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【韓国】竹島で海軍が防衛訓練計画…海兵隊の上陸も[05/06]

460 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )5/17までν速+とあわせてルール協議中ハセヨ@\(^o^)/:2015/05/14(木) 20:09:55.37 ID:NtSCHPOZ.net
嘉永2年(1849)、フランス船リャンクール号(Liancourt)がウルルン島東方の岩礁を目撃し
リャンクール列岩と命名した。
日本ではこれが訛って「リャンコ島」と呼ばれるようになる。

島根県の中井養三郎は、もともとリャンコ島は韓国領だと考え、韓国政府に拝借請願を行うつもりでいた。

ところが、海軍水路部の肝付兼行部長が、この島の領有権は未確定である、と説明したため、
日本への領土編入を求める方向に切り替えたのである。

1906年3月、島根県は竹島とウルルン島の実地調査を行った。
このとき、ウルルン島を管轄する鬱島郡守の沈興沢=シム・フンテクは、
日本によるリャンコ島=竹島編入のことを初めて知らされ驚愕する。
沈の認識では、この島はウルルン郡に属する「独島=トクド」のはずだったからである。

韓国政府は1904年8月の第一次日韓協約によって日本政府から派遣された顧問を置く事が定められ、
さらに1905年11月の第二次協約により外交権を剥奪され、日本の保護国化している。

つまり、事態に気づいた時点では既に抗議どころではない状況にあったことになる。
そして、1910年には国家自体が日本への「併合」という形で滅ぼされてしまう。



長谷川亮一『地図から消えた島々』 2011 吉川弘文館

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