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【バブル】デステクノ・ハードコアテクノと邦楽JPOP

1 :名無しのエリー:2023/10/29(日) 06:45:10.98 ID:/NS18ym70.net
バブル期の直前に、東亜会館に入居するディスコが中高生を中心として1983年頃から1985年頃までブームになる。
この東亜会館のディスコでバンプ,ステップ,パラパラといったダンスが生み出されたが、
各ディスコにおけるトラブル防止のためのルール厳格化によって
パラパラのみが広く普及することになる。東亜会館で流行したような電子音楽による
ダンス・ミュージックはハイエナジーと呼ばれ、
これはユーロビートの前段階に当たる音楽ジャンルであった。
1986年12月から1991年2月までの51か月間続いたバブル景気により
新宿、原宿、六本木、青山などでは空前のディスコブームが起きていた。
1984年麻布十番にマハラジャが開店。
1991年3月から1993年10月にバブル崩壊と呼ばれる急激な信用収縮、
不動産相場の急落が起きるが、ディスコブームの流行は冷めやらず、
芝浦のジュリアナ東京などではイタロ・ハウスや更に過激に進化したハードコアテクノと呼ばれる
激しいダンス・ミュージックが流された。ジョン・ロビンソンの「TOKYO GO!」等が有名である。
この頃のダンス音楽流行は日本のポップス市場にも影響し、1993年にデビューしたTRFは1994年から
1995年にかけて発売したシングル5作連続でミリオンセラーを記録。
しかし、バブル崩壊後の不況の深刻化と警察の取り締まり強化等により急速に熱狂は終息し、
六本木ヴェルファーレや渋谷のユーロビートパラパラ流行に移っていく事になる。

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