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全米興行収入 USA BOX OFFICE 123

193 :(アメリカ):2023/08/16(水) 14:11:23.75 .net
マレーシア公立中学校用歴史教科書の日本の記述の一部

1936年2月、軍部は当時勢力があった政治家たちを一掃した(2.26事件のこと)。ほとんどが軍の指導者からなる新しい政権が樹立された。新しい指導者はヒトラー支持者だった。(中略)  
日本政府はますます攻撃的になっていった。軍司令官のひとり東条大将が1941年日本の首相になった。彼こそ、私達の国(マレーシア)が侵略されたときの日本の指導者である。

日本人のスローガンは「アジア人のためのアジア」であった。
これらの国々が日本によって解放されたのち、さらなる発展のためお互い協力するべきであるというものだったらしい。
一見すれば、日本の目的はよいが、しかし、実際に日本が望んでいたことは、
経済的に日本が支配する帝国を作り上げることだった。

日本人はコタバル(マレーシア東北部)に上陸した。 これによって日本のマラヤ(マレーシア)に対する攻撃が始まった。
日本はすばやくマラヤを占領することが出来た。たった十週間のうちに日本はマラヤの支配者となったのである。(中略)

【日本の勝因】

(1)マラヤの軍隊が弱かった
(2)日本軍の規律が良かった
(3)シンガポールの防衛線が陸地に向いていなかった
(4)イギリスの戦艦2隻が簡単に沈められた
(5)現地の人々の協力

現地の人々の多くは、日本のスローガンを信じた。日本は、自分たちが「アジア人のためのアジア」のために戦っているんだと言っていたのだ。
これは、日本がヨーロッパ人を追い出してアジアの国々を解放するという意味である。
多くのアジア人は日本を解放者だと思った。
日本が進出してくることに地元住民の激しい反対はなかった。
日本の進出のあとになって、やっと現地の住民は、日本が約束を守らないことに気づいた。
その後になって、ようやく彼らは日本に抵抗し始めた。

日本は、マレー人の解放獲得の期待を裏切った。
日本人はマラヤを、まるで自分の植民地であるかのように支配した。
今度は彼らがイギリス人の座を奪ったのだ。日本の支配はイギリスよりずっとひどかった。(中略)


いやあ感謝されてますなあwwwwww

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