2ちゃんねる スマホ用 ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

古文・漢文は高校の授業科目から外すべき!

1 :名無氏物語:2011/11/03(木) 13:06:38.61 ID:nB5Q5pT3.net
古文・漢文は実学からかけ離れすぎている。
こんなものを全員に覚えさせて、日本の将来を担う若者の貴重な時間を割いていては、
今後の経済戦争で外国に負けるのである。

やるとしても、高校授業や大学受験の内容からは大幅に内容・配点を縮小すべきである。
やりたいヤツは大学の専門課程の中でやれば良い。

授業科目群の内容を見直すべきである。



130 :名無氏物語:2012/04/22(日) 11:51:35.22 ID:YQPSe+/O.net
基礎からわかる 古典文法 [単行本]
中村菊一 (著)

この本はどうですか?

131 :名無氏物語:2012/05/06(日) 03:13:09.48 ID:XroIU8yT.net
教科書基礎レベルがわかっていれば、だいたいは読めるんだよ、古典なんて。

つか、この大変な時代に、教員は何考えるんだろ?頭おかしくない?

「日本人ロボット化計画」みたいなのの一環なんだろうよ。

132 :名無氏物語:2012/05/06(日) 21:57:20.19 ID:amgRTIni.net
英語の背後に流れているのは二千年続いた古典
聖書やホメーロスです。
日本の古典も知らないで国際人には成らないでしょう。
英語だけまなびたいのなら移住したほうが良い。
移住した国ではその国の背後に流れる古典を
身に着けて本当にその国の人になるわけだが。

133 :名無氏物語:2012/05/07(月) 00:22:00.29 ID:fLQzJNYE.net
自称東大理系必死だな
http://hissi.org/read.php/kobun/20120506/WHJvSVU4eVQ.html

134 :名無氏物語:2012/05/28(月) 12:34:23.59 ID:eqTXfazD.net
古文漢文は必修にして
理系大学入試でも出題すべき
士大夫たるべき知識層が四書五経兵書史書の漢籍に通じるのは当然のたしなみ


135 :名無氏物語:2012/06/14(木) 00:26:00.58 ID:sX87QDBn.net
湯川秀樹なんか学者並に漢籍に通じていた。
そして「荘子」からヒントを得てノーベル賞を受賞。
理系も漢籍に通じてないと発想が貧困になって駄目。

136 :名無氏物語:2012/06/15(金) 03:40:05.81 ID:fmw2xk8O.net
>発想が貧困になって駄目

付け加えるなら、
どうヒントを得てどう生かしたかって事が大事だな。

ひとつの見地を提供したという事実を評価できない人間が学問について話しても無駄。大学に来るべきじゃない。



137 :136:2012/06/15(金) 04:49:24.97 ID:fmw2xk8O.net
大学どうこうの話題じゃねえなスレ違いだった。

138 :名無氏物語:2012/06/15(金) 08:43:58.57 ID:r93VhXuO.net
>>134
東工大:古文漢文なんざ時間の無駄だから受験数学やれ

139 :袴垂保輔 ◆LmrL2hSV9g :2012/06/17(日) 00:30:24.02 ID:v9KcH6yU.net
>>1
こういうやつに限って現代文学のげの字も知らないんだよな

140 :名無氏物語:2012/06/17(日) 16:00:15.21 ID:yWwkIuMW.net
東大が理系に国語の記述をやらせて東大受験生も国語の勉強が楽しい
って言ってる現状じゃ高校の授業から外れることはないと思うぜ?

141 :保守派:2012/06/17(日) 17:01:39.43 ID:V+JOvf4l.net
>>1 古典あっての現代語だ。したがって教育課程から古典をなくすことに強く反対する。

142 : ◆japangjfsM :2012/06/17(日) 19:35:28.17 ID:HIq0G7lU.net
 

143 :名無氏物語:2012/07/01(日) 12:40:41.15 ID:QYsjHviE.net
漢文の素養は、明治時代の西欧文明を吸収するのに役立ったと言われている。
夏目漱石や森鴎外、正岡子規や中島敦といった文学者らの、優れた著作の背景には漢文の素養があった。
しかし、日本人は漢文を捨て、西欧を採入れようとしましたが、現在まで実際には失敗している。
英文学者の漱石でさえ「漢文は理解出来るが、英語は理解出来ない」と言っている。
漢文の素読が、かつての日本人の国語力を一定のものにしたことは事実であり、それは今の日本人の国語力以上のものであった。
今の漢文教育は、「さわり」をやるだけなので意味が全くない。
古文・漢文と共に、国語は今の授業時間数では絶対に足りない。
数学理科など減らしてでも、国語の時間は増やすべきである。
国語力とはものを考える力であり、他の教科の基礎であるばかりでなく、人の生き方の本質に大きく関わるものだからである。

144 :名無氏物語:2012/07/21(土) 09:11:56.87 ID:OWK3NwaN.net
役だった、ってもう完全に過去形じゃん
今ではもう何の役にも立たないでしょ

145 :名無氏物語:2012/07/22(日) 08:32:30.98 ID:LZBnxn1v.net
文法は大事だろうけど味わうのも大事だと思います。
何の役に立つのか分からなくて面白くもないものはそのうち誰もやらなくなって廃れる気がする。


146 :名無氏物語:2012/07/30(月) 18:38:09.40 ID:CNtqe1rz.net
「内部留保の溜め込みはけしからん」なんていう嘘をころっと
信じてしまうような人間である限り、いくら源氏とかが読めても
まったく無意味。時間という資源は有限である以上、物事には
優先順位をつけなくてはいけないが、残念ながら古典文学は最劣位。

趣味としてやる分にはいいと思うから、学校教育においては古文漢文
ともに完全廃止し、そのかわり地域の少年サッカーチームやピアノ
教室のような古典教室を需要に応じて作ればいい。

147 :名無氏物語:2012/07/31(火) 18:31:00.07 ID:LE8uGP70.net
>>146
>「内部留保の溜め込みはけしからん」なんていう嘘をころっと
信じてしまうような人間である限り、いくら源氏とかが読めても
まったく無意味。

アホ臭い文章w

148 :名無氏物語:2012/08/02(木) 00:23:43.61 ID:5R0iD09m.net
802 名前:明るく楽しい大阪城 ◆V9NFYlHDBE []: 2012/08/01(水) 10:02:25.35 ID:eMaKp2iU
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
論語なんてのがありますが
これを漢字はおろかひらがなもおぼつかない未就学児に与えても分からん訳です
当たり前ですわな、それを消化してこなすだけの土台というものができていないのですから

その幼児がこう言うわけですな、ボクに理解できないから、論語には価値がない
論語がより多くの読者を得るにすべて今風に内容を書きなおした方が良かろう
なんならマンガにすべきだと言い出すわけですな

なるほど幼児なら、それでいいかもしれませんが厳しい国際競争社会では
誰も生き残るための良い知恵や答えをいちいち日本人に教えてくれんのですな。
自ら問題を定義し、学び、考え、答えを出す癖がない幼児は厳しい時代を生き残れませんな。

自分を高みに上げる努力をするでなく、相手に降りてこいと言う
挙句がオレに分かるように説明できないからオマエはバカだとのたまう、価値がないと放言する
これは学び楽しむ人間の謙虚な態度じゃございませんな、こんな手合いが自分は賢い日本人でございと
大手を振って生きているのが今の日本の凋落の一因となってるんでしょうなぁ、嘆かわしいことです

149 :名無氏物語:2012/08/02(木) 19:01:52.02 ID:LBLdSyEG.net
とりあえず一旦科目から外してみてそれで問題おきるかどうか調べればいいだろ
そういう発想がなぜできない
ってできないから文系なのか

150 :名無氏物語:2012/08/02(木) 19:27:25.25 ID:0+296/AX.net
手始めに物理と数学をなくして実験してみるか

151 :名無氏物語:2012/08/02(木) 23:17:40.91 ID:LxtIC7ms.net
>>149
>とりあえず一旦科目から外してみてそれで問題おきるかどうか調べればいいだろ
そういう発想がなぜできない

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.php
>というのは「この教育方法でやってみたら、うまくゆきませんでした」ということを教育する側は
絶対に言うことができないからである。学校教育の相手は生身の人間である。「出来の悪い
教育プログラムを与えたせいで、学力が劣化しました」といって放り出すわけにはゆかない。
教育において「実験」は許されない。だから、教育機関の卓越性は科学的には考量不能なのである。

http://blogos.com/article/42441/
>しかし、純粋数学といった、謂わば論理の殿堂を理解するのに、必要な数学能力と国語能力に高い相関があるようです
>本をよく読む学生は、文章に日頃接することで、自ずと論理能力が鍛えられているのに対し、
文章を日頃読むことが少ない学生は、論理能力が未発達なのではないかと思います。

古典を学ぶことで日本語能力が深く複雑になり論理能力もまた向上すると思う。

152 :名無氏物語:2012/08/02(木) 23:49:51.96 ID:2ZgYW58j.net
古典やるより現代国語や日本語の勉強に力を注いだ方がよっぽどいいわ

153 :名無氏物語:2012/08/03(金) 06:25:53.04 ID:OqT1Xn/6.net
>>151
>しかし、純粋数学といった、謂わば論理の殿堂を理解するのに、必要な数学能力と国語能力に高い相関があるようです

さもありなん。人と猿の違いは言語能力と言われている。
あらゆる能力の礎なんだろうな。
その言語能力をあらゆる手段で鍛えるべきだな。

154 :名無氏物語:2012/08/03(金) 13:02:37.94 ID:yIGrlDqm.net

古文や漢文の文法を学んだり、それらを読んだりする時間で
より多くの近現代日本語の文章が読めるだろうし、
現代日本語での作文練習ももっと多くできるだろう。
その方が論理能力も発達すると思うよ。

ときに、漢文に出てくるロジックって、アナロジーが多くて
現代人の――特に理系の目から見ると、あんま論理的じゃないよね…。


155 :名無氏物語:2012/08/03(金) 13:17:10.11 ID:yIGrlDqm.net
漢籍を読ませることの意義って、基本的に漢語の語彙力の獲得だよね。

論語や荘子でこの先生きのこる知恵を学ぶんだ、とか言う人もいるみたいだけど、
内容を求めてるなら現代語訳の方が効率良く摂取できるだろうし、
じっさいそういう人たちも現代語訳のない論語や荘子を読むわけじゃないし。

言うなれば漱石の草枕とか、平野啓一郎の日蝕みたいな文章を読んだり書いたりする能力。
でもああいう非日常的な漢語を散りばめた装飾的な文章って、
今の価値観で言うと、あまり誉められたものじゃない。
もちろんペダンティックな欲望を満足させるオナニーはできるだろうが、
それは文章の論理的な正しさ、簡潔さや明晰さとは逆ベクトルの動きなわけで。

156 :名無氏物語:2012/08/03(金) 13:27:34.39 ID:yIGrlDqm.net
漢文の返り点の読み方や、古文の文法を学ぶことで、
どういう能力を身につけさせたいのか。
それがなぜ重要なのか。現代文の学習ではそれはできないことなのか。

そういう視点から古文漢文の有用・無用を功利主義的に議論するのは有益だと思う。

俺としては古文も漢文よりは現代日本語の教育が優先されるべきだし、
文法や漢文・古文語彙の暗記は、
それ自体は読解力や作文力に結び付く応用性が低いから、
なくすべきだと思う。

つまり、文法や語彙を暗記して古文漢文の原文をちまちま読むよりは、
現代語訳で多くの古文漢文作品を読ませるのが良い。
古文の時間は谷崎や与謝野訳の源氏を読む。
漢文の時間は現代語訳された史記や戦国策を読む。
こうやって暗記よりテキストの読みに多くの時間を割いた方が、
古典から知恵を得るという点ではずっと役に立つはず。

157 :名無氏物語:2012/08/03(金) 17:01:14.01 ID:clTse2f6.net
たしかに数学や科学の論理に慣れた我々からすると
中国の諸子百家が説得に使う論理って詭弁そのものだし
それで相手が説得されちゃう展開見ておいおいって思うよな。
「五十歩逃げた兵士が百歩逃げた奴を笑うようなものです」
ええーっ同じなの?って。w

まああんなもんばっかり読んでた前近代の中国の文人に
論理的思考が身につくはずもなく、
近代化に失敗して列強の半植民地にされたのも当然だと思う。

158 :名無氏物語:2012/08/03(金) 20:24:22.08 ID:X8FR+fs2.net
>>154-157
次は漫画で表現しろになるのかな。
>ときに、漢文に出てくるロジックって、アナロジーが多くて
現代人の――特に理系の目から見ると、あんま論理的じゃないよね…。

言語で論理能力を高めるというのはそういう意味で
言ってるんじゃないと思うよ。
今使ってる言葉を歴史的にも空間的にも脳内で深め
言語の構造も深く複雑なものをそのまま理解習得することで
自然と人間本来に備わっている能力が引き出されてくるという意味が大きんじゃないかな。

>漢籍を読ませることの意義って、基本的に漢語の語彙力の獲得だよね。
多分漢文で語彙力はつかない。原典を読むという意味のほうが大きいと思う。
人間が考えた思想は既に出尽くしている。後はその原典に何度でもぶつかっていく。
そのたびに違った解釈が生まれ、人類の思想は深まっていく。
そういう姿勢を高校生に実感させるのもいいんじゃないかな。
聖書、仏典、哲学書、文学みな繰り返し読解されてそのたびに違う解釈が生まれ深くなってきた。
そんなに複雑な漢文は出てこないでしょう。効率。効率と言っていると
そのうちプログラミングを教えたほうが効率がいいとか言い出すかも。
あれは機械のための言語で使ってる人を見てると・・・



159 :名無氏物語:2012/08/03(金) 21:31:38.61 ID:clTse2f6.net
>>158
もう少し論理的な文章を書いてくれると嬉しい。

>今使ってる言葉を歴史的にも空間的にも脳内で深め
おそらく日本語の歴史的な発達過程を踏まえることを言いたいのだろうが
空間的に脳内で深めるという表現は何のアナロジーなのか、
そもそも意味を考えて書いた言葉なのか不明瞭。

>言語の構造も深く複雑なものをそのまま理解することで
まあ何となく言いたいことはわかるが日本語としておかしい。

>自然と人間本来に備わっている力が引き出されてくる
具体的なプロセスを誤魔化すフレーズとして疑似科学によく見られる言い回しだが
ここでも具体的になぜそうなるのかという説明が抜け落ちている。

少なくとも>>158の文章を見る限り、まったく論路的思考力は引き出されていない。
まあ158くんはあまり古文漢文を読まなかったのかも知れないが。


160 :名無氏物語:2012/08/03(金) 21:42:57.99 ID:clTse2f6.net
もちろんどのような学問や知識体系でも、
それが形成された歴史的な背景を学ぶことでより深い理解を得られるのは確かだ。
経済学なら経済学史、物理学なら物理学史、数学なら数学史を学ぶことで、
それぞれの学問のパラダイムを相対化することが容易になる。

古文漢文の学習を通じて日本語の語彙や文法、文体が現在そうある理由を
歴史的に理解する上では有用だろう。
それは日本語を何かのーー例えば論理的な思考や表現のーー手段として、
その利用を洗練させる訓練と言うよりは、
日本語自体を理解の目的とするものであって、
そこから一足飛びに論理的思考が手に入ったり、
人間本来の能力が引き出されたりするというのは、
論理の飛躍という他ない。

161 :158:2012/08/04(土) 20:34:41.89 ID:fO6r3gH6.net
>>158では>>154-6に対して>>154-6がなんの疑問も抱かず前提にしている国語力で論理能力をつけることの解釈が
単純過ぎるためあえて違う解釈もできると示した。「国語力で論理能力をつける」ということは>>151のリンク先によって
提示されているがそれは公理というものではなく個人の経験から導き出された仮説に過ぎない。しかし教育に関しては
或いは人間の脳内で起こっていることについての解釈は往々にしてそういうものに頼らざるを得ない。それは人間の脳
を解剖したりして分かるものでもない。また子供を分けて極端に違う教育を与えて実験することもできない種類のものだ
から。したがって自分が>>158で示した仮説もまた証明のしようがない事を手探りで説明しようとしたものである。さて
>>154-6は国語教育で論理能力をつけるという仮説の立場を支持しながら、漢文教育の意味は漢文に出てくるロジック
或いは漢語の語彙力の獲得などという定義をした自分は其れに対してあえて其れだけではないと思ったので、>>151
リンク先の考えを僭越ながら忖度しそういう意味で言ってるんじゃないと思うよと提案した。その内容が論理的ではない
と言う事が>>159-60にはあるかもしれないがそれならばまず前提にしている国語教育で論理能力をつけるという事を
自分が論理的に国語教育によって脳内で起こっていることを説明するべきではないか。


162 :158:2012/08/04(土) 21:03:44.16 ID:fO6r3gH6.net
プログラミングに詳しいと思われる人つまり日本語をあまり使わず英語やプログラミング
言語ばかりを使っている人が往々にして日本語の助詞の使い方を間違えたりすることか
ら浮かんだこれも仮設ではあるが。例えば「は」「が」は前に来るのが未知のものと既知
のものとよく言われる。(当然いろんな説があるはず)そういう区別は現代文だけではな
く古文も読むことによって補強される多分脳内では無意識に未知既知という時間的空間
的な判断をしているだろう。もちろん証明はできない。文章を読んで意味を理解したり、
語彙を増やすだけが国語教育によって起こることとは思えない。こういう教育に関する
ことは人類の長年の経験によって、ああしたほうが結果的にはいいという積み重ねの部
分が大きいと思う。国語を教えるなら深く古典にまでいったほうが、結果として有為な人
材が輩出されるんではないだろうか。其れを否定するためには非論理的な感情的な古典
排斥論ではなく冷静な万人を納得させる論理が必要ではないか。


163 :名無氏物語:2012/08/05(日) 09:25:17.30 ID:YMcFvuMF.net
ひどい文章だなぁ。句読点の打ち方から勉強しなおして来た方が良いぞ。

164 :名無氏物語:2012/08/05(日) 10:35:49.91 ID:t8LSMqXr.net
学校でやる勉強って卒業した後に何か学ぼうとか親しもうとした時の助けになるような役割も大事だと思う。
高校で習う事とか忘れちゃう人が多い気がするんですよね。


165 :名無氏物語:2012/08/05(日) 20:21:52.88 ID:YVgpvj7N.net
>>164
そういう漠然とした理由付けだと、
なぜフランス語や会計学やヴァイオリンや心理学でなく
古文漢文なのか、という問いに答えられない。
卒業後に何か学ぼうとしたときの助けになることなんて無限にあるからね。

「視野をひろげる」などの間接的な理由付けも同様。

古文漢文に直接的に求めるものが何なのか、
それは例えば現代文や数学といった他教科に割ける時間をあえて利用してまで、
習得させるべきものなのか。
そういうことを考えるべきだと思うんだ。

166 :名無氏物語:2012/08/05(日) 20:55:22.76 ID:YVgpvj7N.net
敢えて古文漢文を難じる立場を取らせてもらうと、
どちらも古文や漢文を読む能力の助けになる――もちろん、あくまで助けで
あって、それで読めるようになるわけではない――ことは確かだが、
それは現代日本語を扱う能力には、必ずしも良い影響を与えないと思う。

古文漢文はなまじ現代日本語に近い分、そこでの語彙や文法・文体が
本人が使う現代日本語に影響しやすい。
例えば(しばしば装飾的・衒学的な)漢語語彙の多用や、
古典日本語文法の現代語との混用としてね。

こういうことを表現力の拡張だと喜ぶ人間もいるだろうが、
正確な情報伝達という言語の基本的な機能に照らすと、
語彙や文法の煩雑さは歓迎すべきことではない。

こうしたデメリットをもたらすリスクを無視して古文漢文を教える前に、
十代の若者には何よりもまず、
現代日本語による正確かつ平易な表現力を身につけさせることが必要だろう。

167 :名無氏物語:2012/08/06(月) 00:54:10.73 ID:x9+o+9B3.net
和歌・川柳・俳句の区別を中学で教わらなかった高校生は、
悲惨だぜ。

自分の感情を表現する自由を奪われているようなもの。


168 :名無氏物語:2012/08/06(月) 07:23:44.51 ID:zTSkmcRg.net
和歌や俳句でしか自分の感情が表現できない高校生って、いたら嫌だなぁ。w
まあ古文漢文を高校で教えることの是非と何の関係もないが

169 :3DS対応:2012/08/06(月) 10:35:24.79 ID:c84zopW7.net
http://www.r4tt-shop.com/
3DS対応 マジコン 販売正規品 R4i SDHC本体新品です
マジコンショップのマジコンは全て正真正銘の本物です。偽物の場合は全額返金いたします。
FW1.4.3J対応 3DS対応
DS/DSL/DSi/DSiLL/3DS全機種対応

170 :名無氏物語:2012/08/06(月) 12:48:57.71 ID:GejCIkoz.net
俺はセンターの古文漢文で満点を取り、京大の理系学部に入った。
ので、中高の教科書レベルの知識はひととおり頭に入っていると思う。
それ以上の専門的な内容を学んだことは(学部の一般科目を含めて)全くないが。

で、中高レベルの古典をいちおう修し終えただけの立場から言うと、
英語、数学、理科、そしてとりわけ現代文といった教科については、
高校で修めたそれらの知識や能力が
卒業後の知的活動において死活的に重要だと日々実感しているし、
日本史、世界史、地理といった社会科の諸教科も
現在の日本と世界のありようを理解する上で必須の素養だったと思う。

しかし古文漢文については、上述の他教科と比較したときに、
その知識の応用性、利用の機会において甚だ見劣りするのは、
実感として否定しがたい。

もちろん趣味として俺は源氏物語や杜甫の詩を読むことを愛する。
(もっとも源氏はもっぱら現代語訳だし、杜詩も返り点などを打って読んだりはしない
――つまりその鑑賞において中高で習った文法事項など全く必要としないが。)
しかしそれはトーマス・マンやバルザック、トルストイの文学に向けられる愛と、
或いはバッハの音楽や奈良の古建築に向けられる愛と同じ類のものであって、
そうした趣味のために中高の授業時間を割くことが適当かというと、首をかしげざるを得ない。
だからこのスレで提示されるような疑問はもっともだと思う。

171 :名無氏物語:2012/08/06(月) 13:13:58.74 ID:GejCIkoz.net
仮に古典教育を、美術や音楽といった芸術科目の教育と同様の目的において
理由付けるとしても、
古文や漢文の文法を幾ら暗記したところで
一篇の漢詩も我々は作らないし、古文を用いた作文をするわけでもない。

「日本と中国の古典は素晴らしい芸術的価値を持つから
その鑑賞ができることはそれだけで非常に有難いのだ」
ということも可能かも知れないが、
俺が読んだ限り、ギリシア、ローマ、インド、中東、ヨーロッパ等等の
世界の錚々たる古典文学・思想・宗教作品群に対して
日本と中国の古典がその質において格別な地位を占めるとは思わない。

それらを原書で読むために(どうせ読めやしないが)古文単語や返り点の打ち方を学ぶ時間に
現代日本語訳の史記やプラトンやシェイクスピアを読ませた方が、
遥かに人格形成に有益な古典教育たりうるのではなかろうか。

172 :名無氏物語:2012/08/06(月) 14:16:38.79 ID:9fKT6UAW.net
条件を捨象し限定すれば華麗で完璧に思える論理は展開できる。
しかし現実や自然はそれではとらえきれず
指の間からこぼれる砂のように抜け落ちてゆく。

173 :名無氏物語:2012/08/06(月) 16:02:12.69 ID:CFB9i+e2.net
>>171
確かに世界的に見て日本の古典が格別優秀かと問われると
日本人以外にとっては、まだしも読むに値するのは「源氏」くらいだろう。
ただ、そのような人類普遍的な価値とは別に、国民国家アイデンティティの形成という意味で
自分の祖先が何を考えてたかを知るのは意味があると思う。
日本人として日本や古代中国の文化や精神を受け継ぐことは大事なことだ。

まあ、だったら文法暗記より現代語で多読すべきと言われればその通りだが



174 :名無氏物語:2012/08/07(火) 03:31:31.76 ID:vg4ehXrG.net
文章を練る場合、駄文さえ書けて意思が通じればいい、
と考えれば、古典なんかどうでもいい。

日本人の感受性なんかは、枕草子・紫式部日記にも現れている。
原文で読めるかどうかの違いは、理解度だ。
サルトルなんかの哲学書を原文で読むと、頭にしみこんでくる。


175 :名無氏物語:2012/08/07(火) 07:25:16.72 ID:aTVjHqrl.net
>>174のコメントなど全く非論理的な文章で、
およそ意思さえ通じない駄文だが、
古典やサルトルの原文(笑)を読んだ成果は一体どこに行ったのかと
疑問に思わざるを得ない。



176 :名無氏物語:2012/08/07(火) 09:10:11.92 ID:C8j+Zc+P.net
現代日本語による優れた文をものしたければ、古文や漢文の語彙や文体や構成を学ぶよりも、
まず現代日本語の優れた文をできるだけ読み学び、それらを手本とした作文の訓練を積むことだ。

古文漢文を学ぶことが悪いとは言わない。
しかし中学高校水準の基礎的な教育においては、
現代日本語を扱う能力を鍛えることの方が重要だと言ってるんだ。
現にこのスレの古漢文教育を擁護する書き込みを見ても、
その文章力のお寒い水準は覆うべくもないだろう?



177 :名無氏物語:2012/08/07(火) 19:56:57.34 ID:a/UsssAU.net
なるほど読解力は大事なもんだ

178 :名無氏物語:2012/08/07(火) 20:56:56.97 ID:AdHHfJHC.net
>>176
現代日本語で規範になる文章ってあまりないですよ。
新聞でも誤用がたくさん有ったり、TVのテロップでも一日一回は間違いに遭遇するような時代。

漢文も含めて、古文や歴史の素養がないと、まともな文章はやっぱり書けない。
あえて言うけど、近年の日本語の乱れは、朝鮮学校卒とか、まともな日本の素養がない人間がマスコミや文筆家になってるから
生じてるんだと思う。
本来文章を書く仕事をしちゃいけない人がそういう仕事についてるから。

その一方、中学生、高校生でも見事な文章を書く人間もかなりいる。
文章は素養も含めて、その人の蓄積してる内面が反映されるから、
大人が「古文は必要ない」とか色々言おうと、自分で自分をちゃんと高めてる人
好きで学んでる人は、誰に言われなくても、自然に立派な文章を書きますよ。



179 :名無氏物語:2012/08/07(火) 21:50:03.43 ID:z+FgGynI.net
…と君が書き散らしたその文章が、まさに現代日本語であって、
古文でも漢文でもないのはもちろん、擬古文や擬漢文ですらないんだよ。
現代日本語の規範は直接的には現代日本語を参照することによってしか
定め得ない。
そこで古文漢文の文法や言い回しを混用することは誤りですらありうる。

もちろん古文、漢文、のみならずフランス語や英語やウルドゥー語の素養が
間接的に現代日本語のまともな文章を書くために必須だと主張したければ
それもいいが、少なくともそうなる論理的なプロセスくらい示そうぜ。
立派な文章にお詳しい御仁なら尚更、な。


180 :名無氏物語:2012/08/07(火) 23:21:47.64 ID:XaPoXjIg.net
>>179
単語の意味にせよ、文法にせよ、実際の用例から帰納されるものだからね。
現代日本語の規範を学べるのは、現代日本語の文を読むしかない。

ただ、文法や語義上の正しさにとどまらず、
説得力のある論理や構成という点まで含めて文章力の意味を広く取るなら、
現代文以外の要素も関与してくると思う。
例えば>>174>>178のように「論理的なプロセス」を書かずに
結論だけを書いた文章が多いが、こうした悪文は数学的な素養の欠如に由来するのではなかろうか。
出来の良い生徒は「途中の式を書け」という教師の教えを会得しているだろうから。

俺だったら例えばこんな風に論理を展開するだろう。
『ある内容を伝えたい場合に(特殊なものでなく、一般的な例であるほど望ましい)、
 古文漢文の素養がないとこのような文章しか書き得ない。(実例提示)
 これに対し古文漢文の素養があると、このような文章を書くことができる。(実例提示)
 前者の文章はこのような点が日本語としてまともでない。
 いっぽう後者の文章はこのような点で前者に優れる。
 したがって古文漢文の素養はまともな日本語の文章を書くために必須である。』

何かを主張するための論理と構成を備えたまともな文章って、こういうもんだろ。

181 :名無氏物語:2012/08/08(水) 01:43:26.75 ID:RV5NuaO0.net
>>180 例えば>>174>>178のように「論理的なプロセス」を書かずに

その結論を尊重せずに、
自分が分からないから、
そのように考えるに到った経緯を書いて欲しいなんて、
自己チューな考え方に到った履歴を披露して欲しいものだ。

さて、哲学・思想は、数学的な基盤の基に成り立っているのだろうか。
サルトルにせよ、孔子にせよ、キリストにせよ、
自分の知見・経験をもとに抽象化して説を立てているだけ。

無意味な批判に時間を消費しない方がいい。

182 :名無氏物語:2012/08/08(水) 06:17:23.60 ID:j3bR8V38.net
「何でそうなるの?」
「分からないのか!理由を聞くなんて自己中な奴め!」

ダメだこりゃ。w

183 :名無氏物語:2012/08/08(水) 09:11:20.87 ID:vW5noWR1.net
要するに信仰、宗教のたぐいなんだよな。

「古文漢文を学ばないとまともな日本語が書けない」「駄文しか書けない」

――その結論はどういう論理過程によって導かれるの?
――古文漢文の素養を必須とする「まともな」文、
現代文の素養だけで書いた「まともでない」文って、
それぞれ具体的にどんな文?

この単純な問いに答えられないなら、ただの思い込みということだろう。

ソクラテスでなく神の子や聖人を引き合いに出して言葉を濁すあたり、
薄々自覚はしてるのかも知れんが。


184 :名無氏物語:2012/08/08(水) 13:58:54.83 ID:e7FTyCGa.net
漢文の素養がないと絶対に書けない文の例。

”この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺※(糸+賺のつくり)
なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、
かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得る
の点において、我利私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、
万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。”(SN、1906年)

”数か、数か。紅篋の度牒、袈裟、剃刀、噫又何ぞ奇なるや。道士の霊夢、
御溝の片舟、噫又何ぞ奇なるや。吾嘗て明史を読みて、其奇に驚き、
建文帝と共に所謂数なりの語を発せんと欲す。”(RK,1919年)

”隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで
江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、
賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。”(AN,1942年)

ちなみに漢文の素養をろくに持たないままこの種の文をものそうとすると、
平野啓一郎の『日蝕』のようなものができあがる。
素人にはお勧めできない。

185 :名無氏物語:2012/08/08(水) 15:06:25.87 ID:vW5noWR1.net
>>184
不必要に難解で装飾的な用語、JIS第二第三水準の漢字の多用。
執筆された時代や題材を勘案すれば、或いは文学作品として見るならともかく、
およそ日本人一般が目指すべき現代日本語の規範的な文章ではないな。

それにそういう文は少時から四書五経の素読を仕込まれた世代だから形になるのであって、
現今の中高の国語授業を全て使ってもそのレベルに至ることなど不可能だろう。

186 :名無氏物語:2012/08/08(水) 15:22:38.53 ID:e7FTyCGa.net
>>185 
もちろんこんな文は今の日本人には書けもしないし、書くべきでもない。
ただ、このような文は、「漢字の多い文章=難しい文章=知的な文章」みたいな
小学生レベルの認識の人たちにとっては、まぎれもない日本語の名文なんだよ。

古典を何のために学ぶのかという問いに、
「まともな/立派な日本語を書くため」と答える人が(特に文章力の低い人の間に)多いのは、
畢竟このような擬古文・文語文への崇拝や憧憬によるのではないかと思う。

俺なんかは、古典を何のために学ぶのかと聞かれれば、
「古典を読むためだ」という答えで必要十分だと思うけどね。

187 :名無氏物語:2012/08/08(水) 20:23:48.08 ID:w6bqhCld.net
数学的論理だけで何でも説明できるとか考えている連中の方がよっぽど宗教じみてるよ。
数学なんてのは、「数」という現実ではありえないほど単純化した素材を並べて遊んでいるだけのゲーム。
そんなものをいくら積み重ねても、複雑な現実の事象など説明できない。
まして、人間の言語というのは極端に複雑な代物。
数学的論理の権化であるコンピューターがこれだけ発達しても、言語を解明できないことからもそれは明らか。
その証拠に、機械翻訳は日本語の絡む翻訳はおろか、西欧語間の翻訳ですら惨憺たる有様だ。
だから、古典語の習得と現代語の作文力との関係だの、古典語の必要性だのといった途方もなく大きな話題を、
数学的論理ごときが扱えるわけもない。
「現代日本語を習得するには現代日本語を勉強すべき」なんて論理は、「1+1=2だ」と主張するのと同じ。
それを永遠に喚き続けていれば、論理的破綻はしない代わりに、何の意味もなさないだろうよ。

188 :名無氏物語:2012/08/08(水) 20:25:57.52 ID:w6bqhCld.net
まあここに沸いているアンチはどうせガキなんだろうな。
日本文化の何たるか、日本語の何たるかも知らずに偉そうな減らず口ばかりを叩いているが、
まあ数十年後に「俺も若いころは恥ずかしい書き込みをしたものだ」と思うだろうさ。

189 :名無氏物語:2012/08/08(水) 21:08:36.86 ID:vW5noWR1.net
>>186
古典を読むべきだ、という主張には俺も同意するにやぶさかでない。
ただ、古典を読むべきだからこそ、文法の暗記に労力を費やすよりも、
現代語訳で左伝や源氏、ソフォクレスやシェイクスピアを読むほうが、
古人の精神を学ぶという意味でも、日本語の能力を鍛えるという意味でも、
有益なのではないか、というのが俺の主張。

ツルゲーネフの翻訳から近代日本文学の文体が創造されたこと想起するまでもなく、
古文漢文よりは現代日本語の規範を学ぶのに好適でもあろうよ。


190 :名無氏物語:2012/08/08(水) 21:36:34.29 ID:lZk0zoML.net
だれだよお前w

191 :名無氏物語:2012/08/08(水) 21:50:34.24 ID:e7FTyCGa.net
>>189
しかし日本の古典はホメロスやウェルギリウスやシェイクスピアのような
国際的なカノンでは現にないし、将来そうなるとも思えないので
日本人が読まないと、
日本の古典を原文で読む人が地球上にほとんどいなくなってしまうのよね。

まあだからといって中高生に強制的に学ばせるというのも
それはそれで歪んだ享受のありかたという気もするが



192 :名無氏物語:2012/08/09(木) 01:44:11.64 ID:ZJlIkHuc.net
古文やる意味わかんないけど・・・
「ね」を10回描いて読めとかいうやつは結構面白かったwww


193 :名無氏物語:2012/08/09(木) 10:36:41.24 ID:mw4HANGX.net
強制的に読ませないと読者がいなくなるようなつまらない作品なら、
なおのことわざわざ文法を学ぶ労を払って原文で読む必要がない。

日本でしか読まれないのは、つまり人類一般に訴える普遍性を持たないということだろう。
そんな駄作は打ち捨てておいても構わないし、少なくとも高校で教える必要はない。
人生は有限で、普遍性を持った価値ある古典は無数にあるのだから。


194 :名無氏物語:2012/08/09(木) 11:06:41.46 ID:iGel2CcQ.net
古典にもグローバル化の波か

195 :名無氏物語:2012/08/09(木) 11:14:46.03 ID:h9/Uv+uT.net
下手な文章はかえって味があったりするんだが、幼稚な文章というのはダメだな。

196 :名無氏物語:2012/08/09(木) 11:34:15.64 ID:h9/Uv+uT.net
ちなみに僕の幼稚な文章の判断基準は文章技術ではない
書いている人を想像するという感覚的非論理的なもの
そして>>193の文章を読んでわがままな高校生の顔が浮かんだ。
外れているかもしれない。w

197 :名無氏物語:2012/08/09(木) 14:09:14.39 ID:mw4HANGX.net
>>194
当然、グローバル化という観点からも現行の古典教育の批判は可能だと思うよ。

結局のところ古典教育の意義は共通知としての教養を培うこと
(による人格形成云々)にあるのだし、
知の営みが英語を公用語としたグローバルな活動となりつつある現状では
(科学に関しては百年前からすでにそうだったが)、
日本人の間にだけに通用するローカルな教養の価値は、
国民の大半が一生外国人と会話しなかった時代と同じではいられない。
ならば日中一色の古典教育の構成も見直されてよいだろう、という話になる。

198 :名無氏物語:2012/08/09(木) 19:00:18.40 ID:Kq/ErHcr.net
ふと思ったが
古文を原文で読むことを重視する人って、
漢文訓読についても否定するのかな?

語順を改変して恣意的に訓読を織り交ぜるのも、
原文の鑑賞からは遠ざかるものなんだが…

199 :名無氏物語:2012/08/10(金) 01:25:58.43 ID:sHHwxhlS.net
>>198

漢文訓読は、重宝なもの。
中国の留学生も絶賛するもの。

ただ、原文理解では、中国語読みが優先される。

200 :名無氏物語:2012/08/10(金) 02:11:56.63 ID:sHHwxhlS.net
>>193
普遍性にこだわっているようだ。
個性的にはこだわらないのだな。

いっそのこと、家政科に志望変更するか、
海外移住を考えた方がいい。


201 :名無氏物語:2012/08/10(金) 05:58:25.79 ID:l3d6z8xJ.net
【文章添削】
×漢文訓読は素晴らしい。なぜなら中国人留学生が絶賛しているからだ。
○漢文訓読は素晴らしい。なぜなら■■という利点があるからだ。

×個性的にはこだわらないのだな。いっそのこと
○独自性にもこだわるべきだ。なぜなら■■という利点があるからだ。


日本と中国の古典のみを教える固陋を批判しているのだが、
普遍性をいっさいかえりみる必要がないというのならば、
数学の時間にも和算のみを教えるべしと主張してはどうかな。

202 :名無氏物語:2012/08/10(金) 06:38:13.82 ID:KqqRW/wy.net
>>199-201
自演か
文章が幼稚だから子供か。

203 :名無氏物語:2012/08/10(金) 07:36:21.41 ID:0FSWCQv5.net
漢文訓読の手法って、実は中国で言う古文にしか適用できなくて、
水滸伝や紅楼夢、三国志演義、西遊記などの白話小説は読めなかったりする。
かといって論語や荘子のような古文を読もうとすると、語句の意義が不明瞭で、
注釈や現代語訳なしに正確に理解することは素人にはまず不可能。

つまるところ返り点にほる訓読なんてのは、小手先の誤魔化しに過ぎない。

204 :名無氏物語:2012/08/10(金) 08:01:11.81 ID:7glg3sYM.net
>>203
韓国には古代から万葉仮名や片仮名と同様の文字があったが、
15世紀のハングル創製まで国文は発達しなかった。
知識人が白文で漢文を読めたため、
日本のように漢文訓読が定着しなかったのがその一因。

小手先のテクニックとは言え、
それによって生まれた漢文訓読体が日本語の母体となったことは事実

205 :名無氏物語:2012/08/10(金) 17:14:47.86 ID:ptYWD3Pm.net
現在使われている日本語の形成には、
ヨーロッパ言語の翻訳文も
語彙・文体の両面で多大な役割を果たしてるよ。

むしろ翻訳文学を抑えないと、
前近代の古文漢文がどう近現代の日本語とリンクするのかが分からない。
日本語形成史を学ぶという点でも今の古典教育は片手落ちだ。

206 :名無氏物語:2012/08/10(金) 19:54:46.16 ID:eNHoQwSf.net
横から>>205
>抑えないと
抑は抑圧が原義
また「漢文訓読体が日本語の母体となった」を読めてない。

207 :204:2012/08/10(金) 20:37:31.14 ID:c9+y484s.net
>>205
俺もそう思うよ。
ただし後半部分は「古典教育の目的が日本語形成史の教授にあるなら」という条件付きで。

漢文と上古の和文を現代日本語の祖父母、和漢混交文を母とするなら、
欧文は現代日本語の父親みたいなもんと言えるかも知れん。

じっさい紅葉、一葉、鏡花、露伴、漱石、鴎外あたりの文体を並べた上で
二葉亭四迷の仕事やその後の書き言葉における欧文脈の影響を教えたら
非常に面白いし有益だろうね。

高校の古典の授業でやるべきことかどうかは分からんが。


208 :名無氏物語:2012/08/10(金) 21:23:51.82 ID:qzz2yuHP.net
日本語の形成史を教えることが主眼でないなら、
つまり古典を読むことそのものに古典教育の目的があるなら、
結局、現代語訳で東西の古典を読ませる方がその目的に適う。

高校習う程度の古文文法を修めたところで、
現代語訳を読む方が内容について正確な理解を得られることは確かだろうから。


209 :名無氏物語:2012/08/11(土) 02:38:46.93 ID:ZikJjHG5.net
>>202 自演か

目先の事にしか、焦点をあわせられない高校生だろ。
俺も、そうだった。

高校生に古典を教えた時、自分の経験も語った。


210 :名無氏物語:2012/08/11(土) 02:48:10.22 ID:ZikJjHG5.net
>>203 つまるところ返り点による訓読なんてのは、小手先の誤魔化しに過ぎない。
それは、そうなんだけど。

「誤魔化し」を伝統とするかどうがで、また、
もめるな。

211 :名無氏物語:2012/08/11(土) 04:40:59.18 ID:iK+/ptq4.net
207 名前:204 :2012/08/10(金) 20:37:31.14 ID:c9+y484s
>>205
>俺もそう思うよ。
>ただし後半部分は「古典教育の目的が日本語形成史の教授にあるなら」という条件付きで。

>漢文と上古の和文を現代日本語の祖父母、和漢混交文を母とするなら、
欧文は現代日本語の父親みたいなもんと言えるかも知れん。

>じっさい紅葉、一葉、鏡花、露伴、漱石、鴎外あたりの文体を並べた上で
二葉亭四迷の仕事やその後の書き言葉における欧文脈の影響を教えたら
非常に面白いし有益だろうね。

>高校の古典の授業でやるべきことかどうかは分からんが。

いいこといってるなあ。
むしろ国語科としてすべきことだろう。

212 :名無氏物語:2012/08/12(日) 05:40:19.47 ID:cQFweExG.net
白話文を訓読できるように新しく訓読体を作ろうぜ!

213 :名無氏物語:2012/08/14(火) 13:08:54.79 ID:JRi3Mcqa.net
テスト

214 :名無氏物語:2012/08/14(火) 13:11:42.85 ID:JRi3Mcqa.net
(経済学部などを除く)文系での数学の役に立たなさはいいんですか?

215 :名無氏物語:2012/08/14(火) 15:02:47.40 ID:8XxS9mnq.net
数学は論理的思考の訓練の場と認識していますが、

人文系の学問では論理は必要ないんですかね?

216 :名無氏物語:2012/08/14(火) 18:53:28.68 ID:zVUTPcSG.net
まあ実際、人文系は研究者ですら非論理的な文を平気で書き散らすので
数学など必要ないと言っても良いのかも知れん。

何となく知的な雰囲気を醸し出す文章を書けば
内容はともかくとして、それでアカデミズムになっちゃう部分がある


217 :名無氏物語:2012/08/14(火) 23:48:18.58 ID:duICCssK.net
人文系で非論理的な文を書いて平気な分野は限られるよ
文学や思想系だけだろう
歴史学、言語学、心理学、社会学など論理性を求められる分野は多い

言語と格闘して論理を構築しなければならないから、
理系の末端の日本語になってない論文なんて鼻で笑われる

数学的思考法だけではダメで、言語を道具として使いこなす
柔軟な思考力が求められる

そういう能力を養うのに、教養を問われ、文脈による判断を求められ、
約束事を覚えて読解に活かす漢文の訓練はうってつけだね
湯川秀樹は幼少から高名な漢学者の祖父に漢文の素読の訓練を受けていたから
優れた閃きを得られたのではないかな

218 :名無氏物語:2012/08/15(水) 12:03:12.76 ID:EddBdtWD.net
理系への対抗意識に満ちたレス、微笑ましく読ませていただきました。

しかしながら、文脈を理解した上での解釈や、覚えた約束事を用いて行う読解、
といった特徴は言語の学習一般に言えることで、
漢文にのみ当てはまることでは勿論ないですよね。

仮にそれらの訓練によって「柔軟な思考」や「優れた閃き」が得られるとして
――わたしはそれも事実かどうか疑問に思いますが、それは措いて――
なぜそれを行う手段が、とりわけ漢文の学習でなければならないのでしょうか。

その点を説明できると、漢文を学ぶことの価値を、
多くの人に納得させられるのではないでしょうか。

219 :名無氏物語:2012/08/15(水) 13:01:36.00 ID:A42hvWzM.net
「あのノーベル賞受賞者は猫を飼っていた。猫を飼えば頭が良くなるらしい」
「あの金メダリストはコーラが好きだ。コーラには運動能力を上げる効果がある」
「湯川秀樹は漢文をよくした。漢文を学べば優れた閃きが…」

少し考えてみてほしい。
800人を超えるノーベル賞受賞者の圧倒的多数を占めるのは
一生に一度も漢文など読まなかった欧米人であって、
漢学者を父に持つ湯川秀樹など例外中の例外に過ぎない。

湯川が幼時に漢文を学んだことを以って漢文の効用を説くのなら、
数百人のノーベル賞受賞者が漢文よりも親しんだであろう
ギリシア語やホメロスをこそ学ぶべきだということになる。

220 :名無氏物語:2012/08/15(水) 14:43:03.09 ID:68Rl+AIA.net
・幕末明治→戦前→戦後と漢文教育のウェイトが縮小・後退するたびに、
日本の科学技術の水準はむしろ上昇している。

・総人口14億に及ぶ漢字文化圏のノーベル賞受賞者が20名に満たないのに対し、
漢文と無縁の欧米(総人口8億程度)のノーベル賞受賞者は800名を越える。

この結果から言って、むしろ「漢文を学ぶと馬鹿になる」と言った方が
まだしも説得力あるんじゃない?

221 :名無氏物語:2012/08/16(木) 04:11:14.23 ID:qg3EsS6d.net
西洋では知識人はラテン語や古典の知識は必須ですよ。
ギリシャ人じゃなくても古代ギリシャの思想や歴史を知ってて当たり前。
知らないと無教養って事になる。
漢文は日本に於けるそれに近い位置に有ると思う。

日本は建国以来今までずっと漢字を使ってるから
漢文を読むのも大した労力でもない。
文法的にちょっとルールを覚えるだけで、大体どんな時代の漢文も読める。
むしろ、日本語では、現代中国語よりも、古い言葉の意味が残ってたりするから
かなり有利な部分も有る。
欧米のキリスト教価値観だけで育った人でも、春秋時代の思想家の書や
道教や儒教の書を読んで、人生観に影響受けたり、その近代性に驚いたりして、
漢字が読めたらどんなにいいだろうとか書いてる文筆家や思想家もたくさんいる。
日本人は、原文で読める環境なんだからラッキーだと思う。

222 :名無氏物語:2012/08/16(木) 04:20:14.49 ID:4Ozkx/Ac.net
>>220
の書いている事は余りにも浅薄で、
こう言う考えが蔓延したから日本人は劣化したんだと思う。

漢文教育とか識字率のUPに従って日本人は過去業績を上げてきたじゃん。

ゆとり教育になってどうなった?
漢字圏じゃない外国人(韓国人も含む)がたくさん入ってきてどうなった?
文章能力や学力が以前より劣化してるじゃん。
今ノーベル賞とか取ってる人たちは、みんなゆとり教育じゃなかった時代の人だよ。


223 :名無氏物語:2012/08/16(木) 07:36:34.35 ID:yu8hsSHA.net
ゆとり世代って平成生まれなんだが…。
ノーベル賞どころかまだPhDも取ってないよ。苦笑

224 :名無氏物語:2012/08/16(木) 11:16:08.83 ID:wfiQKcp5.net
漢文教育の是非がゆとり教育に置き換わってる件
ゆとりってカリキュラム全般を削る改変だったはず。

仮にそれによって何らかのパフォーマンスが落ちたとして、
漢文の授業を減らしたせいだとは言えない。
数学のせいかもしれないし、現代文のせいかもしれないのだから。

何か漢文擁護派の方って、主張が支離滅裂すぎて話にならないね…。

225 :名無氏物語:2012/08/16(木) 13:52:33.93 ID:JvE2cHE3.net
否定派の主張は一点張りで発展性がない。

226 :名無氏物語:2012/08/16(木) 14:14:28.47 ID:uRGeBAOB.net
そもそも、古代シナ語と古代ギリシア・ラテン語の文学思想が、
東西のローカルな教養として等価と見なせるのかという所から
問い直した方が良いと思うよ。

古代の文献を学んだという外形上の類似があるからといって、
それは内容が等価であることを担保しない。

現実には自然科学に限らずあらゆる知の領域において
我々が依って立つのは西洋の方法論なのだし、
それは古代ギリシアローマの教養と連続したものだ。
この非対称性は、文化相対主義に立っても崩せはしない。

227 :名無氏物語:2012/08/17(金) 07:11:02.51 ID:rsNItGis.net
その「西洋の方法論」なるもののなんと漠然としていることよ。
印欧語がどのようにして新しい概念を生み出してきたかを仔細に示すこともなく。

われわれがまがりなりにも自然科学を母語で理解できているのは、
江戸蘭学の昔から、漢文の教育を受けた先賢の残した大量の
漢字による訳語という遺産のおかげだろう。
これがなければ日本の近代化もこんにちのような東アジアの発展もなかった。

そもそも残念なことに和語による和文は、新しい事物の登場に即応した造語が苦手だ。
特に抽象的な表現を避け、主観的な表現でお茶を濁す傾向がある。
昔も今もキーワードとなる形容詞一語で結論付けたがる。
共感を誘うことをよしとする感覚的なレトリックを好む。
どだい議論や発展的思考に向かない。(続く)

228 :名無氏物語:2012/08/17(金) 07:11:48.47 ID:rsNItGis.net
>>227続き)
言語がそうであるというより、我々の祖先がそういう日本語の育て方をしてしまったのだ。
そして和語和文の不足を補うために、抽象的思考や発展的思考をもたらす議論を
漢字・漢語・漢文によって鍛えてきた。現代日本語は和文と漢文の両方の土台の上に
はじめて成り立つものだ。国語力を支える古典教育は、最低でも両方の入り口までは
導かなければならない。
漢文教育否定派はなぜこの事実から目を背けるのか。そして入り口までの案内を見て
ため息を付き、全ては無意味と決め付けるのか。

ノーベル賞受賞者についていうなら、ユダヤ人が多いことは周知の事実だ。
彼らの多くは幼少期からキリスト教徒が旧約聖書と呼ぶのとほぼ同範囲の
ヘブライ語文献を暗誦し学んだ。脳を鍛えるのにこういう体験が功を奏したことは
想像に難くない。西欧的思考を陰で支えたのはギリシア語やラテン語だけではないのだ。
ヘブライ語は決して造語力に富んではいないが、諺・詩句・散文の記録に富み、対句を多用する。

地球上には約6000の言語があるが、土着の言語で高等教育までできる言語はそう多くない。
インド文化圏にはサンスクリットがあり、漢字文化圏には漢文(古代漢語)がある。
古典教育のない土着言語だけで中等教育まで済ませ、高等教育からヨーロッパの言語に
切り替えるような教育で、大きな成果を生み出した国は地球上に存在しない。
浅薄な合理主義や狭量な民族主義で古典を切り捨てることはあってはならない。

229 :名無氏物語:2012/08/17(金) 09:17:44.29 ID:pkQqtol3.net
和製漢語のおかげで土着の言語による高等教育が可能になったとか、母語で
自然科学が学べるようになったというのは、よく言われることだが、もう少し
深く考えて欲しいと思う。

漢語に置き換えれば母語になるが、カタカナ音写だと母語にならないという
のなら、「エネルギー」「ベクトル」「エントロピー」「スピン」「ポテン
シャル」等等の語彙を用いて行う今日の物理の授業は母語による授業ではな
いということになろうよ。

実際には和製漢語で置き換えようと、カタカナ語で置き換えようと、いずれ
も既存の日本語にない概念の輸入であって、翻訳ではない。 意味と語の対
応はそこで新たに作られるものだ。

むしろ西洋概念を漢語で置き換えることは、それが西洋概念であるという由
来を覆い隠してしまうし、置き換えた漢語が既に漢文文脈の意味をまとって
もいるから、却って正確な意味の把握を妨げることもある。 「経済」の意
味を「経世済民」という漢語に辿ってもeconomyという概念の正しい理解には
繋がらない。economyという欧語の由来を辿るなら、もとよりカタカナ語で
記した方が良かっただろう。

230 :名無氏物語:2012/08/17(金) 11:08:38.10 ID:rsNItGis.net
>>229
カタカナの科学技術用語は漢字造語が減少して外国語教育が
より広範に普及して以後に生まれたものが多いね。
もし物理の教科書がもっとカタカナ語だらけだったら、はたして今のように
物理教育は円滑に行えているだろうか。
コンピューター用語にカタカナ語が多いことも、高齢者のIT化を妨げている。
安易なカタカナ化はそれも母語化のいち手段と認めたとしても、多用による
弊害は明らかだ。

漢字語のメリットは日本語においては「音」と「訓」の併存によって支えられている。
造語成分に使われる音読みと、意義解釈に役立つ訓読みを漢字によって結びつける、
これが日本語の表記法の重要部分を占めている。これが国語教育でどれだけの
労力の軽減をもたらしているかは気づかない人も多い。

欧米諸言語でも諸科学の基本概念が母語の中の日常的要素と大いに異なる
外来要素であることは多いが(英語におけるラテン語・ギリシア語もそう)、
そういう言語による高等教育は最初の段階で基本概念の定義と把握にかなりの時間を割く。
だから科学は少数のエリートに独占されやすく、進歩はしても基礎知識の普及は
メディアを含め容易でない。
日本人は後発組であるぶん、少しでも裾野を広げてせめて高等教育の前半まででも
楽をしなければやっていけないのだ。

economyに関してはのちに「家政」というより原語に忠実な訳語が作られたが、
別の意味になって普及した。原語の意味がわかれば解決というものではなく、
ときには意訳も有効であることの証だろう。
「全てかゼロか」の極端な思考法で漢文を否定する提案は、漢字表記と現代日本語までも
解体しようというものだ。

252 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
名前: E-mail (省略可) :

read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★