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矢沢永吉 Part270

890 :NO MUSIC NO NAME :2020/09/02(水) 07:52:44.81 ID:RuHfI7VYr.net
2007年8月2日(木)東スポ
「楽団の帝王 清原稔の交遊録<3>」より抜粋

永ちゃんこと矢沢永吉は、「キャロル」で1972年にメジャーデビューする直前、
清原が経営する横浜の喫茶店で働いていた。
ロックスターにあこがれていた矢沢は高校卒業と同時に、
5万円を握り締め上京しようとした。しかし、東京の一歩手前の横浜で途中下車し、
チャイナタウンで働きながらバンド活動を行っていた。
矢沢が清原の店で働いたのは71〜72年ごろだ。

喫茶店を回転した清原がアルバイト募集の張り紙をすると、
ミュージシャンを目指す人間が多く応募してきた。
「店のドアボーイを募集した時、1日に5回も電話してきた男がいた。
それが矢沢だったんだ。当時は、『巴山』という苗字だった。
バンドやってるっていうんで歌を聴いたら、発声練習やってなくてもうまかったね。
だから、きちんと発声練習をやらなかったんじゃないかな。
でも、ハングリー精神はものすごかった。それに、発声練習は
まじめじゃなかったけど、ボーイの仕事はまじめだったよ。」

矢沢はいくつかのバンドを経て72年、ジョニー大倉らとロックバンド
「キャロル」を結成した。
「キャロルでデビューできることが決まった時、電話が来たんだ。
『社長、オレ、今、巴山から矢沢になったんだわ』ってね。」
その後の矢沢は昇竜の勢い。ロックスターに上り詰めた。

清原が2005年、音楽生活60周年リサイタルを開く際、矢沢にゲスト出演を要請した。
しかし、残念ながら、電話はつながらなかったという。
「あの時は、矢沢の借金問題(巨額詐欺事件)の渦中だったからな。
今度65周年記念をやる時はぜひ来てほしい」

(以下略。美空ひばりとの交遊録になる為。)

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