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【竹宮恵子信者】パトリシア響子ヲチスレ【萩尾望都への嫌がらせ】

779 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2021/09/28(火) 21:54:14.31 ID:NrdY6e4f.net
これから書くことは決して萩尾さんを非難したり揶揄したりするものではありません。

お父さまの娘自慢について、です。

大泉本では「父は私の仕事(漫画)を最後まで反対していた」と書いてあります(p.298)。
お父さまは一方で萩尾さんの作品を自慢していたといいます。萩尾さんはお父さまのことを「反対しながら自慢するなんて。不思議な人。自分の論理が破綻していると思わないのだろうか?」と書いています(p.300)。

でも萩尾さんに思い出してほしいのです。1977年時点で萩尾さんは次のように語っていたそうです。

―― 以下引用
九州の父は、あまりうるさくいわないけれど、わたしがマンガ家になるのに反対だったみたい。
でも、いまは全部読んでくれているんです。
デビューしてまもないころ、父から出版社に手紙がきて、
「非常にいい作品だ。これをモトコが考えたのならえらい」
と書いてありました。
あれは父親からのファンレターなんですね。
だから、ほめられた『塔のある家』は思い出の作品なんです。
―― 以上、女性セブン1977年2月10日号p51 より

この話を読んで『塔のある家』のストーリーが思い出されてきました。妖精たちが「ひとかけらの光」を少女の本に挟む。大人になった少女が本を開いて「ひとかけらの光」に触れて過去を思い出す。そういう話。

萩尾さんにも思い出してほしいのです。

漫画の仕事にうるさく反対していたのはお母さまです。
それも萩尾さんが30歳になるころ(1979年頃)までだといいます(2010年婦人公論記事にてお姉さま談)。

お父さまについては、大泉本で「反対しながら自慢するなんて。不思議な人。自分の論理が破綻していると思わないのだろうか?」と書かれているのは前述の通りです。
しかし、それとは別の世界もあるのではないですか?
萩尾さんが上京するまでお父さまは内心反対していた。萩尾さんがプロになってからお父さまは純粋に萩尾さんの仕事を誇りに思って自慢していた。そういう世界もあると思います。

『塔のある家』のページを開いて「ひとかけらの光」を思い出してほしい。

以上、私と同じ想いの人はここにいないと思いますが、いますか?
いないのなら、これがここでの最後の「ポエム」です。

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