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【鍛えて強くする】ミホノブルボン物語【戸山理論は今でも有効なのか?】
- 1 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2019/05/03(金) 22:34:10.93 ID:+fVc65/p0.net
- 少し長くなります。
92年 皐月賞。
そのモンスターの名はミホノブルボン。
常識は、敵だ。
―2011年皐月賞CMより
ミホノブルボンとは、1989年生まれの競走馬。1992年に皐月賞、日本ダービーを無敗で制した二冠馬で、三冠馬まで1馬身と1/2にまで迫った名馬である。主戦騎手は小島貞博騎手。
※当記事ではミホノブルボンの活躍した時代の表記に合わせて、年齢を旧表記(現表記+1歳)で表記します。
父マグニテュード 母カツミエコー 母父シャレーという血統。血統表だけを見る限りではそんなに酷い血統ではないが、父マグニテュードは6戦未勝利で、超良血の血統「だけ」が評価されて種牡馬入りした馬、母カツミエコーも地方競馬の下級条件馬である。
しかも、父マグニテュードと母父シャレーはともにミルジョージとダンディルートという名種牡馬の代用種牡馬としてつけられたものであり、さすがにお世辞にも良血とは言えない。
実際、700万円という競走馬としては安値で購買された。
マグニテュードは一応エルプスとかコガネタイフウとか、短距離を中心に活躍馬を何頭か出してたんだけどね(ここ伏線)。
血統面でもう一つフォローを入れるなら、3代母カミヤマトは名牝スターロツチの半妹である。
牧場ではおっとりして「象みたい」とまで言われたミホノブルボンは、3歳になり、栗東の戸山為夫厩舎に入厩した。
- 61 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2019/05/04(土) 09:38:19.51 ID:0sgn3WjG0.net
- この馬の直後から言われてるけど
第2、第3のブルボンを出せてない時点で、育成論としては意味がない
最終的には、ブルボンが元々強い馬だったと言う話に落ち着く
キタサンだって、持ってる力が上位だった
もちろん、坂路調教は今でも重要なトレーニング方法だし
- 62 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2019/05/04(土) 09:46:32.29 ID:CYCMxEzJ0.net
- >>1
お前アホだろ
- 63 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2019/05/04(土) 10:32:30.59 ID:GzO5asLe0.net
- >>60
鍛えて強くする、って言っても安馬でも稼ぐ点では総帥と同タイプだけどミホノブルボンに関しては素質を見せた馬の距離延長への挑戦って話で総帥とは別物な気がする
- 64 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2019/05/04(土) 10:36:40.93 ID:LxTi80Jd0.net
- キタブラみたいにゆっくり3本乗って心肺を鍛えるのは分かるがブルボンみたいに強く追って筋肉付けまくるとか長距離適性を落としてる気がするんだけどな
普通の厩舎ならそれこそ3冠馬になったんじゃないかと
- 65 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2019/05/04(土) 10:42:05.19 ID:LxTi80Jd0.net
- ノーザン系一口やってる人はモーリス産駒を狙え
社台ファームだとドゥラの方がいいらしいけど
- 66 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2019/05/04(土) 10:42:11.28 ID:1NDWgVAq0.net
- 今は昔より鍛えてるだろ
進化した薬と外厩でな
- 67 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2019/05/04(土) 10:46:40.10 ID:oQEuYpDS0.net
- >>10
これ。
一口馬主やってるだけでわかるけど、ノーザン社台の馬は育成段階から時計乗り込み量共にしっかりやっている。
- 68 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2019/05/04(土) 10:51:44.04 ID:VC090LhC0.net
- >>64
陸上競技で言うところのインターバルトレーニングで持久力をつける調教だったはず
割と理に適ってるように思う
- 69 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2019/05/04(土) 11:03:06.14 ID:GzO5asLe0.net
- >>61
間もなくジェニュイン、バブルの活躍もあって向かない馬を鍛えてまで菊に挑戦するより適距離を走らせるのが主流となって必要とされなくなったのが大きいようにも思う
戸山師も間もなく亡くなったし
キタサンは母父バクシンオーだったし立場がブルボンに近かったと言えるかも
- 70 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2019/05/04(土) 12:50:52.61 ID:FlKA6GQq0.net
- 厩舎所属騎手
鶴留明雄(1965年-1977年 騎手)
武邦彦(1967年-1970年 騎手)
武永祥(1968年-1970年 騎手)
田口光雄(1968年-1970年 騎手)
小島貞博(1971年-1993年 騎手)
小谷内秀夫(1975年-1992年 騎手)
坪憲章(1975年-1983年 厩務員、調教助手)
森秀行(1981年-1993年 厩務員、調教助手)
森はほんと酷い奴だよ
小島を解雇しやがった
- 71 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2019/05/04(土) 15:44:22.03 ID:l5vmWsQP0.net
- 潰れるの前提で10頭20等に1頭だけこなせるとか馬主が預けてくれないよ
安馬集めてやれる時代ちゃうで
- 72 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2019/05/04(土) 17:52:53.34 ID:nDXLux3d0.net
- 零細血統でも
トレーニングさえ耐えられたら
かなりのとこまで行くだろうがそれを探すというのはあまりしてなさそうだったな
調教自体は指示さえ出してるだけでいいと思うから
本人は土日以外は北海道にいて毎日馬見てるようじゃないと大成功というのは厳しいかな?
- 73 :橋田寿賀子調教師 :2019/05/04(土) 18:07:26.74 ID:fJy5hEih0.net
- ・馬は鍛えても強くなりません
・調教で強くなるというのは錯覚です
・強い馬は最初から強い(ロブロイとかクリちゃんとかシャトルとか
調教師の仕事は調子を整えてレースに出すこと
戸山さんと対極だね藤沢は
- 74 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2019/05/04(土) 20:05:03.47 ID:FC5hNLI00.net
- >>40
>次走はかねて目標としていた天皇賞(春)となり、同競走を2連覇していたメジロマックイーンを
意識して徹底的に追い込む調教が行われた。しかし、あまりの厳しさから「馬を虐め過ぎではないか」
との批判が上がり、「メジロマックイーンに勝つ前に馬が潰れる」と揶揄されたほどの過酷な内容であった[25]。
しかしこの調教が功を奏し、天皇賞当日は前走から12kg減・東京優駿以来となる430kgと、
極限まで削ぎ落とした馬体での出走となった。このときのライスシャワーについて
的場は「なにか猛獣というか、すごい生命体というか、そばに近づいたときから、火でも吹かれるんじゃないかって、
そんな恐ろしいような雰囲気がありましたが、乗ったらもう、馬じゃない別の生き物でしたよ。
これで下手に怒らせたら、指や足を食いちぎられるんじゃないかと思ったぐらい」と述べ[26]、
また飯塚は「当日馬を見たとき、これは凄い、と思ったよ。走るという気力というか、迫力というか。
見た目にはそれまでと特別変わっていないんだが、内から溢れ出るものがすごいんだ。このとき初めて、
今日は勝つ、と確信したよ」と述べている
- 75 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2019/05/04(土) 20:39:42.00 ID:aivGFGVC0.net
- 30年前は人間のスポーツ界の指導者層ではうさぎ跳びや
夏場に汗を大量にかいても水分を摂取しないように指導されてた
今ではありえない事だが、当時の指導者層は本気で最善策として指導してたんだよ
そんな感覚が当時は標準の時代にミホノブルボンは戸山先生に育てて貰ったんだ
- 76 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2019/05/04(土) 22:15:56.19 ID:aivGFGVC0.net
- リアリズムの目線
当時はどんな時代の風土があって、そんな中で結果を出せたのは何故だろう?
俺は歴史が好きで最大限、その当時の標準感覚を調べて、凄い人材や駄目な人材を評価してるな
- 77 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2019/05/04(土) 22:43:09.02 ID:SAPXea/20.net
- 栗東に坂路が出来て試行錯誤の段階で
積極的に使った戸山が結果出しただけ
その代わり戸山は坂路で何頭も潰してる
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