
どれもそれぞれ思い出がありますが、
やはりディープインパクトのダービー、
そして3冠制覇はユタカ君がディープの持ち味を存分に出してくれたからこその結果だと思います。
奇しくもGT100勝目となったトーセンラーはディープのの子供でした。
ディープの背中を知っているのはユタカ君だけだから、
今後もディープ産駒でGT勝ちを増やしていくんじゃないかな?と思っています。
まぁ普通に考えたら物凄い記録ですが、
ユタカ君からしたらまだ途中経過という気持ちでしょう。
これからも更なる活躍を期待しています。」

130 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:11:21.20 ID:sPRRXMEN0.net
伊藤雄二氏
「おめでとうございます。大怪我の後、
無理をして騎乗していたのかバランスが悪い時期が続いたけど、
キズナでダービーを勝ったあたりから体の苦しい所が抜けたようで、
本来の彼の騎乗ぶりが戻って来た様ですね。
それなた従って成績も上がってきた。
本来、彼が持っているセンスは並外れているのだから、
こうなればまた沢山勝つのは当然の事だと思います。
私が現役の調教師時代は、互いに助け、助けられて、
彼が言うには私の厩舎の馬で最も多く勝っているそうです。
当然、忘れられないレースも沢山ありますが、
その中でも究極だと思えるのはエアグルーヴの天皇賞です。
馬の状態は最高だったけど、それでも騎手がミスをしてしまえば負けておかしくないのが競馬の難しい所。
でもこの時のユタカ君は非の打ち所のない究極の手綱捌きで見事に栄冠を勝ち取ってくれました。
非常に印象深い勝利でした。
キズナでダービーを勝った直後には「復活します!」と言っていましたが、
本当にそうなることでしょう。
変わらぬ素晴らしい手綱捌きで、
GT勝ちももっともっと増やしてくれる事を期待しています。」

131 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:12:30.30 ID:sPRRXMEN0.net
岡部幸雄氏
「本当にもう言葉でいいようがないよね。自分は必死でやってようやく勝てたのに、武君はあっさりと100勝も勝っちゃうんだから凄いよね。中略)
持って生まれた身体能力はもちろん高いのだろうけど、
常に世界にアンテナを張っている意識が優秀な学習能力に繋がっていると思います。
1回2回、海外へ行くジョッキーはいるけど、
毎年世界を飛び回ってるのは武君以外いないよね。
彼ならこれからも同じ意識を持ってどんどん記録を伸ばしていってくれる事でしょう。」


安藤勝己氏
「海外でも勝っているし、本当に考えられない数字ですよね。中略)
ユタカちゃんの素晴らしい所は馬に無理をさせずにスムーズに、
そしてスマートに勝たせる所。
馬に嫌な思いをさせないから傷まないし、
汚いレースをしないからユタカちゃんに負かされても不思議と悔しくは感じませんでした。
まぁ、仕方無いって思えたものです。
実はジョッキーにとってはレベルの高い馬を勝たせる事がとても難しいんだけど、
彼はそれを事もなにげにやっていたよね。
その積み重ねがこの偉大なる記録を作ったのだと思います。以下略)」

132 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:13:36.48 ID:sPRRXMEN0.net
池江泰寿調教師
「ユタカジョッキーおめでとうございます。僕とジョッキーは共に栗東育ちで同い年という事もあり、保育園の頃から同級生でした。中略)
ユタカジョッキーは小学生の頃から「中京の何メートルはこうやって乗るべき」なんて事を話す子で、感心したのを覚えています。
僕が父の厩舎で調教助手をしていた時は、トゥザヴィクトリーやステイゴールド、ゴールドアリュール等数々の馬でお世話になりました。
トゥザヴィクトリーを勝たせた手綱捌きは今でも忘れられない素晴らしい騎乗だったと思います。
また、うちのトレイルブレイザーでは12年にアメリカのブリーダーズC、13年にはドバイのシーマクラッシクへ挑みました。
結果、勝てはしなかったけど、
世界を飛び回っているジョッキーだからこそ、かの地でも全面的に任せる事が出来ました。
そして、13年には僕がオルフェーヴル、ジョッキーがキズナで共に凱旋門賞を目指しました。
現地でも何回か食事をする機会があり、改めて凱旋門賞に対する想いの強さを知ると共に競馬をこよなく愛していると感じました。
凱旋門賞制覇は僕にとっても大きな目標の一つで、
いつかディープインパクトの仔でその舞台を勝ちたいと思っています。
その時、ユタカジョッキーがその馬の背にいてくれる事を願っています。」

133 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:14:34.53 ID:sPRRXMEN0.net
郷原洋行氏
「GT100勝というのはちょっと考えられない位大変な記録なんだけど、
当たり前の様に達成してしまった感じ。
見ている方も武豊なら当然だと思わせるものが彼にはありますね。
私は現役時代、彼のお父さんの邦彦さんと調整ルームで一緒に食事をする機会などもありました。
その時、なんて穏やかな人なんだと思ったけど、そういったお父さんの良いところを受け継いでいる様で、
ユタカ君も素晴らしい人間性の持ち主です。
私も顔を合わせれば「元気か?」などと声をかけるけど、
そういう時も本当に人当たりの良さが溢れる対応をしてくれる。
ジョッキーとしての腕は勿論だけど、
そういった人間性だから誰からも信頼され、これだけの記録を作れたのだと思います。
彼にとって100っていうのは一つの区切りでしょう。
これからまだまだ伸びる記録だと思うし、もっと伸ばしてほしいですね。」

134 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:16:06.59 ID:AWoKDjKq0.net
蛯名正義
「100勝するのも大変なのに大したもの。」

135 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:18:25.43 ID:sPRRXMEN0.net
石橋守調教師
「偉大な記録だけど、豊ならもっともっと更に上を目指している事でしょう。
これからは海外でのGT勝ちももっと増やして、記録を更新していって欲しいですね。
彼の凄い所は若い時からどんな場面でも常に冷静だったこと。
海外で乗る時も落ち着いていたし、
そういう事はなかなか出来るものではないな……って何度も関心させられたものです。
また、僕も厩舎を開業するので、是非、文句を言わずに乗って、
ゆくゆくはGTを勝って欲しいです。
以下略」

小崎憲調教師
「今後この数字に到達できる騎手は現れるの?っていうくらい驚異的な記録ですよね。
ジョッキーとしての凄さは僕なんかがコメント出来ないくらい抜けているのでしょうけど、
思い出としては僕の厩舎で初のGT勝ちとなったスマートファルコンでも沢山勝ってもらった事ですね。
父のゴールドアリュールも知っていたからか、
あの馬の持ち味を本当に上手く出してくれていると毎回感じたものです。
GT100勝というのは正に競馬界の偉大なる歴史だと思います。以下略」

136 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:19:25.40 ID:sPRRXMEN0.net
国枝栄調教師
「大記録達成おめでとうございます。
ジョッキーてしての技術はもちろんだけど、
武君の場合、一人の人間としても図抜けた存在だよね。
競馬界のトップに立つ人間が武君で本当に良かったと思うよ。以下略」


久保田貴士調教師
「GT100勝というのは本当に凄い大記録だと思います。
そして、更に彼が凄いな、と感じるのは、
これだけの記録を達成しても尚、
満足せず、上を目指そうとする姿勢があるからこそ、これだけの記録を達成出来たのだと思います。」

137 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:21:12.89 ID:sPRRXMEN0.net
尾関知人調教師
「ユタカさん、おめでとうございます。
僕が競馬ファンの頃から、憧れのアイドル的存在で、
開業後は2012年にサクラオードシエルという馬に乗ってもらい、
勝っていただきました。
13年にはキズナが凱旋門賞に挑戦した際は、
うちの厩舎のステラウィンドが帯同馬として遠征し、
現地でも騎乗してもらいました。
その時、向こうのホテルで食事を一緒にさせていただく機会がありました。
僕にとっては良い思い出です。
今後は僕の厩舎の馬でGTのウィナーズサークルに一緒に立てれば嬉しいですし、
また、ユタカさんが乗る馬を負かせる様に頑張ろうとも思います。以下略」



笹田和秀調教師
「GT100勝は凄い記録だけど、僕は彼が天才だとは思っていません。
彼がこれだけの勝利数を残せたのは、本人の努力によるところだと思います。
シャダイカグラでGTを勝ち、オークスの為に東京へ向かう時、一緒に新幹線に乗りました。その時、言った言葉が忘れられません。
「僕は一完歩につき2センチ伸ばそうとして乗っているをんです」そう言ったんです。そんな事考えている人はいないな……と感じたものです。以下略」

138 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:22:58.74 ID:sPRRXMEN0.net
小林智調教師
「現在、僕はフランスで調教師として厩舎を開業していますが、元はと言えばユタカさんがフランスで頑張っている姿をテレビで知り、自分も行ってみようと決心したんです。
だから、今回の記録を耳にし、僕の人生に多大なる影響を与えた人が、偉大な人で良かったと心から思いました。
また、開業後、ユタカさんがうちの馬に騎乗してくれた時は、一つの夢が叶ったと感じました。
そして、次なる夢はユタカさんと共に凱旋門賞を目指す事です。以下略」




鹿戸雄一調教師
「ユタカとは若い時から仲良くさせてもらっています。
昔から感じたのは競馬だけでなく、
普段の態度から格好いいという事。
ユタカの方が年下だけど、そういう姿勢は見習わないとと思ったものです。
アメリカに一緒に行った事もあったけど、向こうで言葉も不自由な中、一生懸命頑張りながら、それでも本当に楽しそうにしていたのが忘れられない思い出です。
GTは一つ勝つだけでも大変なのに、
100も勝って、本当に驚異的だけど、
彼ならこれからもっともっと記録を伸ばすでしょうし、良いレースも沢山見せてくれるはず。
これからも期待しています。」

139 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:23:44.19 ID:sPRRXMEN0.net
河内洋調教師
「GTを100も勝てたのは、
もちろん長い間、活躍し続けたからなんだろうけど、
普通はこれだけの期間、
一線級にい続けられるものではありません。
邦彦さんの息子として周囲に馬の居る環境で育ったのももちろん良かったでしょうし、
父の名を汚さず、超えようという目標を持ってやってきたのも良かったのでしょうし。
だけど、その上で、努力、研究をし続けた成果がGT100勝という偉業を作り上げたのだと思います。
思い通りにいかないのが競馬だけど、
そんな中で終わりのない目標に向かい続けた結果、気が付いたら 100勝していた。
本人はそんな感じに思っているのではないでしょうか。
それにしてもいくら本人の能力があっても皆の応援がないと100勝もする事は出来ません。
素直で嫌味の無い彼の人間性が、
周囲の皆に『応援したい』と思わせたのでしょうし。
そのあたりはこれからも同じスタンスでやっていってくれる事でしょうから、
記録はもっともっと伸びると信じています。」

140 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:24:32.93 ID:EwvhyI5f0.net
まさにカリスマ。

141 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:26:24.80 ID:Bip4ivrc0.net
小島太調教師
「ユタカの技術が他より頭一つも二つも抜けているのは疑いようのない事実。
自分の厩舎の馬を頼む時、何の心配も無く任せられるのが彼ですよ。
そして、ただ勝たせるというだけでなく、レース後のアドバイスも実に的確。
どの位の距離が合っているとか、
どんな扶助を使うのが良いかとか、
本当に的確に言い当ててくれるんだ。
また、何よりも馬を下りた後の紳士的な態度も他とは一線を画してるよね。
自分も現役ジョッキー時代、
ユタカぐらいうまく立ち回れればもう少し勝てたかもしれないけど、
そういうのも含めて騎手としての能力だと思うから、
やっぱり俺にはそういう面が劣っていたんだろうね。
そこへいくとユタカは本当に凄い。
GT100勝も彼なら当然と言える数字でしょう。」

142 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:27:39.23 ID:Bip4ivrc0.net
佐々木晶三調教師
「凄い数字ですよね。
今の時代は100勝するのだって大変だし、ましてGTてもなれば100回騎乗するだけだって難しい。
そんな中で100回勝つというのは本当に信じられない事です。
もちろん、凄い点が沢山あるから出来た記録なのでしょうけど、
特に感心させられるのは馬をよく知っているという点。
よく知っているから手の内に入れるのも早い。
キズナではダービーを勝ってくれたけど、弥生賞の辺りではまだ完全に自分のものにしていなかった感じなのに、
その後はもう意のままに操れる様になった。
短期間で中々出来る事ではないですよ。
そして、馬に対してはもちろん、
人に対してもアタリが柔らかいという点。
勝負の世界は成績をあげればあげる程恨まれたり、妬まれたりするものだけど、ユタカちゃんに関してはそんな声を聞いた事がない。
騎乗技術が優れているだけでなく、
それだけ皆にも好かれているという事でしょう。」

143 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:29:10.24 ID:Bip4ivrc0.net
角田晃一調教師
「僕もジョッキーをやっていたので、
この記録がいかに偉大なものか痛感させられます。
しかもこれで終わりではなく、まだまだ貪欲にやる姿勢がうかがえるのが素晴らしい事です。
これからもGT勝ちを増やしていくでしょうから、
その中にうちの厩舎の馬も入ってくれる事を願っています。」



矢作芳人調教師
「心よりおめでとうございますと言いたいよね。だってGTは乗るだけでも凄いプレッシャーのはずですよ。
その中で100勝したわけでしょう。
普通の記録ではありませんよ。
だからこそこの偉大な記録を、天才”
という一言で片付けては彼に対して失礼でしょう。
人並み以上の努力、そして目に見えない努力や苦労の結果、積み上げられた記録でしょう。
誰よりも努力した結果、誰も到達出来ない記録に達したという事は、
立場の違う私なども見習わなければいけない事でしょうね。」

144 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:30:39.76 ID:Bip4ivrc0.net
橋口弘次郎調教師
「うちの馬ではローズキングダムのジャパンCもあったけど、
何と言っても思い出深いのはダンスインザダークで勝ってくれた菊花賞です。
ダービーで悔しい負け方をして、
僕は執念を燃やして菊花賞に挑みました。
その時、 パドックから本馬場に向かう地下道で、馬の上からユタカ君が
『今日は勝ちます!』って力強く宣言してくれたんです。
そんな場所で彼の口からそういった言葉が出てくるとは思っていなかったから、それを聞いた時に
『あぁ、彼も並々ならぬ執念を燃やしているんだな……』と感じたものです。
そして、結果、しっかり勝ってくれました。
あの時は感謝するとともに流石ユタカ君だと思ったものです。
彼の凄さは何と言っても柔軟性ではないでしょうか。
手首や身体、そして頭、考え方、全てに於いて柔軟だと感じます。
また、競馬が本当に好きだという事も今回の大記録に繋がった要因でしょう。
彼と話していると競馬をよく見ている事が分かります。
自分の乗っていない馬の事でもよく知っています。
それだけ競馬を愛しているという事で、だからGTを100勝も出来たのでしょう。」

145 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:31:53.94 ID:Bip4ivrc0.net
松山康久調教師
「岡部の時もそうだったけど、ユタカに騎乗依頼する時は、ただ勝ってもらうだけでなく、その馬の今後等、見通しを立てるため、という事が多々あります。一流ジョッキーの見立ては良い助言になりますからね。
また、彼の素晴らしい所は、そういった技術的な事だけでなく、
人間として言うところがないという事でしょう。
人格というか、品格というか、
亡くなった野平裕二先生もよくおっしゃっていたけど『紳士たるべき』というのを実践しているよね。
スポーツマンはこうでないと駄目という姿を示してくれている。
だから私も騎乗技術をしてきたんだ。
あとは怪我の無いように、
それでいて今まで通り大胆な騎乗を見せ続けて欲しいね。」

146 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:32:55.97 ID:Bip4ivrc0.net
中村均調教師
「ジョッキーになりたての頃によく乗ってもらいました。
ダービー初騎乗となったコスモアンバーも、重賞初勝利となったトウカイローマンもうちの馬でした。
当時からNo.1ジョッキーになる要素を兼ね添えた、全て整っている人だと思ったので騎乗を依頼しました。
お父様の武邦彦さんからは『ユタカなんかでよいんですか?』とよく言わたけど、むしろ歓迎して乗ってもらった事をよく覚えています。
11年のダービーでは久しぶりにうちのロッカヴェラーノに乗ってもらう機会があったけど、
もちろん、今でも彼に頼めるような有力馬が出てきた際には乗ってもらいたいという気持ちは強く持っています。
衰えている訳ではありませんからね。
当然、これからもGT勝利記録を伸ばしていくのでしょうけど、
その中にうちの馬もいてくれればな……という気持ちです。」

147 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:33:33.22 ID:DBIpy4LmO.net
>>110
13日の金曜日シリーズみたいに沢山出来るなw

148 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:33:46.22 ID:Bip4ivrc0.net
武藤善則調教師
「ユタカは競馬学校の三期生で僕が一期生。つまり僕の方が2年先輩なのですが、彼は僕を見るといつも『むとうちゃ〜ん』と言ってきます。
生意気ですよね(笑)。でも、不思議と彼に対しては腹が立ったりという事はありません。
いつめ爽やかなスマイルで話しかけてくれるし、相手の中にスっと入っていけるのが彼の長所なんでしょうね。
この様な抜群の人間性に加え、
レースに乗れば真面目で素晴らしい腕がある。
だからGTを100勝も出来たのだと思います。中略)
いつか、うちの馬にもGTを勝たせてもらいたいですね。よろしくお願いします(笑)。」

149 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:35:34.26 ID:Bip4ivrc0.net
藤沢和雄調教師
「長年やっていればその位勝てて当然だよ(笑)。
いや、誰でも、という意味ではないよ。ユタカくらいの技術を持っていて、20年以上乗り続けていれば、
GTの100勝も不思議ではないという事。
そのくらい抜けた存在だと思うよ。
野平裕二先生などもフランスに滞在した時期があったけど、ユタカは向こうの調教師に依頼されて、滞在しついたわけでしょう。
フランスで、調教師の方から所属になってくれと言ってくる様な騎手は、
日本では彼しかいないでしょう。
いかに、抜けているか、いかに世界に認められているかが分かるよね。
自分の立場としては、ユタカを敵に回す事の方が多かった訳で、
いかに彼を負かそうかと考えたら、
オリビエやケントやダグラスら、
世界レベルの騎手以外、
匹敵出来ないと思ったよね。
だから、彼らを招いてまで乗ってもらったし、
そういった世界の一流騎手に乗ってもらう為には自分も馬をきっちりと仕上げないと恥ずかしかった。
そういう意味では、自分自身のレベルアップにも一役買ってくれたと思っている。
いや、でも本当に、
そのくらいの騎手でないとユタカを負かす事は容易じゃなかったよね。」

150 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:36:33.93 ID:Bip4ivrc0.net
岩田康誠騎手
「凄いというか凄すぎますね。
僕も公営からJRA入りして、ユタカさんを目標に………と思った事もありましたが、冷静に考えると凄すぎて目標にするのもおこがましいと感じたものです。
ユタカさんは世界の舞台に沢山の経験をされてきて、
他の人にはない経験の積み重ねがこういった大記録に繋がっているのだと思います。
同じ騎手として少しでも見習っていかなくてはいけないと考えています。
以下略」


川田将雅騎手
「GT100勝…………とにかく凄い事で、僕のような立場の人間がどうこう言うのはおこがましいとしか言えません。もうただただ凄いです。
それしか言えないですね。本当におめでとうございます。」

151 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:37:28.14 ID:Bip4ivrc0.net
後藤浩樹騎手
「ユタカさん、安心して下さい!
誰も超えられない記録です。
いや、日本競馬がこれから何年続くか分からないけど、本当に、この数字を抜く人はもう現れないでしょう。
ユタカさんは沢山凄い所があるけど、
僕が感服させられるのは
"弱音を吐いているのを見た事がない"という点です。
例えユタカさんでもGT100勝の陰で、
人気馬で負ける事も沢山あったはず。
でも、そんな時でも弱音は吐かない。
ああいう姿勢は見習わないといけないと常々、思っています。」

菅原隆一騎手
「僕はよくお食事に連れて行ってもらう事があり、そういう席で聞かせていただく話は本当に勉強になります。
ただ、僕にとっては雲の上の存在というか、次元が違い過ぎて、自分のレベルでは中々実践が追い付かないのが、申し訳ないです。
これからもユタカさんの背中を見ながら、少しでも追い付ける様に僕も頑張らなくては…と考えています。」

152 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:39:26.63 ID:qlvGBOTQ0.net
福永祐一騎手
「GT100勝おめでとうございます。
月並みですが、今後、誰をしても追い付く事が難しい記録だと思います。
なんでこんなに勝てたと思うかって?
それが分かっていれば自分ももっと勝てますよ(笑)。
ダービーではエピファに乗って、
ユタカさんのキズナに最後に差されました。自分にはまだ分らない、
ユタカさんだけが知っている何かを持っているという事ではないでしょうか。
それがコツなのか、何かは分かりませんが……。
『凄いな』と感服させられるのは、
一瞬の脚を引き出す上手さです。
日本の馬の特徴を掴んで上手に生かした結果がそういう乗り方だったのかもしれませんが、
直線勝負に懸けてきた時の、ユタカさんが乗った馬の末脚は何割か増して伸びてくる感じがします。
いずれにしても、僕自身、ユタカさんに追い付け追い越せという気持ちでやってきて現在があるので、
これからも目標となる存在でいて欲しいです。」

153 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:41:33.59 ID:qlvGBOTQ0.net
横山典弘騎手
「「おめでとう」。これしかないよ。ユタカ。おめでとう!」


田中勝春騎手
「ユタカさんのジョッキーとしての技術は勿論、人間性も良くなければこれだけの記録は作れないでしょう。
自分なんか酔っ払ってユタカさんに数々の失礼をした事があるけど、
そんな時もいつもニコニコ笑って、
怒られたりした事が無いからね。
俺もああいう器の大きな人間になれる様、見習わせていただきます。」



Cルメール騎手
「ユタカは日本のオリビエであり、
デットーリであると僕は思っています。
いつまでもお手本として乗り続けてイテホシイデス。」

154 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 22:57:30.15 ID:ivWX4JwB0.net
ノリは多くを語らないなw

155 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 23:05:04.81 ID:PMApuepp0.net
豊の人間性についても称えてる人多いね
やっぱりレジェンドなんだわ

156 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 23:25:31.04 ID:wQxdOJh/O.net
なんでそんなID変わるんだよ

157 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 23:34:12.36 ID:OaCVlGNM0.net
>>154
ノリなりの最大級の賛辞なんだろ、きっとな

きっと

158 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 23:49:04.22 ID:cjd+eVpt0.net
アフィカス上手いな

武基地ホイホイのスレタイ

159 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/03(水) 23:55:09.72 ID:ySb8KCL0O.net
横山が、自分は乗ってなかった重賞レースでの武の素晴らしい騎乗を褒めたくなって
その日の夜に珍しく電話した事があったが
「いやぁ〜、あれ良かったな!レースしたなぁ!」
とだけ言ったらしい

言葉は少なくも、十分に伝わったようで
武も「何をしたのか、わかる人にはわかるレース。同業者に褒められると特別嬉しいですよ。」
と言って喜んでたな

160 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 00:25:38.01 ID:FUEXIWgq0.net
>>119
平成の三大天才とか言われたっけ
武だけはメディアが作った天才のイメージあるけどな
天才に近い秀才
だが似てるタイプの羽生が同時期にいて、その後にイチローが出てきて、一緒に同世代の天才で本も出てたっけ
いうて武とイチローは学年でいえば5年違うから結構の年の差はあった

161 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 00:56:48.20 ID:ffCMmiYf0.net
一流のプロからこれだけ認められる武豊はやはり生きる伝説なんだよな
競馬に対する激しい情熱と執念を爽やかな笑顔で隠す…それが武豊

162 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 01:00:23.16 ID:k1NS+ZdE0.net
>>160
作れるなら何故三浦は失敗したのか

163 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 01:19:33.96 ID:ieoWnoq90.net
確かに三浦を見てると武豊がいかに凄いかわかるな

164 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 01:29:41.64 ID:Swg4TCpa0.net
武豊が凄い(怖い)なと感じたのは、
タイキシャトル引退レースのスプリンターズS

激しい先行争いの中、騎乗してたシーキングザパールを後方で脚を溜めさせて
直線一気にタイキシャトルを交わす策をとったレース

165 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 01:52:42.93 ID:rjWh6qfP0.net
>>162
関東

166 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 02:01:10.82 ID:MtI1qdwq0.net
「私が一番印象に残っているは1993年の皐月賞。
引っ掛かる気性のナリタタイシンに跨った武豊は最後方で馬の気持ちをなだめ、直線では内目から馬群を斜めに切り裂くように外へ持ち出してビワハヤヒデを差し切った。
その手綱捌きに鳥肌が立ったのを記憶している。
後日に本人に声をかけたところ
「もう一度同じように乗れといわれても乗れないでしょうね」と述懐したほど完璧な騎乗だった。
今後もナリタタイシンの皐月賞のようなゾクッとする手綱捌きを見せて欲しい。
ああいったレースは彼にしかできないのだから。

競馬ブック編集局員 村上和巳」

167 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 02:10:23.22 ID:k1NS+ZdE0.net
>>165
リーディングに東西は関係ないでしょ

168 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 02:15:20.22 ID:kBIZhsjK0.net
>>167
馬で劣る関東が必死で欲しがってるのが騎手リーディングだよな

169 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 02:16:26.94 ID:kjUEpMjI0.net
>>146
やっぱり武邦は、豊には突き放すスタイルをとってたんだな
幸四郎とは真逆だよな、豊は竹田さんに預けて、幸四郎は自厩舎に入れてたし
西園が言ってたけど、幸四郎を乗せると、後日武邦からお礼の電話が今だにあったりするらしいなw

170 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 02:28:42.05 ID:TxxpYI7M0.net
武って、競馬以外で誰かに怒ったりした事本当にないんだろうか…
奥さんにはよく怒られるって言ってたけど、怒鳴ったり他人と喧嘩した事無いらしいな
ちょっとおかしくね?ネジ外れてる様な天然アホなら分かるんだけどさー
普段、あれだけ多忙でストレス半端ないだろうに、イライラ怒ったりしないのっておかしくね?
ニコニコ仏みたいな人間いないだろ

171 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 02:37:11.39 ID:Swg4TCpa0.net
>>170
俺のいとこの兄貴がとにかく怒らない
ニコニコ仏ではないが、怒らない人間はいる

だからそのストレスかもだが、どんな病院で治療しようがさっぱり治らない原因不明の皮膚病で
いつも顔が赤く腫れぼったい感じになってる

172 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 02:51:40.00 ID:cvvAt/fH0.net
>>170
武は馬から降りた瞬間から、小銭落としながら歩くと男と言われた程、無頓着な人だよ
財布と携帯を年に2〜3回はどこかに落としてるからね
若手の頃から本人や周りが発言してて有名だよ
自分でチェックイン頼んだくせにホテルに嫁さん忘れて、自宅に帰る様な人だから
嫁さんいなくなったら、何にも出来ない人だよアホ所じゃないよ
カーナビすら使えない人だからね
嫁さんいなくなったら悲惨だよね

173 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 03:12:15.35 ID:w2jnE5q30.net
極楽とんぼの加藤の母親が騎手寮の寮母さんなのは有名だけど、武は財布なくしてタクシー代を加藤の母親に借りた事あるらしいね

田原が本に書いてたけど、酔っ払ってタクシー乗って帰って来て、金払わずそのまま部屋に入って靴履いたままふつーに寝てたらしい
運転手がウロウロしてたから事情を聞いた田原が代わりに代金払ったとか
他にも、街で一緒に飲んでて酔っ払った武をタクシーに乗せて、先に代金を運転手に払ってあげて送らせてたんだってさ!

つ、ま、り、武はしょ〜もないアホって事!!

174 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 03:22:17.47 ID:w2jnE5q30.net
まだまだあるよ!
酔っ払って量子に電話して、帰り道が分からなくなって、俺今どこにいるのぉ〜?て聞くんだってさ
はぁぁぁぁぁぁあ?て話だよね
酔っ払って、道歩いてる知らない人にとっとき!て、お金渡して歩くんだってさ!出没場所教えろよおおおおおおおおおおおおお!て話しだよ

175 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 03:27:21.22 ID:RlyNaJ7EO.net
ナリタタイシンの皐月賞を見れば、天才がいることがわかる

176 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 03:35:38.43 ID:BTRLvt+OO.net
武といえば天皇賞降着のときの騒動が凄かったな

あの頃は競馬に全く興味ない高校生だったけど、メジロの婆ちゃんと武だけは知ってたわ

177 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 04:00:13.39 ID:WxZJglhG0.net
デビュー時はあどけない少年だった
しかし、目が澄んでいてオーラがある
http://iup.2ch-library.com/i/i1336863-1417632256.jpg

そしてデビュー3年目、恐ろしい顔つきをしている…荒んだ青年の様に見えるが、この頃は荒い騎乗が多く闘志の塊だった
http://iup.2ch-library.com/i/i1336864-1417632256.jpg

そして、オグリ騎乗前、オグリはダメだろ?どうなん?と記者に執拗に聞かれ苛立つ豊…
http://iup.2ch-library.com/i/i1336865-1417632256.jpeg

そして、競馬界を背負う為に身を売る決意をしたPR作品…
http://iup.2ch-library.com/i/i1336866-1417632256.jpeg

178 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 04:02:18.22 ID:k1NS+ZdE0.net
>>177
若い頃は生意気そうな顔してたんだなw

179 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 04:29:00.94 ID:WxZJglhG0.net
競馬の為なら…腹筋だって見せた
http://iup.2ch-library.com/i/i1336878-1417634182.jpg

競馬の為なら…女装だって披露した
http://iup.2ch-library.com/i/i1336879-1417634182.jpg

競馬の為なら…カウボーイにもなった
http://iup.2ch-library.com/i/i1336880-1417634182.jpg

競馬の為なら…サンタに変身もした
http://iup.2ch-library.com/i/i1336881-1417634182.jpg

競馬の為なら…芸能人の結婚式にも行くhttp://iup.2ch-library.com/i/i1336882-1417634182.jpg

世界に名前を刻む為に…アスコットで勝利もした
http://iup.2ch-library.com/i/i1336877-1417634182.jpg

45歳なった…静かに下を向きたい時もあるhttp://iup.2ch-library.com/i/i1336883-1417634182.jpg

180 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 06:17:42.99 ID:7qw2nGZ0Q.net
あげ

181 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 08:29:12.87 ID:6QISr/ebk
G1を100も勝って、皆からこんなに誉められたら、俺なら気持ち悪く
なって死ぬ。
武も、「100も勝ってどうもすいません!」とか言えよw

182 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 08:40:45.88 ID:5wxZnm2HO.net
同世代だから若いときは豊嫌いだったなー。今思うと恥ずかしいが。

183 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 09:13:55.35 ID:Q58Nqo760.net
2年目で菊花賞勝った時点で永遠の存在になった。2年目でG1に乗った騎手すらごくごく限られているのに。

184 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 09:14:48.21 ID:CZHRFnxl0.net
上記の調教師さんたち、いいコメントしてるけど
それでもいい馬乗せないんだよなぁww
それだけ、社台・小原軍団の力が強いってことかw

まぁ、橋口さんなんかは「先生と呼ぶなw」だからな。

185 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 09:23:12.63 ID:Q58Nqo760.net
武は運も良い。
サンデーサイレンス産駒が日本の競馬界を席巻するのとほぼ同時に絶頂期を迎えた。
今はディープやキンカメ、ステゴ、ハーツといるが芝、ダート、距離を問わないようなチート級の種牡馬も出てこないだろうな。

186 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 09:50:06.77 ID:91mahAbv0.net
スゲェwwスレww濃い〜w

187 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 10:04:59.01 ID:OtbkUjO10.net
>>179
海外のやつカッコ良いな
武だよな?外人みたいじゃねーか!

188 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 10:15:28.53 ID:sE9YIpLs0.net
ワロタ

面白いスレだわ

189 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 10:27:41.92 ID:RcmnKucg0.net
何が凄いって、海外の馬でも重賞勝ったりする所
香港やイギリスの招待競走で結果出してるのも日本人では武だけだしな
てか、選抜キャプテンに選ばれる事自体凄い事だろ

190 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 10:47:26.93 ID:G1j6fP1i0.net
>>160 イチローなんかはお調子者でワガママなんだろうけど、
何故か3人ともに静かなるオーラというかラオウじゃなくてトキとケンシロウを合わせたようなタイプの凄みを感じるよ。
当たり前だけどみんな意思の強さを感じる顔だよね。

191 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 10:48:13.19 ID:h5kAS2pB0.net
マッキャロンやアスムッセンに天才1と言われるのが武豊

次元が違い過ぎる

192 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 10:51:46.76 ID:Q58Nqo760.net
残された勲章は朝日杯と凱旋門くらいか?さすがに厳しいかな…

193 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 10:58:02.11 ID:qovB1HNq0.net
>>179
クッソワロタwwwwwwwww
てか、俯いてる姿、鬱病っぽいけど大丈夫かよwwwww竹wwwww

194 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 11:16:20.91 ID:vAL4opXD0.net
>>177
若い時は舐めた発言もしてたからな
アイドルジョッキーだのうん億円ジョッキーだのTVに取り上げられて若い女もギャーギャー騒いでうるさかったな
マック降着になった時は大バッシングされててザマァミロだったよ

195 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 11:44:53.33 ID:KWtzIBI2O.net
ノリ「豊は頑張ってるよ」

196 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 12:42:56.64 ID:/Wl9gRMH0.net
【僕達だけが知っている〜番記者裏話〜】

「僕が彼に結婚すると告白すると、
「じゃあ、寄せてもらいます」と大勢の若手一流ジョッキーを引き連れて祝福に来てくれた。
スキーキャプテンのケンタッキーダービーを同行取材した時には、ときに通訳までこなしてくれた。彼が乗り味に惚れたシーキングザパールのペーパーオーナーになり、
G1含め重賞5つも勝たせて貰った。
ドナーカードを持って、万が一の時には臓器を捧げる決意も尊い。
世界を代表する超一流になった今でも、人に優しい性質は全く変わっていない。そんな彼が本当に悩んだ顔を見せたのは、本業で結果を出せなかった時ではない。
佐野量子さんとの結婚スクープ合戦の渦中に嵌った時「なんで騎手の結婚が話題になるのやろ?ほおっといて欲しいわ」感情をもろに出す時、彼は関西弁になる。その後、ピンチ説が流された時「大丈夫、僕達結婚します」と耳打ちされた。
有名税は今なお払わされており、女性週刊誌には、定期的に夫婦の危機説が掲載される。
そんな心配は200%無用だ。昨年の暮れ、届いたクリスマスカードの上で柔和な顔を並べる御夫婦の顔はオシドリ夫婦そのものだった。(草野武志)」

197 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 13:30:16.01 ID:/Wl9gRMH0.net
【僕達だけが知っている〜番記者裏話〜】

「アグネスタキオンが当たり前に皐月賞を制した日、武豊はロンシャン競馬場でグロッド賞を勝った。
ブービー人気のクオーターノートという意外な馬で。遠征4回目の重賞騎乗でV。皮肉屋のフランス人を「上手いね」と唸らせたのだから、同じ日本人として誇らしく思う。
武豊の凄さは、それに有頂天にならなかった事だ。地元で一流のペリエやモッセ等とは違い、失敗は即、騎乗チャンス減に繋がると分かっていた。そしていきなり結果を出した。何事も最初が肝心。(野村英俊)」

198 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 13:53:50.82 ID:Xzzns6CG0.net
武は18年前から、ある企業の小児腎臓移植募金設立メンバーの1人で毎年多額の寄付をしてる
俺の兄貴も入ってる

199 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 14:38:06.66 ID:LfqP92mD0.net
ステゴのドバイ&香港ヴァーズを見ればいい
神がいるから

200 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 14:49:23.44 ID:Fq+Ie4ew0.net
初年度の三浦と若かりし頃の武ってどっちが生意気だったんだろうか

201 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 15:09:36.69 ID:LfqP92mD0.net
>>200
三浦

武は、岡部の馬に自分が乗れば、10頭中9頭は勝てるなんて発言はしなかった

202 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 15:45:53.06 ID:OCEM4DpC0.net
>>201
そんな発言したら、河内からフルボッコだっただろうな…

203 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 16:04:25.83 ID:Sa09jtMJ0.net
>>179
佐野量子可愛い過ぎて俺のマグナムがオッキした
可愛いいな佐野量子着物脱がせたい
こんな可愛い佐野量子を毎晩…

204 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 17:44:12.85 ID:rjHxA/CE0.net
武はオッサンになって顔にしわができてからのほうがカッコいいな
若い頃はなんかキモイ

205 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 18:58:37.47 ID:xJp25PCe0.net
>>204
邦さんに似てきたよね。

206 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 20:09:29.71 ID:lzX6Whwu0.net
今は顔や雰囲気に深みが出て来て色気もある
女房と毎晩ヤってるなあれは

207 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 20:39:39.63 ID:CdJ5dLbb0.net
>>179
武っていつも笑顔だよね
こんな人と結婚したい
優しくてニコニコニコニコ
ご飯作らなくても掃除しなくても怒らなそうだし
怒鳴ったり暴力とか絶対しないだろうし
話も面白いし海外好きだし服はお洒落だし車も高級だし
武みたいな人いないかな

208 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 20:50:34.02 ID:/CPMNV7i0.net
>>207
万が一おったとしてもお前なんかと結婚するかボケ

209 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 20:55:18.38 ID:CdJ5dLbb0.net
>>208
(#)Д`;;)…ヒドイヨ…
うわあああんうわあああんうわあああん

210 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 20:57:37.41 ID:/CPMNV7i0.net
>>209
ご、ごめんよ

211 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 20:58:24.68 ID:eqRBKFqU0.net
>>209
いやこれは>>208に同意せざるを得んわ

212 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 21:03:57.23 ID:CdJ5dLbb0.net
>>210
いいよ(´・ω・`)本当の事だから……

213 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 21:06:23.98 ID:/CPMNV7i0.net
>>212
俺でよければ嫁に来ないか?

214 :名無し:2014/12/04(木) 21:06:41.80 ID:a+sY1vbY0.net
家に帰らないよ。

競馬の事しか頭にないんだよ。

ほったらかしだよ。

215 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 21:08:09.14 ID:CdJ5dLbb0.net
>>213
私は25歳だけど、貴方は武みたいな人なの?

216 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 21:10:08.75 ID:ZjqadOnT0.net
ニンジン嫌いの武豊

217 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 21:10:38.12 ID:/CPMNV7i0.net
>>215
武○ 豊彦ともうします。中学のときからあだ名は武豊です。

218 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 21:13:09.44 ID:CdJ5dLbb0.net
>>217
本当?面白い(´`) ンー
優しくて紳士でニコニコしてくれるなら、お嫁にして下さい…

219 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 21:14:57.28 ID:/CPMNV7i0.net
>>218
やっぱりやだ。

220 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 21:17:33.53 ID:CdJ5dLbb0.net
>>219
いいもん
激おこぷんぷんだもん。゚(゚´Д`゚)゚。

221 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 21:21:01.43 ID:jiS70ioD0.net
やかましい!お前ら結婚しろアホ共が!

222 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 21:29:45.15 ID:CdJ5dLbb0.net
やっぱり武が一番
理想の旦那さん

223 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 21:34:37.64 ID:jiS70ioD0.net
>>222
下手こいたらステッキでシバかれるぞ

224 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 21:37:10.65 ID:CdJ5dLbb0.net
>>223
そんな事しそうに見えないもん
でも、少しだけ叩かれたいかも…

225 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 21:48:40.68 ID:eqRBKFqU0.net
>>224
早々にこのスレから出てってくれ

226 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 21:59:13.79 ID:rjHxA/CE0.net
うるせえ奴らだな
さっさと幸せになれよビチグソが

227 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 22:14:50.79 ID:UEq2z/Nj0.net
お気に入り写真だお(*≧∀≦*)
大人の男超絶素敵オーラの豊しゃん
超絶素敵超絶レジェンドだお!
http://iup.2ch-library.com/i/i1337244-1417698132.jpg
http://iup.2ch-library.com/i/i1337243-1417698132.jpg
http://iup.2ch-library.com/i/i1337246-1417698132.jpg
http://iup.2ch-library.com/i/i1337245-1417698132.jpg

228 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 23:05:12.19 ID:NuT8GBNx0.net
畠田理恵と佐野量子を二股したらしい
なお、この二人、顔の系統、芸風、似たり寄ったり。

229 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 23:08:59.40 ID:L/UZDBJk0.net
畠田が競馬好きアピールして、武に取り入って来たけど、既に佐野がいたから振られたんだよな
武の実家に手料理持って押し掛けてアプローチしてたらしく、母親が激怒して迷惑してると書かれてたな
因みに、この母親は佐野の時も大反対してた

230 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 23:12:32.50 ID:3e9erb8e0.net
>>160
豊もイチローも天性に優れた部分は他に比べて多いけどやっぱり凄く努力してストイックでだからあそこまで実績築けたんだよ
将棋詳しくないから羽生さんに関してはなんとも言えないけどw
天才というか超努力家でしょう。羽生さんもそうだと思うし
そうじゃないと20年以上そのジャンルのトップの認識を得られないよ

231 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 23:14:51.78 ID:i0jOFxQh0.net
良スレかと思ったら急に変な奴らが出てきてワロタ

232 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/04(木) 23:24:09.64 ID:rjWh6qfP0.net
>>201
若い武から見た岡部の馬と
若い三浦から見た武の馬なんて比較になんねーだろw

233 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 00:15:00.27 ID:NcYiw+aa0.net
>>227
レジェンドです。

234 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 01:05:10.24 ID:dbWVz9y70.net
イチローと羽生さんは国民栄誉賞とるだろうけど
競技的に豊は厳しいか。凱旋門賞を勝てればワンチャンあるかな

235 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 01:08:04.28 ID:kTrpderj0.net
農林水産省が働きかけそうじゃない?
凱旋門とって、G1完全制覇して、4000勝達成したら

236 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 01:40:43.02 ID:GeZoWYYf0.net
写真ワロタwww
カッコイイのもあるけど
てか、武豊マジでカッコイイな
スター過ぎ!

237 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 02:14:10.96 ID:n3CN0MuNO.net
ステゴとかサイレンススズカとか
誰かお願いします

238 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 02:17:00.97 ID:lbmw0z/z0.net
何が惜しいかって?
セン馬なんだよなぁ・・・

239 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 02:19:10.78 ID:GaL6K3Bs0.net
ステゴは熊沢の手が合わなかっただけでは…

240 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 02:24:47.38 ID:xIpdcqPn0.net
>>234
イチローって不倫に脱税で真っ黒だろ・・・

241 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 02:41:43.19 ID:KpClCsj80.net
>>239
あれだけ乗ってて…

242 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 02:53:39.82 ID:yEPTeOK00.net
オグリキャップ 逸話

ライターの渡瀬夏彦は天皇賞(秋)とジャパンカップで騎乗した増沢末夫について、
スタート直後から馬に気合を入れる増沢の騎乗スタイルと、
岡部幸雄が「真面目すぎるくらいの馬だから、前半いかに馬をリラックスさせられるかが勝負のポイントになる」と評したオグリキャップとの相性があまりよいものではなかったと分析している。
笠松時代のオグリキャップに騎乗した青木達彦と安藤勝己も同様の見解を示した。
一方、武豊とオグリキャップとの相性について馬主の近藤は、
オグリキャップには「いいときと比べたら、80パーセントの力しかなかったんじゃないかな」としつつ「しかし、その80パーセントをすべて引き出したのが豊くん」とし、
「オグリには豊くんが合ってた」と評した。


オグリキャップ騎乗についての関係者評価

武豊にとってのスーパークリークとオグリキャップの位置づけについて木村幸治は、「安田記念にスーパークリークが出走していたら、豊は、迷わずクリークに乗っていたはずである。
豊側から見れば、クリークが"正妻"であり、オグリは"側室"でしかなかった」と述べている。
武自身、平成三強の中で好みのタイプを挙げるとすればスーパークリークだと述べている。
安藤勝己は有馬記念での武の騎乗について、「ほんとにスタートが上手いし、馬への当たりがいいね。正直いって、あれほどのレース見せられるとは思わなかった」と評した。
岡潤一郎について
1990年の宝塚記念で、前走の安田記念に騎乗した武がスーパークリークに騎乗し、南井がヨーロッパへ研修旅行に出た(オグリキャップへ再び騎乗することを拒否するための口実作りであったとも言われる)ことを受けて近藤が騎乗依頼を出した。
宝塚記念において必要以上に手綱を緩め、
その結果第3コーナーから第4コーナーにかけて手前を右手前に変えるべきであったのに左手前のまま走らせたこと、
第4コーナーで外に膨れて走行したオグリキャップに鞭を入れた際、左から入れるべきであったのに右から入れたことを問題視する向きもあった。

243 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 02:56:14.86 ID:yEPTeOK00.net
イナリワン 逸話

東京大賞典、東京王冠賞を勝利という実績を掲げて中央入りし、
GIを3勝し年度代表馬にまでなった名馬であったが
中央での11戦において単勝オッズ1番人気には一度もならなかった。
なお、武騎乗で天皇賞(春)と宝塚記念を連勝した際、
馬主の保手浜はその功に報いるため、
武がかねて希望していた渡米を実現させ、現地で自身の所有馬に騎乗させた。
これ以降、武は毎年のアメリカ遠征が叶うようになり、
「イナリワンは僕に幸運をプレゼントしてくれた馬だった」との謝辞を送っている。

244 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 02:58:09.98 ID:yEPTeOK00.net
スーパークリーク 逸話

デビュー以来「天才」と称され、
数々の記録を樹立した武豊のGI初勝利馬でもあり、
武自身も非常に思い入れの深い馬として、しばしば名を挙げている。
クリークの現役時代から
「僕が初めて惚れ込んだ馬、僕の期待に応えてくれた大事な馬です。
他の誰にも渡したくありません」などと語っており、
のちに自身のキャリアを回顧し
「強烈だったのはスーパークリークとの出会いですね。
あの馬がいなかったら、僕はこんなにたくさんのGIに乗れなかったと思う。本当に強かった。ある意味で僕の原点かな、この馬と一緒に全国区になったというか」と語っている。
また、クリークともども当時はアンチファンが多く、
「秋の天皇賞でオグリキャップを負かした後、嫌がらせの手紙が山のように来た」とも明かしている。

245 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 03:00:52.30 ID:/936B1tq0.net
シャダイカグラ 逸話

4歳以降は出走2戦でいずれも単枠指定を受け、桜花賞でも同様の措置が取られた。しかし競走2日前の発走枠順抽選において陣営は大外枠の8枠を引き、
単枠指定馬の規定により、シャダイカグラは自動的に出走大外となる18番に振り分けられた。
桜花賞が行われる阪神競馬場の芝1600mは、そのコース形態から外枠は圧倒的不利とされており、特に大外は「最内と比べて0.5秒は不利」と言われていた。
それでも桜花賞当日は単勝2.2倍の1番人気に支持されたが、発走前から激しい焦れ込みを見せる。
迎えたレースでは、スタートで出遅れ、最後方からの運びとなった。
しかし武は後方のままシャダイカグラを最内まで移動させると、
道中で埒沿いの最短距離を通りながら先団に進出、最終コーナーでは先頭から5、6馬身の位置に付けた。
最後の直線では抜け出したホクトビーナスを急追、ゴール直前で同馬をアタマ差交わし、大外、出遅れの不利を克服しての優勝を果たした。
武の冷静沈着な騎乗は高い評価を受け、「武は大外の不利を帳消しにするため、わざと出遅れた」
との風評も広まった。

246 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 03:02:42.60 ID:/936B1tq0.net
バンブーメモリー 逸話


秋シーズンでは松永昌博鞍上でスワンステークスに出走、最重量となる59キロを背負うが、後方から追い込み、
全馬をかわして3馬身半差をつけて勝利した。
続く第6回マイルチャンピオンシップでは鞍上に武豊を迎えて挑んだ。
道中は本命のオグリキャップよりも後方に待機し、最終コーナー手前でスパートすると先行するオグリキャップを外からかわし、直線に入って単騎抜け出した。
一方のオグリキャップが遅れて馬群の中央から抜け出すと、
バンブーメモリー騎乗の武豊は内ラチ沿いに迫るオグリキャップの進路を敢えて空け、一騎打ちを挑んだ。
後に武豊は、“バンブーメモリーを内に入れて後方のオグリキャップの進路を阻むことも可能だったが、
勝負したかった”と述懐している。
このデッドヒートを関西テレビの杉本清アナウンサーは
『負けられない南井克巳、譲れない武豊』と実況した。
両馬は並んでゴールし、長い写真判定の末、ハナ差でオグリキャップの優勝となった。
この年、安田記念・スワンステークス優勝が評価され、JRA賞最優秀スプリンターを受賞した。

247 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 03:08:59.47 ID:/936B1tq0.net
オグリローマン 逸話

中央転厩2戦目は桜花賞トライアルチューリップ賞に出走。
主戦の武豊が中山遠征のため、田原成貴(前走エルフィンステークス1着、桜花賞1番人気3着のローブモンタントの主戦騎手)とコンビを組み、2着に敗れはしたものの陣営にとっては手ごたえをつかむことができたレースとなった。
そして、3番人気で迎えた本番桜花賞では、鞍上を武豊に戻し最高の状態に仕上げられた。
他馬を怖がる気性に最内枠という厳しい条件ではあったが、武豊の好騎乗もあり、直線では鋭い末脚を繰り出し、
ゴール前はツィンクルブライドとの激しい追い比べになった。
写真判定の結果、ハナ差で兄の成し得なかったクラシック制覇を達成することが出来た。
またこの勝利で、武豊は史上2人目の桜花賞連覇を達成した。
また、ウイニングラン中には、
スタンドからオグリコールが沸き起こった。


オグリローマンの子供達

第1子オグリロマンスが1999年3月28日に武幸四郎の騎乗でデビューし3着。
同年4月11日に2戦目で初勝利を挙げた。
8戦目の雲仙特別(900万下)では武豊が騎乗したが6着に終わった。

第6子オグリホットが2006年にウイナーカップ(盛岡競馬場)を制している。

第7子ロマンシエールの2勝目は、
騎乗した中舘英二にとって通算1500勝目の記念の勝利となった。
ブログで
「すごく思い入れのある馬です」と語っている。

248 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 03:11:47.05 ID:/936B1tq0.net
スキーパラダイス 逸話

古馬となった1994年の4歳時は緒戦に中央競馬の京王杯スプリングカップ(JRAGII、安田記念の前哨戦)を選択。
これ以降中央競馬の武豊が主戦騎手となる。
京王杯は1番人気に応え優勝、4着まで外国馬が独占したものの、本番の安田記念 (JRAGI) ではスキーパラダイスは16kgの体重増での出走で5着に終わり、他の外国馬も3着が最高であった。
その後はフランスに戻るも武が続けて騎乗。
アスタルテ賞(仏G3)2着、ジャックルマロワ賞(仏G1)5着ののち、
ムーランドロンシャン賞(仏G1)で初のG1競走優勝。
日本人騎手による海外G1競走初優勝でもあった。
その後もクイーンエリザベス2世ステークス(英G1)4着、フォレ賞(仏G1、ティエリ・ジャルネ騎乗)5着、ブリーダーズカップ・マイル(米G1)10着を最後に引退。この年8戦2勝。


スキーパラダイスの子供達

引退後は日本に輸入され、繁殖牝馬として阪神牝馬ステークス (JRAGII) 優勝のエアトゥーレ、フローラステークス (JRAGII) 3着のアスピリンスノーなどを輩出している。
またエアトゥーレは皐月賞(JpnI)優勝のキャプテントゥーレ、セントウルステークス (JRAGII) ・シルクロードステークス (JRAGIII) 優勝のアルティマトゥーレを産んでいる。
また、第一子のアグネスショコラ(父:サンデーサイレンス)からは孫のゴールデンチケットが兵庫チャンピオンシップ(統一JpnII)を勝っている。

249 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 03:20:05.04 ID:/936B1tq0.net
シーキングザパール 逸話

1996年7月20日、小倉開催の新馬戦でデビュー。
従前から調教での走りが栗東で評判となっており、単勝オッズ1.2倍の1番人気に支持されると、
スタート直後先頭から、2着に7馬身差を付けて初勝利を挙げた。
続く中山開催の新潟3歳ステークスではシンコウスプレンダに次ぐ2番人気の支持を受けたが、
スタート直後に外側へ大きく逃避したことが影響して後方からのレース運びとなり、直線で追い込むも3着と敗れた。
騎乗していた武豊は逸走の原因が分からなかったといい、
「ちょっと普通のいいコではないなと」感じたという。
しかし次走のデイリー杯3歳ステークスでは気難しさを見せることなく、
メジロブライトに5馬身差、3歳馬による芝1400メートルの日本レコードタイムで重賞初勝利を挙げた。
また、武はこの勝利で兄弟子の河内洋が保持した年間重賞最多勝記録を14に更新し、
さらに史上初の4週連続重賞勝利を合わせて達成した。

8月9日にモーリス・ド・ギース賞を迎えた。
フランスは雨が多い時期に当たり森は馬場状態を懸念していたが、当年は雨が降らず、数十年ぶりといわれる硬い馬場での競走となった。
シーキングザパールはオッズ10.4倍の5番人気であった。
スタートが切られると、スローペースで押し出されるような形で先頭に立ち、そのままレースを先導。
残り300m地点からスパートを掛けると追走するジムアンドトニックらを振り切り、コースレコードを17年ぶりに更新する1分14秒70で逃げ切り勝ちを収めた。
日本競馬界の悲願とされていた初の欧州G1競走制覇であり、
地元紙『パリチュルフ』は「ロケット弾、その名はシーキングザパール」との見出しで、この勝利を1面で伝えた。
またイギリスの『レーシング・ポスト』も「日本の牝馬、歴史を作る」の見出しと共に、1面から3面までを割いて大きく取り上げ、
関係者の紹介や、1958年から1959年にアメリカへ遠征したハクチカラ以降の日本馬の海外遠征史も合わせて取り上げた。

250 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 03:21:37.49 ID:/936B1tq0.net
手綱を取った武はフランス調教馬スキーパラダイスで勝ったムーラン・ド・ロンシャン賞に次ぐ欧州G1競走2勝目であったが、
「スキーパラダイスの時とは違う嬉しさがありますね。日本の馬で日本のチームで勝てたんですから。
これは僕ひとりの勝利ではなく長年やってやっと勝てたんですから。
日本のホースマンにとって今日の勝利はすごく大きいと思います」と語った。

また、森は勝因について
「ジョッキーかな。予想外の展開だったけど、このコースをよく知ってる彼のあの乗り方が結果的に見ればベストだった。
もちろん涼しいニューマーケットでの調教がうまくいったこと、馬場が軽くてシーキングザパールに向いていたことなども勝因にあげられる。
負担重量や距離を考えてこのレースを狙った甲斐があったと思う」と述べた。
なお、シーキングザパールのレコードタイムは2013年にムーンライトクラウドに破られるまで15年間にわたり保持された。
翌週のジャック・ル・マロワ賞では圧倒的1番人気に推されたタイキシャトルも優勝、2週連続での日本調教馬による快挙はフランスを驚かせ、
当地のマスコミでは「日本馬がノルマンディーに歴史的な上陸を果たした」といわれた。
これらの勝利に対し、日本中央競馬会(JRA)からはシーキングザパール陣営に対し約9200万円、タイキシャトル陣営に対し約1億6800万円の褒賞金が出された。

251 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 03:26:18.01 ID:/936B1tq0.net
11月22日にはマイルチャンピオンシップに出走した。
騎乗停止中であった武に代わり河内洋が騎乗し、当日はタイキシャトルに次ぐ2番人気であったが、 先行策から直線で伸びず、5馬身差で圧勝したタイキシャトルの後方で8着に終わった。
年末には騎手を武に戻しスプリンターズステークスに出走。
前走に続きタイキシャトルに次ぐ2番人気であったが、オッズはこれが引退レースのタイキシャトルが1.3倍、
シーキングザパール10.5倍と大きく離されていた。
道中は最後方待機から最後の直線で追い込み、ゴール寸前でタイキシャトルを交わしたものの、先に抜け出していた7番人気のマイネルラヴにアタマ差及ばず2着に敗れた。
武は競走後「力は出しきれましたが、(タイキシャトルのほかに)まさかもう1頭いるとは思わなかった」と語った。
また武は2000年に行われたインタビューで、自身のキャリアにおける「一番悔しかったレース」としてこの競走を挙げている。

2005年6月10日、シーキングザパールは当時繋養されていたレーンズエンドファームの放牧地で死んでいるところを発見された。
ジェイエフビーステーブルズのマネージャーであるレイモンズ・ベルによれば、 馬体に目立った傷や暴れたような跡はなく、正確な死因は不明であるが、 落雷に遭ったものであろうと推測された。11歳であった。

武豊は、シーキングザパールとタイキシャトルがフランスで好結果を残したことが日本の関係者の自信となり、
以後の旺盛な国外遠征に繋がっていると両馬の功績を称え、
個人的には「僕がずっと『日本の馬は絶対レベルが高いから、日本でふつうに重賞を勝つ馬は海外でGIを勝てるかも知れない」と言っていたことを、
シーキングザパールは実際に証明してくれたところが嬉しかった」と述べている。
また、騎手という立場からは「気性のむずかしい馬でしたが、乗り味は最高でした。 もう少し聞き分けがよかったらなあ、とは思いますけれど、
なしとげたことは歴史に残るのだからすごい名牝です」と評している。

252 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 03:30:42.47 ID:/936B1tq0.net
マーベラスサンデー 逸話

6月のエプソムカップで重賞に初出走、ユウセンショウ以下を退けて重賞初勝利を挙げた。
以降は天皇賞(秋)を目標に、夏から秋にかけ札幌記念、朝日チャレンジカップ、京都大賞典と重賞を連勝。
6連勝で天皇賞(秋)に臨んだ。
当日は春の天皇賞馬サクラローレルに次ぐ2番人気に支持される。
しかし同馬をマークした結果、先に抜け出したバブルガムフェロー、マヤノトップガンを捉えきれず、
さらにサクラローレルにも交わされての4着に終わった。
競走後は連戦の疲労が見られたため、
ジャパンカップを回避。
年末に出走した有馬記念では、
サクラローレル、マヤノトップガンとの「新三強」との評を取った。
レースでは直線で一旦先頭に立つも、
サクラローレルに躱され、2馬身半差の2着で当年のシーズンを終えた。
年が明けて三度目の3強対決となったこの第115回天皇賞(春)も同じくその3頭が人気を集めた。
前年の第113回天皇賞(春)と有馬記念のタイトルを手中に収めたサクラローレルはその年のJRA賞年度代表馬に選出され、この年の秋には凱旋門賞に挑戦するプランが立てられた。
ただしこの競走には有馬記念以来の休み明けで不安視する見方もあった。
マヤノトップガンは前々年の年度代表馬であるものの、サクラローレルの前に三度完敗。
しかし前年の天皇賞(秋)では先の通りサクラローレルに先着していた。
この競走には前哨戦の阪神大賞典を、
それまでの逃げ・先行のスタイルから一転、レース道中を最後方待機する戦法で圧勝しての参戦だった。
マーベラスサンデーもまた二度サクラローレルに敗れていたが、
こちらも前哨戦の大阪杯を快勝しての参戦だった。
現役最強と評価されていたサクラローレルに人気が集中し、 2番人気マヤノトップガン、 差がなく3番人気マーベラスサンデーが続き、 離れた4番人気がロイヤルタッチとなった。

253 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 03:32:12.24 ID:/936B1tq0.net
ビッグシンボルがスタート直後に逃げる展開。
後方に下がったマヤノトップガンが掛かり気味に前に行きたがるが、馬群の内に閉じ込め落ち着かせる。
サクラローレルは馬群の中団外に待機し、 それを真後ろでぴったりマークするマーベラスサンデー。
逃げたビッグシンボルに競りかけるような馬はおらず、スローペースとなり、 正面スタンドから向正面まで淡々とレースは流れる。
レースが動き出したのは向正面の残り1800mを切ったところで、
掛かり気味にサクラローレルが逃げるビッグシンボルの後方まで動く。
その動きに、サクラローレルをマークしていたマーベラスサンデーも追随する。
有力馬2頭が動いたことで、他馬も動きペースが上がり、馬群が乱れて出入りの激しい展開になるが、
マヤノトップガンは馬群の中団で動かない。 3コーナーから4コーナーにかけて、 マーベラスサンデーがサクラローレルに並びかけ、直線入り口で2頭が先頭に立つ。
一方、中団の内にいたマヤノトップガンは、前の馬が下がってきたこともあり3コーナーで思い切り外に出すが、
前を行く2頭との差が開く。
最後の直線に入り、サクラローレルとマーベラスサンデーの壮絶な叩き合いとなる。
残り200mでマーベラスサンデーがサクラローレルを交わすが、サクラローレルが差し返す。
この2頭で決まりかと思われたが、
後方にいたマヤノトップガンが普通の馬では届かないと思われる位置から驚異的な末脚を繰り出し、
サクラローレルとマーベラスサンデーをゴール直前で大外から一気に差しきりゴールイン。
サクラローレルが2着、マーベラスサンデーが3着と「3強」が上位を占めた。
勝ち時計3分14秒4は、それまでのレコードタイム(1993年ライスシャワー 3分17秒1)を2秒7も更新する凄まじいレコードタイムであった。

254 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 03:35:22.11 ID:/936B1tq0.net
3分14秒4のレコードは「長年破られないのでは?」と競馬ファンに思われたが、9年後の2006年にディープインパクトによって1秒(3分13秒4)更新された。 当競走を実況したアナウンサーの杉本清はマヤノトップガンに注目した実況を行ったが、
その理由として天皇賞前の昼休みに行われたトークショーで武邦彦が「サクラローレルとマーベラスサンデーの勝負付けは済んでいる、怖いのはマヤノトップガンだ」と語っていたので、
実況ではマヤノトップガンに注目したそうだ。
なお杉本も、この天皇賞を会心の実況と語っている。
マヤノトップガンに騎乗する田原成貴は、 マーベラスサンデーに騎乗する武豊へプレッシャーをかけるため、
サクラローレルの強さを強調する発言を繰り返していた。

次走に迎えた春のグランプリ・宝塚記念は、マヤノトップガンが秋に備え休養、サクラローレルはフランス遠征と、共に回避を表明していたため出走馬選定のファン投票で第1位に選ばれる。
当日もGI競走で初めての1番人気に支持された。
レースでは後方で脚を溜め、道中で徐々に先団に進出。
直線では前年秋に敗れたバブルガムフェローとの競り合いをクビ差制し、
念願のGI制覇を果たした。
しかし競走中に4度目の骨折をしていたことが判明し、休養に入る。
これで秋の目標としていたジャパンカップを断念、年末の有馬記念に目標を切り替えての調整が進められた。
迎えた有馬記念では、
同じく武が主戦騎手を務めていたエアグルーヴも出走していたが、武は本馬を選択。
当日は同馬を抑え1番人気に支持された。
レースでもエアグルーヴを交わして勝利目前であったが、ゴール直前で大外から追い込んだシルクジャスティスにアタマ差交わされ、2着に敗れた。
翌1998年も現役を続行。
しかし初戦に予定していた阪神大賞典への調整中に右前脚屈腱炎を発症。
そのまま競走生活から退き、種牡馬入りとなった。

255 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 03:45:44.12 ID:dkRbGN6E0.net
スペシャルウィーク 逸話

母キャンペンガールは本馬の妊娠中に幾度も疝痛を起こして衰弱し、
出産の5日後に死亡 (離れた馬房にいた本馬は母の死を感じたかのようにずっと啼いていた) したため、幼少期はばんえい競走用の農耕馬に育てられる。
そのころを過ごした日高大洋牧場では、 あまりほかの馬たちと行動をともにすることなくいつもひとりで遊んでいた。 乳母の気性がきつかったため人の手をかけて育てられた。
人間を恐れず、人懐っこい仔馬であった。
1997年11月にデビューし、新馬戦を単勝1番人気で勝利。
年明け、続く自己条件戦の白梅賞は予定を1週早めての出走であったが2着に敗れる。 この時1着だったアサヒクリークに騎乗していた弟の武幸四郎は、
武豊から 「きさらぎ賞に出られなくなったらどうするんだ?」 とどやされたという。 (武豊TV!より)
1月31日のつばき賞を除外されその翌週に行われたきさらぎ賞に格上挑戦し重賞制覇を達成。続く弥生賞も良血馬キングヘイローやデビューから2戦2勝のセイウンスカイを破ってクラシック戦線の主役に躍り出た。
皐月賞では単勝1番人気に推されたが、
セイウンスカイの3着に敗れた。
当時は芝の保護を目的として皐月賞の前週まで内側の移動柵を3メートル外側にずらして競走を施行し、
皐月賞の週に内側に移動させるという施策がとられていたが、
これによって内側の走路に3メートル幅の芝生が生えそろった「グリーンベルト」ができ、
内枠の馬や先行馬に有利な半面、
大外18番枠の本馬には不利な状況となっていた。
武豊はこの馬場状態を敗因に挙げた。

日本ダービーでは直線追い通し、
さらに興奮のあまりムチを落とすなどもあったが5馬身差で勝利した。
武豊にとってはデビュー12年目での念願のタイトル獲得。
「子供の頃から夢だった、本当に嬉しい」とレース後に語った喜びの大きさは、 何度も拳を振ったゴール後のガッツポーズが物語っていた。
鞭を落としたことについて武豊は、
興奮して手の感覚がおかしくなっていたのかも知れないが、
ゴールの時に鞭を振るパフォーマンスをするために、鞭を回したところ、
回りすぎて落とした、余計なことをしたと告白している。

256 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 03:49:46.38 ID:dkRbGN6E0.net
秋初戦の京都新聞杯ではキングヘイローをクビ差抑えて勝つが、
菊花賞ではセイウンスカイの世界レコードでの逃げとコース設定の前に屈し2着に敗れた。
ジャパンカップでは騎乗停止中の武豊に代わり岡部幸雄が騎乗。
単勝1番人気に支持されたものの、
同期のエルコンドルパサーの3着に終わった。

年明けに馬主権利の半分が社台グループに4億5000万円で譲渡される。
オリビエ・ペリエとのコンビで挑んだ初戦のアメリカジョッキークラブカップは3馬身差の快勝。
武豊に鞍上が戻った阪神大賞典では前年の天皇賞 (春) に勝ったメジロブライトを破った。
天皇賞 (春) でも直線でメジロブライトの追撃を1/2馬身抑えて勝利した。
陣営は年内引退を発表。また凱旋門賞挑戦プランも掲げられ、その壮行レースとして宝塚記念に出走した。
同期のグラスワンダーとの初顔合わせとなったこのレースはスペシャルウィークをグラスワンダーが後方からマークするという展開で進み、
直線でいったんは先頭に立つものの終始スペシャルウィークをマークしていたグラスワンダーに交わされ2着。
3馬身差の完敗であった。この敗戦により凱旋門賞挑戦は白紙撤回されることとなった。
秋初戦の京都大賞典では全く伸びず7着。 このころから調教で動かなくなり次走の天皇賞(秋)でも直前の調教では500万条件の馬に負けた。
信頼を失ってしまったこのレースでは京都大賞典を勝った上がり馬ツルマルツヨシにも劣る4番人気まで人気を下げた。 馬体重は前走から16キログラム減の470キログラムだったが、
馬体重が大幅マイナスになったのは、
「ダービー時の体重 (468キログラム) まで近づければ、本来の走りを取り戻すかもしれない。」と考えた陣営が、
体を絞ったためであった。
レースでは、道中は後方につけて、
直線に入ると末脚を披露しステイゴールドをクビ差抑えてレースレコードで勝利、タマモクロスに続く2頭目の天皇賞春秋連覇を達成した。
前走とは見違えるようなレースを見せたパートナーを武豊騎手は
「本当に良く頑張ってくれました」と労った。

257 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 03:52:49.83 ID:dkRbGN6E0.net
続くジャパンカップでは凱旋門賞でエルコンドルパサーを破って勝利したモンジューに1番人気を譲り、2番人気に支持された。
しかしレースでは海外から参戦した馬達を問題にせず、直線で力強い末脚を披露し勝利した。武豊騎手はジャパンカップ初制覇となった。
引退レースとなった有馬記念では、
最後方の位置取りから同じく後方に控えたグラスワンダーをマークするという宝塚記念とは逆の形の作戦を取った。
前半1000メートルの通過タイムが64 - 65秒という極端なスローペースとなったが、最後の直線で溜まった末脚を出し、一気にグラスワンダーを捉えた地点がゴールであった。
体勢はスペシャルウィークが有利であり、勝利を確信した武豊はウイニングランを行った。
しかし写真判定の結果、首の上げ下げの差でわずか4センチメートル差で2着に敗れていたことが判明。
レース後、武豊は「競馬に勝って勝負に負けたという感じです」と答えた。

この年のGIにおいて3勝2着2回という成績を残したにもかかわらず、
年度代表馬、最優秀古馬牡馬の座は同年の凱旋門賞で2着となったエルコンドルパサーにさらわれた。
記者投票ではスペシャルウィークが首位に立ったが、
票数が過半数を満たさなかったために審議委員による選考が行われ、
その結果エルコンドルパサーに年度代表馬が決定した。 このときは大論争となった。
スペシャルウィークにはグラスワンダーとともに1999年度JRA賞特別賞が贈られた。
現役時代のJRA賞はこのひとつだけである。

2000年1月5日に京都競馬場、翌6日には中山競馬場の計2か所で引退式を行った。

258 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 03:59:28.12 ID:wRMiNbV60.net
スペシャルウィーク 関係者 記者談話

白井寿昭は
「最後の有馬記念での死闘が物語るように、少なくともグラスワンダーとはまったくの互角だと思います」という。 エルコンドルパサーにしても、
たった1回のレースで優劣を決め付けることはちょっと難しいだろう。
そんな白井の思いは、1999年度のJRA賞選出に対する不満にも現れている。
年度代表馬および最優秀古馬はエルコンドルパサーであった。
スペシャルウィークとグラスワンダーは特別賞に選ばれている。 特別賞は文字通り特別に活躍した馬に贈られる賞で、本来なら年度代表馬に選ばれてもおかしくない馬、ファンに大きくアピールした馬が対象となる。
過去にはサイレンススズカやオグリキャップが受賞している。 ただ、この選考結果はかなりの議論を呼んだ。
エルコンドルパサーはフランスでしか走っていなかったため、
「いかに欧州のGIに勝ち、凱旋門賞2着とはいえ、日本で走っていない馬をJRA賞の対象にするのはおかしい」という異論が出たのである。
一方、スペシャルウィークとグラスワンダーの比較もややこしい。
GI勝ちの数では、前者が春秋の天皇賞とジャパンカップの3つであるのに対し後者は春秋のグランプリの2つ。
しかし、両者の直接対決に目を向けると2戦2勝で後者に軍配が上がるのだ。
とはいえ、グラスワンダーは安田記念でエアジハードに敗れてミソをつけており、 誰にも文句を言わせない内容とは言い難い。 いずれにしても、3頭のいずれが年度代表馬に選出されても不思議ではなかったのである。
当然、白井は不満であった。
身びいきもあろうが、
「スペシャルウィークが選ばれるべき」と思っていたのである。
「日本で走っていないエルコンドルパサーは対象外でしょう。 グラスワンダーは2度ともスペシャルウィークに先着しているとはいえ、 毎日王冠から有馬記念に直行するなど、狙いを定めて走っているんです。一方、スペシャルウィークは使うべきレースのすべてを使いました。
どんな状況であろうと、どんな相手であろうと戦い続けたんです」
JRA賞選出の結果にさまざまな意見が出たように、白井の意見にも賛否両論があるだろう。 それでも、間違いなくいえることは、 この白井の思いこそが、
スペシャルウィークの偉大さをそのまま物語っているということだ。

259 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 04:10:54.33 ID:wRMiNbV60.net
ステイゴールド 逸話

管理調教師の池江泰郎は、生後間もない本馬の第一印象を、
「きりっとした小柄な馬で、かわいらしくてからだは薄かったけど、黒くて品があってバランスがいいと思ったね。 動きがキビキビして見えた」と語っている。 秋から系列のノーザンファーム空港牧場に移され、馴致および育成調教を開始。
当初は大人しい馬であったが、 人を乗せて走るようになると気性の激しさを見せ始め、しばしば後肢で立ち上がり、周囲の馬に乗り掛かろうとする悪癖を出していた。
調教に向かう最中もしばしば立ち上がっていたが、ほぼ垂直に立ったままふらつくことがなく、それを同じ場所で何度も繰り返すなど、腰の強さも窺わせるものであったという。
1995年、系列のクラブ馬主法人・社台サラブレッドクラブの出資募集馬となり、一口95万円×40口、総額3800万円でカタログに載せられ、間もなく満口となった。
競走年齢の2歳となった1996年、「ステイゴールド」と命名され、
滋賀県栗東トレーニングセンターの池江泰郎厩舎に入った。
馬名は映画『アウトサイダー』の主題歌に使用されたスティーヴィー・ワンダーの同名曲に由来する。

1996年12月1日、阪神開催の新馬戦でデビュー。
オリビエ・ペリエを鞍上に初戦は3着であった。
続く2戦目では右前脚に骨膜炎を生じたこともあって最下位となり、いったん休養に入る。
翌年2月の3戦目から、以後長く主戦騎手となる熊沢重文が手綱を取った。
しかしこの競走では最終コーナーを曲がろうとせず、右回りのコースで左に旋回したため熊沢が落馬し競走を中止、競走後には競馬会より調教再審査を通告された。
その後、左へ斜行しようとする癖を直すためハミの種類を変え、2戦の2着を経て通算6戦目で初勝利を挙げた。
のち夏の間に条件特別戦で2勝を加え、
陣営は秋の目標を3歳クラシック三冠最終戦の菊花賞に据えた。

260 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 04:17:00.88 ID:wRMiNbV60.net
10月に京都新聞杯(菊花賞トライアル)で重賞に初出走したが4着となり、
3着までに与えられた優先出走権を逃す。
菊花賞には獲得賞金上位に回避馬が出たことで出走を果たしたが、
当日は10番人気と評価は低く、結果もマチカネフクキタルの8着に終わった。
年末には準オープン競走のゴールデンホイップトロフィーで2着となり、
当年は3勝のみでシーズンを終えた。
最終戦は抽選で騎手が選ばれるワールドスーパージョッキーズシリーズの一競走で、武豊が騎乗していたが、
武によればステイゴールドは競走中に他馬へ噛み付きにいったといい、
「競走に対する集中が全然できていない馬」という印象を抱いたと述べている。
GI競走において当初ステイゴールドは軽視されていたが、 5月の天皇賞(春)
でメジロブライトの2着(10番人気)
7月の春のグランプリ・宝塚記念でもサイレンススズカの2着(9番人気)と好走、GIにおける2戦連続の2着と、
そこまでで通算8度の2着という成績から注目され、 「シルバーコレクター」という異名を与えられた。
秋シーズンも天皇賞(秋)(蛯名正義騎乗)でオフサイドトラップの2着、
年末のグランプリ有馬記念でグラスワンダーの3着といった成績が続いた。
1999年に入ると3着が増えたが、
秋の天皇賞ではGIで4度目の2着となっている。 陣営は試行錯誤を続けていたが、一方でステイゴールドはその惜敗続きの成績から、独特の人気を獲得していった。熊沢はコンビを組んでいた期間のなかで、
サイレンススズカに敗れた1998年宝塚記念を「一番悔しかったレース」、スペシャルウィークに敗れた1999年天皇賞(秋)を「一番ステイゴールドの強さを感じたレース」として挙げている。
宝塚記念では、サイレンススズカに並び掛けたところで、
同馬が最後のひと伸びを見せて3/4馬身及ばなかった。
一方の天皇賞(秋)では、ハイペースの中での後方待機策が功を奏して直線で先頭に立ったが、さらに後方に控えていたスペシャルウィークにゴール寸前でクビ差交わされた。
熊沢は前者について
「ステイは完璧なレースをしていると思う。 相手が強かったです、後者について「レース中、何秒かは勝ったと思えた。
結果的には負けたけれど、このレースが僕の中では馬の持ち味を引き出せた一番いいレースだと思ってます」と回顧している。

261 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 04:18:15.00 ID:wRMiNbV60.net
2000年も緒戦からGIIを2・3・2着と勝ちきれず、天皇賞(春)で4着となった後、5戦目の目黒記念を前に熊沢は降板となり、以前一度だけ騎乗していた武豊が代役として迎えられた。
池江泰郎は乗り替わりについて、
「心を鬼にして、すべてをユタカ君に任そうと思いました」と語った。
競走当日は、当年初戦のアメリカジョッキークラブカップで負かされていたマチカネキンノホシに次ぐ2番人気に推された。
レースは重馬場ながら前半1000m通過が58秒7という速いペースで推移し、
武は後方待機策を取った。
最後の直線で追い込みを開始すると、
残り100m付近でマチカネキンノホシを捉え、同馬に1馬身1/4差を付けて優勝。
通算38戦目、3歳時に勝った900万下条件戦の阿寒湖特別以来、約2年8カ月ぶりの勝利で、
陣営念願の重賞初制覇をサンデーサイレンス産駒重賞100勝目の区切りの記録で果たした。
その間の連敗数は28戦、うち重賞での2着・3着がそれぞれ7回ずつあった。
土曜日開催・雨天下のGII競走ながら、
観客スタンドからはGIに匹敵する歓声と拍手が送られ、モニター中継を行っていた中京競馬場でも拍手が湧き起こった。

262 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 04:21:30.69 ID:wRMiNbV60.net
池江は
「GIでもね、あんなのないものね。
あんな温かいのは。僕もね、本当は拍手したかったんですよ。
みなさんと一緒に。それぐらい感動しましたよ」、
担当厩務員の山元重治は、
「振り向くとさ、みんなが応援してくれているじゃない。
喜んでくれているじゃない。
それを見て涙が出て困ったよ」と語った。
また武は、
「土曜の、しかも雨降りのGIIなのに、
クラシックレース並の大拍手で迎えられて、ステイゴールドの得難いキャラクターというものを肌で感じました。
池江先生なんか感激で泣いてるんですからね。まわりの、そうした空気というものに一番の驚きを覚えましたね」
と述懐している。

一方で降板させられた熊沢は後に行われたインタビューで、
この競走について次のように語っている。
「どうしたらステイゴールドを勝利に導けるか。
あのころはそれだけを考えていただけに、目黒記念を見たときは複雑な気持ちでした。
そうなんだ、そう乗るテもあるんだ、と思ったけど、 それを言うわけにもいかないし、 聞いてくれる人もいない。 やっぱり正直な気持ち、あのときは寂しさをひしひしと感じましたね。
でも、いつまでも引きずったりはしませんでしたよ。
僕の手から離れたけど、永年付き合ってきた戦友ですからね。」

263 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 04:28:33.93 ID:wRMiNbV60.net
武は東京競馬場からの帰路において「熊沢さんは今どんな気持ちなんだろう」とその心中を慮り、
「ちょっと顔を合わせにくい」という気持ちもあったと述懐しているが、
熊沢から「意外なほど屈託のない声で」祝福の言葉をかけられたといい、
「すごくいい気持ちになれました」と語っている。
目黒記念の後は年内に5戦を消化したものの、 宝塚記念(安藤勝己騎乗)の4着が最高という成績に終わった。
一方、同年秋には日本中央競馬会が主催した20世紀の名馬選定企画「Dream Horses 2000」において、
GI級競走の未勝利馬として最上位の34位に選ばれた。
ドバイシーマクラシック優勝から国内最終戦まで翌2001年初戦の日経新春杯(藤田伸二騎乗)で重賞2勝目を挙げると、 3月28日には厩舎の僚馬トゥザヴィクトリーらと共にアラブ首長国連邦のドバイへ遠征、
ドバイミーティングの一競走・ドバイシーマクラシック(GII)へ武豊を鞍上に出走した。
当日、イギリスの大手ブックメーカーにおける単勝オッズは34倍でブービー人気のグループに入っていたが、
レースでは中団待機で馬群の中を進むと最後の直線では、
先頭を行く地元の1番人気馬ファンタスティックライト(前年のワールドシリーズ王者)を、
ゴール寸前でハナ差交わしての優勝を果たした。
この勝利は日本調教のサンデーサイレンス産駒として初の国外重賞初勝利であった。
武は「日本でなかなか勝てなかったのに、こうやってステイゴールドが大きなところを勝ったこと、
それから日本のサンデーサイレンス産駒がやっと海外で勝ったこと、
これは日本の競馬の歴史を変えるできごとで、今後大きな意味を持ってくると思います」と語った。
帰国後は、フランスで騎乗していた武に代わり後藤浩輝を新たな鞍上に迎え、宝塚記念に臨むも4着に終わり休養に入る。

264 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 04:30:27.23 ID:wRMiNbV60.net
天皇賞(秋)では騎手が武に戻り、
テイエムオペラオー、当年の宝塚記念に優勝していたメイショウドトウに次ぐ3番人気に推された。
レースではスローペースの中を先行し、最後の直線で抜け出しを図ったが、またしても左側の埒にもたれかかる素振りを見せ、武が全く追うことができないまま7着に終わった。
2戦連続で悪癖を出したため、続くジャパンカップではハミを替え、さらに左眼だけにブリンカーを装着して臨んだ。
また競走前には、これが国内における最後の出走となることが発表された。
レースでは中団を進み、最後の直線では真っ直ぐ走ったものの、先頭に立つまでには至らず4着に終わった。
これが国内での最終戦となった。

通算50戦目の引退レースとなったのは、香港・沙田(シャティン)競馬場で毎年12月に行われる香港国際競走のひとつ・香港ヴァーズ (G1) であった。
国際レーティングで120ポンドの評価を得ているステイゴールドは、
他馬と4ポンド以上の差がある抜けたトップクラスの存在であり、
当日はオッズ2倍の1番人気に支持された。

265 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 04:32:13.55 ID:wRMiNbV60.net
レースでは淡々とした流れの中で後方から6番手を進んでいたが、
第3コーナーからランフランコ・デットーリ騎乗のエクラールがロングスパートを仕掛けて後続を引き離し、
ここから流れが高速化した。
武は無理にこれを追ってもステイゴールドの持ち味を活かせないと判断して中団に留まり、 大きなリードを許したまま最後の直線に入った。
直線では素早く馬群を抜け2番手に上がるも、残り200メートルの地点では逃げるエクラールから約5馬身の差があり、
さらにステイゴールドは武が警戒していた向きとは逆の右側に斜行を始めた。 ここで武が咄嗟に左側の手綱を締め直すとステイゴールドは態勢を立て直し、エクラールを急追。
ゴール寸前で同馬をアタマ差交わして1着となり、引退レースで念願のG1制覇を果たした。
またこれは同時に、日本の厩舎に所属する日本産馬として初めての国外の国際G1制覇ともなった。
武はゴール前の追い込みを
「まるで背中に羽が生えたようだった」と評し、
またエクラールがドバイで破ったファンタスティックライトと同じ、青い勝負服を用いるゴドルフィンの所有馬だったことから、
「どうもステイゴールドはゴドルフィンのブルーの勝負服を見ると燃えるみたい」とも語った。
共有馬主のひとりだった競馬評論家の山野浩一は、「まるで一瞬ヴィデオがカットされて一秒くらい飛んだかのように、次の瞬間にはエクラールをとらえていた。
いったいその間をどんなスピードで走ったのだろう。
少なくとも私は過去にあのような瞬間的なスピードを発揮した馬を見たことはない」と感想を述べている。

266 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 04:35:59.15 ID:3HsirZmM0.net
5年間に渡った競走生活の末、
50戦の節目、引退レースでのG1制覇は、 「まさに絵に描いたような大団円」(武豊)、
「映画でもドラマでも、二度とは見られないようなシーン」(池江泰郎)、
「ここまでドラマチックな幕切れはそうそうあるものではない」(『優駿』)など、史上希に見る出来事として称えられた。
この勝利を評価され、ステイゴールドは当年国内においてJRA賞特別賞を授与された。
また、生涯G1出走回数20、重賞連続出走回数36は、いずれもナイスネイチャをしのぐJRA記録である。
当初は引退式の予定はなかったが、
ファンからの強い要望があったことに加え、 JRAからも陣営に要請が行き、
翌2002年1月20日、京都競馬場で引退式
が行われた。
当日は香港ヴァーズで使用されたゼッケンのレプリカを着用し、 場内には名前の由来となったスティーヴィー・ワンダーの「Stay Gold」が流された。

非常に激しい気性の持ち主であり、
池江泰寿は「肉をやったら食うんじゃないかと思ったほど凶暴だった」とし、 調教助手の池江敏行は、
馬房の前を通るだけで突進してきたことから「猛獣」と評している。

267 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 04:38:49.36 ID:3HsirZmM0.net
熊沢重文は
「馬場へ出る前の運動でも、立つ、蹴る、噛むと悪さの連続。
振り落とされるなんてのは特別珍しいことじゃないけど、 乗るときに回し蹴りが飛んできたり、噛まれるのを心配したりなんて馬はやっぱりそんなに数多くいるものじゃないです」と述懐しており。
その調教では近付いてくる馬がいると立ち上がって威嚇するため他厩舎から避けられていた。

白老ファーム場長の服巻滋之は、
こうした激しさの由来をステイゴールドの母の父ディクタスに求めている。
日々の世話をしていた山元重治は 、
猛獣ではないよ。
扱えないってほどの馬じゃないと述べているが、
それでも手を焼いたといい、
「とにかく『自分が一番エライ』ということをいつもいつも主張している馬」、 「自分のペース、自分のやり方に徹底してこだわり、やりたくないことは頑としてやらない強情さは、
引退まで変わりませんでしたね」と述懐している。
また、熊沢は乗り手の立場から
「総合してみると、おだてる、という意識をもって乗ってないとだめだった。 ダメ、それしちゃダメ、とか表現するのではなくて、そうそう、そうそう、それでいいんだよ、って感覚ですね。 ソッポ向かれたらお手上げだったんで」述べ、
その性格については
「僕らが要求したことに対して、それは譲れる、それは譲れないっていうのをちゃんと表現してくれるわけ。
そういう意味では、基本的には扱いにくい馬なんだけど、わかってやれば、 中途はんぱな馬よりは扱いやすい。
わかります?何がしたい、 どうしたらいいのか分かる馬だけに扱いやすい。 だからみんな入れ込んでしまう」 と語っている。

268 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 10:51:04.39 ID:n3CN0MuNO.net
>>28 >>80
岡田総裁は菊花賞の前に
「TジャッカルはSクリーク、Mマックイーン級の遅れてきた重厚なステイヤー。
ダービー時に仕上がっていたら、ダービーも勝っていた。」
と発言していたから
低レベル3歳世代の中で唯一の大物かも

269 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:13:11.13 ID:784WbkMf0.net
『記憶に残る馬』

 近年の強豪の中で、我々に最も鮮烈な印象を残した馬として、サイレンススズカの名前を落とすわけにはいかないだろう。5歳になって本格化した後のサイレンススズカは、歴史上他に例を見ないほどの圧倒的なスピードで、
スタートからゴールまで決して先頭を譲ることのないままに、常に馬群の先頭を走り続けた。
果たしてこの馬が「差される」ということがあり得るのか。そう思わせるほどに、
その走りはスピードに溢れ、金色の馬体以上に輝きを放っていた。
 しかし、サイレンススズカの実績を見ると、かつて「名馬」と呼ばれてきた強豪たちと比べて、決して突出したものとはいえないこともまた事実である。確かに16戦9勝という戦績は立派だが、特に5歳春までに勝ったレースでは相手関係が弱いところを選んで走ってきており、
サイレンススズカが勝ったレースの中で、本当の意味で一線級の馬が走ったレースといえるのは1998年宝塚記念(Gl)と、同年の毎日王冠(Gll)ぐらいしかない。

 サイレンススズカのレースにそのような偏りがある理由としては、
4歳時の彼が、期待の割には戦績が振るわなかったことから、陣営が慎重にレースを選んだことも大きい。
しかしそれよりも、サイレンススズカの距離適性に限界があったことこそが最大の要因というべきだろう。
サイレンススズカの勝ち鞍は明らかに中距離に偏っており、マイルやクラシックディスタンスのレースには、
使われることすらあまりなかった。
 あるいは、5歳時のサイレンススズカならば、出走してさえいたならば、
マイルやクラシックディスタンスのレースでも勝つことができたかもしれない。
しかし、勝負の世界に「たら」「れば」が許されない以上、それは意味のない仮定に過ぎない。
実際に意味を持つのは、中距離以外ではほとんど戦績がないという現実の記録である。ゆえに、サイレンススズカが
「その最期ゆえに過度に神格化されている」
という批判がつきまとうことにも、
理由のないことではない。 
しかし、そうであったとしても、
やはり多くのファンにとって、サイレンススズカが強烈な輝きを放った名馬であることは、間違いのない事実である。
今回は、名馬たちの個性が薄れたといわれる現代競馬に現れた希代の逃げ馬サイレンススズカの馬生を振り返ってみることにしたい。

270 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:14:33.34 ID:784WbkMf0.net
『生まれ故郷』

 サイレンススズカが生まれた平取の稲原牧場は、スズカコバン列伝(皇帝のいない夏)で取り上げたとおりの実力派牧場であり、テルテンリュウ、スズカコバンによる宝塚記念制覇をはじめとして、その生産馬は素晴らしい実績を残してきている。

 稲原牧場をほぼ一代で有力生産牧場に育て上げたとされる場主の稲原一美氏は、血統に対して強いこだわりを持った馬産家としても知られている。
というより、そのこだわりこそが、
彼に馬産家としての成功をもたらした原動力になったという方が正確かもしれない。

「強い馬を作るためには、良血の牝馬に良血の種牡馬を配合しなければならない。」

 稲原氏は一貫してその信念に基づく馬産に取り組んできた。
稲原牧場の規模は繁殖牝馬が20頭弱というところで、牧場の実績を考えるともっと大きくなっていてもいいし、
またその気になりさえすれば不可能ではないはずである。
しかし、それをしてしまうと1頭の馬にかけられる手間も費用も落ちてしまうことを、稲原氏はよく知っていた。

 そこで彼は、牧場の生産成績が上がってくると、牧場の規模をさらに大きくしようとはせず、むしろ1頭あたりにかけられる手間と費用を増強することに心を砕いた。
具体的には、牝馬に交配する種牡馬の質を上げ、繁殖牝馬も厳選したもののみを牧場に残し、さらに外部の牝系の導入によって積極的に血の入れ替えも図って、優れた血のみが牧場に残るように日々努力を重ねたのである。

271 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:15:28.75 ID:784WbkMf0.net
『挑戦なくして成功なし』

 そんな稲原牧場にとって、アメリカから輸入したワキアは牧場の期待を集める繁殖牝馬だった。
ワキアは稲原牧場と親交が深い橋田満調教師と稲原氏の長男が渡米した際に、橋田師が見付けてきた牝馬である。橋田師が目を付けた当時、ワキアはまだ現役の競走馬だった。
しかし、ワキアは彼女自身が当時既にかなりの競走成績を挙げていただけでなく、その血統もまたミスタープロスペクター系のエース格種牡馬ミスワキで、牝系も多くの重賞勝ち馬を出しているという裏付けがあるものだった。
 ワキアの競走成績、力強くスピード感に満ちた走り、そして日本競馬と相性がよく、活力に溢れた血脈が集約された血統に心惹かれた橋田師に

「いい牝馬がいるので買ってみませんか」

と誘われた稲原氏は、その話を聞いてすぐに決断、ワキアを買うことにした。当時はまだその決断の結果が分かるはずもないが、橋田師の相馬眼、
そして稲原氏のこのときの決断の正しさは、やがて確固たる実績によって証明されることになる。

272 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:25:18.76 ID:784WbkMf0.net
『うらめしき栗毛』

 この世に生れ落ちた、後のサイレンススズカを見たときの稲原牧場の人々の反応は、複雑な感慨が入り混じったものだった。
稲原牧場では、それまでにたくさんの馬をこの世に送り出してきたが、
そんな彼らにも、その子馬の美しさは際立ったものに見えた。
馬体も小柄ではあるけれどとても均整の取れたものだった。
 しかし、その反面で栗毛というのは気にかかった。サンデーサイレンスは青鹿毛、ワキアは鹿毛だったから、
栗毛の仔が出てくるというのは稲原牧場の人々にとっても予想外のことだった。普通仔が産まれたときに馬産家が期待するのは父、あるいは母の良さを引き継いだ仔が産まれることだから、
毛色は競走成績と直接関係しないとはいえ、父とも母とも似ても似つかない毛色の仔が産まれることは、うれしいこととはいえない。
当時、馬産界ではサンデーサイレンス初年度の活躍産駒の傾向や各地から伝え聞こえてくる評判馬の噂から

「サンデーの仔は青鹿毛か黒鹿毛しか走らない」

というあやしげな風評も流れていた。
かつて「テスコボーイの栗毛は走らない」という噂に翻弄されたという馬産界の毛色についての迷信深さはなかなかなくならないという、良き実例の一つである。

273 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:27:06.50 ID:784WbkMf0.net
『その愛しさゆえに』

 しかし、そのような風評とはまったく関係のないままに、ワキアの仔の所有者はたちまち決まった。
「スズカ」の冠名で知られ、ワキアの初年度産駒でワキアの仔の姉にあたる牝馬(ワキアオブスズカ)も所有していた永井啓弐氏が、誕生の知らせを受けるとほどなく稲原牧場まで駆けつけ、購入を決めたのである。

 もともと永井氏は稲原牧場や橋田師と親しく、稲原牧場がワキアを輸入したときにも彼女を見に来た永井氏は、
スピード感溢れるワキアに感心して稲原氏に

「子供が生まれたら真っ先に見せてください」

と頼み込んでいた。そして、ワキアが初年度に牝馬を産んだときに、基礎牝馬とするために牧場に残したい、と売却を渋る稲原氏に対して永井氏が発した決め台詞は、

「私が所有するのは現役時代だけで、引退したら絶対に牧場に戻します。それから、ワキアの仔は今後私が全部買わせていただきます」

というもので、その言葉に稲原氏もようやく心を動かし、ワキアの初仔は永井氏の勝負服で競馬場へと送り出された。その約束があったため、稲原牧場が最初に連絡したのは永井氏だった。
無事にこの世に生れ落ちた時点で、
ワキアの2番仔の勝負服はほぼ決まっていたのである。

 とはいえ、幼き日のサイレンススズカがすべての人にとって当時から後の活躍を予想させる存在だった、というわけではない。
むしろ、競走馬としての能力よりはその可愛らしさが目立つのが、
幼き日のサイレンススズカの最大の特徴だった。
後にサイレンススズカの幼駒時代について尋ねられるようになった稲原氏も

「小さい頃のエピソードが、本当に何もないんだよね。あれば話してあげたいんだけど…」

と答えに困るほどだから、その実態も想像がつくというものである。稲原牧場でのサイレンススズカの評価は、
人なつっこさ、可愛らしさは印象に残るけれど、肝心の競走馬としての能力は未知数なものに過ぎなかった。

274 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:28:17.44 ID:784WbkMf0.net
『ヘンな奴』

 サイレンススズカはやがて、競走馬となるための育成施設である二風谷軽種馬育成センターへと送り込まれた。
ここはトウカイテイオーが幼年時代を過ごしたことでも有名な育成施設である。
 ここでのサイレンススズカ評も、
当初は稲原牧場時代のそれと似たようなものだった。
手のかからなさ、家に連れて帰ってペットにしたくなるような人なつっこさだけが目立つ2歳馬―。
この馬が目立つ点を他に探そうとしても、せいぜい厩舎の中に入れるとなぜかいつも左回りにくるくる回る、そんなヘンな癖があることぐらいだった。

 しかし、そんな評価は馴致がある程度進んでいよいよ競走馬としての調教が始まると、一変した。
乗り役がまたがって走らせてみると、
その走りが他の馬とはひと味もふた味も違っていたのである。
力強い蹴り、大きな跳び、無理のない走法。その何もが競走馬としての並々ならぬ才能を物語るものだった。

「こういう馬が重賞を勝つんだろう」
「いや、重賞どころじゃない。この馬ならダービーにいけるぞ」

 サイレンススズカの才能は、
馴致が進んでデビューが近づくほどその輝きを増していった。
そんな彼を見るにつけ、人々のサイレンススズカの将来性への期待は高まっていった。

275 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:31:19.18 ID:784WbkMf0.net
『戦慄のデビュー』

 いよいよ競走馬としての馬体ができてきたサイレンススズカの入厩先は、
母を日本へ連れてきた橋田厩舎に決まった。
 サイレンススズカが橋田厩舎に入厩したのは3歳11月で、同期の3歳馬の中でもかなり遅い方だが、それは橋田師がサイレンススズカの将来性を見込んで馬の成長をじっくりと待つよう頼んだためである。
そんな橋田師の方針は入厩後もしばらく変わらず、栗東でサイレンススズカの本格的な調教が始まったのは、4歳になってからだった。

 しかし、サイレンススズカはたくさんの人々の期待にたがわず、本格的な調教が始まったばかりの明け4歳馬とはとても信じられない走りを見せて、周囲を驚かせた。
初時計でまったく追わずにいきなり坂路800m52秒3というタイムをたたき出し、さらに新馬戦に備えた追い切りでは古馬準オープンクラスの馬を置き去りにした。
もともとサイレンススズカの器には相当の自信を持っていた橋田師だが、このときはさすがに
「他の馬と入れ替わってるんじゃないか」
と己の目を疑ったという。
 サイレンススズカのデビュー戦は1997年2月1日、京都・芝1600mの新馬戦に決まった。

「大器サイレンススズカ! 」
 この噂は栗東でも評判になっていた。サイレンススズカを含めて11頭がエントリーしたこのレースだったが、
サイレンススズカの人気が単勝130円という一本かぶりになったのも、調教での連日の卓越した動きから、既にこの馬が人々の注目を集める存在となっていたゆえである。
 そして、サイレンススズカのレースは圧倒的1番人気の名に恥じないものだった。
スタートしてすぐに先頭に立つとそのまま後ろを引き離し、直線になってさらに突き放す競馬で7馬身差の圧勝を遂げたのである。
 この日のレース前に橋田師から
「なるべく馬ごみの中で競馬をさせてくれ」
と言われていたのは鞍上の上村洋行騎手だったが、馬なりで馬につかまっていただけなのにこんな競馬をされたのでは、せっかくの指示も守りようがなかった。
こうして大器サイレンススズカは、衝撃的なデビューを飾ったのである。

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276 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:33:09.76 ID:784WbkMf0.net
  『噂の馬』

 しかし、橋田師らサイレンススズカの関係者にしてみれば、
新馬戦を圧勝したぐらいで喜んではいられなかった。彼らの目は、もっと先を、そしてもっと上に向けられていたのである。
 デビュー戦を圧勝で飾ったサイレンススズカの次走として橋田師が選んだのは、皐月賞トライアルの弥生賞(Gll)だった。
弥生賞といえば、皐月賞トライアルの中でも毎年クラシックの有力候補たちが大挙して集結してくる重要レースだが、この年も朝日杯3歳S(Gl)
3着、ホープフルS(OP)を勝ったエアガッツや京都3歳S(OP)を制したランニングゲイル、そしてジュニアC(OP)
を逃げ切ったサニーブライアンらがエントリーしてきていた。
実績馬がそろった14頭の出走馬中で、
本賞金400万円の馬はサイレンススズカただ1頭だった。

 この異例のローテーションには、
サイレンススズカの潜在能力への期待があったことも確かだが、それに加えて別の理由もあった。
4歳春の大目標となるダービーを見据えると、重賞であるここで2着以内に入って本賞金を加算できれば、その後のレースでずいぶん楽ができるからである。この時点で1勝馬であるサイレンススズカにとって、ダービーまでの期間はあまりに短く、もはや無駄は許されなかった。

 もちろんこの選択が楽なものであるはずがなく、強い相手に加えて、栗東から中山への長距離輸送という越えなければならない壁も高かったが、

「サイレンススズカならやってくれるのではないか」

 橋田師たちは、サイレンススズカの器、そして夢に賭けていた。

277 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:34:26.96 ID:784WbkMf0.net
 サイレンススズカへの期待は、
既にサイレンススズカ関係者だけにとどまるものではなかった。
この年はサンデーサイレンス産駒の中から確固たるクラシック候補が現れていなかったが、ここ二年クラシックを独占してきたサンデーサイレンス産駒の爆発的な活躍を知る人ならば知る人ほど、

「そんなはずはない」

とサンデーサイレンス産駒の期待馬を、血眼になって探していたのである。そういった人々にとって、1戦1勝ながら底知れぬ大物感を漂わせていたサイレンススズカは、格好の標的だった。

「いよいよ今年もサンデーの真打ちが現れたらしい」
「今年のダービーはこいつで決まりだ」

 弥生賞を前にそんなささやきがどこからともなく駆け巡り、その結果は1勝馬が1番人気エアガッツともあまり差のない2番人気の単勝350円にまで支持される現象となって現れた。
一番実績のない馬に対して与えられた、2番目の支持。前走で見せた桁違いの走りは、まさに「噂の馬」というにふさわしいものだった。

「遅れてきた大器がどんな走りをみせてくれるのか」

 弥生賞当日、サイレンススズカはパドックでいささか入れ込んでいたように見えた。初輸送でイライラしていたのかもしれない。
しかし、それは彼の天賦の才がカバーしてくれるだろう…。
青空のもと、サイレンススズカはファンファーレに送られて、たくさんの人々の熱い視線を背にゲートへと向かった。

278 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:35:38.27 ID:784WbkMf0.net
『混迷の中山』

 ところが、その直後に、中山競馬場は誰もが予想しなかったアクシデントで混乱の渦に包まれた。
ゲート入り完了後、ゲートが開く前なのに14個の枠の中のひとつで突然馬が大騒ぎを始めたのである。

 観衆のほとんどは一瞬何が起こったのか理解できなかったが、
やがてその馬が何なのかを知るに至って場内は騒然となった。…それもそのはず、大騒ぎをしているのは2番人気のサイレンススズカだった。
ゲート内で立ち上がったサイレンススズカはたちまち上村洋行騎手を振り落とし、次に今度は器用にもゲートの下をくぐって勝手に外に出てしまったのである。

 サイレンススズカはすぐに取り押さえられたものの、他の馬はいったんゲートから出されて発走は延期されることになった。
たいへんな失態だった。馬体検査がされて「異常なし」とされ、レースにはそのまま出走することになったサイレンススズカだが、当然のように大外枠発走の制裁を受けてしまった。

 そんな大混乱の中、振り落とされた上村騎手は、痛みを懸命にこらえながら立ち上がり、サイレンススズカに再び騎乗していた。

「この馬だけは、他人に渡したくない…」

 激しい痛みで立つことさえも困難だった彼を支えたものは、その思いだけだった。しかし、いったん失われたリズムは、そうやすやすと戻るものではない。平常心を失った馬と、痛みで馬にまたがるのがやっとの騎手の組み合わせでは、なおのことである。

 再スタートとなって、今度こそゲートは無事に開いたのだが、中山競馬場は再び別のどよめきに支配された。
まとまったスタートの中でただ1頭だけ、大外のサイレンススズカが出遅れてしまったのである。

「やっぱりか! 」

 気の早いファンが投げ捨てた馬券が舞い散る。サイレンススズカがゲートを出たとき、他の馬との差は、もうおよそ10馬身ほどついていただろうか。
完全に流れに乗り遅れたサイレンススズカの競馬は、このとき終わった…はずだった。

279 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:39:24.03 ID:TJZtGnT+0.net
『狂気の才』

 ところが、サイレンススズカの恐ろしいまでの能力が発揮されたのは、
その後のことだった。
完全に置いていかれたはずのサイレンススズカは、何とか馬群の後ろの方に取り付いたかと思うと、みるみる順位を上げていったのである。
 第1コーナーでは間違いなくどん尻だったはずのサイレンススズカは、
コーナーごとに確実に何頭もを抜き去り、第4コーナーでは第二集団にとりつき、なんと3、4番手まで上がってきていた。道中での走りは、完全に口を割りながらの、折り合いもくそもないめちゃくちゃな状態だった。
それなのに、信じられないようなまくりで先頭をうかがえる位置まで上がってきたその走りは文字通り天性の才のみによるものであり、その才のとてつもない大きさを目の当たりにした人々はあわやの大逆転劇を想像し、
一瞬言葉を失った。

 ただ、サイレンススズカにいくら才能があっても、この時点でそんな無茶をしながらそのままゴール板まで押し切れるほどに競馬は甘くはなかった。
さすがのサイレンススズカも直線に入ると力尽き、後続の馬に次々と差されていったのである。
レースはランニングゲイルが抜け出して3馬身差の圧勝を遂げたが、
サイレンススズカはランニングゲイルに遅れること1秒5の8着に終わった。

 もっとも、敗れたとはいえサイレンススズカも約2秒の出遅れからいったん見せ場を作ったことで、
その潜在能力を示した。とはいえ、
「潜在能力を示した」とひとことで表すにはこの日は多くのことがありすぎた。人々はこの日のレースから、
サイレンススズカに対してこんなイメージを形作っていった。

「恐ろしいまでの才能と、それを制御しきれない狂気を持った馬」

と。

280 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:40:58.93 ID:TJZtGnT+0.net
『もうひとつの真相』

 このように、弥生賞(Gll)は当時、
一般のファンの間ではサイレンススズカの「狂気」を示す事件として語られた。また、玄人筋では

「あの体勢からゲートをくぐるなんて、体が柔らかいんだなあ」

とヘンなところで感心する向きもあった。

 しかし、そのような捉え方では納得できなかった人もいた。
橋田師、そしてサイレンススズカにいつも接していた加茂力厩務員も、その一人だった。

 彼らはいつもサイレンススズカを見て、その気性もよく知っていた。
サイレンススズカは、日頃はおとなしくて人なつっこい馬で、あんな暴れ方をするなど信じられないことだった。
加茂厩務員は、この日の真相について

「ゲートまでついてたオレがいなくなったから、寂しくてオレを探してゲートを出ちゃったんじゃないか」

と今なお固く信じており、この説には橋田師も賛成している。
悪いことに、この日のサイレンススズカは枠番が偶数で、ゲートに入った後もしばらく枠番が奇数の馬のゲート入りを待たなければならなかった。
あるいは初めての長距離輸送で、馬運車の中でもずっと寂しい思いをしていたことも影響したのかもしれない。

 この日、サイレンススズカは栗東に帰る馬運車の中で大暴れをした。
暗い車の中に1頭閉じ込められたサイレンススズカは、まるで自分がすべてに見放された孤児であるかのように寂しそうで、悲しそうな声をあげたという。

281 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:43:49.05 ID:TJZtGnT+0.net
『再起』

 閑話休題。弥生賞で大騒動を起こしたサイレンススズカは、皐月賞出走を果たすどころか逆に3週間の出走停止、
発走調教再審査処分を受けてしまった。幸いゲート試験にはつつがなく合格したため、陣営はダービーを目指して一から出直すことになった。
 出走停止処分が明けたサイレンススズカは、ひとまず自己条件の500万下に戻ることになった。
しかし、自己条件ではサイレンススズカの器は違っていた。

 サイレンススズカは、ここでまたもスタートから先頭に立つとそのまま影も踏ませずに逃げ切る、新馬戦と同じようなレースで何の苦もなく2勝目を挙げたのである。
今度も持ったまま7馬身差、初めての重馬場もまったく苦にせずの勝利で、能力の違いはもはや明らかだった。

「ダービーに出したい」

 サイレンススズカに対する橋田師の期待は、ますます大きくなっていった。

 とはいえ、この年のダービーの出走権争いはレベルが高かった。
当時の状況では、2勝馬がもうひとつ普通のオープン特別を勝ったとしてもダービーに出走できるかどうかは微妙な情勢だったのである。
この時点では2勝馬に過ぎないサイレンススズカが確実にダービーに出走する方法はただひとつ、ダービートライアルのレースで出走権を勝ち取ることだった。

 サイレンススズカの次走は、
ダービートライアルということで最初はダービーと同じ東京2400mコースで開催される青葉賞(Glll)を目標として調整された。
しかし、世の中なかなか思い通りにはいかないもので、
サイレンススズカはレースの週になって球節炎を発症するというアクシデントに見舞われてしまった。
獣医の診断は、症状としては軽いが、
青葉賞はもちろん次週に開催される最後のダービートライアル・プリンシパルSについても、出走は難しいというものだった。

282 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:45:29.00 ID:TJZtGnT+0.net
 しかし、橋田師はプリンシパルS
(OP)出走を決断した。このときのローテーションについて、橋田師は後に

「プリンシパルSの後に来るのがダービーでなかったら、使わなかったと思います」

と答えている。彼の気持ちは、次のひとことに集約されている。

「ダービーは、別格なんです」

 幸いサイレンススズカの体調回復は順調で、獣医の診断よりはずいぶん早かった。
そして、サイレンススズカは橋田師の想いに応えるかのように、体調が不充分だったにもかかわらず、勝利によってダービー出走権を勝ち取った。

 この日は人気薄のカイシュウホマレという馬が逃げ、サイレンススズカは2番手に控える競馬となったのだが、
この日のサイレンススズカは折り合いもしっかりついていた。
人気薄の馬が逃げたことでペースはかなり遅くなり、逃げ・先行馬にとっては厳しい上がりの競馬となったのだが、サイレンススズカはマチカネフクキタルの猛追をクビ差抑え切ったのである。

 もっとも、この日の競馬は、橋田師にとって決して満足のいくものではなかった。
橋田師としては、内容うんぬんより、
もっと楽に権利を取ってダービーへ行きたかったというのが本心だったのである。

 しかし、球節炎で調整に順調を欠いたにもかかわらず勝ってしまったサイレンススズカの能力の高さには、舌を巻くばかりだった。
そして、この日の収穫としては抑える競馬ができたことがあった。
2400mとさらに距離が伸びるダービーでは、できることなら逃げずに好位で折り合わせたい。
それが、橋田師、上村騎手の共通認識だったからである。
何はともあれ、この日サイレンススズカは、勝つことによって新たな境地を開き、勇躍ダービーへと駒を進めることになったのである。

283 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:46:37.50 ID:TJZtGnT+0.net
『忍び寄る不安』

 こうしてサイレンススズカが苦しい戦いの末ようやく出走することができた第64回東京優駿、すなわち日本ダービー(Gl)は、絶対的な本命不在のレースといわれていた。
通常ならダービーで最有力候補となるのは皐月賞上位組のはずだが、その皐月賞が11番人気と10番人気で決着したのでは、「そのまま決まる」とは考えにくかったのである。

 そんな中で人気の中心となったのは、皐月賞(Gl)で脚を余しての4着に敗れ、巻き返しに賭ける内国産の嗣子メジロブライトだった。
それに弥生賞(Gll)を圧勝したランニングゲイル、京都4歳特別(Glll)を勝ってきた「関西の秘密兵器」シルクジャスティスらが続く情勢で、サイレンススズカの単勝は840円と4番目の支持を集めていた。

 だが、サイレンススズカ陣営は悩んでいた。

「距離が保つのか? 」

サイレンススズカは中距離馬と見ていた橋田師や上村騎手にとって、
東京2400mはいかにも長いように思われた。それよりは200m短いプリンシパルSでも、勝ちはしたものの最後は脚が止まりかけていた。

「これまでのような逃げでは、勝てないのではないか」

 そんなサイレンススズカ陣営の苦悩に決定的な方向性を与えたのは、
皐月賞を逃げ切ったサニーブライアン陣営の動きだった。

284 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:48:31.04 ID:TJZtGnT+0.net
『戦う前から負けていた』

 サニーブライアンは皐月賞(Gl)で逃げに近い先行によって自らスローペースを作り出し、そのままゴールまで粘りきるというレース運びでクラシック第一冠を手中にした。
人気薄の逃げ切りと言うことで評価は低かったものの、この年「三冠馬」になる資格をもっていたのは、この時点で既にサニーブライアンただ1頭だったのである。そして、サニーブライアンに騎乗する大西直宏騎手の発言は連日競馬マスコミをにぎわせていた。
「絶対逃げます! 」
「何が来ようと関係ありません。
うちはうちの競馬するだけをするだけです」

 皐月賞馬としてマスコミに露出する機会が増えた大西騎手は、ダービーでの戦法を問われるたびにそう吹きまくったのである。

 サニーブライアン陣営の派手な逃げ宣言を見た橋田師、上村騎手は考え込んだ。

「皐月賞馬と先手争いをして共倒れになるよりは、折り合えるものなら折り合って、好位置に控える競馬をした方が安全なのではないか? 」

 サイレンススズカを支持してくれたファンのためにも、無残なレースをするわけにはいかない。
あるいは、橋田師たちの頭を、逃げ馬に不利といわれる東京2400mコースで、レース前に有力視された多くの逃げ馬たちが直線で馬群に飲み込まれ、
当時もミホノブルボン以来5年間逃げ切りがないというダービーの歴史も彼らの頭をかすめたかもしれない。

285 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:49:56.82 ID:TJZtGnT+0.net
それこそがサニーブライアン陣営、
特に大西騎手が仕掛けた、単騎逃げを打つための術策だったとは予想もしないことだった。
サイレンススズカを取り巻く人々は、
レースを前にした心理戦で、完全に遅れをとっていた。

 しかも、このとき肝心のサイレンススズカ自身にも変調が起こっていた。
ダービーに向けた厳しい戦いで、
サイレンススズカはオーバーワーク気味になっていたのである。

 実は、これにもサイレンススズカ陣営の不協和音が影響している。
プリンシパルS直前追い切りの際、
上村騎手はこれまで走り詰めだったサイレンススズカに気を使って馬なりのまま追い切った。
ところが、このときもっと強く追うよう指示を出していた橋田師は、指示を無視されたことに激怒した。
その結果、上村騎手は、ダービーまでの間サイレンススズカの調教に乗せてもらえなくなってしまったのである。

ここで上村騎手に代わって調教をつけたのは調教助手だったが、彼や橋田師は、サイレンススズカにオーバーワークの兆候が出始めていることに、気付かなかった。
その結果が、サイレンススズカ自身の当日の入れ込みだった。

286 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:51:10.13 ID:TJZtGnT+0.net
『幕は開けど―』

 来るダービー当日、久々にサイレンススズカの鞍上に戻ってきた上村騎手が見たものは、サイレンススズカのいつになく激しく入れ込む姿だった。
上村騎手は橋田師から

「プリンシパルSのときのように、抑えた競馬をしろ」

と指示されていたが、馬を一見した瞬間

「これでは指示は守ろうにも守りようがないな」

と目の前が真っ暗になったという。

 上村騎手は結局、橋田師の指示通り、先手を取りにいったサニーブライアンをやり過ごし、サイレンススズカの手綱を絞って好位置に控えさせる作戦を採った。
これはいわばオーソドックスな正攻法というべき作戦で、前走のプリンシパルSで成功した方法である。
それをもう一度再現できれば、サイレンススズカの栄冠は大きく近づくはずだった。

 しかし、この日は上村騎手の危惧どおり、その安全策が裏目に出る結果となった。前へ前へと行きたがるサイレンススズカと抑えようとする上村騎手の息は、まったく合っていなかった。
上村騎手の手綱に逆らっても前に行きたいサイレンススズカは、
道中完全に口を割って完全に「かかった」状態だった。

 一方でサイレンススズカが抑えたため、サニーブライアンはゆうゆうと単騎逃げを打つことに成功した。

「サイレンススズカが来たら、抑えろ」

 自らの師匠であり、サニーブライアンを管理する中尾銑治調教師からはこんな指示を受けていた大西騎手だったが、自ら作り出した展開によって、
その必要をなくしてしまったのである。

287 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:52:41.49 ID:TJZtGnT+0.net
『勝者と敗者』

 サニーブライアンが逃げてスローペースのレースを演出する中、
サイレンススズカは一向に出ないゴーサインにいらだつ一方だった。
この日のサイレンススズカを見ていると、まるで彼の

「どうして今日は俺の思うように行かせてくれないんだ? 」

という叫びが聞こえてきそうなほど平常心を失っているのが分かる。
本質的に行きたがりのサイレンススズカにとって、こんなペースの中での待機策は苦痛以外の何ものでもなかった。

 サイレンススズカがいかに大物でも、こんな走りをしていては勝てるはずもなかった。
常に彼より前を走っていたサニーブライアンの走りがさらに力強さを増していくのに対し、サイレンススズカは直線に入ると見せ場を作ることもなく後退し始め、そのままみるみる馬群へと沈んでいった。
サニーブライアン二冠達成の陰で、
サイレンススズカのダービーは17頭立て4番人気で9着と、散々なものとなった。

 出走できるのは生涯一度、全競走馬の中の大多数にとっては、出走することさえ夢のようなダービーに、天賦の才だけで出走を果たしたサイレンススズカだったが、その彼がそんな晴れの舞台で味わったものは、ほろ苦い敗戦の味だった。

 だが、この結果はある意味この上なくまっとうなもので、最高の走りをした馬が勝ち、自分の走りすらできなかった馬が敗れたに過ぎないということもできる。
ただ、自分の走りさえできない負け方は悔いが残るもので、

「もし逃げていたら… 勝っていたのはシルクジャスティスだったでしょう」

という上村騎手の言葉は、自分の走りすらできなかった敗者の、せめてもの意地なのかもしれない。

288 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:54:18.56 ID:TJZtGnT+0.net
  『一年前の秋』

 ダービーの後、二風谷軽種馬育成センターへと放牧に出されたサイレンススズカは、さすがに春の過酷な戦いが響いたのか、かなり疲れた様子だったという。
しかし、そんなサイレンススズカも涼しい北の大地で夏を越すとすっかりリフレッシュし、函館競馬場を経て栗東へと戻ってきた。
サイレンススズカにとっては初めて戦いの中で過ごす秋が、始まろうとしていた。
 大きな期待と裏腹に、目立った実績はプリンシパルS(OP)優勝だけに終わったサイレンススズカの4歳春は、
橋田師にとって到底満足し得るものではなかった。
そして、その反省からサイレンススズカと彼を取り巻く人々の、試行錯誤が始まったのである。

 まず、初戦の神戸新聞杯(Gll)では春とはうって変わって、抑える競馬をやめることにした。
サイレンススズカの場合、実力があることは分かっているのだから、
問題はその実力をいかに発揮させるかにある。そこで、春は行きたがる性格のサイレンススズカに抑えた競馬を覚えさせようとしたが、実際には馬を御することができず、実力を発揮させることができなかった。
そこで、今度は馬に気分よく走ってもらうことを重視して、
馬の走る気に任せよう、ということになったのである。

 その結果は、マチカネフクキタルの2着というものだった。
この日サイレンススズカを差し切ったマチカネフクキタルは、後の菊花賞馬ではあるが、当時はまだプリンシパルS
(OP)で2着に入ったことが目立つ程度の存在に過ぎず、
この結果はサイレンススズカにとって満足し得るものとはいえなかった。

 しかし、この日の敗因は馬のせいではなく、第4コーナーでセーフティリードではないのにセーフティリードと誤信して馬をそれ以上追わなかった上村騎手の油断によるものだった。
この日自由に逃げさせてもらったサイレンススズカの走りは見るからに気持ちよさそうであり、抑えたときのような窮屈さはどこにもなかった。

289 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:57:33.55 ID:vPg/3RXx0.net
『初めての天皇賞』

 サイレンススズカの次走は、
神戸新聞杯(Gll)2着で優先出走権を得た菊花賞に見向きもせず、天皇賞・秋(Gl)に決まった。
サイレンススズカは母系がもともと短距離血統で、サンデーサイレンスも本質は長距離馬でない、という血統的な問題が主な理由だった。

 天皇賞・秋(Gl)といえば、古馬たちの大目標として古馬も含めた強豪が集結するレースである。
2000mという距離はいかにもサイレンススズカ向きといえたが、敵のレベルも比べ物にならないほど高かった。
春の中長距離戦線の中心となったマヤノトップガンは故障で引退、マーベラスサンデーも故障で休養中、サクラローレルはフランスへ遠征、と本来いるべき有力馬が欠けてはいたが、
それでも前年に史上初めて4歳で天皇賞・秋を制したバブルガムフェロー、
前年のオークス馬で、後に年度代表馬に輝いた女傑エアグルーヴが出走し、
人気の中心となっていた。

 当時、天皇賞・秋(Gl)では2年続けて強力なサンデーサイレンス産駒の4歳馬が出走し、結果を残してはいた。
1997年ジェニュイン2着、
そして1998年バブルガムフェロー優勝の実績は、サイレンススズカにとって希望となり得るものだった。
だが、ジェニュインは皐月賞馬であり、ダービーも2着に入った春のクラシックの主役の1頭だった。
また、バブルガムフェローも前年の朝日杯3歳S(Gl)を制した3歳王者で、
骨折がなければ春のクラシックのいずれかをとった可能性は非常に高いといえるだけの実績を持っていた。

 その一方でサイレンススズカの実績というと、ダービートライアルとはいえオープン戦に過ぎないプリンシバルS勝ちぐらいである。
少なくともこの時点では、サイレンススズカでは、好走した2頭の4歳馬に比べて相当の格落ちを否めず、この日から鞍上にベテランの河内洋騎手を迎えたものの、無謀な挑戦といわれても仕方のない選択だった。

290 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 15:59:44.48 ID:vPg/3RXx0.net
『原型』

 下馬評では高い潜在能力が穴党の注目を集め、
単勝1760円の4番人気に支持されたサイレンススズカだが、当日の作戦は
「奇襲か」

と思わせるものだった。歴戦の強豪を敵に回したサイレンススズカは、
この日これまでにない大逃げを打ったのである。

 この日の大逃げは、あらかじめ意図してのものではなく、
鞍上を務めたベテランの河内騎手が、
サイレンススズカを抑え切れないとみるや直ちに馬の走る気に任せる作戦に切り替えた結果だったが、
前半1000mを58秒5のハイペースで引っ張り、向こう正面では後続に10馬身以上の大差をつけて逃げるその走りは、
5歳時の走りの原型というべきものだった。

 もっとも、逃げという作戦は一緒でも、能力はまだ完成していなかった。
第4コーナーでも後続に約5馬身差をつけて逃げていたサイレンススズカは、
この時点ではあわやと思わせる走りを見せたものの、直線坂下でバブルガムフェローに捕まると、
後はばててしまって馬群に呑み込まれてしまったのである。
サイレンススズカは結局、掲示板に残れない6着に敗れた。

 しかし、この日のサイレンススズカの大逃げは、6着という結果だけでは言い表せない清々しさを感じさせるものだった。
また、6着とはいっても、3着以下とはほとんど差のない6着であり、
勝ったエアグルーヴ、2着のバブルガムフェローからは差をつけられたものの、その実力も並みの古馬にはまったく引けを取らないものであることを実証するものだった。

291 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:01:05.79 ID:vPg/3RXx0.net
『迷走』

 天皇賞・秋(Gl)の後、もともとの予定ではサイレンススズカは京阪杯
(Glll)に出走する予定だった。
京阪杯といえば京都芝1800mコースで行われるGlllで、中距離馬サイレンススズカにとって適距離であり、
かつ重賞未勝利であることを思えばレベル的にもちょうどいい水準のレースといえる。

 しかし、その予定を狂わせたのは、
サイレンススズカが香港国際カップ日本代表に選出されたという知らせだった。

 香港国際カップは12月に行われる芝1800mのレース(当時、国際Gll)である。普通に考えれば、重賞未勝利馬が気楽に出走できるレースではない。
それが、他にエントリーした馬との力関係から、サイレンススズカが選出されてしまったのである。

 登録こそしていたものの、橋田師もサイレンススズカの選出については

「選出されたらいいなあ」

という程度の期待しかしていなかった。京阪杯(Glll)出走というのは香港国際C不出走を前提にした予定であり、
その前提が変わった以上、出走予定の大幅な練り直しは避けられなかった。

 この年の香港国際Cは、12月14日に開催されることになっていた。
サイレンススズカにとって初めての海外遠征であるということを考えると、
準備期間は少しでも長いほうが良かった。そうすると、11月22日の京阪杯に出走することは、得策ではない。

 そこで、サイレンススズカの次走は、出走が1週間繰り上がって急きょマイルCS(Gl)に変更された。

292 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:03:05.30 ID:vPg/3RXx0.net
『勝算無き戦い』

 しかし、このときのマイルCS
(Gl)は、その出走のどたばたに比例するかのように、あらゆる面でちぐはぐなものとなってしまった。
サイレンススズカにとって、この時は万全の態勢で戦える状況とはいいがたかったのである。
 レースを控えた馬の微妙な体調からは、出走レース自体の変更が大きな不利となる。
しかも、この時は天皇賞・秋(Gl)からわずかに中2週という過酷なローテーションだった。

 さらに、距離も新馬戦以来となる1マイルである。
そして、Glにふさわしく、相手には、
後に世界最強マイラーに駆け上がるタイキシャトルをはじめとして、強く、
そしてマイル戦を得意とするライバルたちが揃っていた。

 そして、サイレンススズカにとって最も不運だったのは、出走馬の中に桜花賞馬キョウエイマーチがいたことだったかもしれない。
キョウエイマーチはサイレンススズカやタイキシャトルと同じ4歳馬だが、
サイレンススズカと同じく強烈な逃げを最大の武器とする馬で、桜花賞では泥まみれの不良馬場の中、
メジロドーベルを5馬身差で完封した実績を持つ純正マイラーでもあった。

 まったく同じタイプの逃げ馬が2頭いることは、それぞれにとって大きなマイナスである。
激しい逃げ比べになっても、実績上位、逃げ一手のキョウエイマーチは決して退かない。
そのことが分かっていただけに、
サイレンススズカにとっては戦う前から厳しい戦いであることは明らかだった。

293 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:04:45.86 ID:vPg/3RXx0.net
 しかも、この時サイレンススズカ陣営は、調整過程で致命的なミスを犯してしまった。
サイレンススズカの厩舎に、畳を吊るしてしまったのである。
そんな妙なことをしたのは、厩舎の中でいつもぐるぐる回っていたサイレンススズカを止めるだった。

 サイレンススズカには、入厩前から厩舎内でいつもぐるぐる回るというヘンな癖があった。
罪のないくせに見えるが、そう広くもない厩舎の中で、あまりに凄いスピードでまわるものだから、
周りの人々は、身体の一部を壁にぶつけて怪我でもするのではないかと、
いつも冷や冷やしていた。

 そのことはサイレンススズカを担当する加茂厩務員も同様で、
それまでにもいろいろ手を尽くしたのだが、サイレンススズカはどうしても厩舎内で回ることをやめてはくれなかった。
そこで、マイルCS(Gl)を前にして、
加茂厩務員はついに強硬手段に出たのである。

 狭い厩舎の中でさらに畳をぶら下げられては、さすがのサイレンススズカも動くことができなくなった。
しかし、回れなくなったサイレンススズカは、何となくイライラしているように見えたという。

 そして、その結果か、マイルCS
(Gl)当日のサイレンススズカは、
普段に比べて明らかに入れ込んでいた。自由人の自由を奪うことが決していい結果につながらないというのはよくある話だが、回る自由を奪われたサイレンススズカも、
この時は自由を奪われた囚人のような気持ちになったのかもしれない。

294 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:05:45.90 ID:vPg/3RXx0.net
『ごめんよ、スズカ』

 レースの展開も不向きで、スタートとともに飛び出したサイレンススズカだったが、案の定キョウエイマーチも先手を譲らず、激しい逃げ比べになってしまった。
サイレンススズカ、キョウエイマーチという2頭の逃げ一手の馬が競り合ったことで、ペースはつり上がった。
1000m地点でのラップが56秒5では、
いくらなんでもめちゃくちゃといわざるを得なかった。
 狂気のレースの代償は、15着という生涯最悪の敗戦だった。
サイレンススズカは直線入り口あたりではもう一杯になり、馬群に沈んでいった。

 しかし、同じようにレースを引っ張ったキョウエイマーチが2着にふんばったのだから、
サイレンススズカの敗因を一概にペースのせいにすることはできない。
レース後にはサイレンススズカがレース中に鞍ずれを起こしていたことも明らかになったが、
やはり敗因はレースに至る調整過程が万全でなかったことが響いたというべきだろう。

 レースの後、加茂厩務員はすぐに厩舎に吊るした畳を外し、サイレンススズカに詫びた。

「ごめんな、余計なことをして…」

それが加茂厩務員の、サイレンススズカへの正直な気持ちだった。

295 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:07:16.81 ID:vPg/3RXx0.net
『無声鈴鹿』

 マイルCS(Gl)で惨敗したサイレンススズカだったが、香港遠征の予定に変更はなく、シャンティ競馬場へと旅立っていた。
 だが、このとき鞍上に河内騎手の姿はなかった。
香港国際カップ(国際Gll)と同日に日本で行われるスプリンターズS
(Gl)に、騎乗予定があったのである。そして、サイレンススズカの鞍上に指名されたのは、
日本の騎手界に君臨するナンバーワンジョッキー・武豊騎手だった。

「無声鈴鹿」

それが、香港風に漢字名をつけられたサイレンススズカだった。
しかし、日本では、一般紙はもちろんスポーツ紙ですら、「無声鈴鹿」の遠征を大きく報道するところはなかった。国内最強馬サクラローレルのフォワ賞遠征、最下位惨敗の痛みは、報道する者、そして競馬人たちの中に深い傷を残していた。
日本最強馬が通用しなかった世界の競馬に挑む重賞未勝利馬が、巨大な風車に戦いを挑むドンキホーテに見えたとしても、仕方のない話だった。

 レースの翌日、一部のスポーツ紙にサイレンススズカが5着に敗れたという記事が、ほんの小さく載った。
その記事を読んだ奇特な人々の感想も、多くは

「やっぱりか」

というものだった。あるいは、

「重賞未勝利馬が、よくやった」

というものもあったかもしれない。
サイレンススズカの香港遠征は、ほとんど期待されずに始まり、
ほとんど注目もされないままに終わった。

296 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:08:56.42 ID:vPg/3RXx0.net
 だが、このレースに大きな意味を見出した男がいた。
鞍上の武豊騎手である。

 サイレンススズカは例によって逃げて、そして敗れた。
ハイペースで飛ばし、直線半ば過ぎまで先頭でレースを引っ張り、見せ場を作ったものの、最後には世界の強豪たちに捕まった。
勝ったのは、ヴァルズプリンスという馬で、2着には翌年の安田記念(Gl)で日本に遠征してタイキシャトルの2着に入ったオリエンタルエクスプレスの名前も見える。

 しかし、レースのあと武豊騎手は

「この馬は化け物だ」

と漏らした。「天才」と呼ばれた男は、この日の敗北からサイレンススズカに何を感じ取ったのか。

 帰国後、武豊騎手は
「この馬は絶対に抑えないで行った方がいいと思います。もし今後乗せていただけるなら、そういう競馬をしたいです」と橋田師に進言した。
その進言は、同時に武豊騎手の
「サイレンススズカに乗せてほしい」という意思表示でもあった。

 日本最高の騎手であり、どんな大レースであっても乗り馬にはまったく困らない武豊騎手。
そして、その武豊騎手が自分の方から乗りたがる、今は重賞未勝利の、
しかしGl馬に負けない素質を持つサイレンススズカ。

彼らの出会いによって新しい季節が始まろうとしていた。

297 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:10:22.94 ID:vPg/3RXx0.net
『己の道』

 年が明けて5歳になったサイレンススズカは、橋田師の意向で中距離路線を中心に戦うことになった。
サイレンススズカを中距離馬として育ててきた橋田師にしてみれば、これは既に既定路線に過ぎなかった。
 もっとも、その選択は、同時に別の問題を引き起こすことでもあった。
JRAの春の番組を見ると、古馬の中距離馬のためには、目標となるような大レースが組まれていないのである。
それでは、中距離王を目指すサイレンススズカは、いったいどこを目標に走ればいいのか。

 そこで中距離馬の陣営にとって、
選択肢は二つしかない。
一つは、距離適性の不利を承知で天皇賞・春や安田記念といったGlの桧舞台に挑むこと。
そして、もう一つはあくまで距離適性に忠実に、注目度が落ちるGll、Glll、
あるいはオープン特別の中距離レースを選んで走ることである。

 橋田師がサイレンススズカのローテーションとして選択したのは、後者だった。
サイレンススズカはそれまで1800mから2200mの中距離戦でしか良績を残していなかった。
距離適性のない大レースを無理して戦って不安定な成績しか残せない一流半になるよりは、中距離ならば超一流というスペシャリストを目指したい。
この選択は、橋田師の強力な意思表示だった。

298 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:12:16.01 ID:vPg/3RXx0.net
『快進撃は、人知れず』

 サイレンススズカの5歳緒戦は、
東京・芝1800mで行われるオープン戦・バレンタインSとされた。
まだ寒さの厳しい2月に行われる、
重賞ですらないオープン特別に出走する馬たちは、一流というには程遠いレベルの馬たちに過ぎない。

 だが、サイレンススズカがこのレースに出走しても、そのことを不思議に思うファンはほとんどいなかった。
なぜなら、この当時、サイレンススズカはその程度の馬に過ぎなかったから。9戦3勝、勝ち鞍は新馬戦、500万下とオープン特別。
実績といえばこれだけの馬を「一流」と呼ぶならば、国語辞典は大幅な書き換えを余儀なくされるに違いない。当時、このレースがひとつの伝説の幕開けとなることを知る者は、
まだそう多くはなかった。

 しかし、そんな中でもサイレンススズカの大成を確信していた男は、
確実に存在していた。
それが、前走の香港国際カップで初めてサイレンススズカの手綱を取った武豊騎手である。
この日、武騎手は重賞でもないオープン特別に騎乗するために、本拠地の関西からわざわざ東京へとやって来た。
いや、オープン特別のため、というのは正確ではない。
彼はサイレンススズカのために、東京へとやって来たのである。

 主な勝ち鞍はプリンシパルS優勝に過ぎないサイレンススズカだったが、
それでもバレンタインS(OP)の出走馬レベルの中ではこの実績は抜けたものだった。
12頭の出走馬中、サイレンススズカの単勝は150円と圧倒的1番人気に支持された。

299 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:13:29.74 ID:vPg/3RXx0.net
 そして、サイレンススズカは馬券を握りしめたファン、そして武豊騎手の期待にたがわず、さしたる強敵もいない相手関係の中で、バレンタインS(OP)を楽勝した。
スタートしてすぐに先頭に立つとそのままゴールまで一度もハナを譲らず、
2着ホーセズネックに4馬身差をつけて逃げ切ったのである。

 この日サイレンススズカが見せた逃げは、それまでのようにがむしゃらに行くだけでなく、
息を入れるべきときには息を入れることを覚えた走りだった。
それまでいったん走り出すと、後は力尽きるまで息をつくことを知らなかったサイレンススズカが、
勝負どころを前にした第3コーナーで、ふっと息をついてペースを落としたのである。
そのことが直線での脚の温存につながり、4歳時とはひと味違った圧勝劇につながった。

 それは、サイレンススズカが自分の実力を最も発揮できる走法、
そして不敗の戦法を完成させたということを意味していた。
競馬四季報のサイレンススズカの項を見ると、各コーナーでの位置取りはこのとき以降、最後のレースまでついに「1」以外の数字が記されることはなかった。

300 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:15:24.30 ID:vPg/3RXx0.net
『連勝街道』

 サイレンススズカは次走の中山記念(Gll)で、Gl掲示板の常連ローゼンカバリー、皐月賞馬イシノサンデーといった同じサンデーサイレンス産駒の実績馬を向こうに回して再びの逃げ切り勝ちを演じた。
最後には脚が完全に止まったものの、
それでもゴール板の前を駆け抜けたとき、最後方から差してきたローゼンカバリーはまだサイレンススズカより1馬身3/4も後ろにいた。
 本格化したサイレンススズカのバレンタインS、中山記念での連勝を見ると、古馬の最高峰といわれる天皇賞・春(Gl)へ出してみようという欲が出ても不思議がないほどの充実したものだった。
しかし、橋田師は天皇賞・春(Gl)には見向きもせず、サイレンススズカを小倉大賞典(Glll)へと向かわせることにした。

 天皇賞・春(Gl)の2週間前に行われる小倉大賞典(Glll)は、天皇賞・春(Gl)まで中1週になるため、天皇賞組の参戦はほとんどない。
レース自体が強い馬に不利なハンデ戦であり、そもそも一流馬が出ることを予定されたレースではなかった。
現に、中山記念(Gll)を勝ったばかりのサイレンススズカは、ここでは57.5kgのトップハンデを背負わされてしまった。

 しかし、サイレンススズカはここで単勝120円の断然人気に応え、またも逃げ切りでの重賞連勝を飾った。
しかも、今度の勝利は直線で武豊騎手が一度も後ろを振り向かずに終わってしまうという完璧な勝利だった。
1分46秒5の勝ちタイムは、中京1800mのコースレコードでもあった
(この年の小倉大章典は、小倉競馬場が改修工事中だったため、中京開催だった)。
オープン3連勝、それもすべて逃げ切りという凄みのあるレース内容で、
一部の人々はそろそろ、自分たちが見ている馬がもしかするととてつもない存在なのかもしれない、と気付き始めていた。

301 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:17:39.63 ID:Vfhqyswr0.net
『中距離王への第一関門』

 かくして世間の評価も急速に高まりつつあったサイレンススズカの次走としては、安田記念(Gl)への出走がまことしやかに噂された。
「サイレンススズカのスピードは、
マイルでこそ生きるのではないか」

というのである。この年の安田記念は、前年にマイルCS、スプリンターズSという秋の短距離Glを連勝し、
後には世界の名マイラーの地位へと駆け上っていくタイキシャトルが断然人気となることが予想されていたが、
本格化著しいサイレンススズカが参戦するとすれば、レースは俄然面白くなる。最終登録にサイレンススズカの馬名があったこともあって、
サイレンススズカの安田記念参戦は現実味のある夢として期待が持たれた。

 しかし、橋田師は最終的に安田記念を回避して、金鯱賞(Gll)に狙いを絞ることにした。
サイレンススズカがマイル戦に出走したのは生涯で二度、新馬戦、そして4歳時にマイルCSで15着に大敗した時だけである。
マイルCSでの敗因としては、本格化前だったこと、同型の快速馬キョウエイマーチとのハナの奪い合いとなって単騎で逃げられなかったこともあったが、橋田師自身が最初からサイレンススズカを中距離馬に育てようという意図のもとに育ててきたという事情も無視できなかった。
結局、橋田師は初志を貫徹し、中距離路線に徹することにしたのである。

302 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:19:03.63 ID:Vfhqyswr0.net
 かくして安田記念を回避したサイレンススズカの次走として選ばれた金鯱賞は、Gllとしては強敵が揃い、サイレンススズカにとっては宝塚記念
(Gl)前の大きな関門となった。
サイレンススズカの前に立ちはだかるライバルとして、まずは前年のクラシックホース・マチカネフクキタルがいた。マチカネフクキタルは前年秋に神戸新聞杯(Gll)、京都新聞杯
(Gll)の両トライアルに続いて菊花賞(Gl)も制しており、この日が古馬になってからの休養明け初戦だった。
また、ミッドナイトベットは京都金杯(Glll)、京都記念(Gll)など6連勝中、タイキエルドラドも休養明けながらその前は3連勝と、多くの有力馬が連勝で金鯱賞へと駒を進めてきていた。

 このようにローカルのGllとしては強い出走馬が並んだ金鯱賞だったが、
自身も重賞2連勝を含めて3連勝中のサイレンススズカは、連勝のみならずぶっちぎりの逃げ切りという強烈な勝ちパターンを持っていたことから、
他馬を抑えてファンの強い支持を受け、単勝200円の1番人気に推された。

 サイレンススズカにとっても、
金鯱賞は、いずれ確実に立ちはだかってくるであろう女帝エアグルーヴ、天皇賞・春(Gl)を圧勝したメジロブライト、前年4歳にして有馬記念(Gl)を制したシルクジャスティスといった当時の一線級の強豪たちと相見えるためには、立ち止まるわけにはいかないレースだった。

「状態は最高。負けることなんて、考えられない」

そう言い切ったサイレンススズカ陣営にとって、言葉は自信とともに、
頂点を目指すという決意の表れだった。

303 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:20:26.93 ID:Vfhqyswr0.net
『その差が、縮まらない』

 決意を物語るかのように、ゲートが開くと、サイレンススズカは、
いつものように素晴らしいダッシュ力でゲートから、そして馬群から飛び出し、そのまま後続に大きな差をつけていった。第2コーナー付近では5馬身程度、そして向こう正面では10馬身はあるだろうか、その差を数えるのがばかばかしくなるほどの、大逃げというに充分な差である。

 ペースが速めであることは、火を見るより明らかだった。
後続の騎手たちは、サイレンススズカを行けるだけ行かせて、直線でサイレンススズカがばてたところに襲いかかるという筋書きを立てていた。
また、大観衆もサイレンススズカがこのまま逃げ切るなどとは思っていない。勝つにしても、どこかで止まる。問題は、ゴール板までに他の馬が捕らえられるかどうか、―そう思っていた。

 だが、サイレンススズカが第3コーナーにかかるあたりから、中京競馬場の空気が揺れ始めた。

「なんだ? これは」

このときの中京は、どよめきとか、
驚きとかよりは、何か信じられないほどおかしなものが目の前で展開されている、そういった妙な雰囲気に支配されていた。
笑い出してしまったファンもいたくらいである。そして、空気の揺れは、
第4コーナーで決定的なものとなった。
その差が、縮まらない。
いや、逆に、後ろが引き離されているではないか。

304 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:23:09.70 ID:Vfhqyswr0.net
『ターフを駆ける戦慄』

 観客席から、突如拍手が沸き起こった。誰が始めたのかは分からないが、
周りの人々も次々とそれに従い、拍手は広がっていく。
 サイレンススズカがゴール板を迎えたときに彼を迎えたのは、ファンの盛大な拍手だった。
もはや、掲示板を見るまでもなく、
重賞クラスでは珍しい大差勝ちであることは明らかだった。
2着以下は激戦だったが、そちらを見ていたファンはほとんどいなかった。
誰もが、損得を超えてサイレンススズカの一人芝居に酔っていた。

 拍手に迎えられてのゴールという、
滅多にない経験をした武豊騎手だったが、このとき彼は別のことを考えていたという。
後ろからは何にも来ない。
ファンは妙に喜んでいる。彼の頭をふとこんな不安がよぎった。

「ひょっとしてカンパイだったんやないやろか? 」

カンパイとは、ゲートが同時に開かずに1頭だけでスタートしてしまうことである。もちろん、カンパイだったらスタートしてしまった馬もすぐに止められる。
2000m走らせてもらえるはずがない。
しかし、武豊騎手がそんなあり得ないことを疑うほど、
この日のレースは圧巻だったのである。

 勝ち時計の1分57秒8は、
中京2000mのコースレコードを10年ぶりに書き換えるものだった。
小倉大賞典(Glll)に続く連続レコード、そして誰も文句のつけようがない大差勝ち―。
これらの勝利は、これまで一流の敵と戦うことがなかったサイレンススズカを人々に一流馬として認識させるばかりか、いながらにして中距離王の地位に最も近い者としての評判を勝ち取るものだった。

305 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:24:19.19 ID:Vfhqyswr0.net
『夏のグランプリへ』

 当初の予定では、サイレンススズカは金鯱賞(Gll)のあと天皇賞・秋
(Gl)に備えて休養に入る予定だった。サイレンススズカの最大目標はあくまで天皇賞・秋だったことから、
7月の宝塚記念に出走すると、天皇賞・秋へのローテーションが難しくなる。
また、2200mの宝塚記念は、距離的に少し長いという問題もあった。
 しかし、金鯱賞での圧勝は、サイレンススズカの休息を許さなかった。
ファン投票はみるみる票を伸ばし、最終的には6位まで順位を上げた。

 そして、サイレンススズカは金鯱賞の疲れがまったく見えないばかりか、
馬体の充実も、目を見張るばかりだった。

「今なら、いける」

こうして、宝塚記念(Gl)出走へのゴーサインが出された。

306 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:26:16.92 ID:Vfhqyswr0.net
『臨戦態勢』

 真夏のグランプリ宝塚記念
(Gl)は、年度によっては有力馬が出走を回避して、メンバーが揃わないこともある。
しかし、第64回宝塚記念はそうではなかった。

 天皇賞・春を制したばかりのメジロブライト、前年の年度代表馬エアグルーヴ、有馬記念に続く秋春グランプリ連覇を狙うシルクジャスティス、
前年に牝馬三冠のうち二冠を制したメジロドーベル。
これらは、当時望み得るメンバーとしては最強に近いものだった。

 そして、サイレンススズカにとってはもう一つ重大な問題があった。
宝塚記念では、武豊騎手はサイレンススズカに騎乗することができないのである。
武豊騎手は、前年ずっと手綱を取ったエアグルーヴのために、先に年内すべてのレースの騎乗を約束していたため、エアグルーヴが出走する以上はそちらに騎乗しなければならなかった。
以前騎乗した河内騎手も、メジロブライトへの騎乗が決定している。
かといって、人気を背負ってGlに騎乗するのは、まだ経験の浅い上村騎手では荷が重い。

 そこで白羽の矢が立ったのは、
同馬主、同厩舎のゴーイングスズカに騎乗する予定だった南井克巳騎手である。
だが、武豊騎手も、サイレンススズカを一時のこととはいえ手放すのはよほど悔しかったらしく、
宝塚記念の週もたびたび橋田厩舎を訪れて、サイレンススズカのことを聞いていったという。

307 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:27:21.94 ID:Vfhqyswr0.net
『期待と不安と』

 宝塚記念を前に、サイレンススズカは調教でも抜群の走りを見せて、
トラックマンたちを驚嘆させた。
もはや、サイレンススズカに4歳時の脆さはどこにもなく、その充実ぶりは、
目を見張るものだった。
 しかし、その一方で不安もあった。
サイレンススズカは、左回りの中京や東京に比べて、右回りの競馬場では走りにスムーズさを欠くという特徴があった。
宝塚記念が行われる阪神競馬場は、右回りである。
そういえば、サイレンススズカが厩舎で回るときも、いつも左回りだったという。

 また、直線の坂がどうかという問題もあった。
サイレンススズカが強さを見せてきたのは平坦コースのローカル競馬場が主で、坂がある中山競馬場で行われた中山記念では、勝ったとはいえラスト3ハロン38秒9と完全に止まってしまったのである。

 期待と不安が入り混じる中、
サイレンススズカはGl馬4頭を抑えて1番人気に支持された。
とはいえ、単勝320円で2番人気となったメジロブライトとほとんど差のない280円という数字は、上位馬たちの人気が拮抗する激戦を物語っている。

308 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:28:55.40 ID:Vfhqyswr0.net
『当然のように』

 ゲートインの直後、突然メジロブライトがゲート内で立ち上がり、発走が延期されるという騒ぎが起こった。
サイレンススズカにしてみれば、
弥生賞の際には自ら主役として巻き起こした騒動だった。
 しかし、この時のサイレンススズカには、突然の発走延期にもまったく動じるところはなかった。
二度目にゲートが開いても、サイレンススズカはまったく出遅れることなくスタートを切った。サイレンススズカが弥生賞でそうだったように、
メジロブライトが完全に立ち遅れてしまったのとは対照的だった。

 サイレンススズカは、いつものように先手を奪い、そのままレースを引っ張り始めた。
1000m58秒6のラップは、サイレンススズカにしては平凡に見えるが、
普通のレースと比べれば充分に速い。
敵はそれまでより強い相手と戦ってきた一線級の強豪たちだったが、
その実力と意地をもってしても、ついて行くのは無謀に思ったのか、やはりサイレンススズカの一人旅となった。

 中団で待機しながら、いつもとは違う位置からサイレンススズカを眺めていたのは、エアグルーヴに騎乗した武豊騎手だった。
サイレンススズカの実力を知る武豊騎手は、サイレンススズカを追いかけると、潰れることも知っていた。
武騎手にできることは、中距離でしか実績のないサイレンススズカと、
2200mの距離の間の隙につけこむこと、つまりサイレンススズカの存在を無視してレースを進め、
最後にサイレンススズカが止まるのを待つことだけだった。

309 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:30:12.95 ID:Vfhqyswr0.net
『限界の壁を越えて』

 そんな思惑を知ってか知らずか、
第3コーナーを過ぎると、一気にサイレンススズカと後続との差が縮まった。
連勝中にはあまり見られなかった光景である。
 だが、これは南井騎手が2200mの距離を見越して、サイレンススズカの手綱を抑えたことによるものだった。

「一度、後続馬を引きつけていいですか」

南井騎手は、レース前に橋田師にそう尋ね、その通りのレースをしたのである。それまで武豊騎手の手綱のもとで、抑えることなく馬のスピードに任せて勝ってきたサイレンススズカを、
あえて抑える競馬で勝たせようというところに、南井騎手の一流としてのプライドがあった。

 4歳時のサイレンススズカなら、
抑えられても余計むきになって走るばかりで、自滅してしまっていたに違いない。
しかし、サイレンススズカは月日、
そして勝利の中で、自分を抑えることを学んでいた。
南井騎手の思惑が当たり、サイレンススズカは第4コーナーを回るあたりで、
南井騎手のムチに応えてもう一度加速し始めたのである。
距離延長でスタミナ的にはぎりぎりの勝負となるだけに、いったんスピードを落として息を入れた貯金は大きかった。

 とはいえ、常識では勝ち負けするとは考えられないハイペースでレースを引っ張ったサイレンススズカにとって、最後はやはり限界との戦いになった。9番人気で単勝42.3倍とまったくの人気薄だったステイゴールドが、そしてエアグルーヴが迫り来る。

310 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:32:21.74 ID:Vfhqyswr0.net
 しかし、サイレンススズカはライバル、そして自分自身との戦いに打ち勝った。
サイレンススズカはステイゴールドの末脚を3/4馬身抑え、
5連勝でついにGl初制覇を成し遂げたのである。
ただ一度の騎乗で使命を完全に果たした南井騎手、かつてナリタブライアンやオグリキャップらに騎乗して多くのGlを勝った名手にとって、
この日の宝塚記念はGl制覇の最後の思い出となった。

 距離適性としては限界に近かったであろう宝塚記念(Gl)で、
エアグルーヴ以下、現役古馬の主だったメンバーをことごとく切って捨てたサイレンススズカに与えられた評価は、

「中距離ならば、もはや敵なし」

というものだった。なるほど、5歳になってからのサイレンススズカは中距離ばかりを走って5連勝、そしてその内容もあまりに強烈なもので、
着順ばかりでなく、各コーナーでの馬の位置を示す四角形内の数字を見ても、5連勝中「1」以外の数字は一つも入っていない。
サイレンススズカはもはや、
「展開に左右される」宿命を負い、
それゆえに安定した成績を残すことが難しいはずの一本調子な逃げ馬としては、過去に例のない領域へと突入しつつあった。
自らハイペースを作り出し、そのまま逃げ切ってしまうという不条理なレースに、人々は熱狂した。
サイレンススズカは、ただのGl1勝馬ではなくなりつつあった。

311 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:34:35.35 ID:zyOixtRd0.net
『打倒サイレンススズカ』

 宝塚記念を制したことで、Gl馬の仲間入りを果たしたサイレンススズカだが、橋田師らが最も勝ちたいレースは、ほかのレースだった。
日本の中央競馬でも最高の伝統と格式を誇り、何よりも中距離最強馬を決するレースとされる天皇賞・秋(Gl)である。
 宝塚記念の後、自厩舎で休養に入ったサイレンススズカだったが、秋の日程を考えると、そうのんびりしている暇はなかった。
天皇賞・秋の前にステップレースを一つ叩くことを考えると、宝塚記念から2ヵ月後に再びレースに出走するという予定は、動かしがたいものだった。

 サイレンススズカの秋のローテーションは、中距離の王道、つまり毎日王冠(Gll)を叩いた後に天皇賞・秋(Gl)へと進むものとされた。
毎日王冠は、天皇賞・秋の伝統のステップレースである。
しかし、この予定が発表されると、
それまで毎日王冠への出走を予定していた馬たちが、次々と出走を回避していった。

「サイレンススズカには勝てるはずがない」

というのである。例年登録頭数がフルゲートを超えて除外馬が出ることも多い毎日王冠が、
この年に限ってわずか9頭という少頭数で行われたことには、そのような理由があった。

 そんな中であえて毎日王冠に挑む馬たちは、いわば戦う前から選別されたライバルである。
彼らは、サイレンススズカがいることを知って出走してきた以上、
戦う前からレースを捨てる意志などなかった。
彼らの目指すはただ一つ、
「打倒サイレンススズカ」にほかならない。特に、サイレンススズカを倒すことに特別な情熱を燃やす馬が、
出走馬の中に2頭いた。

312 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:36:20.47 ID:zyOixtRd0.net
『不敗馬二頭』

 打倒サイレンススズカに燃える2頭のうちの1頭は、前年の3歳王者グラスワンダーである。

 グラスワンダーは、もともと3歳時のデビュー前から「大物外国産馬」として評判になっており、
美浦では大きな期待を集めていたが、
彼の実際の成績は、その大きな期待をさらに上回るものだった。
新馬戦から3連勝、それもレコードタイムで京成杯3歳S(Gll)を制し重賞初制覇を飾り、続く朝日杯3歳S(Gl)でも、長らく破られることなく
「不滅のレコード」とまで言われたリンドシェーバーの1分34秒0というレコードを、またもやいとも簡単に、
しかも大幅に破り、1分33秒6という驚異のタイムで圧勝したのである。
4戦4勝で無敗のまま3歳王者に輝いたころ、グラスワンダーに与えられた異名は、いつしか「大物」から「怪物」へと変わっていた。

 だが、そんなグラスワンダーも、
4歳になってからは悲運に泣いた。
NHKマイルC(Gl)を目指して調整中に骨折が判明、4歳春を棒に振ってしまったのである。
そんな3歳王者が、雌伏半年、故障も癒えてついに戦線へと復帰してきた。
グラスワンダーにとって、復活を賭けた最初の戦いが、毎日王冠(Gll)だった。

 もう1頭の強敵は、グラスワンダー不在の中でNHKマイルC(Gl)を制したエルコンドルパサーである。

 エルコンドルパサーは、デビューが遅れたために朝日杯3歳Sには間に合わなかったものの、無事デビューを果たすやこちらも破竹の強さで勝利を重ね、NHKマイルC制覇まで5戦5勝、
やはり無敗でGl登頂を果たした。
NHKマイルCのあと秋に備えて休養に入っていたため、こちらも秋緒戦だったが、エルコンドルパサーもそのスケールはグラスワンダーに勝るとも劣らないものがあった。

313 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:37:34.59 ID:zyOixtRd0.net
 この2頭には、いずれも「外国産馬」という共通点があった。
外国産馬は、国内馬産地保護の目的のもと、クラシック、天皇賞から完全に締め出されていた。
同じサラブレッドでありながら、
彼らはその出自ゆえに、国内では最高の格式を誇るレースに出走することすら許されない身だったのである。

 多くの人々にとって、この2頭がいずれも時代を代表する名馬たる素質を秘めた馬であることは明らかだった。

「なぜ強い馬が最強馬を決めるレースに出られない? 」

 ファンの間ではそんな不満の声が渦巻き、この流れはクラシック、天皇賞の外国産馬への開放へとつながっていく。しかし、開放が決まる前のこの時点で、天皇賞・秋(Gl)への出走自体が許されないグラスワンダーが、
そしてエルコンドルパサーが、自らの最強たることを証明するためにできることは、内国産馬であり天皇賞・秋(Gl)制覇は確実といわれるサイレンススズカを直接対決で撃破することだけだった。

 中距離王者に対し、あえてその最も得意な距離で戦いを挑む、底知れぬ素質を秘めた2頭の外国産4歳馬。
宝塚記念でサイレンススズカと古馬一線級との勝負付けはついたという声が大勢を占める中、
毎日王冠(Gll)こそが事実上の最強馬決定戦になるのではないか、
というのがもっぱらの噂となった。

314 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:39:19.19 ID:zyOixtRd0.net
『不安な王者』

 このように、青雲の志に燃える4歳馬の挑戦を受ける立場となったサイレンススズカだが、こちらは信じられないほど不安が多い状態だった。
 まず、休み明けは他の2頭と同じだが、充分な期間があった2頭の4歳馬に比べ、宝塚記念を使ったサイレンススズカは、急仕上げで立て直したために、馬体の仕上がり自体が今ひとつだった。
斤量も、57kgのエルコンドルパサー、
55kgのグラスワンダーに対して、
サイレンススズカは59kgで、不利は否めない。さらに、急仕上げの強い追い切りで興奮したのか、厩舎でも速く回りすぎて、脚や頭を壁にぶつけたりもしていた。

「ちょっと使うのは無理かな…」

ということで、橋田師が出走回避に傾いたこともあったという。

 しかし、迷う橋田師を最終的に出走へと踏み切らせたのは、
外国産馬2頭が挑戦状を叩きつけてきた以上、受け取った者として、逃げ出すわけにはいかないという誇りだった。
ここで出走を回避すれば、事情はどうあれ、世間は

「サイレンススズカは2頭を恐れて逃げ出した」
と受け取ることだろう。
そうすると、たとえ天皇賞・秋を勝ったとしても、

「サイレンススズカよりも、グラスワンダーやエルコンドルパサーの方が強い」

と言われることは避けられない…。
 無論、戦って敗れることも屈辱に変わりはない。
しかし、戦わずして敗れるよりははるかに納得がいく。
また、それがサイレンススズカに合わせて中距離にあえて乗り込んできた挑戦者たちへの礼儀でもあった。

 この時サイレンススズカは仕上がり途上とはいえ、馬体はますます充実して、いよいよ競走馬として完成期に近づいていることが見て取れた。そこで

「今なら何とかしてくれるのではないか」

とサイレンススズカを送り出した橋田師だったが、不安もゲートが開くまで心につきまとっていた。

315 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:42:40.66 ID:zyOixtRd0.net
『三強対決』

 毎日王冠(Gll)が開催された10月11日、秋晴れの東京競馬場には13万人の大観衆が集結した。
そこにいる誰もが、歴史に残る死闘を期待して胸を躍らせていた。
「伝説のGll」の幕開けである。
 事前にマスコミには「三強対決」と煽られていたが、この日の人気を見ると、1番人気のサイレンススズカが単勝140円で投票の過半数を集める人気となった。
2番人気のグラスワンダーが370円、3番人気のエルコンドルパサーが530円だから、「三強」というには1頭にかぶりすぎである。
もっとも、4番人気のサンライズフラッグの単勝は3290円だったことを考えると、3頭と4番手の差はあまりにも大きい。オッズを見ても分かるとおり、
3頭の勝負であることは確かだが、
実際には「サイレンススズカに若い2頭がどう挑むか」のレースということを、ファンは、冷静に分析していた。

 サイレンススズカも、馬場入り直後、まるで自分を見に来てくれたファンに応えるかのように、人で埋め尽くされたスタンドの方へと寄っていき、
そこでスタンドを見つめていた。
そのためになかなかキャンターに移れず、時間がなくなって返し馬ができなくなってしまったほどである。
その悠然とした様子は、まるでこれから戦うべき敵の姿などどこにもないかのようだった。
 そして、実際にレースが始まってからも、サイレンススズカの瞳の中に、
グラスワンダー、エルコンドルパサーを含む8頭のライバルの姿が映ることはなかった。サイレンススズカはいつものようにスタートとともに先頭に立ち、
他の馬が視界に入る暇もなくレースを引っ張ったのである。
 ここまでは、誰もが予想した展開といえた。1000m通過57秒7というラップも、もはやサイレンススズカにとってはハイペースですらなかったかもしれない。さらに恐ろしいのは、これがムチも何も使わない、まったくの馬なりの数字だということである。
 グラスワンダー、エルコンドルパサーの両雄は、サイレンススズカにどうやって勝つかを考えて戦わざるを得なかった。先に動いたのはグラスワンダーと的場均騎手だった。
第3コーナーから第4コーナーにかけて、サイレンススズカがペースを落とすところで一気に差を詰めに行った。
3歳王者が「最強」の地位、誇りを賭けて選んだのは、サイレンススズカに「勝ちにいく」競馬だったのである。

316 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:44:57.09 ID:zyOixtRd0.net
『完全決着』

 しかし、ハイペースで逃げても決して止まらないサイレンススズカを自ら捕まえに行くのは、故障上がりの4歳馬にとっては酷過ぎた。
広くて長い直線に入り、いよいよ追い込み馬の見せ場のはずだが、サイレンススズカの脚色にまったく衰えはなかった。
武騎手が手綱を持ったままなのに、
その差は一向に縮まる気配を見せない。それどころか、早めに仕掛けた無理がたたってか、グラスワンダーの方が後続に押され気味である。
 このころ、ようやくエルコンドルパサーも動いた。エルコンドルパサーと蛯名正義騎手の作戦は、あくまで自分のペースを守っていつものように直線で勝負する作戦だった。
だが、これはいわば「大負けしない作戦」だった。
並の一流馬が相手なら正攻法で押し切れても、敵がサイレンススズカでは勝てるはずはない。
第4コーナー地点で、彼らの間には既に、どれほどの末脚を繰り出しても、
サイレンススズカが止まらない限り決して届かない差が付いていた。

 エルコンドルパサーは馬群を抜け出してサイレンススズカの追撃態勢に入ったものの、サイレンススズカにはとてもとても届かない。
最後にはなんとか差を縮めたものの、
ゴール板前でも2馬身半というのは、
前を行くサイレンススズカにとってまったくの安全圏のままでの逃げ切り決着だった。
エルコンドルパサーは2着に残ったものの、サイレンススズカ相手に勝ちにいったグラスワンダーは、力尽きて馬群に沈み、5着に敗れた。
2頭の不敗神話は、ここに終わりを告げたのである。

 こうしてサイレンススズカは、
近年まれに見る大物といわれた4歳外国産馬の両雄に、その影すら踏ませることなく逃げ切った。
武豊騎手は、Gllでは異例のウイニングランを行うと、わざわざサイレンススズカを外ラチ沿い一杯に寄せて、
勝者を称える13万観衆に向けて高らかに拳を突き上げた。
それは、勝利のガッツポーズであるとともに、

まぎれもなく3週間後への勝利宣言だった。

317 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:47:17.99 ID:zyOixtRd0.net
 毎日王冠(Gll)で4歳外国産馬の両雄を完膚なきまでに打ちのめしたサイレンススズカの次走は、5歳になってから一貫して最大の目標だった天皇賞・秋
(Gl)に定まった。
 天皇賞・秋(Gl)といえば、古馬のレースの中でも最高の格式を誇り、
古馬の一線級たちが秋の第一目標とするレースである。しかし、宝塚記念
(Gl)での古馬陣に続いて毎日王冠
(Gll)でも新進の4歳馬の中でも最強クラスに属する2頭を相手にしてもまったく変わらぬ大逃走劇を演じたサイレンススズカを目の当たりにした人々は、
3週間後、同じ東京競馬場のたった200mだけ長いコースで開催される天皇賞・秋(Gl)でも、同じ光景がもう一度繰り返される、ということをまったく疑わなかった。
毎日王冠(Gll)直後の、サイレンススズカが負ける要素を探すことの方が難しいという状況の中で、サイレンススズカが1番人気になることは、もはや火を見るよりも明らかだった。

 しかし、天皇賞・秋1番人気といえば、広く知られた不気味なジンクスがあった。
天皇賞・秋はは古くから1番人気が勝てない「魔のレース」として知られていたのである。

 古くは昭和40年にシンザンが1番人気で天皇賞・秋を勝った後、
昭和59年にミスターシービーがやはり1番人気で天皇賞・秋を勝つまで、
なんと18年間に渡って1番人気が勝てなかったこともある。
そして、昭和62年にニッポーテイオーが勝ったのを最後にその不気味なジンクスは再び甦り、それ以降はまた1番人気が勝てなくなっていた。
ニッポーテイオーの優勝以降この年までの間、天皇賞・秋では、10頭の1番人気馬がことごとく敗れ去っていた。

 しかも、敗れ去ってきた馬たちの顔ぶれが尋常ではない。
その面々を並べてみれば、このレースが魔のレースと呼ばれる所以も分かろうというものである。

318 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:48:44.42 ID:zyOixtRd0.net
 4歳から6歳まで、3年続けて1番人気に推された怪物オグリキャップは、
ついに一度も勝利の美酒を味わうことはなかった。
天皇賞春秋連覇を目指したメジロマックイーンは1位で入線しながら18着降着処分の憂き目に遭った。
絶対本命トウカイテイオーは、狂気のハイペースの激流の前に、なすすべもなく馬群に呑み込まれた。
最後のステイヤー・ライスシャワーも、天皇賞春秋連覇の野望はうたかたの夢と消えた。
15連続連対を誇ったビワハヤヒデはレース中の故障で連続連対記録はおろか競争生命まで絶たれ、
その弟にして五冠馬のナリタブライアンまでが無残な敗北を遂げた。
実力派サクラローレルは鞍上の騎乗ミスで脚を余して届かず、
その年に4歳にして天皇賞・秋を制し、
翌年に連覇を狙ったバブルガムフェローは牝馬の後塵を拝した。
1番人気として天皇賞・秋に挑む馬の前評判が高ければ高いほど、レース後のファンの絶句とため息は長くなり、
不気味なジンクスだけがその存在感を増していく。あまりのことに、誰からともなくこんな噂までがささやかれるようになっていた。

「府中には魔物が棲んでいる」

と。

 しかし、だからといってサイレンススズカを切ってしまうことは、
ほとんどのファンにはなし得ない予想だった。古馬の一線級たちのほとんどは宝塚記念(Gl)で決着を付けた相手ばかりだったし、4歳馬からも、トップクラスの参戦はなかった。

「サイレンススズカは絶対に大丈夫」

過去に何度も裏切られてきた期待だが、この年はそれで仕方ない、そう思える雰囲気が漂っていた。

319 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:50:03.57 ID:zyOixtRd0.net
『11月1日1枠1番1番人気』

 この年の天皇賞・秋
(Gl)は、11月1日に行われることになっていた。
天皇賞・秋といえば10月というのが普通であり、11月の天皇賞・秋というのは本当に久しぶりだった。

 サイレンススズカの枠順は、偶然にも1枠1番に決まった。
単勝馬券も、発売が始まると同時にサイレンススズカばかりが売れ、当然のように圧倒的な1番人気。
11月1日、1枠1番1番人気。
サイレンススズカを取り巻く人々が次に来るものとして何を考えたかは、
想像に難くない。

 マスコミに作戦を聞かれた武豊騎手は、

「オーバーペースで行きますよ」

そう言って笑った。いつもはリップサービスはしても他の馬への配慮も欠かさない武豊騎手だが、このときばかりはこんなセリフを漏らしている。

「天皇賞の歴史に残る、そんなレースをしたい」
「どうやって勝つか、それだけを考えています」

サイレンススズカの勝利は、この時点では未来の歴史に思われた。
それは、決して動かし難い事実。
ただ、起こる時期が未来というだけの。

 そしてやって来た11月1日、
東京競馬場は、雲ひとつない青空に包まれた。
府中に棲むという魔物の影は、

秋晴れの府中のどこにもなかった。

320 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:51:36.03 ID:zyOixtRd0.net
『完璧なる肉体』

 戦場に赴くサイレンススズカを見送った関係者は、
サイレンススズカの出来に完璧な自信を持って送り出していた。
 それまでサイレンススズカは丈夫さがとりえだったが、それでもいつも何かしらの不安を抱えていたという。
馬体が軽いんじゃないか、トモの肉づきが悪いんじゃないか、レース前に厩舎の壁で脚をぶつけた、
…他の馬に比べると過大な要求だったかもしれない。
しかし、彼らはサイレンススズカに完璧を求めた。
完璧の理想の前では、現実の姿はいつもどこかが欠けていた。

 しかし、この日のサイレンススズカは、その完璧への要求をもってしても、まったく非の打ち所がなく、
金色に輝く馬体は、どこをとってもサラブレッドの美しさのすべてを兼ね備えていたという。

 絶対の自信に裏打ちされたサイレンススズカは、12頭の出走馬の最後尾についてターフに姿を現した。
1番枠でありながら、馬場入りの順番を逆にしたのである。
そして、返し馬ではあえて外ラチすれすれを駆け抜けた。
人々にその雄姿をよく見てもらえるように。この日、東京競馬場はまるで、
すべてがサイレンススズカのために用意された舞台劇のようだった。

 すべてのスポットライトを一身に浴びた名優の、
最大の、そして最後の晴れ舞台は、

こうして幕を開けた。

321 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:54:51.41 ID:M4auEY3N0.net
『究極の逃亡劇』

 この日も最内から飛び出したサイレンススズカは、いつもと同じように先頭を奪うと、みるみる後続との差を広げていった。
場合によってはサイレンススズカと先頭を争うかもしれないといわれていたサイレントハンターの吉田豊騎手も、
このスピードにはついていけないと見て手綱を抑え、やはりサイレンススズカの一人旅である。
 だが、この日の逃げは、いつものように、というには少し違っていた。
2番手のサイレントハンターも本来は逃げ馬で、しかもサイレンススズカとはもともとスピードが違いすぎることもあって、サイレンススズカのかなり後ろで折り合いがついている。
そして、サイレントハンターの位置自体が、馬群からしてみれば「大逃げ」と言っていい場所にいた。
ところが、サイレンススズカはそのサイレントハンターをはるかに置き去りにして、前へ前へと進んでいく。
サイレントハンターとの差ですら、
5馬身、10馬身…。数えるのがばかばかしくなってしまうようなレベルに広がっていく。
ましてや、そこからさらに離された後続の馬群とは何馬身差だったのだろうか。

「この馬に乗っていると、楽しいんですよ。ほかの馬は、ついてこられないんですから」

サイレンススズカのスピードをこう評した武騎手だが、この日も手綱は持ったままである。1000m通過地点のラップは57秒4で、200m短かった毎日王冠よりもさらに速い、狂気のラップだった。

 しかし、普通の馬なら「狂気」であっても、サイレンススズカにとっては狂気でも何でもない。
そんな光景は、それまでにも何度も繰り返されていた。
サイレンススズカは、勝つ。
その歴史を疑うことなどつゆ知らぬスタンドからは、逃亡者が第3コーナーにさしかかる前から、早くも大歓声が沸き起こった。

まるで、彼の勝利の前祝いであるかのように。



 ―そして、サイレンススズカの姿が大欅の向こう側へと消えた。

322 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:56:47.65 ID:M4auEY3N0.net
『大欅の向こう側』

 ―サイレンススズカは大欅の向こう側から再び姿をあらわした。
サイレントハンター、そして彼に率いられた後続も差を詰めている。
それはそうだろう。いくらサイレンススズカでも、レース中一度も息を入れずに逃げ切れるはずがない。
ここで息を入れて、次に加速するときは伝説を完結させるため。誰もが一瞬はそう思った。何が起こったのか、すぐには分からなかったから。
 だが、そこで14万観衆が見たのは、
信じられない光景だった。
サイレントハンターが、サイレンススズカを交わしていくではないか。
サイレンススズカが交わされる。
ここ1年間、まったく見ることのなかった光景だった。

 信じられなかったのは、ファンだけではない。
サイレントハンター鞍上の吉田騎手も、レース中で、しかも先頭に立とうという瞬間であるにもかかわらず、
その視線はサイレンススズカに釘付けになっていた。
後続の馬の騎手たちも同様である。
まるで、凍りついたかのようにすべての視線がサイレンススズカに集中した。

 サイレンススズカは、もう走ってはいなかった。サイレントハンターに、
そして他の出走馬たちが彼に迫り、
そして交わしていこうとするその時、
彼は懸命にゴールではなく、コースの外側、他の馬が来ない安全なところへとコースアウトしようとしていた。

こなごなに砕け散った脚を引きずりながら。

 東京競馬場は、悲鳴の後、沈黙に包まれた。凍りついた空間の中で、
激しい攻防を繰り広げる直線だけが生きていた。
だが、この日東京競馬場を訪れた14万人のうち、
果たして何人が古馬最高のレースが決着した瞬間を目の当たりにしただろうか。

323 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 16:59:19.35 ID:M4auEY3N0.net
『戦いの後で』

 サイレンススズカの脚が砕けた瞬間、武豊騎手は夢の終わりを悟ったという。

「何とか種牡馬として生き残ってほしい―」

彼の騎手としての本能は、それがかなわぬことを感じ取っていた。
だが、それをあえて無視したのは、彼の人間の部分だった。

 騎手は、レース中の予想もしない緊急事態にあっても、冷徹に判断を下さなければならない。
このとき武騎手がなすべきことはただ一つ、後ろから来る馬との激突による事故を避けるため、サイレンススズカを安全なコースの外側へと持ち出すことだった。
 しかし、サイレンススズカの脚はこなごなに砕け散っている。そんな馬を安全にコースアウトさせることは、多大な困難を伴う。
この時サイレンススズカは立っていることすら不思議な状態だったのに、
その馬をさらにコースの外側まで歩かせなければならないのである。
このときのサイレンススズカについて、武豊騎手は

「僕が怪我をしないように、痛いのを我慢して必死に体を支えていたんだろう」

と信じているという。

 武豊騎手は、騎手としての使命を全うした。だが、獣医の診断は彼の願いを打ち砕くものだった。

「左手根骨粉砕骨折、予後不良」

 そして、サイレンススズカはその日のうちに、ゴール板ではなく冥界の門を駆け抜けていった。
 レース直後に事故の原因を聞かれた武豊騎手は、怒鳴るようにこう言った。

「原因は分からないんじゃない、ないんだ! 」

そして、その日の夜、某所で泣きながらワインを大量にあおる武豊騎手の姿が目撃された。
また、主のいなくなったサイレンススズカの馬房では、
寝藁の上に崩れ落ちたままぼろぼろと涙を流す橋田師の姿があった。

324 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 17:01:06.44 ID:M4auEY3N0.net
『残された者』

 天皇賞・秋(Gl)の1ヶ月後、
同じ東京競馬場でジャパンカップが開催された。天皇賞・秋より400m長い芝2400mで行われ、世界に認められた国際Glは、毎日王冠のあと橋田師が
「もし天皇賞を勝てたら、距離の壁にも挑んでみたい」

と言って、出走を検討していたレースだった。その後は、小回りの芝コースが多いアメリカで、サイレンススズカの可能性を試してみたい。
サイレンススズカの名前はアメリカのホースマンにも知られており、アメリカの競馬専門誌が選んだ世界の現役中距離馬十傑に名を連ね、アメリカで種牡馬入りする話もあった。だが、サイレンススズカの死によって、それらの夢も、すべては幻に消えた。

 サイレンススズカのいないジャパンC(国際Gl)を完全な横綱相撲で制したのは、毎日王冠でサイレンススズカの2着に敗れたエルコンドルパサーだった。4歳馬によるJC制覇は、あのシンボリルドルフでさえもなし遂げることのできなかった史上初の偉業である。

 ジャパンCの翌日、競馬実況で有名な杉本清アナウンサーは、京都駅でたまたまエルコンドルパサーに騎乗した蛯名正義騎手に会った。
そこで、杉本氏はジャパンC制覇を祝福する言葉をかけたのだが、蛯名騎手から帰ってきた反応は杉本氏の予想もしないものだった。

「でも、本当に一番強いのはウチの馬じゃないんです」

どう答えていいか分からず戸惑う杉本氏に対し、蛯名騎手はこう続けた。

「ウチの馬も、サイレンススズカの影さえ踏ませてもらえなかったんですよね。どこまで強い馬だったのか。―本当に残念なことをしました」

325 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 17:02:28.28 ID:M4auEY3N0.net
 騎手というものは、ただでさえ自分の馬を強いと信じたがるもので、
いわんやこの場合、蛯名騎手の馬とは史上初めて4歳にしてジャパンCを制するという偉業を達成したばかりのエルコンドルパサーである。

 エルコンドルパサーがサイレンススズカに敗れたのは一度だけ、
それもサイレンススズカの最も得意とする距離に乗り込んでの敗北に過ぎない。それにもかかわらず、

「もう一度戦えば、勝てる」

蛯名騎手にそう思わせもしない、
サイレンススズカが毎日王冠で見せた「永遠の差」。
それは、果たして強さの差だったのか、それとも何か別のものの差だったのか。

 その次の年、エルコンドルパサーは日本から欧州への大遠征を敢然と決行した。そこで残した成果は、
サンクルー大賞典(仏Gl)、フォワ賞(仏Gll)優勝、そして世界の最高峰・凱旋門賞(仏Gl)で欧州最強馬モンジューと死闘の末の2着という偉大なものだった。

 しかし、エルコンドルパサー陣営が、賞金の高い日本国内のレースに見向きもせずに欧州へと旅立ったのは、
なぜだったのか。
欧州遠征を発表する際に理由を問われた二ノ宮師はこう語った。

「もはや国内の馬との勝負付けは済んだ」

そのエルコンドルパサーが影すら踏むことができなかったサイレンススズカ。もしサイレンススズカが生きていたら、エルコンドルパサーには国内に1頭、倒すべき敵が残っていたことになる。
競馬に「たら」「れば」がないことを承知で想像してみると、競馬界には今とはまったく別の歴史が形成されていたかもしれない。

326 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 17:04:37.75 ID:M4auEY3N0.net
『サイレンススズカ』

 早いもので、サイレンススズカが逝ってから、もう二年近い月日が経過した。サイレンススズカが逝った後、
競馬界にサイレンススズカの後を継ぐような馬は、今もまだ現れていない。
当然である。そのような馬が簡単に現れるようならば、サイレンススズカがこれほどに人々の心に残るはずがない。
「あんな馬は、もう二度と現れないのではないか」

そう思わせる馬だったからこそ、
サイレンススズカが府中に散ったとき、あれほど多くの人々が号泣したのである。

 今春、サイレンススズカの半弟ラスカルスズカが本格化し、
テイエムオペラオー、ナリタトップロードといった、前年のクラシックを沸かせた強豪たちと互角の戦いを繰り広げた。
また、稲原牧場では、ラスカルスズカが活躍している時期に、サイレンススズカの半姉にあたるワキアオブスズカがサイレンススズカと同じくサンデーサイレンスを父に持つ産駒を出産したという。

 だが、彼らが今後大活躍して、
Glをふたつ以上勝ったとしても、その存在がサイレンススズカを超えることは、おそらくないだろう。
サイレンススズカは、「最強であること」によって人々の心に残ったのではなく、「サイレンススズカであること」によって、人々の心に残ったのだから。
サイレンススズカは、一頭一頭の馬の個性が薄れたといわれる現代競馬に現れた、何よりも強烈な個性だった。
他の馬は、サイレンススズカを強さで超えることはできても、印象度で超えることはきわめて難しいだろう。

 印象度というものは、実際の姿を見ていない人々には、理解しがたいものである。
もしかすると、将来サイレンススズカの現役時代を知らない新しいファンが、私たちに向かってこう言うかもしれない。

「サイレンススズカ? 確かに中距離では強かったかもしれないけれど、
マイルでもクラシックディスタンスでもろくに勝ってないじゃないか。
それに、得意な中距離にしても、相手は弱い相手ばかりで、Glは一つしか勝ってないじゃないか」

327 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 17:06:42.77 ID:M4auEY3N0.net
そんなサイレンススズカ評に対し、
あるいは私たちはサイレンススズカの現役時代を知る者として激しく反論したくなるかもしれない。
ある人はエルコンドルパサーやグラスワンダーとの力関係からサイレンススズカの強さを説明しようとするかもしれないし、またある人は

「金鯱賞のビデオを見ろ」

とでも言うかもしれない。

 だが、そのようなことでサイレンススズカのすべてを伝えることはできないし、相手に完全に納得させることも出来ないだろう。
なぜなら、先にあげたようなサイレンススズカ評も、間違いなくサイレンススズカの客観面を正しく言い当てているものだからである。
記録は後世の人々と共有することが容易だが、記憶を後世の人々と共有することは不可能である。

 今になってサイレンススズカとはなんだったのか、と考えてみて、ふと思うことがある。
サイレンススズカとは、1998年に日本競馬に突然現れた、何よりも美しく、何よりも儚い幻だったのではないか。そして、その時代を生きた私たちは、幸運にも共通して同じ幻を見ることができただけなのではないか。
だとすると、いくら資料や映像を持ち出したところで、
その記憶を持ち合わせていない人々を説き伏せることはできないのも道理である。

 もしかすると、サイレンススズカとは、同じ時代を生きた私たちが共通して見た、幻のような馬だったのではないか。ほかの馬たちとはあまりに違う次元を走った彼の走りは、現実というにはあまりに速く、
そしてその存在は、あまりにも儚く私たちの前から消えてしまった。
私たちに、幻というにはあまりにも深い記憶を遺して。

 サイレンススズカとは、私たちに何よりも鮮烈な記憶を焼き付けた、永遠の幻だったのである。
だが、彼が私たちに残した記憶は、決して幻ではない。
彼が残した記録は未来の馬に破られて消えても、

彼が遺した記憶は、決して消えることはない。

328 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 17:41:27.73 ID:M4auEY3N0.net
『サラブレッドという動物の素晴らしい本能と儚い宿命を僕に刻み込んでくれたのが、サイレンススズカです。
とにかく速い馬でした。スタートして仕掛けたり、気合いを付けたりする必要など全くない。なのに自分からグイグイ出ていくのです。
そのスピード感といったら、まるでコンドルのよう。
ただ4歳暮れに、初めて海外遠征に出て、香港の国際カップに挑戦し、5着に敗退した頃は、まだまだ荒さを感じたものです。
確かに若い頃は、自らの速力に溺れる様に直線で失速してしまうレースもありましたが、それもキャリアを積む度にペース配分を覚えて、
晩年はまさに無敵のスピード馬に大成してくれたのです。
5歳秋に3ヶ月ぶりに出走した毎日王冠を59キロを背負ってあの強いエルコンドルパサーにコンマ4秒差を付けて楽々逃げ切りました。
そして迎えた天皇賞は、馬の能力と状態に絶対の自身を持って臨む事ができたのです。
パドックから本馬場入場にかけて、
デビュー以来最高の落ち着きを見せ、
まさに威風堂々という感じ。
レースでも、本当に心地好く、
マイペースで逃げる事ができました。
ところがです。3コーナーで思い出したくもないアクシデント。
一瞬のうちに、明から暗に陥る骨折事故。
それでも激痛に耐えてまだ走ろうとする凄まじい闘争本能には、頭が下がる思いでした。
まともならきっとあのまま大差を付けて歴史的な好タイムで逃げ切っていたと思います。
悔しいとか残念無念だとか、
そんな言葉ではとても言い尽くせない切ない思いは二度と繰り返したくありません。

あの天皇賞、道中の彼の感触はまだ僕の手の中に残っています。

サイレンススズカ、僕の永遠の友よ、

生命は失っても、記憶の中から一生消える事はないでしょう。

とにかくスピードの絶対値も持久力も常識はずれでしたから、
2200メートルぐらいまでなら、
どんな強い馬と戦っても簡単には負けなかったと思います。
例えば、テイエムオペラオーとかアグネスタキオンといった現役を代表する強豪を向こうに回しても互角にやれたと思っています。
でも戦うことなく逝ってしまったところに
サラブレッドの悲しい運命を感じてしまいます。(2001年武豊)』

329 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 17:49:49.84 ID:U1jfJlnV0.net
(´;ω;`)スズカ…忘れてないよ俺も

330 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 17:57:55.13 ID:Hlz2IJXz0.net
ムカつく程泣ける

331 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 18:05:37.62 ID:BsXjw3Rz0.net
何この良スレ












スペの話が薄いのはなんでや!
ちゃんと載せんかい!もっと濃いやつはよ!

332 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 18:17:11.60 ID:lSzUKeEe0.net
>>328
去年中京でスズカメモリアルだった日、メイショウナルトで大逃げしたよね武
なんかね、嬉しかったよ
ナルトはスズカにはなれなかったけど、ファンがあの時、一番見たかったものを魅せてくれた
オッサンが野次飛ばしてたんだよ
あんなペースで逃げたら止まるに決まってんだろ、なーにやってんだよ!
馬鹿だなぁユタカは、スズカじゃないんだぞ!て

でもそのオッサン笑ってた
野次飛ばしながら笑顔だったんだ

333 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 18:18:37.50 ID:74S2obkmO.net
スズカあああああああああああああああ

334 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 18:35:32.74 ID:TDuNfqqm0.net
このスレ見てから
ターフからの贈り物見ると泣けるわ

335 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 18:47:27.32 ID:LUYCUO9X0.net
やべぇww
感動したわ

336 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 18:57:59.46 ID:4LjGkJAV0.net
目が疲れます。

337 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 18:58:47.53 ID:LUYCUO9X0.net
俺も目が疲れたww
泣き過ぎて

338 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 19:02:46.72 ID:tfxbTabP0.net
1999年天皇賞秋 早朝

4コーナーの大欅の前で、一人の騎手が佇んていた
彼は暫く空を見上げた後、手を合わせて祈っていた

レースは、スペシャルウィークが4番人気の評価を覆して勝利を飾る

引き上げて来た鞍上の騎手は、
早朝にあの大欅の前で手を合わせていた彼だった

彼はゴーグル姿のまま言った

「最後は…彼が背中を押してくれた」




後に、武豊はこう話している

「最後は、スズカが背中を押してくれたんです」

339 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 19:05:11.89 ID:74R2m3f60.net
何気なく開いて見たら長文ばっかりでびっくりしたが…
夢中になって全部読んで
今書き込みながら泣いてる…

340 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 19:10:59.84 ID:bcqOuiPO0.net
>>338
この秋天の翌日朝に、北海道にあるスズカの墓前で私服姿の武豊が1人で手を合わせていた姿が目撃されたのは、当時有名な話しだったね。

341 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 19:22:51.95 ID:GnJB7pTO0.net
夢中で読んでしまった…
戦慄がまだ残ってる
当時を思い出したのと、様々な人達の深い想いに涙…

342 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 19:40:31.34 ID:eWCHfwqS0.net
。・°°・(>_<)・°°・。

343 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 20:07:31.89 ID:lk02cVlS0.net
http://iup.2ch-library.com/i/i1337714-1417777480.jpg
http://iup.2ch-library.com/i/i1337712-1417777480.jpg
http://iup.2ch-library.com/i/i1337713-1417777480.jpg
http://iup.2ch-library.com/i/i1337715-1417777480.jpg

344 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 20:20:17.22 ID:lk02cVlS0.net
http://iup.2ch-library.com/i/i1337721-1417777944.jpeg
http://iup.2ch-library.com/i/i1337722-1417777944.jpeg
http://iup.2ch-library.com/i/i1337720-1417777944.jpg
http://iup.2ch-library.com/i/i1337723-1417778155.jpg
http://iup.2ch-library.com/i/i1337724-1417778155.jpg
http://iup.2ch-library.com/i/i1337725-1417778155.jpg

345 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 21:05:23.64 ID:8csjuRqm0.net
エイシンヒカリ乗れないかな?
左回りが下手で逆ではあるけど
サイレンススズカの続きを見せてほしい

346 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 21:56:30.09 ID:8AyxUWJs0.net
力抜けちゃった
ちょっとスズカの金鯱賞と毎日王冠観てくる

…けど秋天は何年経っても観られない

347 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 21:59:40.64 ID:eWR4e+x10.net
>>345
豊に合いそうな馬だね
岩田が乗るらしいけど、彼では伸び伸び走らせられないね
窮屈に走らせてる様に見える

豊が乗れば華やかで話題にもなるのに
勿体無いね

348 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 22:04:33.06 ID:VMTsAHIT0.net
武豊が逃げると

スローに落とさないのは

サイレンススズカの面影を

今も追い求め続けているから

349 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 22:15:37.51 ID:74R2m3f60.net
サイレンススズカの金鯱賞は確かにもうリアルタイムで見てない人増えたね
実際「弱メン相手に千切っただけ」って言う人も居るし
でもマチカネフクキタル、タイキエルドラド、ミッドナイトベッドって今後の古馬重賞路線占う連勝馬揃ったメンバーで規格外のパフォ見せたから今でも語り継がれてるわけで
実際に弱メンって思われてたら中山記念1.4 小倉大賞典1.2 金鯱賞2.0ってオッズにならない
本当に故障がショックで実況も頭に入ってこなくて掲示板出るまで何が勝ったか全く把握デキナカッタ

350 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 22:16:46.96 ID:8AyxUWJs0.net
俺らだってトウケイヘイローにすら期待を抱き続けただろ
武はずっと、トウケイは良い馬だけどスズカとは逃げ方が違うって言い続けてたのにそれでも

金鯱賞に宝塚、毎日王冠観てきたけど余計力抜けたわ
スズカの生まれ変わり早く生まれてこいよ旋回しろよゲート潜れよ
武もそんな悠長に待ってられない歳なんだよ

351 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 22:21:17.10 ID:8AyxUWJs0.net
>>349
今でもスズカが故障した秋天の勝ち馬がパッと出ないし出てきて欲しくもない
勝ち馬はスズカだと思ってるから唐突でない限り馬柱も見られない

気違いと思われるのは分かってるけどスズカが起こしたフィーバーで俺はグッと競馬の世界に入ってきたものだから

352 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 22:22:14.29 ID:y+oogsYC0.net
お前らグダグダうっせぇよしね雑魚共

353 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 22:48:25.19 ID:VMTsAHIT0.net
サイレンススズカ

君の生まれ変わりを

誰もが望んでいる

魅せてくれ

まだ見ぬ君よ

魅せてくれ

354 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 23:02:57.67 ID:HEAJjYAQ0.net
感動のスレだわ
マックイーンやベガとかも見たい

355 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 23:12:22.52 ID:JsP5rYZ80.net
オフサイドトラップで勝った善臣が笑いが止まらないって言ったレースだな
あれ以来、善臣ずっと嫌いだわ

356 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 23:26:05.87 ID:HEAJjYAQ0.net
そういえば、砂のサイレンススズカと称されたスマートファルコンもいたね
しかも、途中から武に乗り代わり開花するという、経緯までスズカと同じ

まだ開花出来ずに燻ってる馬がいる筈だけど、早く武が開花させてやって欲しいわ

357 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 23:29:51.15 ID:4sXAz4k20.net
>>350
最後の一行笑ったけど、その一文だけこのスレ的には合致してる
他の奴も思い出に浸るのは自由だがもう少し武豊を絡めてくれ
ポエム泣き言はなんか違うわ

358 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 23:34:48.11 ID:m6KYopEJ0.net
>>357
武が乗ってたから更に感動が深まるんでしょ
そんなの暗黙の了解だよ
武が乗ってなかったら、ここまで濃いスレにはならない

359 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 23:37:52.98 ID:2euIjhfi0.net
>>343
スズカも綺麗だけど、スペも美しいね

360 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 23:40:34.98 ID:QObEQgJl0.net
SUGEEEEEEE!!!
ディープのepisodeまだぁ??
ベガとステゴのepisodeまだぁ??

361 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/05(金) 23:56:08.75 ID:4sXAz4k20.net
>>358
新参には新鮮かもしれんがね
どこかで読んだような既知エピソードの垂れ流しにあまり意味は感じない
もう少し武豊自身の事に触れないと

362 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 00:19:48.17 ID:+JXofzRv0.net
>>361
なら黙っとけば
ビギナーや懐かしむ人が感想言ってるだけなのに
いちいち自分の主観を押し付けないでね

武豊について、何の意味も無いレスしてるのは貴方だよ

363 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 00:37:06.01 ID:rjMGDFW10.net
俺もスレ主と同じで、競馬歴浅いし、
武豊の全盛期とか知らないから
色んな馬の話とか、関係者の言葉集とかいっぱい見れて楽しいよこのスレ

364 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 00:42:28.88 ID:gjPe35vy0.net
酒井千明が何でそんなにクリークの顔を鞭で叩いたのか気になる…
酒井千明って、今ブログやっててよく武の騎乗を褒めてるけど、昔は嫌いだったの?
いくら負けたくないからって、馬の顔に鞭入れるって酷くないか?

365 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 00:49:57.06 ID:gjPe35vy0.net
坂井千明だった

366 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 00:59:01.32 ID:I04/Bnxh0.net
競馬は馬が主役だからこれで良いじゃないか
主役の力を如何に武豊が引き出したかってエピソードはスレチじゃない

武豊だって競馬は9:1って言ったこともあるらしいしエピソードもっとこい
何なら私生活関連の話でも良いじゃないか

367 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 01:05:25.75 ID:lV5BW6j80.net
>>364
若い芽を潰すのはベテランの役目だからな
昔は見えない所でも馬の腹蹴ったり、わざと鞭当たった振りして仕掛けさせたり、陰湿な事は沢山あった
坂井はちょっと度が過ぎたが

豊の鞭が当たって、ダイユウサクが反応しちゃって勝ったのも有名

368 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 01:23:46.92 ID:Qg77mc4W0.net
関東随一の名手はレース中、
騎手の頭に鞭入れてたし、
関西随一の玉三郎騎手は、
検量室で記者に鞭を入れたりと…
まぁ皆さん色んな鞭の使い方がありますわぁ…

(武豊は夜も鞭を使ってるという噂……)
アァ!アァ!アァアァアァアァアァアァアァアァアァアァアァアァアァアァアァアァアァアァ!
もっと!もっとぉ!叩いてぇ〜叩いてぇ〜!足りないのよ!ペチペチじゃ足りないのよおぉぉぉぉぉぉぉおお!!!もっと激しく!激しく叩いてぇぇ!!

369 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 01:29:01.70 ID:I04/Bnxh0.net
豊の騎乗フォームに関する持論について何となく覚えてることを
科学的根拠はないため全否定はしてないが豊は最近よく見るモンキースタイルでの騎乗に賛成していない

自分が誰かをおんぶした時乗ってる人に動かれたら歩きにくい、馬もきっと同じだろうという考えから
それで身体がブレず重心を一定に保ったフォームを心掛けている
欧州等ではその美しいフォームに好感を持つ関係者も多い

ただ勝ち星が激減した時期に確か浜中やムーアの騎乗フォームを真似て打開できないかと練習してみたって1年位前にポロっと笑いながら話してた

370 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 01:42:23.07 ID:Qg77mc4W0.net
最近流行りのトントンstyleは、
元々の利点で言うと、
昔武豊が海外遠征し出すうちに取り入れていたらしいね
それまでは腕だけで追うstyleだったとか
それから力強さが増して進化したと、
今年、笹田が小牧との対談で話してた
鐙を深くした最近はよく目立つね
下半身を使ってるのが

(ちゃんと夜も使ってるみたいだけど…)

アァっんっアァっんっアァんアァんアァんっハァハァハァハァハァハァハァハァ

371 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 02:48:07.23 ID:YAjKFbuh0.net
武豊 45歳 身長170cm体重51`

職業 騎手
趣味 競馬&競輪
家族 元アイドル妻
車 アウディ二台
家 推定2億の洋風大豪邸
好きな食べ物 イタリアン&寿司&牛タン
嫌いな食べ物 人参&グリンピース&ウズラの卵

彗星の如く現れたスーパースター騎手
前人未到、史上最速最年少記録の数々を持つ実績bP人気bP騎手である
ユーモアに溢れ誠実な性格と品格のある紳士な立ち振る舞いで常に万人を魅了し続ける、superlegend生きる伝説である
彼のレースは記録にも残り記憶にも残る、正に唯一無二の存在である
これからも伝説を作り続けるsuperlegend

372 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 02:57:19.16 ID:/+3DI/oD0.net
武豊 45歳 身長170cm体重51`

好きな芸能人 渡辺麻友 サエコ

373 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 03:17:59.57 ID:SPu5gLpO0.net
>>119
羽生善治を武豊なんぞのいい馬じゃないと成績がついてこない弱腕コネ騎手なんかと一緒にすんなよ?
羽生は日本が生んだ唯一無二の超絶天才&超努力家の天才だ。

羽生と同列に扱っていいアスリートは室伏広治か王貞治ぐらいである。

374 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 03:20:01.37 ID:FtSL4RIWO.net
音速の貴公子F1ドライバーアイルトン・セナの命日その日に産声を上げたのが

サイレンススズカです。

375 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 03:21:30.83 ID:Bo54piib0.net
>>373
ウメハラは?

376 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 03:31:09.29 ID:tfKJAgJ00.net
去年ダービー勝った後、真っ先にキムタクから祝いメール入ってたらしいね
イチローに酒を覚えさせたのも武
今じゃすっかりワイン通らしい

若い頃は、野茂がメジャー入りしたての頃に武も海外遠征してて、お互いに嬉しい結果を出したお祝いで、
野茂と3日間飲み明かした事もあるらしい

川島なお美が自分の写真集を武にプレゼントしたりとか、宮沢りえや黒木瞳とも親交があるね
量子ちゃんがアイドル時代、秋山康が曲を作ったりしてたね、瞳にピアスだったかな
その縁で、AKBに夫婦で注目してると思われる

20歳の時遠征中に悩んでた自分を、
憧れのマッキャロンが励ましてくれた事が嬉しかったとか
武のロッカーを自分の隣にさせて、
「君は日本1のジョッキーなんだから大丈夫だ。自信を持ちなさい。
」と言われた事で心が救われたとか…

他にもマッキャロンは武について、
「ユタカは日本に帰るべきじゃない。
これから出て来る名馬の背中に彼が乗る姿が見たかった。ユタカは世界の強豪馬に最も相応しいジョッキーだ。」
とコメントを残した事がある

ファーブルは、
「ユタカタケの天性の素晴らしさをいち早く見い出した、この私が素晴らしい」とコメントを残した事がある

377 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 03:52:27.39 ID:RMhhEMvB0.net
ここなら詳しい事聞けるかな
武が若かった頃?ブックの記事に激怒して取材拒否した事があるらしいけど
余程ヒドイ事書いたのかな。気になる
利一・マツパクとも実際、何があったんだろうね。土下座とか色々噂あるけどさ

378 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 03:53:49.17 ID:tfKJAgJ00.net
とあるパーティー会場で、出席していた叶姉妹に量子ちゃんが、
「主人と一緒に写真を撮って貰えませんか?」と言ってきたらしく一緒に写真を撮ったり
叶恭子がブログに写真を載せて、武豊さんはとってもシャイな人で可愛いと書いていた…

昔、哲三と伊集院静と競艇に行って、
○○○万当たった事があり、量子ちゃんにエルメスのバッグをプレゼントしたとか
残りは三人で飲み明かしたと伊集院が本に書いてた
後、武の競輪総額負け金は世田谷に家が立つとも…

379 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 04:18:24.64 ID:tfKJAgJ00.net
>>377
不可解な騎乗と、八百長を疑う趣旨だったのは確かだけど、武サイドが取材拒否したのではなく、ブック側が取材するのを拒否したのが正解
藤岡もこれと同じ

武の番記者Tが、記事を書いた記者に真意確認をした(噛み付いた)所、大袈裟に謝罪文をわざと載せてアピールした訳
ゴシップに流して取材拒否されたと大袈裟に被害者の振りをしただけ
印象操作で良く使う手段だよ

前年にエージェント制が公認されたりと、この頃の競馬村は確変時期でもあった
ブック側は武の馬を如何に確保するかが宿題だった訳

偶然にしては面白いよね
武のマイナス記事がどんどん出始めたのもこの頃…

380 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 07:02:50.50 ID:OKthw3hj0.net
豊はキズナのダービー、ディープの無敗の三冠、オグリの奇跡のラストランの他にマックの降着、スズカの死など良くも悪くも数々の歴史に残る伝説持ってるよな
福永ってなんかあったっけ?

381 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 07:48:11.29 ID:BwoW7uO80.net
>>380
人と人を天秤に載せるようなことは
煽りでも止めとけ

382 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 09:26:53.10 ID:bWxEc2rZ0.net
色々詳しそうだね
キャロットと川田の嫁の関係を教えてよ

383 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 11:00:24.92 ID:dOrJTwDJ0.net
>>382
川田の嫁母の兄貴、つまり嫁の叔父がキャロ幹部
因みに、東サラの某幹部は福永母の遠縁に当たる(その息子は福永と同じ近江出身OB)

384 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 11:10:21.16 ID:EGlal9FS0.net
>>376
マッキャロンは良い奴だな
サンデーに乗ってたよな
武がサンデー産の乗り方上手いし沢山勝ってるから余計、目にかけてるのかもな

385 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 11:30:10.58 ID:zDO8ALga0.net
>>379
その時間帯に書けるとは、関係者かな?(笑)
マイナス記事零して銭稼ぎしてるのは敵側だけではないよね?
豊に執着してぶら下がってる連中だという事は書かないの?
一番豊にとってマイナスにな事してるのは、誰なのか、は書かないの?
それとも本人だから書けないのか?(笑)
片山は利口だったよなー
旨い汁だけ吸って逃げた訳だからな
利口にならないと、誰かさんみたいに下衆な事して銭稼ぐまで墜ちるからなー(笑)
今だに豊に執着してる島田も同じだよ
田原と伸みたいにしゃぶ漬けにされない様に気をつけなきゃな、豊も(笑)

386 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 11:40:35.66 ID:78F7SB1k0.net
>>376
キムタクからmail来る事すら、スゴスギル次元が違いますわ
武がTwitterやったらフォロワー100万人超えそうだな
著名人と付き合いも多数だし
てかマジでTwitterやってくれないかな
毎日武をチェックしてストーカー化する自信あるよ俺(ニッコリ)

387 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 11:51:53.33 ID:SPu5gLpO0.net
>>386
武がバカッターなんかするかよ。

競馬ファンがどれだけキチガイがいるかは武自身よく分かっている。
朝から晩まで批判コメを投下してくるキチガイが後を絶たないだろうな。ギャンブルがらみの仕事をしている以上、恨みを持っている奴は山ほどいる。

388 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 12:03:51.27 ID:78F7SB1k0.net
>>387
その倍に、俺が応援ツイートするのになぁ
て、俺みたいな基地外は一番うっとおしいだろうな武も…
Twitterなんてやらなくて正解だわな
俺は自分の想いを制御出来る自信無いし…

389 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 12:28:17.49 ID:as9v+wis0.net
>>344
超絶カッコ良いぃ〜素敵(≧ω≦)
豊しゃんはどんな姿でも神カッコ良いぃ

390 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 13:23:50.18 ID:4mxBEZ1o0.net
>>6
おれはすき

391 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 13:29:38.60 ID:LfxqpYU10.net
武はサイレンススズカのことをあまり多くは語ろうとはしないけど、近年唯一スズカの名を挙げて比較した馬がいる

それが苦しい時代を支えたスマートファルコン

392 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 13:31:26.50 ID:as9v+wis0.net
>>391
。・°°・(>_<)・°°・。

393 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 13:58:13.58 ID:KLW/GWvn0.net
>>385
なんか最近小原とブックの悪評が書かれたら
お前が釣れるんだよなあ
全部ログ取ってるから気をつけろよ

394 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 19:37:17.56 ID:I04/Bnxh0.net
携帯電話はスマートフォンがもう主流になりつつありますよね。
「早く便利なスマホにしろよ」という周りの声に感化されて重い腰をあげました。携帯ショップに行ってきましたよ。

「いらっしゃいませ。どのようなご用件ですか?」
「スマホに興味があるので教えてもらえますか」
従業員の方とボクのここまでの会話は普通でしょ。

でも、その次の言葉の「機種変更をお考えですか?」に職業柄、ドキッと反応してしまいました。
ジョッキーなら敏感に反応してしまう言葉、わかります?

395 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 19:38:32.45 ID:I04/Bnxh0.net
機種変更=騎手変更。
同じ発音なんですよ。

さらに「どのような機種(騎手)がお好みですか?新しいキシュがいいですか?」
と、たたみかけられて、完全にツボにはいって吹き出しそうになりましたよ。
あれでボクがもし「(騎手は)外国人より武豊でいきましょう」なんて言おうものならどうなっていたかな。
相手にはチンプンカンプン、意味不明でおかしなお客さんだ、と思われたでしょうね。

そんな訳で話を元に戻しますが、スマホの説明を熱心に受けても、アプリとか理解できないし使いづらそう。
で、結局は買い替えたのがパカッと開く従来の型(通称ガラケー)だから笑うでしょ。流行のスマホは見事に遠のきました。

スポニチより

396 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 19:45:51.04 ID:N/s8IpTK0.net
50過ぎでも普通にスマホ使ってる人いるけど、武って馬鹿なんだな
新しい事に挑戦しようとしないアホ
ラクラクスマホとかも使えないんだろうな
ネットとか興味無さそうだし、てかPCも使えないんだっけ
時代に取り残された古い人間だな、私生活も競馬でもな

397 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 20:43:30.74 ID:+1852M9X0.net
ネットなんか見たら鬱病になるだろ
武豊って検索したら、種無し、離婚、溜め殺しってズラリと出てくるんだから

398 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 21:04:06.51 ID:p1xWR6mf0.net
一般人と武豊は違うからな。スマホ弄る時間ないし、それにあのひとて頭の中でスケジュール全部入れてるから機械の類いらなさそう。

399 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 21:14:49.90 ID:VyHhnmbt0.net
古いタイプの人間かもしれないが、それでいても全く困らない人間だしな
放っておいても周りが押し上げてくれるような存在が「時代に取り残されている」はねーだろw

400 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 21:15:23.57 ID:5nkJ3ZeU0.net
興味深いスレだなぁと思って見てたら最後まで見終えてしまったw
一生、武豊のファンで居たいと思ったよ

401 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 21:34:52.06 ID:vOzIjjPV0.net
>>396みたいな単純な脳みそで生きてるアホってある意味幸せだな

402 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 21:48:54.88 ID:REgFtf1v0.net
>>395
武の反応からすると相手の店員は客が武豊だと気づかなかったのかな
それこそとんねるずの番組とか割と露出あると思うけど

403 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 22:16:23.34 ID:I04/Bnxh0.net
>>398
・イモリの旦那に幸四郎は?となって「ボクの妹になるんですよ?」「うわぁなんかこき使われそう」
・プロポーズは量子の家で。豊「夢はなんですか?」量子「普通の(幸せな?)お嫁さん。あなたは?」
豊「その夢を叶えるのがボクの夢です」
・量子は心配性。よく怒られる。
 ・「たまに」(たまにじゃないと思うがwww)お酒飲み過ぎた時に自分の居場所がわからないで
家に電話したり
 ・約束を忘れる。大阪で用事だし飲んで帰るのも大変だからホテルに泊まろうと話してて
  量子はチェックインしているのに、嫁を呼んでおいて豊は約束を忘れて帰宅する
・手帳を持ったことはない。競馬界の長嶋さん(BY見栄晴)

404 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 22:17:22.01 ID:I04/Bnxh0.net
・見栄晴は豊とヒデちゃんより歳上なのにいっつもおごってもらっている
・豊の獲得分35億の使い道は、見栄晴の飲み代!?(BYヒデ)
・福原直英のコメント「ダービーで感動してしまい中継で声が震えてしまったが、武さんはいつもそのまま」
 あげく「何で福原さんが泣くの」と言われた
・最後の直線見た!?ホントあれね、もうね、残りひとハロンで残り200メートルの割って、
割って、出てきた時の!
 ・・・ねぇ!? と武豊のうでを掴んで声かける井森
 ボク走ってますよそれwwと笑顔の豊
 ダービーは録画して永久保存版にしていると井森
 おでん屋のおっさんみたいですね、と豊

405 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 22:19:04.00 ID:I04/Bnxh0.net
・(騎手目線は)道が開ける様な、光って見えるような。
・井森がVロードをVゾーン!と言い間違えた件で「今一番喜んでます」と井森
 テロップで「下ネタ嫌いじゃない」
・趣味も無いし何もない。人から聞かれてつまらないからなにか持ちたい
 競輪。競馬より当たる、競馬は難しいとお決まり発言。
・鞭クルクル実演(左手で出来る人は少ないと見栄晴)
 スペシャルウィークの鞭落としの話
・12秒を狂いなく分かるか?ストップウォッチで実演→11.90秒
 実家が時計屋と豊ギャグ

お店替わって
・水泳の奥村幸大(しょっちゅう会っている)と松田丈志(久しぶり)出演
・幼少期はかくれんぼをする時は馬の影に隠れたりしていた
・朝も馬たちに人参をあげてから学校に行っていた
・自然と自分から競馬の騎手になりたいと思っていた
・運動会では「差せ!」とか「まくれ!」などと声がかかって柄が悪かった
・写真集を出した話になり「若いころの間違い」

406 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 22:21:26.77 ID:I04/Bnxh0.net
・写真集を出してた頃に「時々勝利の道がわかることがあるんです。ゴールまでの道が光って見える、
そう!ビクトリーロード!」
 という発言をしていた
 「この頃から見えていたの?」と聞くヒデちゃんに対して
 「この頃はわかってなかったと思う。今思えば。誰かの引用してたと思う。」→一同爆笑
 生意気でした、すみません!とのこと

あとは平松の手紙
誰か動画上げるだろうけど流れはこんな感じでした

407 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 22:30:33.08 ID:I04/Bnxh0.net
945 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/11/15(土) 22:45:35.78 ID:HWfpWoMl0.net
>>943
武豊の記憶力は人知を超えてるから
競馬場の達人(まだYouTubeにあるかな?)見ると分かるよ地方に転出した元中央馬の名前を見て

「あ、この馬の新馬乗った、あれは確か〜京都の1,800〜」

上の記述はちょっと適当だけど調べてみたら3年くらい前に本当に乗っててビックリした

https://m.youtube.com/watch?v=EhYz2zIdsl0
この動画の前の場面なんだが消されてる
誰か分かる人補足してくれ
ちなみに番組の概要はこれ
http://www.asagei.com/20163
http://ventilatorblues-sway.blogspot.jp/2013/01/blog-post.html?m=1

408 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 22:52:29.33 ID:REgFtf1v0.net
実家が時計屋ww

409 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 23:18:00.92 ID:SRIbAEmvO.net
http://pbs.twimg.com/media/B4JU6jrCAAMk3YW.jpg:small

410 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/06(土) 23:31:35.21 ID:iqbyyyOV0.net
田原とかも競馬に関する記憶力がすごいんだよな
それに関しちゃ武だけじゃないんだよ
漢字の読み書きろくに出来ないのに、競馬に関することはものすごいデータ量

411 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/07(日) 00:09:37.76 ID:uy5yWszL0.net
>>405
人参は馬の食べ物だから自分は食べられない、嫌いってエピソードが抜けてる

412 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/07(日) 00:15:19.19 ID:q0XlHdJhO.net
好きなテレビは笑点

413 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/07(日) 00:22:13.72 ID:uy5yWszL0.net
奥さんとかの繋がりで秋元康とも知り合い
そんな関係もあってかAKBにも少し興味あるらしくまゆゆ推しを先日公言
総選挙でのまゆゆのコメントにポロっと涙を流したとか

414 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/07(日) 00:48:35.93 ID:opnZ2eAu0.net
そういや、以前シャブで捕まった実兄は今何してんの?

415 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/07(日) 01:37:11.64 ID:GLZjuxIw0.net
長男は競馬好きだったが体が大きかったので騎手は諦めた
次男は競馬に興味なし
豊も騎手になりたいと考えはじめたのは中学に入ってから
邦彦は特に勧めてはいないのだが「おう、頑張れよ」と軽い感じで送り出した
競馬学校にいるときは家族が面会にくることは一度もなかった
それどころか知らない間に家が引っ越し、電話すると「現在使われておりません」
逆に10歳離れた弟の幸四郎の時には家族で学校を訪問
親子の関係はお互い照れ屋だからと弁明

416 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/07(日) 06:26:58.87 ID:cV9GRumy0.net
スレ主だが、数々のエピソード興味深く読ませて頂きました。自分の中では、
「オルフェーヴル・池添・有馬記念」
が競馬歴三年の中で最高の馬、騎手、レースなんだけど、武さんは格が違うのね(苦笑)

417 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/07(日) 06:34:36.91 ID:bpxZlqVI0.net
背が高いので騎手向きじゃないんだよな
そこはセンスと技術で補ってるんだろうが

418 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/07(日) 11:19:18.18 ID:vIEmdsxr0.net
中々興味深いスレだね
古い人間の自分としては、クリークの話は懐かしかった

419 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/08(月) 01:38:24.71 ID:L9krQPJy0.net
まだまだ現役で頑張って頂きたいのであげ

420 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/08(月) 02:05:55.37 ID:H5GuJ0U/O.net
岩田と同じ在日らしいな。

421 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/08(月) 20:21:13.64 ID:2PKJfwY90.net
スズカの話しに感動した

422 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/08(月) 23:02:11.92 ID:mdoK1ZXj0.net
>>407
凄い記憶力だよね
乗ってない馬の癖ですら把握してるらしいね

423 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/08(月) 23:24:50.91 ID:KHpLTmU70.net
>>376キムタクからメールが来ると凄いのか。イチに酒教えたからなんだよ?

424 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/09(火) 00:20:51.87 ID:2lRHleqd0.net
2ちゃんねるスレで泣きそうになったの初めてだ。
スズカなぁ…見てたよ天皇賞、ショックだった。
その後は覚えてないくらい、今も見られない、スズカ天国で走ってるかな

425 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/09(火) 00:32:06.68 ID:jLKyi6WB0.net
凄く色々詰まった濃いスレだね
懐かしさと感動が詰まってる

426 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/09(火) 00:37:57.46 ID:P9rJ0Twr0.net
上を向いて歩こうよ涙がこぼれないようにアゲ

427 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/10(水) 14:36:47.28 ID:rb0gcSAU0.net
レース前、騎乗馬が酷く入れ込んでたから

「good boy,good boy.」とさすが、流ちょうな英語でなだめてた



入れ込んでた馬は牝馬だった



これが岡部幸雄というオッサンだ

428 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/10(水) 16:00:43.07 ID:N5+px2mg0.net
>>427
藤田は帰ってどうぞ

429 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/10(水) 16:04:19.20 ID:4y46Sbjf0.net
>>427
(´▽`) '`ハハハ

430 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/11(木) 06:54:06.05 ID:fLQ6Sx3L0.net
馬がboyもgirlもわかるかいなw

431 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/12(金) 15:13:50.10 ID:/LmMBgIr0.net
面白いスレだね
興味深い話しが沢山あって楽しませて貰ったよ
ありがとう

432 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2014/12/12(金) 20:37:53.24 ID:towXoWbZO.net
もっと頂戴

433 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2014/12/13(土) 15:21:39.15 ID:NDNpOHNV0.net
武豊教の信者がいかに気持ち悪いかがよく表れている良スレだな


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