2ちゃんねる スマホ用 ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【日中】抗日ドラマ「でたらめだ!」 憤激する元中国兵ら…「日本軍は強かった」「敬服せざるをえない面あった」=中国メディア★2[8/19]

1 :もろ禿 ◆SHINE.1vOk もろ禿HINE! ★@\(^o^)/:2015/08/19(水) 22:35:55.44 ID:???.net
抗日ドラマ「でたらめだ!」 憤激する元中国兵ら・・・「日本軍は強かった」「敬服せざるをえない面あった」=中国メディア (サーチナ) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150819-00000050-scn-cn


http://amd.c.yimg.jp/amd/20150819-00000050-scn-000-4-view.jpg
四川省メディアの華西都市網はこのほど、抗日戦を戦った元兵士らへの取材記事を掲載した。中国では「抗日ドラマ」が盛んに放送されているが、元兵士らは「あんなに容易なわけがあるか」などと
反発。日本軍は極めて強く、戦意については「敬服せざるをえなかった」と述べた。(写真は華西都市網の上記記事掲載頁キャプチャー。当時覚えた銃剣術を披露する馬定新さんの画像がある)


 四川省メディアの華西都市網はこのほど、抗日戦を戦った元兵士らへの取材記事を掲載した。中国では「抗日ドラマ」が盛んに放送されているが、元兵士らは「あんなに容易なわけがあるか」などと
反発。日本軍は極めて強く、突撃などの際に見せる犠牲的精神については「敬服せざるをえなかった」と述べた。

 99歳の馬定新さんは「抗日ドラマ」について「数人で鬼子(日本兵を指す)の連隊を全滅させるだって? 真実ならば、多くの仲間を犠牲にして8年も戦う必要があったわけがない」と批判。
「ひとつ間違えば命を失う」厳しい戦いだったと回顧した。

 日本軍は多くの場合、航空機や戦車、重火器で攻撃を加え、敵をただちに撃破する電撃作戦を好んだ。しかし、戦線が膠着すると迂回攻撃するなど柔軟性もあった。訓練が行き届き、部隊間の
連携も巧妙な日本軍に、中国軍は大被害を受けつづけた。

 記事によると元兵士の多くが、日本の将兵は「命を惜しまず、射撃も正確だった」と証言する。「突撃」の命令が下れば、とにかく殺到してきたという。小隊長として1941年5月の中原会戦に
参加した鄭維邦さんは、日本軍の突撃精神には「敬服せざるをえない」と述べた。

 戦史研究家の何允中さんは、日本兵には「崇高な武士道精神があった」、「まず、おのれに厳しかった。相手に対してはさらに厳しく戦った」と説明した。

 中国では「武士道精神」が、「日本人の残虐さを示すもの」として否定的に扱われることがほとんどだ。専門家の発言部分とはいえ、メディアが「崇高」と表現するのは珍しい。

 記事は続けて「抗日ドラマの見せ場」でもある、中国人が刀で日本兵を『華麗に殺す』場面を取り上げた。馬さんは「大うそ。鬼子と遭遇して、あんなことをしたら、何度殺されていたか分からない!」と
述べた。

 実際には、中国軍の軍刀や銃剣類の使い方は日本軍から学んだもので、日本人将兵の刀剣類の使い方の方が「最高に実際的だった」という。また、中国には当初、歩兵の運用規則を定めた
「歩兵操典」が存在せず、後になり日本軍の「歩兵操典」を翻訳・編集して使ったという。

 記事は最後の部分で、「いかなる目的にせよ、歴史をねじ曲げ、誤った歴史を広める行為は、全民族を挙げた抗日戦に対する侮辱」と批判。「歴史を直視し、(当時の中国と日本の)差を
直視することが、抗日戦を戦った英雄に対する最大の尊敬だ」と主張した。
(編集担当:如月隼人)(写真は華西都市網の上記記事掲載頁キャプチャー。当時覚えた銃剣術を披露する馬定新さんの画像がある)


★1 2015/08/19(水) 19:59:44.07
前スレ
【日中】抗日ドラマ「でたらめだ!」 憤激する元中国兵ら…「日本軍は強かった」「敬服せざるをえない面あった」=中国メディア[8/19] [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1439981984/

624 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2015/08/20(木) 22:14:31.29 ID:561aOm8u.net
蒋介石は日本兵を見習えと叱責してたんだっけ>拉孟の戦い

625 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2015/08/20(木) 23:43:42.35 ID:teW+jouM.net
拉孟の戦いのことを中国では「松山戦役」と呼ぶのだそうだけれど、たまたま
大陸滞在中にCCTVの歴史チャンネルで、その「松山戦役」特集番組を見たこと
が有るんだわ。

拉孟(松山)はビルマと中国・雲南を繋ぐ戦略的要地ゆえ、国民党軍が総力を
挙げて攻めるのだけれども、守る日本軍が1千3百人に足りない兵力に対して、
国民党軍は二個から三個師団の兵力(wikipedia によれば4万8千人)、しかも
圧倒的な火力優位・航空優位。

これ、常識的に考えれば「戦闘」と言うよりは「嬲り殺し」に近い状態だと思
う。しかし、日本軍は、まさに「死守」。百日以上持ち堪えた上で、「これ以
上落とせないようなら軍法会議だ」と上層部に脅された国民党軍が必死に坑道
を掘って陣地の一角を火薬で爆破して侵攻、やっとこ占領。日本兵は、一人の
投降も無く、ほぼ全員が戦死。

ほぼ全員と書いたのは、部隊長命令で戦闘詳報を持った木下昌巳中尉以下三名
が脱出に成功したからで、この木下昌美元中尉の拉孟での体験談は、「NHK戦争
証言アーカイブ」で2008年に収録したもをインターネットで聞くことが可能な
ので、もし興味が有ったら聞いてみてください。

それで、国民党軍の側の戦死者がどの位だったかというと、記憶が間違いでな
ければCCTVで述べていたのは9千人(wikipediaでは4千名との記述)。陣地戦
と言え、まさに有り得ない強さで、実際に戦った国民党軍が絶句する状態。

その後のことはCCTVでは述べていないのだけれども、この日本軍のあまりの強
さに「感銘」を受けた国民党軍は、台湾に渡った後で「白団」と後に呼ばれる
旧日本陸軍幹部からなる軍事顧問団の派遣を要請し、国民党軍の幹部教育は、
彼らが担当することになったそうな。

拉孟や騰越の戦いを通じて、国民党軍の幹部たちは、日本軍の強さが単に火力
などのハードのみに拠るものではなく、指揮、統制、教育、訓練と言ったソフ
トに拠るところが大きいということを痛感したのでしょう。

総レス数 777
283 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★