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ミスターシービーってそんなに人気だったの?

403 :名無しさん@実況で競馬板アウト:2021/01/05(火) 10:02:23.72 ID:5zeDmzel0.net
>>375
>>378
松山吉三郎はもともと大尾形に次ぐ府中の名門・名伯楽だったけど、
厩舎が美浦に移ってからは、開業したての息子松山康久が事実上両厩舎を指揮。
日本の競馬史上、もっとも公平に馬房や施設が割り振られていて格差の少ない時代で、
故に調教師の真の実力・厩舎力が結果に直結して表れていた80年代。

そんな時代に松山康久は・・・
83'ミスターシービー(19年ぶりの三冠達成・四冠馬)
86'ダイナガリバー(吉田善哉初制覇・松山吉厩舎名義)
89'ウイナーズサークル(茨城産馬)
80'モンテプリンス(首差2着・松山吉厩舎名義)
・・・と日本ダービー3勝、僅差の2着一回。
(※上限20馬房の頃だから康久は実質40馬房回してたことになるが)

今とは違ってダービーが一番価値の高いレースでみんながダービーを目指した時代の成績。
驚くべきことに、この頃康久はまだ40代の青年調教師。
90年代以降は定年制導入を皮切りに調教師の存在意義が地に落ちることになり、
康久も苦戦するが踏ん張って何とか1000勝までこぎつけた。
彼は、時代が時代ならもう1頭くらい三冠馬を作ったかもしれない。

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