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民俗学・神話学板雑談スレ

1 :天之御名無主:2010/09/13(月) 01:56:53 .net
板が新しくなって以降、このようなスレが無くなっているようなので
建ててみました。


85 :天之御名無主:2010/10/01(金) 20:18:06 .net
立ててみました
日本神話総合スレ弐
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/min/1285931762/


86 :天之御名無主:2010/10/02(土) 05:56:16 .net
げっ!柳田国男のスレも宮本常一のスレもなくなってしまったの?…その他もろもろ…素人には読むだけで気軽に、参考になったのに.

87 :天之御名無主:2010/10/02(土) 08:39:30 .net
>>86
残念だけどログのサルベージもあまり期待しないほうがいいよ

88 :天之御名無主:2010/10/04(月) 04:53:33 .net
今和次郎はどこで語ればいんだろか

89 :天之御名無主:2010/10/04(月) 17:31:54 .net
なんかスレ増えないね
だれか巨石信仰スレ立ててよ

90 :天之御名無主:2010/10/04(月) 19:07:49 .net
>>87
それもある意味神話や伝説の類だよね。
2ちゃんねらーの民俗について研究するスレってあるのだろうか? 鉄の掟とはなんだったのか?

91 :天之御名無主:2010/10/05(火) 15:33:44 .net
民俗調査スレ
アイヌ昔話スレ(北海道の昔話)
隠し念仏スレ
境界スレ
など

このあたりって他のゴミスレと一緒にログ消失するには惜しいな

92 :天之御名無主:2010/10/06(水) 13:41:04 .net
2001年くらいから続いてるスレもあったのにね・・・残念

93 :天之御名無主:2010/10/06(水) 17:47:52 .net
『西洋古典学事典』をまだお買い求めでない方がいらっしゃるのですか?
版元では既に品切れ状態だそうでございましてよ。
失礼ながら、貧乏人には無理な相談でしょうけれど。
では、御免あそばせ。


94 :天之御名無主:2010/10/06(水) 19:04:34 .net
>>93
検索すれ。大学か公立館にあるから。
どうせつまんないから。京大出版だから。


95 :天之御名無主:2010/10/06(水) 19:38:35 .net
マルチはスルーするー

96 :天之御名無主:2010/10/06(水) 20:05:09 .net
>>95
それ、最高!!

97 :天之御名無主:2010/10/06(水) 21:27:44 .net
>>91
隠し念仏はここ数年は書き込みがすくなかったけど、
過去ログが詳しくて好きだった。

先日知り合った人が岩手で隠し念仏の風習がある地域出身と聞いたので、
聞き出したことを書き込みして反応聞きたかっただけに残念。

98 :天之御名無主:2010/10/07(木) 21:00:26 .net
「中国の神話」スレある?ないなら欲しいな。

99 :天之御名無主:2010/10/07(木) 22:57:29 .net
http://twitter.com/toroia/status/14844946401

100 :天之御名無主:2010/10/08(金) 00:45:27 .net
>>98
言い出しっぺの法則というのがあってだな……

101 :天之御名無主:2010/10/08(金) 11:32:29 .net
2chが一つの鯖、一式のHDDだった頃に
2ch運営の人々が
「さぁ、我々のために2chを、そしてSSD鯖を建て、
その頂を天に届かせよう。そして、大いに我々の名を揚げて、
地の全面に散らされることのないようにしよう。」
ということで、神への崇拝の為ではなく
建築者たちの名を上げるためにkamome鯖を建設していた時に
それを見た神が怒り、人々の言語を混乱させ
人々が互いの言葉を理解できないようにさせて
kamomeの鯖の建設を途中で終わらせた。

102 :天之御名無主:2010/10/09(土) 01:08:09 .net
民俗学の本でいいのあります?
よければ教えて欲しいのですが

103 :天之御名無主:2010/10/09(土) 02:50:39 .net
民俗学といっても広いジャンルだからねえ

遠野物語読んで興味を持った人に民具の話をしても白けるだけだし、
とりあえずどういうことに興味があるか書いてもらえるかな?
民話とか民俗芸能とか民間信仰とかそういった大まかなことでいいので。

104 :天之御名無主:2010/10/09(土) 03:06:15 .net
こんなときに「お勧め書籍スレ」や「文献リストスレ」が生きていたらなあ・・・

いずれにしろ次の二冊は目を通しておいて損はないぞ
現代民俗学入門
日本民俗学概論

105 :天之御名無主:2010/10/09(土) 06:17:56 .net
欧米の民俗学についての日本語書籍ってあんまないよね

106 :天之御名無主:2010/10/09(土) 11:08:12 .net
民族衣装を語るスレはおもろかった

107 :天之御名無主:2010/10/09(土) 16:20:29 .net
遷都1300年オペラ
まるで鮮卑拓跋のようだ

108 :天之御名無主:2010/10/09(土) 16:23:11 .net
わーお 哈達だ
奈良の都は鮮卑族に占領されとるぞ

109 :天之御名無主:2010/10/13(水) 16:46:31 .net
「疳の虫封じ」なんかの民間療法スレを覗こうと思ってたらログが無くなってたでござる

110 :天之御名無主:2010/10/13(水) 17:34:52 .net
氷河期に天皇家と日本人が日本列島に辿り着いた経緯

Origin of Imperial House of Japan
http://www.cjapan.net/en/content/origin-imperial-house-japan


111 :天之御名無主:2010/10/15(金) 13:49:52 .net
>>56
山野さんはニュー速+にも書いてるの見たことあるな。
ID辿ったら名無しで結構過激なこと(個人的には賛同できる)書いてて
意外だったが。

112 :天之御名無主:2010/10/16(土) 14:19:56 .net
民俗学を学べる大学って近畿である?
天理、沸教、京都学園くらいしか分からないんだ
大学で学ぶ民俗学って(大学によって違うだろうけど、大体は)どんなものなのかも知ってたら教えて下さい

113 :天之御名無主:2010/10/16(土) 14:31:58 .net
フィールド場所を決めて年の半分はアフリカとか第三世界でフィールドワークだよ
補助金もでるけど基本自腹だからね
紛争地域や極端に治安の悪いところに配属されることはないけどそれでも日本と比べるとどうしてもね

114 :天之御名無主:2010/10/16(土) 22:17:29 .net
テレ朝「ドキュメンタリ宣言」で、サンカをやっていて、ビックラ。

昭和25年に三角寛の紹介で,NHKラジオに出演したサンカ家族の子供たちの消息を突き止め、インタビューしていた。
当時の取材映像も残っていて驚愕。 
サンカの女性は、上半身は裸だったんだな。


115 :天之御名無主:2010/10/16(土) 22:22:38 .net
テレ朝「ドキュメンタリ宣言」で、サンカをやっていて、ビックラ。

昭和25年に三角寛の紹介で,NHKラジオに出演したサンカ家族の子供たちの消息を突き止め、インタビューしていた。
当時の取材映像も残っていて驚愕。 
サンカの女性は、上半身は裸だったんだな。


116 :115:2010/10/16(土) 22:25:08 .net
わお、連投になってしまったぜ。
スマソ。

117 :天之御名無主:2010/10/17(日) 01:04:39 .net
>>113
それは民俗学じゃなくて人類学だ。

118 :天之御名無主:2010/10/17(日) 14:45:24 .net
サンカって三角の創作でしょ?

119 :天之御名無主:2010/10/17(日) 20:08:17 .net
>>118
三角の博士請求論文までもが創作なんですか?

120 :天之御名無主:2010/10/17(日) 23:44:52 .net
論文が創作でないということは、パクリだと言いたいわけですな?
こりゃおおごとだw

121 :天之御名無主:2010/10/18(月) 01:15:13 .net
>>120
誰の論文をパクッたの?


122 :天之御名無主:2010/10/18(月) 08:44:46 .net
めんどくさい牽制ごっこはいいよ

123 :天之御名無主:2010/10/18(月) 14:28:27 .net
>>122
知ってるなら教えて。


124 :天之御名無主:2010/10/19(火) 07:28:17 .net
パクってはいないよ
>>118-121で創作の意味が「捏造すること」と「オリジナルな論文を書くこと」で食い違ってるだけ

125 :天之御名無主:2010/10/19(火) 09:58:06 .net
っていうか、論文は発明じゃないんだから、既存のテーマがないと成立しないだろ。

126 :天之御名無主:2010/10/19(火) 12:24:10 .net
スレッドサルベージできないのか残念

127 :天之御名無主:2010/10/19(火) 15:14:38 .net
○●○●○ サンカ 山窩 山家 山稼 ○●○●○
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/min/1242549286 のログキャッシュ

http://2chnull.info/r/min/1242549286

128 :天之御名無主:2010/10/19(火) 15:18:41 .net
山窩、蝦夷(エミシ)、隼人は同一民族ではないか?
http://2chnull.info/r/min/1125391365/1-1001

日本史におけるサンカの重要性
http://2chnull.info/r/history/1218782854/1-1001

漂泊の民・山窩<サンカ>に会ったことある?
http://2chnull.info/r/out/1077625078/1-1001

129 :天之御名無主:2010/10/30(土) 08:21:13 .net
>>126
なんという低知能

130 :疑問:2010/11/03(水) 11:53:43 .net
 日本民俗学の研究目的とその理論は、どう展開され、また、検証されてきたのか、素人の私でも判るよう教えてください。
最近、ちょっとしたきっかけで、民俗学研究会(全くの任意の研究会であり自由参加ですが、主催者は県立歴史博物館の民俗学研究者です。)に入会しているのですが、
さっぱりわかりません。

131 :天之御名無主:2010/11/03(水) 14:28:50 .net
民俗学研究会に入っているのならば、その会で、質問される方がよろしいのでは?

民俗学研究会ならば、初心者に対して、日本民俗学の研究目的とその理論は、
どう展開されたのかを、教えてくれるはずではないでしょうか。

132 :天之御名無主:2010/11/03(水) 20:25:20 .net
どう展開され、どう検証されてきたか、を聞きたがってるってことは
予想するに、民俗学研究会の先輩たちがいろいろな事象を「民俗学的には……ということだよ」と、”理論”で説明してくれるんだが
その”理論”の根拠がわからないし、先輩たちに聞いても要領の得ない答えか、「勉強しろ、常識だ」みたいな答えしか帰ってこないので
どういう理屈で理論が唱えられ、またどう検証されてきたか、を知りたい、って感じのところじゃないの?

要するに先輩たちの実証性に疑いを持ってるんだろうと推測

133 :天之御名無主:2010/11/04(木) 08:44:34 .net
久しぶりに覗いたらえらくスレが少なくなっててビックリした。
やっぱここはそんなに人気無い板なのかな。

134 :天之御名無主:2010/11/04(木) 23:50:50 .net
このスレを読み返せば理由がわかるよ

135 :天之御名無主:2010/11/18(木) 03:43:09 .net
奴隷制が廃止されたのは、18世紀中頃、と信じている日本人は多い。
しかし、実際は1980年、モーリタニア共和国が国連の圧力を受けて
渋々奴隷廃止を承諾したのが最後、僅か30年前の話だ。
しかも国連が採択した奴隷禁止宣言にも反対した国が多数あり、それらは批准も調印もしていない。
そして現在は驚くなかれ、5000万人を超える奴隷が何の人権も持たずに働かされ続けている。
1800年段階では推定200万だった奴隷が、解放されてから逆に増えているというのは凄い話だ。

この奴隷が増え続けている背景は、一つは昔ながらの構図が何一つ変わっていない事に起因する。
つまり白人の資本家が、ココア園や鉱山で彼らを生きた機械として酷使している事、
そのブローカーが言葉巧みに現地人を騙し、子供を買い取って売り飛ばしている事、
戦争捕虜や、単にお金が欲しい現地人が近隣の村を襲って拉致している事、
そして、注目すべきことは、実際に政治介入がなされて奴隷禁止の派遣団が送り込まれると
現地人自らが彼らを殺してしまう事だ。

奴隷売買で利権を持つ人間が反発することが一つの障壁だが
実際に禁止されると明日の暮らしも成り立たない家庭が多いため、彼ら自身も奴隷を容認している。
そして、奴隷が一種の伝統として彼らの生活に密着しているのが最大の問題点だ。



136 :天之御名無主:2010/11/18(木) 03:43:59 .net
それらの国に共通しているのは、イスラム教国か、それらの国と繋がりのある国だということ。
イスラムでは奴隷の所有はアラーの与えたムスリムの権利であり、要するに合法だ。
国際法の方が彼らに取っては違法なのだ。
その習慣が千年以上も続いており、経済も文化も宗教もその奴隷制をぬきにしては成り立たない。

奴隷はされる側には厄災だ。しかし、それはアラーの与えた試練か、あるいは精霊の呪いか、誰かの呪詛だ。
しかし手に入れたものはアラーの与えた恩恵であり、人生の褒美であり、
逆にこれを拒否すればアラーの意志を無視し、つばを吐いたということになるので逆に罪を負う。
なので、手に入れた側は、争ってアラーの恩寵を受けようと必死に奴隷を奪いあう。
売れば売るだけアラーの意志に適うというわけだ。
もちろん、売られた側も、アラーの意志が働いているので、イスラム法に則って保護される。

しかし、最近の奴隷はそうではないという。
売られた先がキリスト教圏であったり、殺伐とした資本理論により、悲惨な死を迎える事が多い。
何よりも驚くべき事は、それらの人身売買が未だヨーロッパに向けても行なわれ続けているという事実だ。
推定20万人規模の奴隷が毎年アフリカからヨーロッパに送らている。
そして、アフリカの諸国のほとんど、48の国がこの奴隷市場が自国内に存在する事をを知りながらも
放置するか陰で奨励している。

137 :天之御名無主:2010/11/18(木) 04:32:04 .net
結局の所、
陰湿で裏表の激しいイギリス人が世界を牛耳った事が最大の問題だといえるだろう。

世界最大のチョコレート会社、キャンドバリーもイギリスのメーカーだ。
ココアは奴隷の血と汗で赤黒く染まっているというほどに、奴隷を象徴する食べ物だ。
傷のつき易いココアは、人間の手で一つずつ収穫し、皮を剥き、加工する。
機械が行なえるのは最後の乾燥からだ。恐ろしく手間のかかる商品だといえる。
それらを生産するコートジボアールやギニアといった国は、かつてはイスラム教の国だったが
イギリスが奴隷制にいちゃもんをつけ、「奴隷を解放するため」と称して現地有力者をぶっ殺して支配した国だ。
しかも、イギリス本国内では奴隷売買を禁止していたが、
大西洋の奴隷貿易は変わらず主導的立場にあった時期の話だ。
この体質は今では更に悲惨な結果を生んでいる。

国民の半数が明日の食べ物も無い最貧民のこれらの国では
子供が最大の労働力だ。大人は高く、働かない。
そのため子供が8000円から1万5千円で売られ、カカオ園に送られる。
現地では年収に相当する。親はあるものは自分からブローカーの下に子供を連れて行く。
子供達は毛布すら与えられずに、農園の片隅でビニール袋にくるまって生活し
半分は成人を迎える前に死ぬ。病気や、ハイエナに食われ、あるいは大人達に性別をとわず輪姦されて死ぬ。
イスラム圏の頃のように宗教がその身を守ってくれる事は無く、逃亡して反政府活動に身を置くもの、
ソマリアのように海賊や強盗団を組織するものもいる。
そして黒人の昔からの習慣か、あるいは単なる知的能力の欠如によるものかは解らないが
彼らは組織をつくって権力者に対抗するいう事をしない。
個別に、あるいは小規模に反抗し、そのため悲惨な死を迎える。

日本で暮らしていると、そのような話がどこかおとぎ話のように感じられてしまう。
しかし、その実態を知ればチョコレートもどこかその甘さを失って、
苦さだけが強調されるような、そんな気にもなるのだ。


138 :天之御名無主:2010/11/18(木) 05:08:39 .net
映画、第9地区は実際にあった実話がモデルだ。
南米に送られる奴隷が船の中で反乱を起こし、白人を皆殺しにしたはいいが、船を操縦できない。
漂流し、南アフリカにたどり着いた時にはほとんどの者が餓死し、あるいは殺しあい、
その屍肉を食い、発狂していた。
その後、反乱を押さえるため、奴隷の扱いは更に酷くなった。

やがてイギリスはおもに南米のスペインの力を削ぐために、奴隷貿易を禁止する。
南米は現地人のほとんどがヨーロッパ人の持ち込んだ病気で死に、労働力不足が深刻化していた。
南米はカトリック教圏の支配地であり、イギリスは徹底してこの地域に嫌がらせを続けた。

しかし、北米に向かう自国の奴隷船はみのがすか、こっそりと支援し続けた。
スペインは細身の高速艇でイギリスの軍艦のから逃れるように貿易を続けたが
そのためただでさえ死亡率の高かった奴隷輸送は更に過酷なものになった。
小さな木箱や樽に数人づつをギュウギュウに押し込め、文字通り荷物として運搬した。
イギリスの軍艦に襲われると、その木箱が海に列をなして浮かんだ。
軽くして逃げるため、あるいは証拠の隠滅である。
もちろん、イギリスの軍艦がその箱を回収する事などほとんど無かった。



139 :天之御名無主:2010/11/18(木) 19:36:28 .net
人権や法ってのは「身内社会を守る為」のもの。
大なり小なり、その輪の外にいる相手を迫害・軽んじるのは
実に自然なことです。

140 :天之御名無主:2010/11/19(金) 12:28:30 .net
江戸時代の”えた・ひにん”は本当に差別の対象だったの?

141 :天之御名無主:2010/11/20(土) 00:40:29 .net
日本史板で聞けよ。

142 :天之御名無主:2010/11/20(土) 05:15:48 .net
非人は本来、出家や放蕩貴族を指し、決して悪い意味ではなかった。
彼らは教養があり、出自によるコネもあったので差別の対象ではなかった。
歌舞伎や能といった河原者の見せ物を貴族階級に紹介する橋渡し的な存在ではなかったかともいわれる。
やがて非人は卑賤な者という意味が付随し、エタと混濁する。
それを更に江戸期に法制化して、非人はいわゆる罪人や不逞浪人、ホームレスや流れの娼婦、
借金が返せない庶民がなる階級とされ、罪を解かれたり生活レベルが向上すればもとの身分に戻れた。
そして非人のかでも階級が分かれていて、その人間の実状に合わせた位置に身分が置かれた。
そのためたとえば流人の武士と芸人では同じ非人でも明確に扱いが違った。
つまり、非人は一種の社会的制裁であり、厳密には差別とは異なる。

一方エタは基本的に河原者とよばれる、主に芸人と皮革加工業者のことをさし、その差別の歴史は古い。
彼らが何故差別されたか、それは一つには「恐怖」がある。
彼らの存在自体が犯罪と疫病の温床であり、肉を食い、芸(当時は卑しむべき非生産的な行為とされた)と
物乞いで食を得ている無学で粗野な人種だと思われていた。そして実際にそうだった。
身分が固定される前は非人の多くも彼らと暮らしていたが
江戸期には明確に区別されてエタは一カ所に集められ、部落をつくった。

そして、最も重要な背景は宗教観にある。
芸人ややくざは庶民に人気だったが、皮を扱う者は犬にも劣る存在として最も差別された。
神道では死は穢れであり、仏教で殺生は業であり不浄である。
本来の仏教においては全ての魂は平等であるがやがて牛馬は畜生道に落ちた不浄の魂であるという観念が生まれ
その死体を処理する人間も肉体や魂に何らかの欠落、不浄を帯びていると考えられるようになった。

つまり神道でも仏教でも、そして儒教に置いても彼らは最も忌むべき存在であり蔑すみの対象だった。
現在では、江戸期にいわゆる士農工商の確立のための制度的な贄として取りざたされるエタだが
本当のところは日本の伝統的な庶民感情に根ざした差別意識、
つまり「一緒の所で生活したくない」という庶民的感情を強権で制度化しただけに過ぎない。


143 :天之御名無主:2010/11/20(土) 05:31:37 .net
中国の内陸部では、仏教や道教・儒教であぶれたものが
イスラム教・ユダヤ教・景教に転向する道があった。
中国では、アブラハムの宗教に改宗した者は、回族とか回民と呼ばれる。
回民が増えてくると、浄土真宗のような悪人正機説が仏教側に生まれ
無量光仏(アミターバ)を如来に格付けして、あぶれた者を救済する宗教に変貌したのだ。


144 :天之御名無主:2010/11/20(土) 05:51:26 .net
中国も清朝の時代には、豚飼い民族である東方の満洲族が支配者になる。
回民は豚を不浄のものとして、屠ることを行わないため
特定の集団に家畜の殺生を行わせるというわけにもいかなかくなった。
満洲族は、無量光仏を注入された新しい大乗仏教を信仰することにより
自分達が豚飼い民族であるが、豚を屠る行為に手を染めても
卑しい身分ではないことを、人民に徹底周知させる目的で大乗仏教を信仰したのだ。

145 :天之御名無主:2010/11/20(土) 08:28:07 .net
江戸時代の河原者には朝鮮人が多数含まれていた。
その多くは秀吉の朝鮮出兵の際、帰還する船に積まれて日本にやってきた。
日本の船は平底なので外洋航行には不向きで、横波に弱い。
日本から向こうに行った時は兵糧を満載していたために問題は無かったが
帰還する時は空なので、転覆を防ぐための重しとして積まれてきた。
多くは奴隷として土木工事に従事していたが、
やがて築城や開墾が幕府の許可が必要になると、いよいよ不要になって追放され
日本人が住まない荒れ地や湿地に住みついた。

彼らは肉を好み、牛馬や犬の死骸を好んで引き取って、やがてそれがエタの最大の既得権益になった。
併合後、あるいは戦後、新たにやってきた朝鮮人も地代が安い事を理由に低湿地の部落に住むようになり
現在でも部落地区にと在日集落は被っている場合が多い。
同和問題と在日の関係は昔から密接である。

146 :天之御名無主:2010/11/20(土) 13:48:01 .net
南無阿弥陀仏

147 :天之御名無主:2010/11/20(土) 14:34:33 .net
善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

148 :天之御名無主:2010/11/20(土) 19:29:48 .net
             ,r'""´`゙゙''、,
            /       l,
           rヽ  .,‐- ,- |.
           ヾ   `゙" ,l ゙´| 南無阿弥陀仏
            _>    -=='./
          _/|, `゙ヽー--ノヽ、,_.
      rー'""l,  'l,     / .| ||/`>、、
      /    |   'l,    /  .|./》/ ∧
     /  , | ヽ   ヽ,、/.@ / 《l,l / ヽ
     /  、,ヽ|/ ヾ。ツ`' 「ゞ / /《ヾ  /゙ヽ
    ./  ///l`゙'゙ー-'"  / // ノ// //`l
   ,|.  /// |  |___,,,ノ≡≡ツノ//_,,-‐'"".l,
   | /// /|    /二=‐'"´´/ /`゙゙'ー-、,_.l
   |/// / |   /|三="´  / //"´´゙'ー、|
  ///ノ   ノ ノ ノ‐-二‐'"´ ノ/r=、,_ー-、_|

149 :天之御名無主:2010/11/21(日) 03:53:44 .net
日本の差別を語るとき、サンカの存在は無視しては語れない。
その実体は諸説あるものの論拠に乏しく、いずれも推測の域を出ない。
なので、ここでは私の実体験に基ずく話をする。

私は若い頃地方で営業をしていた。九州のある場所だが、地名は伏せよう。
あるとき、仕事で全く見知らぬ道を通る機会があった。いつもならば絶対に通るはずの無い所だが
仕事に飽き飽きしていた私はさぼりがてらにその道の奥に車を走らせた。
まだ、ナビなど無い時代だ。かなり広く立派な道であるのに私はその道を知らなかった。
地方の営業マンとして、道を知らないというのは恥だ。道を知っておくのも仕事のうち、と自分に言い訳をした。

しばらく山の中を走っていると、両脇がまさに原生林のような、全く整備されていない山々が広がり始め
当然の事ながら人家はおろか、人口物は時折現れる標識とガードレールだけという有様になった。
先ほどまで晴れていた空は真っ白になり、濃い霧が立ちこめて数十メートル先も見えなくなった。
そのとき初めて私はもうかれこれ2〜30分ほどもこの道を走っており、
その間一度も対向車に出会ってっていない事に焦り始めた。いくら田舎とはいえ、流石にこれは異常だ。
引き返そうか、そう思ったとき、燃料計を見て凍り付いた。
目に見えてぐんぐんと燃料が減っていく。半分ほどあった赤い針はあっという間に底を指した。
私は恐怖に駆られ、車を止めてガソリンが漏れていないかをチェックする余裕も無かった。
道はどんどん細く、ついに対向車線は消えてつづら折りの峠道になった。
しかし、時折道ばたの標識とも呼べぬベニヤ板には私の良く知る地名が書かれ、そこまで5キロ、と書いてある。
燃料がここで尽きたらどうしよう、それだけが頭の中を支配していたとき、
道は急に高い場所に出た。そのとき初めて気がついたのだが、どうやらここはかなりの標高の高い場所だったようだ。
道路脇の崖の下、小さな谷間に集落が見えた。
トタン屋根と小さな畑をもった家が林の中に隠れるように5、6軒ほどだろうか。
私は心の底から安堵した。
しかし、それが始まりだったのだ。

150 :天之御名無主:2010/11/21(日) 04:31:26 .net
しかし、私は奇妙な事にすぐに気がついた。
その集落に降りる道が無い。
あたりにはどう見てもこの道一本しか無い。しかし、この道と集落を結ぶ道路がどこにも無いのだ。
とにかく、この道がどこに通じているのか確かめなくては行けない。
ガソリンの件もあり、私は車を降りて林の中に分け入りその村を目指した。
しかし、灌木に行く手を遮られ、近くまでは行けたものの、遂に辿りつけずに引き返さざるを得なかった。
だが、私は一目でその集落が部落である事は解っていた。
私が小さいころまで、私の町の一部にも彼らの家が残っていた。石を重しにしたトタンの屋根、
穴だらけの木の壁、手入れされていないゴミだらけの庭、舗装されていない水たまりのある道路。
そして、何故か共通する、生活感はあるのに全く見えない人影。
大声で呼びかけても、その家から誰かが出てくる事は無かった。

いくら迷ったとはいえ、自分の生活している地域だ。大まかな場所は解る。
こんな場所に部落があったのか、と妙に冷静になりあきらめて車を再び走らせた。
やがて、首藤様の塚と書かれた5連の石塚があらわれた。小さなこんもりとした森が道の正面にどんとあり、
道はその森を囲むようにぐるりと廻っていた。九州ではよくある円墳の名残だ。
それを気に徐々に人里の気配が近づいてきた。
道は再び舗装され、ふっと広い所に出た時、突然、そこには昔ながらの田園風景が広がっていた。
私のその時の気持ちをどう表現するべきか。
私は車を止め、一件の豪農らしき家に入った。家の側には深い小川が流れ、魚影が豊富に見えた。
恐らくウグイだろう。そう思いつつ、深い庭を入って家のチャイムを鳴らした。
・・・・返事は無い。再び鳴らした。やはり誰も出てこない。留守か。
隣の家に行った。隣といっても随分と遠い。そこも留守だった。
私は再び頬のあたりに泡立つものを感じ始めていた。おかしい。人が・・・いない。
見た所綺麗な村だ。手入れの行き届いた田畠、立派な構えの家々、トラクターや電気もある。
しかし、どこを尋ねても人っ子一人、いない。
聞き耳を立てても、鳥の声しか聞こえない。
私は直感的に身の危険を感じ、恐怖でふわふわと実在感のなくなった地面を無理矢理蹴るようにして車に駆け戻った。


151 :天之御名無主:2010/11/21(日) 05:11:34 .net
車に戻るすがら、この村に入って初めて動く人工物が目に入ってきた。
車だ!
そして私の営業車の脇にぴたりと停まった。
それはパトカーだった。
中から出てきたのは警官だった。それはそうだろう。他の何かが出てきたらそれこそ大変だ。
私は今度こそ、心底ほっとした。よかった、助かった。
ここはもしかしたら何かの拍子に紛れ込んだ異界ではないかと思っていた自分が急に馬鹿のように感じた。
「この車、アンタの?」警官。
普通の声だ。聞き慣れたイントネーション。私は急いで駆け寄った。
「どうやって来たの?」
警官はそう訊いた。どこから、ではなく(どこから来たのか、でも十分妙な質問だが)『どうやって来たのか』
私は、うかつにもその質問の奇妙さにこの時点ではピンと来ていなかった。
「この道をですね・・・・」私は元きた道を指しながら(一本道だが)それまでの私の苦労と恐怖を冗談を交えつつ説明した。
その警官は解ったような解らないような顔をしつつ、「スタンドはここからすぐの所にあるから」と教えてくれた。
そこで、素直に車に乗っていれば良かったのだ。つい、安堵と人恋しさ、そして冒険を終えた勇者の気持ちになって饒舌になり、
道すがら見た集落の話をしたとたん、状況が一変した。


152 :天之御名無主:2010/11/21(日) 05:13:16 .net
警官の表情がみるみるこわばっていく。その顔を私は今でも忘れられない。恐怖とも怒りともいえない、紫色の顔。
どうやっていったのか、どうやってここに来れたのか、と再び訊かれた。その時には、もうその質問の意味がわかり始めていた。
私は再び恐怖に駆られてしどろもどろになってきた。「いえ、行けませんでした、茂みが凄くて、道もなくて・・・」
「あたり前だよ、あそこは廃村だから。」「でも、誰かすんでましたよ」「いないよッ誰も。見たの?」
「いえ、見てませんけど」「でも生活感があって」「鶏飼ってる小屋とかありましたよ」
嫌な予感が背筋を何往復もし始めていた。何だこの嘘くさい展開は。おいおい、マジか。
そこまで思った時に、初めて近くの家にちらほらと人影が見えはじめた。
恐らく、息を殺してじっとこちらの様子を観察していたのだ。このパトカーも彼らが通報して、遣ってきたのだろう。
「きみ、ちょっとこっちに乗って!」ぞんざいな物言いで、私はパトカーの後部座席に無理矢理座らされた。
私は金田一の小説がぐるぐると頭を駆け巡り始めていて、「あの、俺の車」とだけやっと言った。


153 :天之御名無主:2010/11/21(日) 06:09:14 .net
交番でのやり取りの中で、私はようやく事の全貌が見えてきていた。

村は、私が来た逆の方向からだけ来れる所にあり、村の名前は私も知っていた。
来たのは初めてだったが、やはり部落で有名な、そして朝鮮半島ともゆかりが深いといわれている村だ。
首藤様の首塚をぐるりと廻った所が行き止まりで、その先には行けない。
要するに、私は無いはずの道の向こうからやってきたので、彼らは警戒していたたようなのだ。
私が来た県道は、確かにその村と、向こうの町を繋ぐために計画されたものだったが
随分と前に工事がストップし、この村の遥か手前で止まっていた。あっちからはせいぜいって数キロで行き止まりだったらしいのだ。
そこに、ある集団が遣ってきて、昔ながらの彼らの間道と県道を勝手にくっつけてしまったらしい。
普段は閉じられているようだが、たまたまなのか、私が必死だったからか、その入り口に私は入り込んでしまったのだ。

その集団は、ずっと昔からそのあの集落に住んでいるという。
警官は、声を潜めて、言うなよ、といいながらもペラペラと話してくれた。
あの人達は山家だ、この辺じゃ「ノロ」って呼ぶ。この村も昔は部落といわれていたが、それよりも嫌われていた奴らで、この村と交流は古い。らしい。
らしい、というのはその警官は私と同じ町の出身で、ここではよそ者だった。(警察制度として、そういう決まりがあるらしい。)
彼が私の話を聞いた時に狼狽したのは、よそ者としての身の不安定さによるものだったようだ。

154 :天之御名無主:2010/11/21(日) 06:19:08 .net
外国の例だと、アマゾンのヤノマミ族みたいに
先住民系の少数民族への接触は、監視員の許可・立会いが必要なところがある。
疫病に対する免疫を獲得していないため、絶滅の恐れがあるのが理由らしい。
このため監視員を通さないで接触すると、ヤノマミ族に殺害されても文句はいえない。

他の国でも、警察署長に入境許可証を発行してもらいレンジャーに
ついてきてもらわないとダメなところがある。
中国・ミャンマー・タイであれば、未認定民族という外界へ出ない集団が幾つかある。
もしレンジャーの引率なしに接触した場合は、病院に連行され血液検査等をされる。

155 :天之御名無主:2010/11/21(日) 06:33:31 .net
そこで私は、山家という言葉をはじめて知った。
以下、彼の説明である。

彼らは山のあちこちの、小さな集落に分かれて住んでいる。
たまにアンタがやってきた方向から数人でやってきて、畑仕事を手伝ったり、物を売る。
品物は箸とか、籠とか、袋菓子やおつまみだ。どこから仕入れてるかは知らない。
高い。ピーナッツが一袋5千円ほどする。
買わないというと(当然だが)しゅんとなって引き下がるが、次の日もまた現れる。
それを繰り返すと大声で怒鳴り始めて嫌がらせをする。鶏がいなくなる時もあるという。
なので、村の人間は仕方なく買う。
彼らは日本語も話すが、明らかに下手で、仲間内では別の言葉を話す。
突然吠えるような大声で叫び出し、誰に話してるのか解らないが、一人で大声で何かをいいながら道を歩く。
男は何もせず、酒ばかり呑んでて女だけが働く。
男女ともに浅黒く、醜い顔で、やや小太り。目が大きく背は低い。
宗教従事者で、昔はこの村でいろいろな行事に呼ばれていたらしい。
実体は解らないが、降霊や呪術のような物ではないか、といっていた。産婆でもあり、医者でもあったという。
イノシシが大好きで、飼っているという。まれに数十匹の瓜坊をつれて歩いているらしい。

そして、未だに、(これはにわかには信じられないが)戸籍が無く、名前が無い。
いくら私が若い頃といっても、それほど昔ではない。
この事実は(事実とすれば)大スキャンダルで、地元の人間は彼らをいないものとして扱っているのだという。

結局私は、その場所に二度と行かなかったし、行く気にもなれなかった。
ガソリンの件は-本当に不思議だがー村を出ると回復し、一応教えられたスタンドで入れたが
実際に半分ほどしか入らなかった。




156 :天之御名無主:2010/11/21(日) 06:38:03 .net
>>155 やめとけ、それは旧石器時代からの生き残りだ。

157 :天之御名無主:2010/11/21(日) 07:32:42 .net
もう伝染病で絶滅しちゃったかもなー

158 :天之御名無主:2010/11/21(日) 13:40:00 .net
被差別民の起源について
民俗学的に広く支持されている定番メニューはないみたいだな

159 :天之御名無主:2010/11/21(日) 21:15:45 .net
 一般的には他民族の少数派が差別されるんだろうけど、日本はちょっと特殊だよね。
これは弥生人が果たして本当に征服民だったのか、という問題と絡んでいると思う。

弥生人が入植した所を見てみると、中部地域を飛ばして縄文末期の北関東などに先に入ってる。
これは中部の伊勢・出雲勢力を避けてた事のあらわれで、
当時の北関東は富士火山帯が活発に活動していた時期で、不毛な原野と低湿地しかなかった。
ここにらの意志で入植したとは考え難く、要するに本国を何らかの事情で追われてきたか
強制的に連れてこられた奴隷だった事をさす。
つまり、弥生人は明らかなる弱者であり、彼らを支配していた層が存在したと考えられる。
恐らくそれが大和民族で、弥生人とは別の民族だろう。

世界史でも、少数民が多数の異民族を支配した場合、
地元の宗教・習俗に支配者層の方が同化するケースが多い。
プトレマイオス王朝や、インドの歴代王朝、中国もそうだ。
日本はその支配が非常に古い時代に行なわれたあとは、形式上、政変が無い。
そのため解り易い形での弾圧が表に出難かったんだろう。

実際、日本の最大の差別の時代は明治〜昭和初期で、この時代にアイヌが消滅の危機にさらされたが、
それ以外の時代では一環してアイヌは独立民として認められ続けている。

160 :天之御名無主:2010/11/21(日) 21:56:19 .net
旧石器 + 縄文 + 弥生 + 下関市土井ヶ浜タイプの渡来人
考古学的には、4層構造ぐらいありそうだぬ

161 :天之御名無主:2010/11/22(月) 00:31:09 .net
>>158
歴史学的には,ほぼ定説が確立しているけどね。

162 :天之御名無主:2010/11/22(月) 00:58:11 .net
してねーよw

163 :天之御名無主:2010/11/22(月) 06:41:50 .net
単なる平家の落人だったりはしないの?

164 :天之御名無主:2010/11/22(月) 07:59:36 .net
何が?

165 :天之御名無主:2010/11/24(水) 06:29:25 .net
小浜基次の、中頭と短頭の分布がどうしても気になる。

166 :天之御名無主:2010/11/24(水) 07:32:14 .net
山窩がいたとされる地域は短頭の分布と一致するから関係は深いだろうね。
可能性が高いのは住処を追われた旧住人が山に逃げ込んで自活していくうちに〜ッて事だろうけど、
もう一つの可能性として、山岳信仰との関係性もあるだろうし。

でも、これは俺の独自理論なんだけど
出雲の製鉄システムの残滓である可能性は無いかな。
昔は黄河は黄色くなかった、という話がある。
製鉄によって丸裸にされた土地が回復せずに現在の不毛の黄河台地ができた。
その製鉄集団がずっと川を下って、やがて日本にやってくる。
その時にはそれまでの教訓から、木材を一カ所で切り出す事の愚に気付き、瀬戸内海を中心に木材貿易網をつくる。
その時の貿易拠点、それが全国の八幡や大社ではないかな。特に宇佐は、その中心的役割だったように思う。
そして、そのときつくられた大量の鉄はどこに使用されたのか。
鉄は非常に高価なので、本人達が使うにはやや過ぎたマテリアルだったと思う。
そのため、最も高く売れる土地、即ち三国時代の中国に輸出された。
出雲の異常な伸長はその鉄を売った経済力が基礎になっていたのではないか?

製鉄作業は農閑期の奴隷が行なっていた事は解っている。
しかし、つまり一年の半分は山はほったらかし。
それでは効率が悪いので、その間に山を管理しておく人間を留めておいた。
彼らは山々を移動しながら木々の手入れをし、冬に運び出す木材を準備した。
山窩はその子孫であるとは考えられないだろうか。
現在でも木こりが独自の言語(専門用語)で会話するのはよく知られている。

167 :天之御名無主:2010/11/24(水) 09:13:28 .net
残念ながら中国が三国時代のころは日本は鉄器の輸入国
その独自理論は成り立たない。

168 :天之御名無主:2010/11/24(水) 09:24:30 .net
うぬっ
あっさり。
では5世紀頃で成り立たないか考えてみる。

169 :天之御名無主:2010/11/24(水) 12:53:25 .net
神話に深い意味なんてねーよ。
あんなもんただの妄想。
お前ら神話学者の文系脳に踊らされすぎ。

170 :天之御名無主:2010/11/24(水) 13:02:31 .net
>>167 明の時代の日本は鉄の加工貿易国

171 :天之御名無主:2010/11/24(水) 15:51:22 .net
鉄の加工貿易国というか日本刀の輸出国ね
別に明の鉄資源を輸入して製品化して輸出していたわけではないので
加工貿易国というのは不適当

172 :天之御名無主:2010/11/24(水) 17:33:22 .net
物部の残党や部民の末とか…。

173 :天之御名無主:2010/11/24(水) 23:00:40 .net
『銃、病原菌、鉄』 (Jared Diamond)の方法論使える?


174 :天之御名無主:2010/11/25(木) 07:23:03 .net
「日本先住民族史」は大正年刊で、その中でアイヌの大正時代の現状を話してるんだけど、

東北に行くと、隣の誰々さんは3代前までアイヌだった、あそこの人はついこの間までそうだった、という話をよく聞いたと書かれている。
著者は、つまりアイヌとは人種ではなく民族。
宗教と習俗の集団であって、本人がそれを棄ててしまえば日本国籍を与えられアイヌではなくなるのだ、と言っている。
北海道に移動させられたアイヌはつまり、本人がアイヌである事に拘り続けたごく一部のアイヌだけがうけた強制執行だったと言っている。
それは明治政府だけのやり方ではなく、東北全体で江戸時代から行なわれていた行政の常套だったそうだ。

要するに、定着民として「帰化」する方法は開かれていた。それは山窩に対しても恐らく同じ政策が取られたはず。
それに反抗して、彼らが徹底して移動民に固執し、世代を通じてその伝統を守った理由はなんだろう?


175 :天之御名無主:2010/11/25(木) 07:26:12 .net
>日本国籍を与えられアイヌではなくなるのだ、と言っている

ごめん。間違い。
「大和民族として扱われ」が正しい。

176 :天之御名無主:2010/11/25(木) 08:11:59 .net
アイヌは流浪の民だったか?
それを措いても単純に山窩に対して同じだったとはちょっと思えないんだが

177 :天之御名無主:2010/11/25(木) 10:11:53 .net
幕府や明治政府の意図する所はつまり、同化政策だったと言う事。
根本理念がそうである以上、どの少数民族に対しても原則は同じだったと思うよ。

178 :天之御名無主:2010/11/25(木) 12:52:00 .net
共通の言語・習俗をもち民族としての実体があるアイヌと、
非定住者を十把一絡げにそう呼んでるだけの山窩とを
同じくくりで議論しようというのが無茶だな。

179 :天之御名無主:2010/11/25(木) 16:35:09 .net
平家の隠れ里伝説みたいなので、実在のものってあるのかな?

180 :天之御名無主:2010/11/25(木) 18:53:31 .net
平家の隠れ里だったら四国に有名なのがあるだろ、ウソっぽいけど。
和歌山あたりにも、半端じゃないほどの大地主だったとうっすら記憶する小松家がその末裔とかなんとか。

181 :天之御名無主:2010/11/25(木) 21:51:49 .net
>>179
島嶼部の海賊っぽい勢力なら結構ある。
大島郡瀬戸内町など。

182 :天之御名無主:2010/11/26(金) 01:46:20 .net
>>179
有名な山中隠れ里といえば遠江国周智郡京丸(浜松市天竜区春野町小俣京丸)じゃないかな。
ここは江戸時代までは遠州国内でも所在不明な幻の集落とされていた山村。
この原因としては険しい山の中にあるということで周辺の奥山郷の村との交通が隔絶していたから。

ただ、村の住民は木地師の免状を近江の大皇器地祖神社に発給されていたし、そこへの金銭の上納もしていた。
また、信州の遠山郷とはそれなりの交通もあったみたいなので完全な隠れ里とは言えないかも。

183 :天之御名無主:2010/12/02(木) 11:26:41 .net
吉野の隔絶っぷりも凄い
隔絶されすぎて、方言が周辺と全く異なっている
平家の落人伝説も多く伝わってるな

184 :天之御名無主:2010/12/05(日) 15:45:12 .net
>>114-115うわーまた見逃したorz
再放送ないかな〜
サンカに興味ありの者

185 :天之御名無主:2010/12/05(日) 18:52:33 .net
もうかもめのログの復旧も期待できないし、被差別民やサンカのスレ
立て直したほうがいいんじゃなイカ?

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