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【戦後70年】国交なく生き別れた韓国「国民的画家」と日本人妻 手紙に紡いだ家族への愛惜 [06/07]

1 :◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★:2015/06/07(日) 18:49:21.65 ID:???
★【戦後70年】国交なく生き別れた韓国「国民的画家」と日本人妻 手紙に紡いだ家族への愛惜
2015.6.7 14:27

日本ではほとんど知られていないが、韓国で小・中学校の教科書に作品や伝記が登場する
ほど有名な国民的画家がいる。早世した李仲燮(イ・ジュンソプ、1916〜56年)。
東京で美術を学び、その時に日本女性、山本方子(まさこ)さん(93)と恋に落ちる。
戦争で空襲が激しくなると、日本から方子さんを呼び寄せ、終戦直前に元山(ウォンサン、
現・北朝鮮)で結婚。戦争でも引き離されなかった2人だが、朝鮮戦争の混乱の中、
方子さんは2人の息子を連れて日本に帰国する。当時、日韓に国交はなく、仲燮は
愛する家族と生き別れのまま生涯を終える。今年は2人の結婚から70年になるが、
日本と韓国には今も見えない“壁”が立ちはだかっている。(水沼啓子)

「ある日、校庭でバレーをするハンサムな男性が目に飛び込んできました。
その姿が目に焼き付いていて、実技を終えて筆を洗っていたら偶然出くわしたんです。
その時はにこっと笑っただけでした。こうした縁で互いに愛するようになったようです」

方子さんは、東京の文化学院で仲燮に初めて会ったときのことを、韓国紙「中央日報」
(昭和61年4月24日付)のインタビューの中で、こう述懐している。

仲燮は背が高くスポーツ万能、歌もうまく、朗らかな人柄で人気があった。
文化学院には3人の李姓の学生がおり、その外見から「チビリ」「テカリ」、
そして顎が長かった仲燮は「アゴリ」と呼ばれた。

方子さんに宛てた手紙の中で、仲燮は自身を指す第一人称として「僕」「私」ではなく
「アゴリ君」を、ちゃめっ気たっぷりに使っている。方子さんは今も、彼を「アゴリ」と呼ぶ。

一方、仲燮は方子さんの足の指が白いアスパラガスに「似ている」と言って、
妻のことを「あすぱらかす君」と呼んでいた。




仲燮は、日本統治下の平安南道平原(現・北朝鮮)の裕福な地主の家庭に生まれた。
20歳のとき、東京の帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)に入学。
翌年の12年、自由な校風で知られる文化学院に移った。

14年に文化学院に入学した方子さんも、三井財閥系企業の役員を父に、恵まれた家庭に育った。
当時、日本では朝鮮人への差別意識が強かったが、方子さんの両親は敬虔(けいけん)な
クリスチャンということもあり、2人の交際に反対しなかった。

18年、仲燮は京城(現・ソウル)で開かれる美術展への出品の目的もあり一時帰郷したが、
戦況悪化で日本に戻って来られなくなった。しばらくすると、米軍の本土空襲が本格化。
「このままだと会えなくなる」と恋人の身を案じた仲燮は20年4月、
「結婚急ぐ 子細文出した」と電報を打った。

方子さんの父親は「どこの国の人でも構わないが、絵描きというのが心配だ。
いよいよ食べていけなくなったら帰っておいで」と、結婚を承諾。娘のために奔走し、
何とか下関行きの列車の切符を手に入れた。

方子さんは途中、岡山で空襲に遭い、真っ暗な車内で一晩過ごし、やっとの思いで下関に
たどり着いた。だが関釜連絡船は出航しなかった。米爆撃機B29が投下した大量の機雷で、
関門海峡は“死の海”と化していた。何日間か足止めされた後、博多から玄界灘を越え釜山に渡った。

「戦火の中、危険を冒してでも飛んでいってしまうほどアゴリが好きだったから」と、
照れ笑いを浮かべた。

釜山から列車に乗り京城に着くと、翌日、仲燮がゆで卵とリンゴをいっぱい抱えて迎えに来た。
「日本では当時、食糧難の時代でしたから、ゆで卵のおいしかったこと。今でも忘れられません」

2人は5月、元山の仲燮の実家で伝統的な結婚式を挙げた。
そして仲燮は、新妻に「徳が南のほうからやってきた」という意味を込め、
李南徳(イ・ナムドク)と朝鮮式の名前を付けた。

小学校と文化学院時代の仲燮の同窓生で現在、米ロサンゼルス在住の現代画家、
金秉騏(キム・ビョンギ)氏(99)は「仲燮は反日ではなかった。
ただ構え方が民族主義的だった」と振り返る。 >>2へ続く

http://www.sankei.com/world/news/150607/wor1506070020-n1.html

李仲燮(c) 2013天空/アジア映画社/太秦
http://www.sankei.com/images/news/150607/wor1506070020-p1.jpg
韓国では作品集や評伝などさまざまな本が出版されている
http://www.sankei.com/images/news/150607/wor1506070020-p2.jpg
今年2月、東京・世田谷の自宅で李仲燮との思い出を語る山本方子さん(水沼啓子撮影)
http://www.sankei.com/images/news/150607/wor1506070020-p3.jpg

2 :◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★:2015/06/07(日) 18:49:35.44 ID:???
>>1より



終戦後は、元山での平穏な暮らしの中で2人の息子にも恵まれた。
しかし、そんな穏やかな生活は長くは続かなかった。

25年6月に朝鮮戦争が始まった。12月、「中共軍が攻めてくる」という話が伝わると、
仲燮は慌てて妻と2人の幼子を連れ、元山の港から船に乗って韓国の釜山に避難した。
着の身着のまま、替えのおむつもなかった。

仲燮一家は翌26年1月、済州島西帰浦に移り住んだ。家族4人が間借りしたのは、
3畳(約5平方メートル)ほどの部屋だった。避難民となった一家に生活の糧はなく、
近くの海岸で捕ってきたカニやサツマイモなどを食べて空腹を満たした。

それでも仲燮や方子さんにとって、貧しくとも西帰浦に住んでいた時代がいちばん幸せだったという。

「そんなに苦労とは思わなかったわね。家族水入らずでしょう。それが良かったのだと思います」

しかし、ついに別れの時がやってくる。不安定な避難生活を逃れるため、一家4人で、
東京の方子さんの実家に身を寄せるつもりだった。しかし当時、日韓に国交はなく、
日本国籍のない仲燮に渡航許可が出るかが問題だった。

そんな折、方子さんの父親の訃報が届いたことや栄養失調で体調を崩していたこともあり、
方子さんは27年、2人の子供を連れて日本に帰国した。



「私ほど自分の愛妻にあひたがってゐる男がまたとあるでせうか。
あいたくて、あいたくて、またあいたくて頭がぼーとなってしまうのです」

「私のやさしい妻よ。何度も何度も長いポポ(キス)をお送りします。
やさしくあたたかくおうけとりください」

「だいすきな まいにちあいたい やすなりくん げんきですか」

仲燮は、日本に暮らす家族に頻繁に手紙を送るようになった。
言葉を尽くし、愛する妻や2人の愛児に語りかけた。手紙は日本語で書かれ、
家族や自身を描いた絵も添えられていた。

家族が帰国した翌28年、仲燮は特別滞在許可を得て、1週間ほど日本で過ごした。
これが家族との最後の別れとなった。

その後も仲燮は日本への渡航を探るが、どれもうまくいかなかった。家族に会えない
という絶望感からか、酒に溺れるようになった。家族宛ての手紙も途絶えた。

「最愛なるお懐かしいアゴリ お便りがこなくなってもうどれほどたったでしょうか」

方子さんは当時、安否を問う仲燮宛ての書簡を何度も送っている。

仲燮は31年、失意の中、肝炎と栄養失調のためソウル市内の病院で亡くなった。
友人らによって火葬され、ソウル市内の忘憂里(マンウリ)共同墓地に埋葬された。
妻の元に訃報を知らせる電報が届いたのは、その死から5日後だった。

国交なき時代、韓国への渡航は極めて困難だった。夫の死に際にも駆けつけられず、
墓に参ることもかなわなかった。「韓国に行けずつらかったです。
諦めるとかいう生やさしいものではなかった」

方子さんは友人に頼み、遺灰の一部を日本まで持ってきてもらった。
遺灰は多磨霊園の山本家の墓に埋葬された。

来年は仲燮の生誕100年を迎える。韓国ではさまざまなイベントが予定されている。
日本では現在、方子さんを描いたドキュメンタリー映画「ふたつの祖国、ひとつの愛
〜イ・ジュンソプの妻〜」が上映中だが、ほかに予定されている行事は特にない。

次男の泰成さん(65)はこう話す。「父は絵描きなので、日本の人にも絵を実際に
みてもらいたい。父のことが一つのきっかけとなり、今のぎくしゃくした日韓関係が
少しでも良くなればと思います」




ドキュメンタリー映画「ふたつの祖国、ひとつの愛〜イ・ジュンソプの妻〜」(酒井充子監督)
が昨年末より全国で順次ロードショー。現在、横川シネマ(広島市)で上映中。
7月18、19日は韓国済州島西帰浦で特別上映される。  (終わり)

3 :ブルーブラック ◆jXugssDnOB6B:2015/06/07(日) 19:47:51.68 ID:VHzjPd6yh
せっかくきれいにしてあるんだから、、、

あとはわかるな

4 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2015/06/07(日) 20:48:52.95 ID:VMaJae2wT
昔はまともな韓国人も少なからずいたらしいけどね

昔は昔だ
さよなら韓国

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