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【朝鮮日報】「日本海軍は竹島の位置すら知らなかった」 1878年に日本海軍が行った鬱陵島初測量の日誌を発掘[4/28]

168 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/:2015/05/05(火) 14:28:02.72 ID:oJGIucAG.net
●領土問題の世界的権威、半月城教授の見解 半月城教授GJ!
>半月城先生、大韓帝国が鬱陵郡守の管轄区域として挙げた石島が現在の竹島であるとして、大韓帝国政府は石島に対し、どのような
支配を及ぼしていたのでしょうか。
  すでに何回もふれましたが、日本の竹島=独島編入告示(1905)以前、日本と大韓帝国はともに松島・竹島は朝鮮領であるとの共通
認識をもっていたので、大韓帝国が竹島=独島をどう利用しようと領有権論争にはなんら影響しません。
  ちなみに、韓国人の竹島=独島利用ですが、これは空島政策が公式に廃止され、鬱陵島開拓令がだされた翌年の1883年から本格的
に始まりました。
  この年、同島に移住した洪在現氏(62年生まれ)は回想で「開拓当時、鬱陵島人はすぐ独島を発見し、ワカメやアワビまたはアシ
カをとりにしばしば独島に出漁し、自分も十数回往来した」と述べました。
  1904年に日本軍艦「新高」が「韓人」の独島認識をわざわざ記録しているので、鬱陵島の韓国人がかなり竹島=独島を利用してい
たことはまちがいありません。
 さて、おたずねの大韓帝国による独島「支配」ですが、「支配」の一形態として、釣魚島(尖閣諸島)を例にだすまでもなく、他国が
領有権を 主張したときの公的対処をあげることができます。「支配」の認識がなければ何の対処もしません。
  竹島=独島の場合、1905年の島根県による竹島=独島編入にたいし、竹島=独島の領有意識をもっていた韓国は、これを知った時に
もちろん反発しました。
  1906年、鬱陵郡守の沈興澤ははじめて「本郡所属独島」が島根県に組み込まれたことを日本人官吏から聞いたとき、その事実をすぐ
中央に報告しました。かれは報告書のなかで、勅令にはなかった「独島」を本郡所属としましたが、これは勅令(1900)に書かれた石島を
独島と同一視していたためです。これからみても、石島と独島は表記上で混用されていました。通常の発音はやはり「ドクソム」で共通
しました。
  沈郡守の報告を受けた中央の参政(総理)大臣・朴斎純は「独島が日本領になったという話は根拠のないことだが、独島に関する事
情を詳細に調べ、日本が独島で何をしたかを報告せよ」と指示しました。
  これは韓国政府が竹島=独島の「支配」意識を明確にもっていたことを示すわけですが、この事件はマスコミで報道されるや「朝鮮
の中央政府も現地の鬱陵郡守も、また民間人も、日本の竹島=独島の領土編入をその時点で侵略だとみなしていた」のでした。
  当時、韓国は日本に乙巳保護条約を強要され、外交権を剥奪されるなど半植民地状態にありましたが、こうした事件で侵略をまのあ
たりに感じるようになりました。その後、大韓帝国全体にたいする侵略のまえに、竹島=独島問題が消し飛んでしまったのは特筆にあた
いします。
  結論として、日本は竹島=独島の領土編入当時、同島は朝鮮領との認識をもっていたので「固有領土」の主張は論外として、「無主
地」の編入論すら成り立たず、島根県告示は無効であるといえます。

半月城教授GJ!  半月城教授GJ!  半月城教授GJ!

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