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【中国】比較後の修正を恐れる日本、ドイツという師を拒む[03/12]

1 :ダーティプア ★@\(^o^)/:2015/03/12(木) 15:34:52.28 ID:???.net
メルケル首相はドイツを例として、日本に侵略を反省し、周辺諸国との和解を実現するよう促した。メルケル首相は親切心から口を酸っぱく
して説得したが、日本はこれに何も感じなかったようだ。岸田文雄外相は「背景が異なり、比較することは適当ではない」という一言であっさり
と触れるに留まったが、これにはため息を漏らさざるをえない。模範の力にも限界があるようで、日本は歴史を覆す道を歩む決意を固めた
ようだ。香港紙『大公報』が伝えた。

岸田外相は、日本とドイツでは「先の大戦中に何が起こったか」、「どういう状況下で戦後処理に取り組んだか」という背景が異なると言ったが、
これは何を指しているのだろうか。両国は第二次大戦の発動国と敗戦国であり、全人類に深刻な災いをもたらした。両国は同じく戦後復興、
経済発展の長い過程を経ており、比較できないわけがない。

細かく見ていくと、日本が話の辻褄を合わせられないことが分かる。「単純に比較することはできない」は、万策尽きた人間の言い訳に過ぎず、
いわゆる「安倍内閣と歴代内閣の歴史認識は同じだ」という説は自分と他人を欺く説だ。

比較が適切であるか否かは二の次で、日本にはドイツと比較する資格がないことの方が重要だ。同じく第二次大戦で大罪を犯したファシズム
国である独日は、歴史に対する認識と反省がまったく異なっている。ブラント元首相は1971年にワルシャワゲットー記念碑の前で跪き、ドイツ
の第二次大戦への反省の誠意を全世界に認識させた。

ドイツ人は数十年に渡りナチスが犯した非人道的な罪と勇敢に向き合い、被害国とユダヤ人に謝罪・賠償を繰り返し、実際の行動により子々
孫々と歴史を胸に刻んでいる。ドイツは立法により、ナチズムを支持する言行を明確に禁じている。ところが日本では、政府から民間に至る
まで戦争の罪を真剣に反省したことがなく、靖国神社を参拝し、歴史教科書を修訂している。侵略の美化が、戦後70年の発展を貫いている。

安倍首相が就任すると、この逆流がピークに達した。「侵略に定義はない」「慰安婦は必要だった」など軍国主義を扇動する異端の邪説が
大手を振り、歴史を否定し、戦後の秩序を覆すことが一種の流行となっている。ドイツと正反対である日本に、比較をする資格はない。

比較できるかできないかではなく、この比較が日本を困らせていることが重要だ。ドイツの誠意ある懺悔は欧州から理解され、国際社会から
受け入れられた。経済が急速に回復したほか、ドイツはその独自の強みにより、欧州の発展の牽引車になった。ドイツは国際舞台で重要な
役割を演じ、世界の大家庭の尊重される平等な一員になった。

ところが日本は間違った歴史観を徹底的に清算できておらず、アジアばかりか世界でも孤立している。一度は世界2位の経済体になったが、
永遠に「政治の小人」であり、主人の米国の後を追うしかなく、独立した国としての尊厳を持たない。これは「経済の巨人」に相応しくない。

国際社会は日本の軍国主義復活の狙いに警戒を強めている。中韓などの周辺諸国がこれを恐れているほか、米国さえ時には横槍を入れて、
日本が間違った道を歩み続けることを防いでいるほどだ。ドイツの現在の国際的な地位は、夢の様なものだ。日本はドイツの成果を羨ましく
もあり、妬ましくもあり、複雑な感情を抱いており、比較すれば自ずといたたまれなくなる。

比較は目的ではなく、手段だ。比較して初めて判断と修正が可能になる。日本は比較を恐れているが、それよりも比較後の修正を恐れている。

ソース:中国網日本語版 2015年3月12日
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2015-03/12/content_35033043.htm
http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2015-03/12/content_35033043_2.htm

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