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【歴史】抗日戦で「本当に頑張った」のは国民党の広西軍・・・日本軍から学ぶ柔軟性もあった、「共産党軍は軽部隊」と中国人専門家[8/26]

1 :もろ禿 ◆SHINE.1vOk もろ禿HINE! ★@\(^o^)/:2015/08/26(水) 18:25:15.22 ID:???.net
抗日戦で「本当に頑張った」のは国民党の広西軍・・・日本軍から学ぶ柔軟性もあった、「共産党軍は軽部隊」と中国人専門家 (サーチナ) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150826-00000042-scn-cn


 中華民国研究の専門家で、江蘇行政学院(南京市)で教授を務める李継鋒氏は、日中戦争で日本軍と最も頑強に戦い成果を上げたのは、広西省(現、広西チワン族自治区)の
国民党軍だったと論じる文章を発表した。日本軍の戦い方を直ちに採用するなどの柔軟性もあったという。共産党も戦意は旺盛だったが、「軽部隊」だったという。

 李教授は、当時、ファシスト国家であったドイツや日本は戦力が高かったと主張。ただし「イタリアは、国民性の問題もあり戦争はだめだった」と論じた。

 日本については、「武器もすごかった。精神面も頑強。そのため、中国軍は死傷率が極めて高かった」と論じた。第2次上海事変で「日本軍の損害は4万人。中国軍は25万人。25万人です。
どう考えたらよいのか」と論じた。

 当時の中国は徴兵制の定着前だ。「人さらい」で兵員を補充した。李教授は、「民族自衛戦争なのに、人さらい。本来ならば、自ら喜んで兵になるはずだが、そうは簡単にいかなかった」と論じた。

 李教授は、日本には徴兵制が確立していたと指摘。日本兵と異なり中国兵は多くが字も読めず、先進的な武器は扱えず、組織生活も軍事訓練も経験していなかったと説明した。

 李教授によると、戦意が高かったのは共産党の支配地域と広西省だった。広西省は中国で最も早く徴兵制度を導入し、兵士の戦闘能力は高かったという。

 広西軍は第2次上海事変にも参加した。大損害を受けたが、指導者の白崇禧、李宗仁らは日本軍の「塹壕戦」を直ちに取り入れた。広西軍は戦いが始まって数カ月で、日本軍から戦術を
学習し能力を大いに向上させたという。

 共産党軍については「軽部隊。重火器もあまりない。そのため、大量補給も必要なかった」と指摘。国民党軍については重砲、戦車、航空機、自動車などを使っての戦いであり、ガソリンや
弾薬の補充が絶対に必要だったと説明。組織的に大規模な戦いを進めたと指摘した。

**********

◆解説◆
 白崇禧は1893年生まれ。広西軍の指導者のひとり。蒋介石に日本軍の補給線を崩壊させる「総力戦」を提案した。日本の敗戦により接収した台湾で反国民党の暴動(1947年、2.28事件)が
発生すると、現地に乗り込み庶民から聞き込み調査をした上で国民党側の非を認め、捕えられた学生の恩赦を行うなどした。

 蒋介石とは1946年ごろから疎遠になり、48年には防衛大臣を罷免された。国共内戦で国民党が敗北すると、大陸を離れる最後の部隊を率いて台湾に渡った。1966年に台北で没した。
(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:(C)Eddie Tay/123RF.COM、台北市内の国民革命忠烈祠。中華民国建国や日中戦争で戦没した英霊を祭る)

170 :白馬青牛 ◆sKm0uQPecU @\(^o^)/:2015/09/18(金) 03:48:06.65 ID:eyTa4CRa.net
>>162
>>169の続き。
『そのムードで決策されたのが、第二段作戦指導要綱で「既得 の戦果を拡充しつつ、機を見て
積極的方策を構ずる」という、 趣旨不明の根本方針であった。和平も持久戦の構想もない。
 これでは、前線の軍隊が積極的方策をとるのは当然だ。このとき大々的に復員準備を進めていた
陸軍側も、海軍側の要請に巻き込まれてしまい、ガダルカナルなどという予想外の遠隔地へ派兵
して、連合軍の反攻初動において、戦勢を決定してしまい、あとは敗亡へと一路狂乱の道を
突っ走ることになったのである。
 このときの動きで反省すべき点の一つに、固定観念の頑固さという一事がある。海軍は、
太平洋での作戦は、トラック島の確保が万事を決するかに思い込んでいた。この固定観念が戦場を
ソロモン海域に進め、ニューギニアを愚劣な戦場とした元凶である。ガ島失陥後も、この観念は
変わらず、ラバウルではしばしば陸海軍の意見が衝突した。第八方面軍では、兵力と補給の
問題で、中部ソロモンを放棄して、北部ソロモンを防衛する計画だったが、海軍側では少しでも
前方へ兵力を配備して、トラック島の安泰を図るべく、中部ソロモンの島々に陸戦隊その他を
配置していた。しかし現実問題として、陸戦隊などは地上戦闘部隊ではないから、結局は
陸軍部隊の増援となって、第八方面軍の戦略は、それだけ破たんしたし、将兵は余分の悲劇を
演じた。しかも到着後の補給はまったく保証されていないのだから、派遣される部隊こそ
災難この上もなかった。』
つまり、場あたり的で、緒戦に勝つと、思い上がり最初の計画案じゃの忘れる。勢いがあれば
威張り、逆に降伏した時は敵軍に諂い仲間まで売ったりするけぇ、日本の上層部の行動は強者に
諂い、弱者に威張る幼稚な権力欲ばっかしじゃけぇ、解り易いよ。アメリカ人なんか、
黒船から先の大戦で日本の上層部の性格を知りつくしとるけんのう。
ネット右翼の「幸せ回路」「脳内お花畑」的、楽観論なんか通用せんのじゃ。

171 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2015/09/18(金) 14:10:54.14 ID:Imml0Ftc.net
支那共産党が大々的に抗日式典なんかやったおかげで世界中が大戦時のことを再認識したようで何よりです

172 :白馬青牛 ◆sKm0uQPecU @\(^o^)/:2015/09/22(火) 03:23:04.17 ID:Hs0F/Wxj.net
>>171
再認識したところで、日本軍の行為が世界中から批判される構図は変らんわけじゃし。

173 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2015/09/27(日) 03:48:16.14 ID:Y/9oU+rr.net
この史家は第二次大戦の主戦線は独ソ戦と日米戦だった、
という中国人としては例外的にまともな史観を持っている・

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