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【歴史】抗日戦で「本当に頑張った」のは国民党の広西軍・・・日本軍から学ぶ柔軟性もあった、「共産党軍は軽部隊」と中国人専門家[8/26]

169 :白馬青牛 ◆sKm0uQPecU @\(^o^)/:2015/09/18(金) 03:42:56.70 ID:eyTa4CRa.net
>>162
 日本帝国海軍について、広島県人の元陸軍大尉越智春海氏の文でも抜粋しとこう。
『日本軍は常に、敵情判断が甘かった。なるべく自己に有利に、なるべく都合のよいように、
諸情報を整理して、敵の動きを、きわめて楽観的、願望的に想定しては、対応策を講じていた。
そんなナンセンスな敵などいないから、常に破たんした。
これは全戦場に共通、いや、開戦決定から終戦処理まで、すべてこのパターンだった。読者は、
当時の軍人や政治家を笑ってはいけない。今日でもこのパターンで政治は動かされており、国民の
日常生活は進行しているのだから・・・。
ついでに開戦以来の日本の戦争遂行方針の変貌を一覧すると、 開戦時の基本構想は
「まず南方資源要域を略取して、米英が反抗態勢を整えるまでに、日本は防衛・経済等の態勢を
確立して、持久戦を策す」るのだった。
 この決策のとき、海軍を代表する山本五十六連合艦隊指令官長は
「開戦後一年半ぐらいは、相当にあばれてみせるが、あとは自信がない」と表明したそうだ。
つまり早期に和平手段を講じて、うまく戦争を収拾してくれという考えである。しかし、その後の
経過には、まったくそのような動きは見られず、第一段作戦の予期以上の好調に有頂天になって
しまい、ずるずると戦線拡大の一途をたどった。
「勝った。勝った。」の狂喜乱舞のなかで、なしくずし的に大事を決定してしまったのだ。』

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