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【米韓】駐韓米大使を襲撃した「ウリマダン独島守護」の代表の男、病院への搬送中に「痛い」と叫び続ける[3/5]
- 101 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/:2015/03/17(火) 21:22:01.77 ID:JSUlIrI8.net
- ●領土問題の世界的権威、半月城教授の見解 半月城教授GJ!
竹島(独島)に関心をもつ者として見逃せない本が数年前出版されました。内藤正中著『竹島(鬱陵島)をめぐ
る日朝関係史』(多賀出版)です。
江戸時代、鬱陵島は日本では竹島とよばれていましたが、1693年ころ、この島の領有をめぐって日朝間で火花散る論争が展開
されました。このきっかけになったのが、韓国では英雄とされている安龍福の拉致による来日でした。
その後、かれは鬱陵島や子山島(竹島=独島)は朝鮮領であると主張して日本に乗り込んだ実績から、韓国では竹島=独島領
有権論争で火がついたときは功労者としてかならず登場します。そのため、かれの名は韓国では小学生でも知っていますが、日本
では専門家以外知らないのが実状です。両国のあいだに大きな落差があるのが現状です。
その安の評価ですが、韓国では高校の歴史教科書などでも『朝鮮王朝実録』を無批判に採りいれ、安龍福の手柄話をそのまま
信じる傾向にあります。これにメスを入れ、安龍福の足跡や行動を著者の地元である鳥取県の資料などもふんだんに用いて、綿密
に検証を行ったのが内藤氏の著書です。
その結論として、内藤氏は「彼が鬱陵島と子山島(独島・竹島)が朝鮮の領土であることを鳥取藩主に確認させ、関白(将軍)
の書契をもらったというのは事実ではない」と断じました。その一方で、同氏はこの事件の扱いをめぐる鳥取藩や対馬藩、さらに
幕府や朝鮮王朝の動きを分析し、結局は「竹島一件」を機に江戸幕府や対馬藩は竹島(鬱陵島)を放棄したことを記しました。
さらに明治時代についても「竹島(鬱陵島)はもとより、その属島であるリャンコ島(現竹島、独島)も、明治政府により朝
鮮領であることが確認された」と書き、ごく妥当な認識を示しました。
このように同氏は両国の資料を客観的に検討する実証主義の立場を貫き、偏狭な「一国主義史観」を排して竹島=独島問題も
論じていました。
ここで竹島=独島の歴史的経緯について論じるなら、せめてこの本の内容程度は把握しておくべきではないかと思われます。
半月城教授GJ! 半月城教授GJ! 半月城教授GJ!
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