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海難・海事事件総合スレ Part7

86 :マンセー名無しさん:2015/02/25(水) 19:51:35.39 ID:D+hT+nBE.net
犠牲者遺族イ・ホジン氏父娘 、再びペンモク港〜光化門の苦行の道
http://img.hani.co.kr/imgdb/japan/news/resize/2015/0224/142477856140_20150224.jpg

セウォル号犠牲者である檀園高生イ・スンヨン君の父親イ・ホジン氏(後)と姉のイ・アルムさんが24日、
全羅南道珍島のペンモク港から4キロ離れた珍島郡臨淮面白洞里をセウォル号の模型を引きながら三歩一拝で進んでいる。

24日午後2時30分、全羅南道珍島郡臨淮面白洞里。セウォル号事故で亡くなった京畿道安山(アンサン)檀園高2年8組
イ・スンヨン君の父親イ・ホジン氏(57)と姉のイ・アルムさん(26)が、三歩歩いては手をついて拝みながらゆっくりと前へ進んだ。
三歩一拝は普通に歩くこととは全く違う。手や足、腰を全て動かさなければならない動作のために、ゆっくりでも
額からは汗が噴き出してくる。それでも胸の中の痛みはいかんともし難かった。

イ・ホジン氏は汗を拭いながら「全身で国民に30万回お辞儀をしようと考えている。ひれ伏して頭を下げてお願いするので、
忘れられつつあるセウォル号と犠牲者を思い起こして欲しい」と話した。

父と娘は23日に珍島ペンモク港の埠頭からソウル光化門(クァンファムン)広場までの520キロを三歩一拝で踏破する苦行の
度に出た。約100日間、一日3000拝、セウォル号犠牲者と国民に礼を捧げる。
当初セウォル号惨事1周忌(4月16日)に合わせて光化門に入ろうと思ったが、急がずに6月に到着することを目標にした。

1人は前で模型のセウォル号を積んだ黄色いリヤカーを引き、1人はその後について三歩歩いて一度お辞儀する三歩一拜を
しながら一日5キロを進むことにした。
だが、予想よりはるかに困難で、涙を流しながら必死に進んでも初日には3.6キロ、二日目には4.2キロしか進めなかった。

父と娘は昨年7〜8月にも安山檀園高を出発してペンモク港を経て、フランチスコ法王がミサを執典した大田(テジョン)まで
全長130センチ、重量6キログラムの十字架を携え、800キロを徒歩で行進した。だが半年後に再び路上に出なければならなかった。

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