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【日比】天皇皇后両陛下 フィリピンで国賓として公式行事へ[1/27]

1 :ロンメル銭湯兵 ★@\(^o^)/:2016/01/27(水) 19:52:30.57 ID:CAP_USER.net
 フィリピンを訪れている天皇皇后両陛下は27日、大統領府のあるマラカニアン宮殿で、
国賓としての公式行事に臨まれます。

 両陛下は26日から、フィリピンを親善訪問していて、27日は首都マニラで、国賓としての
公式行事に臨まれます。

 まず午前中、大統領府のあるマラカニアン宮殿で歓迎式典に出席したあと、アキノ大統領との
会見に臨まれます。続いて、マニラ中心部の公園にあるフィリピン独立運動の英雄ホセ・リサール
の記念碑に花を供えられます。夜には、アキノ大統領主催の歓迎の晩さん会が開かれ、大統領の
スピーチに続いて、天皇陛下がおことばを述べられます。

 また、一連の公式行事の合間に、両陛下の意向で訪問先に加えられた「無名戦士の墓」も
訪ねられます。ここには、太平洋戦争で犠牲になったフィリピン人の兵士たちがまつられていて、
両陛下は、花を供えて慰霊されることになっています。

NHK News Web 1月27日 8時36分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160127/k10010386971000.html

227 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:09:31.77 ID:VppAoSpi.net
 同様に大臣たちも声望のある為政家たちをいちだんと抜いているゆえ、これを嫉視するはずもなく、君主
の場合と同様の理由から、すすんですぐれた頭脳を抜擢し、その力を利用するために活躍させるであろう。
このようにして君主政体では、悟性が、いたるところにいるその仇敵、すなわち愚昧さをおさえる好機を、
共和政体よりも見つけやすいのである。これはしかし大きな長所だ。

 一般に君主政体のほうが人間には自然な政治形態だ。蜜蜂や蟻・空を渡る鶴・移動する象・掠奪のた
めに群をなして集まった狼・そのほかすべてなにか事をなす場合に、一匹だけを先頭に立てる動物に、
この形態が多く見られるのとほとんど同じといってよい。そのうえ人間の場合も、すべて危険を伴う企
図、たとえば行軍とか船舶はかならず一人の指導者に従うのである。どのような場合も、指導する意志
は一つに限られねばならない。動物のからだでさえ、独裁君主的体制をもっている。つまり頭脳だけが
すべてを牛耳る支配者、ヘゲモニーを握る指導者なのである。たとえ、からだ全体が存立してゆくには
心臓・肺臓・胃がはるかに寄与するところ多いとはいえ、これら俗人どもに比すべき器官は、なんら指
揮・指導することはできぬのである。それは頭脳だけの問題であり、すべて指揮はただ一つの点から出
発しなければならぬ。太陽系でさえ独裁体制をもっている。これに対し共和体制は人間にとって自然に
もとるものであり、いちだんと高い精神生活、つまり芸術や科学にとっても不都合なものである。以上
すべてのことに応じて、古今東西、全地球上において、文明が進んでいようと野蛮であろうと、あるい
はまたその中間段階にあろうと、いろいろな民族がいつでも君主体制で支配されているのが見いだされ
るのである。

   多頭政治は便利なものではない。唯一の支配者、
   ただひとりの王があるべきだ。
                    (ホメロス『イリアス』二の二〇四)

228 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:10:00.69 ID:VppAoSpi.net
 君主体制的本能が人間にもともとあって、ただひとりの人を自分たちにふさわしいものとして君主に
祭りあげるということは、もしなかったとしたら、何百万、いな億という人たちが、あらゆる時代に、
いたるところの国で、たったひとりの男に服従し、ときにはたったひとりの女性、暫定的にはたったひ
とりの子供にさえ唯々諾々として従うなどということが、どうしてありえようか。なぜなら、これは考
えてできたことではないからだ。どこでも王はひとりときまっており、しかも普通は王位は世襲的に継
承される。王はいわば全国民の人格化、あるいは頭文字であり、王において国民は個性をもつようにな
るのだ。この意味で王は「国家、それはわたしである」と言って当然なのである。だからこそシェーク
スピアの歴史劇においても、イギリス王とフランス王はたがいにたんに「フランス」あるいは「イギリ
ス」と呼びかけ、(『ジョン王』第三幕・第一場では)オーストリア公に「オーストリア」の一語で話し
かけているのが見られるのであって、いわばたがいに自分をその国民性の権化と見ているのである。こ
うして君主制はまさに人間の本性に適しているのだ。だからこそ世襲君主は、自己とその家族の安全を
国家の安寧と不可分なものと見るのである。これに反し選挙による首長の場合は、たいがい二つが分か
れるのである――教会国家を見よ。シナ人は君主制しか知らず、共和制がどんなものであるか、ぜんぜ
ん理解できないのだ。一六五八年、オランダ公使がシナに赴任したとき、オランイェ公をオランダ王と
して説明せざるをえない破目になったものだ。そうしないとシナ人は、オランダなど首長をいただかな
いで生活している海賊の巣とでも思いかねなかったからだ。(ジャン・ニュホフ著『シナ帝国派遣諸国
連合東洋商会の使節』ジャン・ル・シャルパンティエ訳、一六六五年ライデン発行、第四五章参照。)
――ストバイオスは「君主政体が最上のものであること」という見出しをつけた独特の一章で、古代人
が君主政体の長所を説明した最上の個所をいろいろと集めている。共和政体はまさに反自然的であり、
人為的にこしらえたもの、反省に由来するもので、したがって全世界史をつうじてまれな例外とし
て出現するだけである。

229 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:10:27.54 ID:VppAoSpi.net
 すなわちギリシアの小型共和国、ローマおよびカルタゴがそれで、これらはす
べてその人口の六分の五、ひょっとすれば八分の七までが奴隷だったという特殊事情がつけ加わる。共
和国アメリカ合衆国も一八四〇年に一千六百万の人口に対し、三百万からの奴隷をかかえていたではな
いか。そのうえ、古代の共和国の存続期間は、王政のそれにくらべれば、非常に短かったのである。
一般に共和政体は打ち建てるのはやさしいが、維持するのは困難であり、君主政体にはまさに逆のこと
があてはまるのだ。

 ユートピア的計画を求められるなら、わたしはこう言おう。この問題の唯一の解決は、最も志操の高
い男性たちを最も賢明にして才気煥発の女性たちと結婚させ、生殖の方法によって生みだされた真のア
リストクラシー、生粋の貴族に属する聡明で高貴な人たちが専制政治を行なうことであろう、と。この
提案はわたしの「理想郷」であり、プラトンのそれに相当するわたしの「国家」である。

 立憲君主はエピクロスの神々にひどく似ている。すなわち人間界のことには口ばしをはさまず、なん
ら煩わされることのない平安と至福のうちに、上のほうの天国に鎮座ましますのだ。ところが断然これ
がいまや流行となって、ドイツのほうぼうの小粒の君主国に、英国型憲法の真似事が上演され、上院・
下院から人身保護令・陪審制度まですっかりそろえるしまつだ。こうした形式は、イギリスの国民性な
らびにイギリスの事情に由来し、またそれを前提としてはじめて、イギリスの国民には適当なものであ
り、また自然である。それはちょうどドイツ民族には多くの部族に分かれていることが自然なのと同様
だ。ドイツの諸部族は、まことに数の多い、実施に政務をみる王侯のもとにあり、頭には皇帝をいただ
いて、この皇帝は内には平和を保ち、外にはドイツ帝国の統一を代表している。こういう形式がドイツ
民族にとって自然だというのも、それがドイツの国民性とドイツの事情に由来しているからだ。ドイツ
がイタリアの二の舞いを演じたくなかったら、仇敵ナポレオン・ボナパルトによって廃された帝位をで
きるだけ効果的に復権すべきだというのがわたしの意見である。

230 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:10:52.90 ID:VppAoSpi.net
 なぜならドイツの統一はこの帝位にか
かっているのであり、これなしには統一といってもただ名ばかりであるか、あるいはおぼつかないと思
うからだ。といってもわれわれは、皇帝の選挙に真剣にとりくんだギュンター・フォン・シュヴァルツ
ブルクの時代に生きているわけではもはやないから、帝位の冠は一代かぎりの条件でオーストリアとプ
ロイセンに交互に渡すべきであろう。小国家群の絶対主権などというものは、いずれの場合も、絵にか
いた餅だ。ナポレオン一世がドイツに対してやったことは、オットー大帝がイタリアに対してやったこ
と(『略奪されたバケツ』の註解を参照)とまったく同じで、つまり「分割して統御せよ」の原則にも
とづいて、独立した多数の小国に分けたのだ。――

 イギリス人が昔からの制度・風習・慣習を神聖なものとして変えず、そのねばり強さを極端に押しす
すめて笑いものになるのも辞さないという点に、彼らの頭のよさが示されている。というのは、こうし
たものはのんびりした頭のなかで孵化されたものではなくて、徐々に周囲の力と生活の知恵から生いたっ
てきたもので、したがって国民としての彼らにうってつけのものだからだ。ところが愚直なドイツ人は
先生から「英国式燕尾服など一着に及んで闊歩しなくちゃだめさ。断然、似合うよ」などと吹きこま
れると、親父の反対を押しきって手にいれたはよいが、まことにぎこちなく、ぎくしゃくとして、その
かっこうは笑止千万なのだ。ところでこの燕尾服というのが田舎者のドイツ人には窮屈きわまるものだ
が、その最たるものが陪審制度だ。これは読み書きができれば死刑も免除されたような未開のイギリス
の中世紀、アルフレッド大王時代からあるもので、刑事裁判で最もやっかいなしろものだ。というの
は、こそどろ・人殺し・ぺてん師がたくらんだ罠や仕掛けを日夜解くことで頭も白くなり、こうして事
件の手がかりをつかむことを覚えた腕ききの学問もある判事にとってかわって、仕立て屋や手袋屋と
いった面々が裁きの席にすわり、その遅鈍・粗野・とんまで不慣れな頭をひねり、それどころか小一時
注意を集中する習慣さえないのに、知恵をしぼって、欺瞞と見せかけの目もくらむような織物のなかか
ら真実を見つけだそうというのだからだ。

231 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:11:20.50 ID:VppAoSpi.net
 おまけにそうしているあいだにも、商売の布地や革のことも
考えねばならず、家へ帰りたくてうずうずしており、いわんや蓋然性と確実性の区別などちんぷんかん
ぷんで、むしろ一種の確率をそのにぶい頭に打ち建て、それによって平然としてひとさまのいのちを断
つのである。彼らにあてはまるのはサムエル・ジョンソンの言葉だ。彼はある重要な問題でひらかれた
軍法会議にあまり信を置かず、こう言っているのだ。すなわち、この軍法会議に陪席した者のうち、お
そらく、ただのひとりも、その生涯において、蓋然性をつらつら考えることでただの一時間も送った者
はあるまい、と(ボズウェル『ジョンソン伝』一七八〇年の記事。ジョンソンの年齢は時に七十一歳)。
しかしこういう連中こそ不偏不党だ、と言う意見もないではない。――あそこにいるあの「あさまし
い民衆」がそうだというのか。まるで一方に偏する執念は、被告と身分の同じ者の場合よりも、被告と
完全に縁のない、まったく別の領域で暮らしている判事、職務の名誉を自覚している解任できない刑事
事件の裁判官のほうがひどいような話ではないか。ところで国家ならびにその首長に対する犯罪や出版
法違反の罪まで陪審制度でさばくなどということは、文字どおり猫に鰹節の番をさせるものだ。


   第一二八節

 いたるところ、あらゆる時代に、政府や法律や公の機構に対する不満が絶えたことはない。しかしそ
れは大部分、人間の生活に不可分離にくっついてくる悲惨、神話的にいえば、アダムが受けた呪いであ
り、アダムとともに人類全体が受けた呪いともいうべき悲惨を、いつでも政府や法律などのせいにする
からにほかならぬ。しかしそういう誤ったなすりつけを「いまどき」の民衆煽動家以上に、嘘っぱち
の鉄面皮なやりかたでやったものはない。彼らはキリスト教の敵としての楽天主義者なのだ。

232 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:12:23.05 ID:VppAoSpi.net
世界は彼らにとって「自己目的」であり、したがってそれ自体において、すなわちその自然な性質のうえ
で、完全にすばらしくできあがっているのであり、至福の棲み家である。これを打ち消すような世界の巨
大な禍を、彼らはすべて政府の責任に帰するのだ。政府がその責任さえはたしておれば、地上に楽園が出
現し、万人がなんら苦労しないでもたらふく食い、鯨飲し、おたがいに宣伝しあったうえ、くたばること
ができるというのだ。じつはこれは彼らの称する「自己目的」をわたし流に言いかえたもので、彼らが
はなやかなきまり文句で倦むこともなく唱えている「人類の無限の進歩」の目的とするところなのだ。


    第一二九節

 昔は王冠を支えるおもなつっかい棒は信仰だったが、いまは信用だ。教皇ご自身でさえ、彼の債権者
が自分を信用してくれることよりも、彼の信者が自分を信頼してくれることのほうがよけい気にかかる
などということは、ほとんどあるまい。昔は世の咎(シュルト)を嘆いていたものだが、いまは世の借金
に目をそそいで、おじけづくのだ。昔は世界最終審判という予言があったが、いまは大がかりな債務の
免除、一般的な国家財政の破綻といった予言がなされる。しかし、自分だけはそういう目に会うまいと
あてにしていることは、まえの場合と同様だ。


    第一三〇節

 所有権(占有権)は倫理的にも合理的にも生得権とは比較にならないくらいうまく基礎づけられるに
しても、じつはこの二つは親類筋のもので癒着している点がある。だからこれを切り離すと、所有権が
あやしくなる可能性がある。というのは、たいがいの所有は親ゆずりのもので、つまり一種の生得権だ
からだ。現に昔の貴族はその世襲地の名を名乗っていたが、つまり名前でその所有をあらわしていたわ
けだ。――だからすべて有産者は、生得権をもっている人を羨んだりしないで、少し頭を働かせて、生
得権支持にまわるべきだ。

233 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:12:52.74 ID:VppAoSpi.net
 一面には王の所有権を、他面では王の生得権を支持する助けになっているというのが、貴族がはたし
ている二重の効用である。というのは、王はその国における貴族の筆頭で、したがってまた普通は貴族
たちを身分の低い親戚として扱うのであり、どんなに信任が厚かろうとも、ただの平民とはぜんぜん別
の扱いをするのだ。その祖先がたいがい自分の祖先の第一の奉仕者であり、つねに側近であった者たち
に対して、王がより多く信頼を示すことは、これまた当然・自然な話である。だから貴族がなにか疑い
をかけられて、自分の忠誠と帰依は変わらないと王に誓うような場合に、自分の名を引き合いにだすこ
とも当然である。わたしの読者にはおなじみのことだが、たしかに性格というものは父親ゆずりのもの
だ。その息子であるくせに、そのことを見ようとしないのは、愚かで笑止なことだ。


     第一三一節

 まれな例外はあるにしても、女はすべて浪費癖がある。だから、彼女らが自分で稼いだといった珍し
い場合は例外として、すべて手もとにある財産は彼女たちの愚かさから守る必要がある。だからこそわ
たしは、女というものは完全に成年に達することなく、いつでも男の監督を受けるべきだという意見
である。現にインドではそうなのだが、その男は父でも夫でも息子でも、あるいはまた国家でもいいの
だ。したがって女は自分で稼いだものでないような財産については、絶対に自分の一存で処理しては
ならぬという考えをわたしはもっている。父親がその子供たちに残した財産の管理役・後見役に母親を
あてるようなことは、わたしはゆるすべからざる破滅的愚行とみなすものだ。父親が子供たちのことを
考えて一生営々と働いて稼いだものを、たいがいの場合、母はその情人といっしょになって使いはたし
てしまうであろう。その情人と結婚してもしなくても、同じことだ。こういう警告はすでにホメロス爺
さんも発していることである。

234 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:13:19.94 ID:VppAoSpi.net
  女心とはどんなものかそなたにはわかっている。
  自分をめとったその人の家を富ませたがり、
  まえの子供や愛する夫のことは、
  死ねばもう思わず、尋ねもしない。
                    (『オデュッセイア』一五の二〇)

ほんとうの生みの母親であるのに、夫が死んでしまうと継母根性になるひとがよくある。「継父のよう
な」という言葉は絶対に使われないが、「継母のような」という言葉があるように、愛情のない継母は
昔から評判がわるいのだ。しかしヘロドトス(四の一五四)の時代には、母親にも信用があって、掛け
で取引ができたものだ。いずれにしても、女はつねに後見を必要とし、自分が後見役になることは絶対
ゆるせない。一般に夫を愛していなかったような女性は、その子供をも愛さなくなるものだ。つまりた
んに本能的な、精神的に自分のものでないような母性愛の時が過ぎてしまうと、そういうことになるの
だ。――さらに、裁判に対しては、女の証言は、それ以外の状況が同じ場合には、男の証言ほど重んず
べきでなく、たとえば男の証言が二つもあれば、女の証言の三ないし四ぐらいに当たるという意見をわ
たしはもっている。というのは、わたしの見るところでは、女は、ひっくるめて言うと、毎日、男の三
倍ぐらいの嘘をつき、しかもそれが男の場合にはどうしてもうまくゆかないのに、いかにも正直な真実ら
しい趣を呈するからである。回教徒はわたしとはまた違った側で極端だ。教養のある若いトルコ人がい
つかわたしにこう言ったことがある。「わたしたちは女を精子をまく土壌とみています。だから女がど
ういう宗教をもとうと、かまわないのです。わたしたちはキリスト教徒の女のひとと結婚できますし、
しかもべつに改宗を求めることはいたしません」と。回教の托鉢僧も結婚するのか、とわたしが尋ねる
と、彼は答えた。「もちろんですよ。だって預言者マホメットも結婚したじゃありませんか。連中がマ
ホメット以上に神聖になろうなどと望むことは、ゆるされませんよ」と。――

235 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:13:48.92 ID:VppAoSpi.net
 日曜日なんかなくして、そのかわりに毎日の休息の時間をそれだけふやしたほうが、いいのではある
まいか。日曜日の、寝ている八時間を除いた十六時間は退屈で危険なものだが、せめてそのうちの十二
時間だけでも週の毎日に分けることにすれば、ありがたいことだろう! 宗教的な礼拝には、月曜日の
二時間だけでもたくさんで、それ以上の時間がささげられることはほとんどなく、敬虔な瞑想にふける
時間はさらに少ない。古代人は週末の休みなんか知らなかった。もちろん、こうして得られた毎日二時
間の閑暇を人びとにほんとうにもたせて、ほかのことにふりむけないようにするのは、至難のわざでは
あるだろうけれども。


      第一三二節

 永遠のユダヤ人アハルフェルスは、ユダヤ民族全体の人格化にほかならない。彼は救世主・世界の救
済者に対してひどい仕打ちをしたため、この地上の生活とその重荷から絶対に解放されず、ふるさとも
なく異郷でさすらうことになったのだ。じっさいこの小さなユダヤ民族が、まことにふしぎなことに
も、その住まいを追われてやがて二千年、依然として存続し、ふるさともなくさまよっていることは、
彼らのあやまちであり運命である。ところで一方、この片隅の民族など、それにくらべれば名をあげる
にも値しないようなじつに栄光にみちた偉大な民族の多くは、すなわちアッシリア人・メディア人・ペ
ルシア人・フェニキア人・エジプト人・エトルリア人などは永遠の眠りにはいって完全に消え去ったの
だ。こうして今日なおこの土地なき民、諸民族のうちで国もなくエホバに嘉せられたこの民族は、どこ
をも家とすることなく、しかもどこをも異郷とすることなく、全地球上に見いだされるのであり、類例
をみない頑固さでその国民性を主張し、それどころか、カナンの地に異邦人として住んでいたが、神が
彼に約束し給うたように、徐々にこの土地全体の主となった(創世記一七の八)アブラハムを忘れるこ
となく、――どこかにほんとうに腰をすえ根をはって、土地を得ようとしているのである。なぜなら土
地がない民族など、宙に浮いたボールのようなものだからだ。

236 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:14:15.67 ID:VppAoSpi.net
 ユダヤ民族は今日まで他の民族とその土地に寄生しているが、それにもかかわらず自国民に対する旺
盛な愛国心をもってこり、一人のユダヤ人はすべてのユダヤ人に代わり、すべての者がまた一人に相当
するといったきわめて頑固な団結で、天下にそれを示している。したがってこの祖国なき愛国心は、他
のどういう愛国心よりも熱狂的な働きをするのだ。ユダヤ人の祖国は他のユダヤ人すべてであり、それ
ゆえ彼はユダヤ人全体のために、「祭壇と炉辺とのために」、つまり彼らの宗教と祖国のために戦うの
であり、地上のどのような共同体もその団結において彼らにまさるものはない。このことから判明する
ことは、ある国家の政府あるいは行政にユダヤ人があずかることを容認しようなどということが、いか
に不条理かということだ。この場合、もともと彼らの国家と融合一致しているその宗教が主要な問題点
となるのではなくて、むしろ彼らを結びつけている靭帯、彼らがおたがいにそれによって仲間を見わけ
る集合地点と軍旗が問題なのだ。宗教が問題点でないことは、普通の背教者ならばほかの人たちの憎悪
と嫌悪を自分一身にかぶるのに、キリスト教に改宗して洗礼を受けたユダヤ人ではそういうことは絶対
になく、むしろ普通は、こちこちの正統派を除いて、改宗者も依然として昔どおりの友であり仲間であ
ることに変わりはなく、改宗者もほかの人たちを真の同国人として見ることをやめないということでも
わかるのである。それどころか、ユダヤ人が定時に祈祷をささげるには十人集まる必要があるのだが、
そういう祈りに一人欠けた場合でも、改宗したユダヤ人ならばその代理をつとめることがゆるされる
が、ほかのキリスト教徒は絶対に代行できないのだ。こうしたことは、ほかのすべての宗教的行事につ
いてもあてはまるのである。かりにキリスト教が凋落してなくなったと仮定すると、この事態はいっそ
うはっきりしてくるだろう。つまりそうなってもユダヤ人たちはユダヤ人どうしで集まり一致団結する
ことをやめないだろうからである。したがってユダヤ人をたんに宗教的なセクトと見ることは、きわめ
て皮相な誤った見方だ。

237 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:14:43.86 ID:VppAoSpi.net
 いわんやこの誤りを押しとおすために、ユダヤ教を、キリスト教会から借りて
きた言葉で「ユダヤ的宗門」などというのは、故意にひとを誤らせることをねらった根本的にまちがっ
た表現で、断じてゆるすべきではない。むしろ「ユダヤ国民」というのが当たっているのだ。ユダヤ人
には宗門などというものはない。一神論は彼らの国民性と国憲の一部なのであって、ユダヤ人には自明
のことなのだ。まちがいなくわかってもらいたいが、一神論とユダヤ国民とは、そのまま取りかえるこ
とのできる相関概念なのだ。――ユダヤ人の国民性につきものの周知の欠点はかずかずあるが、なかで
もいちばん顕著な欠点は「内気」という言葉で表現されるいっさいのものを奇妙に欠いているという
ことだ。もちろんこれは一種の欠如であるが、それでもおそらくなんらかの積極的特性よりも、世間
を渡ってゆくには助けになる欠如である。わたしが言いたいことは、こうしたかずかずの欠点は主とし
て彼らが受けた長期にわたる不当な弾圧のせいであり、恕すべき点はあるにしても、欠点でなくなるわ
けではないということだ。古くさい寓話・ごまかし・偏見を捨てて、洗礼を受けることによって、名誉
も利益ももたらさぬ(例外的には利益がある場合もあるが)彼らの仲間社会から脱出する理性あるユダ
ヤ人を、わたしはだんぜん賞讃せざるをえない。その場合、キリスト教的信仰に対して非常にまじめで
なくてもかまわぬのだ。だって、若いキリスト教徒が堅信礼のさいに「わたしは信じます」で始まる信
仰箇条をのべるとき、だれも彼もが大まじめとはかぎらないではないか。しかしユダヤ人にこういう改
宗手続きをとらせることなく、この悲喜劇的な奇態な制度全体に世にもなごやかな行き方で引導をわた
す最良の方法は、ユダヤ教徒とキリスト教徒間の結婚をゆるすこと、それ以上に奨励することだ。この
ことに対しては、キリスト教会としては、使徒自身の権威の裏づけ(「コリント人への第一の手紙」第
七章一二〜一六)もあるから、なんら異議を唱えることはできないのである。こうして百年以上もたて
ば、ユダヤ人など影もうすくなって、やがては亡霊も完全に祓われ、アハスフェルスも埋葬されること
になって、選ばれた民自身が、どこにそういうものがいたか、わからなくなるだろう。

238 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:15:13.75 ID:VppAoSpi.net
しかしユダヤ人解放を極端に押しすすめて、彼らがキリスト教国の行政にあずかるようになれば、この願わ
しい結果も水泡に帰することになろう。なぜなら、そうなれば彼らはいよいよ「愛着をもって」ユダヤ人で
ありつづけるであろうからだ。彼らが他の人びとと同様、同じ市民権をもつべきことは、正義を求めるとこ
ろである。しかし彼らに国政に参与することを容認するのは、馬鹿げている。彼らはいつまでたっても異
質の東洋民族であり、したがってつねに定住した外国人とみなされねばならぬのだ。約二十五年まえ、イ
ギリスの議会でユダヤ人解放問題が論議された折り、ある代議士は次のような仮説的場合をあげた。あ
るイギリスのユダヤ人がリスボンへやってきて、二人の男がひどい窮境におちているのに出会った。し
かし彼には二人のうち一人しか助ける力があたえられていないとする。個人的にはふたりとも彼には縁
のない者とする。しかしひとりはイギリス人でキリスト教徒であり、もうひとりの男はポルトガル人で
ユダヤ人であったとする。どちらを彼は助けるだろうか、というのである。――どういう答えが出る
か、分別に富むキリスト教徒でも、正直なユダヤ人でも、だれひとりとして疑うことはあるまいとわた
しは思う。しかしこの答えこそ、ユダヤ人にどういう権利を認めていいかの尺度をあたえるものだ。


    第一三三節

 どのような事件でも、宗教が直接また顕著に、実践的・物質的生活に食いこんでくることは、誓いの
場合にまさるものはない。宣誓によって、甲の生命および財産が、乙の形而上学的信念によって左右さ
れるようになるのは、まことに始末のわるいことだ。将来いつか、そういう心配がないわけではない
が、宗教という宗教がすべて凋落して、あらゆる信仰がなくなったとしたら、誓いはいったいどうなる
だろうか。――

239 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:15:38.80 ID:VppAoSpi.net
 したがって、誓いというものに、純道徳的な、あらゆる既成宗教とは無関係な、しかも
明確に概念化できるような意味があるかどうかも研究してみることは、おそらく骨折りがいのあること
だろう。たとえそういう意味が、宗教的誓いの華麗で力強いのにひきくらべ、いくらか貧弱で無味乾燥
であろうとも、これこそ純金でできた神聖このうえないものとして、例の世界的教会炎上をも切りぬ
けうるものであろう。

 誓いの明白な目的は、たんに道徳的な方法では人間があまりにしばしば嘘をつくところから、真実を
申し述べますと、宣誓者自身が認めているその道徳的義務を、ここに加わってきた、ある並々ならぬも
のを考慮にいれることで、高めると同時に、いきいきと自覚させることによって、嘘をつくことを防止
することにある。わたしはここでわたしの倫理学に従って、いま述べた例の義務を強調することが純道
徳的な、あらゆる超越と神話的要素にかかわらない意味をもつことを明確にしようと思うのである。

 わたしはわたしの主著・正編・第六二節三八四頁(第三版四〇一頁)で、さらに詳細には『道徳の基
礎について』の懸賞応募論文、第一七節二二一頁より二三〇頁(第二版二一六頁より二二六頁)で、あ
る場合には人間に嘘をつく権利があるという、あの逆説的ではあるが真実な命題をうちたて、徹底的な
説明と論証によって、これを基礎づけたのであった。嘘をついていい第一の場合は、正当防衛と同じよ
うに他人に暴力をふるっても文句を言われないときであり、第二の場合というのは、みだりに質問をう
けて、その返答をことわっても、また正直に返事をしても、いずれも自分の不利を招くような場合で
あった。以上のような場合には、嘘をつく権利が議論の余地なく発生する。

240 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:16:08.08 ID:VppAoSpi.net
それゆえ、重要な事件の決定がその人の申し立ていかんで左右される場合、あるいはその約束を履行することが
重要な意味をもつ場合には、本人が正当防衛はこの場合存在しないことを承認すること、すなわち他から暴力を
加えられたり暴力でおびやかされることなく、正義が行なわれるということを洞察し心得ていること、同様に自
分に差しだされた質問がたしかに然るべきものであることを承認すること、最後にまた、この質問にかんする自
分の現在の申し立てですべてが左右されることを知っているということをまず力強く厳粛に宣言する必要がある。
この宣言は、そういう事情で嘘をつく場合には、はっきり自覚したうえで、不正を犯すことになるということを
含んでいる。なぜならその人が正直であると信頼されたうえで、正・不正いずれの場合にも使えるような完全な
権力を渡された人として宣誓者は立つからである。そうなってもまだ嘘をつけば、自由な権力を持っている場合
には、冷静に熟考したうえでも、その権力を不正なことに使うような仲間のひとりになるという明確な自覚を本
人はもっているわけである。偽誓はその当人に自分自身についてこういう人物証明書をあたえることになるのだ。
ここにさらに次の事態が結びつく。どのような人もなんらかの形而上学的欲求をもたないわけにはいかないから、
たとえはっきりしなくても、だれでもいだいている確信がある。それは、この世はたんに形而下的意味をもつば
かりでなく、同時に形而上学的意味をもつということだ。したがってわれわれの個人的行動はたんにその道徳
性による結果をもつばかりでなく、経験的世界において他に及ぼす結果以上に、はるかに重要な、ぜん
ぜん別種の結果をもつのであり、したがって真に超越的な意味をもつということである。この点にか
んしては『道徳の基礎について』のわたしの懸賞応募論文の第二一節を指示するにとどめ、ただひとこ
と、自分の行為に対して経験界に限られる意味以上になんらの意味はないという人は、こういう主張自
体にかならず内的矛盾を感じ、自分に強制を加えざるをえない羽目になるだろう、ということを付言す
るにとどめる。

241 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:16:33.76 ID:VppAoSpi.net
 さて、誓いの要請によってわれわれは、はっきり次の立場に立たされる。つまり自分が、
右に述べたような意味で道徳的存在であり、そういう性質のうえで自分のあたえる決定が自分自身に
とって非常に重要なものだということを自覚せざるえないということだ。誓いを立てたいまは、それ
以外のあらゆる顧慮は完全に姿を消すまでに委縮せざるをえないのである。――このようにしてかきた
てられた確信が、われわれの存在には形而上学的であると同時に道徳的な意味があるということを、た
だぼんやり感じとっただけにしても、あるいはまたそれがいろいろな神話や寓話の衣裳をつけていて、
そのためにいきいきしていようと、あるいは明晰な哲学的思惟になっていようと、この場合には非本質
的なことである。以上のことから帰結することは、誓いの形式があれやこれやの神話学的関係を言いあ
らわすにしろ、あるいはまたフランスで行われているように「わたしいはそれを誓います」という完全
に抽象的なものであろうと、本質的には問題にならぬということだ。誓いの型は、宣誓者当人の知的教
養の程度に従って選ばれねばなるまい。現にそれはその人その人の既成宗教的信仰によって、違った型
が選ばれているのである。問題をこのように見れば、宗教を信じない人でも、宣誓の場に立つことが許
されてよいわけになろう。

242 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:17:02.90 ID:VppAoSpi.net
 性の名誉については、もっときめのこまかい観察が必要であり、この名誉の原則を根本までさかの
ぼってしらべてみる必要があるように思われる。そうすると、もともとすべての名誉は、役に立つかど
うかという考慮に最終的には依存していることが確かめられる。

 性の名誉は、その性質にしたがい、女の名誉と男の名誉に分けられる。そしてこれらは、男女両性の
側から自明の理とされる「団体精神」である。前者は後者よりもはるかに重要である。それは女性の
生活にあっては性関係が眼目だからである。――女の名誉について一般には、娘はいかなる男にも身を
まかせないこと、妻はおのれのつれあいだけに献身することにあると考えられている。この見解の重要
性は次の点にある。女性は男性からすべてを、すなわち、女性が欲し使用するものすべてを求め、期待
している。いっぽう男性は女性から、まず、直接的にただ一つのことを求めている。したがって、男性
は女性からこの一つのことを獲得できるかわりに、すべてに対する配慮を、とりわけ女性との結婚から
生まれでてくる子供たちの面倒をみることをひきうけるような仕組みがつくられなければならない。こ
の仕組みに全女性の幸福が依存している。この仕組みを確立するために全女性はかならず結束し、「団
体精神」を証明しなければならない。だが一団となって結束した女性は、もともと心身ともに力でま
さっているためこの世の財貨のすべてをわがものとしている男性を、共通の敵として打ちやぶり征服し
なくてはならぬ。そして、男性の所有物をわがものとすることによって、この世の財貨のすべてを手に
入れなくてはならない。この目的のため、結婚する以外に男に身をまかせてはならないというのが、す
べての女性にとっての名誉の格率である。こうして女性はだれでも一種の降服である結婚を強いられる
ことになるが、このしきたりによって全女性は扶養を受けることになる。だがこの目的は例の格率をき
びしくまもることによってだけ完全に達せられる。そこで全女性は真の団体精神に燃えて、同性の者す
べてがこの格率を遵守するよう監視する。

243 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:17:28.78 ID:VppAoSpi.net
そうした事情から、婚外交渉をして全女性に裏切り行為をし
た娘は、もしこうした行為が一般化すると全女性の安寧はそこなわれるという理由から、全女性から排
斥され汚名をかぶせられる。こんな娘は名誉を失ったのだとされる。この娘はどの女性も交際するこ
とは許されない。彼女はまるでペスト患者のように避けられる。同じ運命は姦通した女にもふりかか
る。それはこうした女が、夫に対し行なった降服条件を守らず、こうした例を示すことによって男性
を結婚から尻込みさせるようになるからである。なんといっても結婚に全女性の安寧が依存しているの
だ。だから姦通した女はそのうえ、誓いの言葉を破り、行動をつうじて人をあざむいたために性の名誉ば
かりか、市民の名誉も失う。こうしたことから、かんべんしてやるという意味あいを含めて、「転落し
た娘」という表現が用いられるけれども「転落した妻」とはいわれない。誘惑者は、「転落した娘」の
名誉を結婚をつうじて回復させることはできる。だが姦通した男は、たとい相手の女が離婚したあとで
結婚しても、女の名誉をもとに戻すわけにはいかない。――こうしたいきさつをよく頭に入れ、たしか
に有益なばかりか必要な、それでいてじゅうぶんに計算ずみの、利害にもとくく「団体精神」を女性の
名誉の基礎として認めるならば、女性の生存にとって最も重要であり、絶対的とはいえないまでも相
対的に生とその目的をしのぐほど強力であり、生そのものと引きかえにされるほどの価値を、この団
体精神に与えることになるだろう。こうしたことからすれば、あまりにもはりつめ、悲劇的茶番にまで
変質してしまったルクレティアやウィルギニウスの行為を賞讃することはできないだろう。じつにこう
した点からしても、エミリア・ガロッティの結末はあまりにも不快なものであり、観客はすっかり沈黙
したまま劇場を去ることになる。これに反し、性の名誉が何をいおうと、『エグモント』のクレールヘ
ンには同情せざるをえない。女の名誉原則もあまりにも極端に走ると、他の多くの原則同様、手段のた
めに目的を忘れることになる。

244 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:17:53.87 ID:VppAoSpi.net
それというのは、本来ならば性の名誉は、他のすべての名誉より以上
に、たんに相対的な価値をそなえているだけにもかかわらず、あまりにも過大に考えられるために、絶
対的価値ありとされるようになるからである。いや、そればかりではない。トマジウスの『畜妾論』を
ひもとけば、性の名誉などは単なる慣習的なものだということができよう。『畜妾論』によれば、マル
ティン・ルターの宗教改革まではほとんどいつの時代でもいかなる国でも畜妾は法律的に許され、容認
された制度であり、おめかけさんもそれなりの名誉をもっていた。このさいバビロンのミリッタ(ヘロ
ドトス、一の一九九)のことまで言及する必要はあるまい。もちろん、とくに離婚が行なわれないカト
リックの国々では、結婚という外的形式を不可能とする市民の制度が存在する。だがわたしの考えによ
ると、いやしくも支配する君主たるものは身分の低い家柄の娘と結婚するよりは、側室をおいたほう
がはるかに道徳的に行動することになる。いちど娘を王侯の奥方にまつりあげた家からは、時代が移っ
て王侯の嫡流の子孫が死に絶えたとき、王位継承権を主張する者が現われる。そのため、たしかにきわ
めて遠い因縁にはちがいないけれども、こうした身分違いの結婚から内乱が起こる可能性もある。それ
にもともと身分違いの結婚、すなわち、すべての外的な事情にもかかわらずこれを無視して結ばれた結
婚は、もとを正せば、できるだけ譲ることのないよう配慮すべき二つの階層である女と僧侶に大きな譲
歩をすることになる。さらにどの国でも、男はだれでも好みの女と結婚できるにもかかわらず、一人だ
けはこうした自然の権利を奪われている。その一人とは、哀れな君主であるということを考えに入れて
おく必要がある。君主の手は国に属しており、その手には、国家理性つまり国の福祉にあうかどうかに
よって妻が与えられるのだ。だがそうはいっても君主も人間であり、いつかはおのれの心の好みに応じ
て生きたいと思う。こうしたことからも、君主が愛妾をかかえるのを拒んだり、畜妾を非難するのは不
公平であり、君主に報いる道でもなく、さらにあまりにも偏狭な態度である。

245 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:18:00.54 ID:ZSFhwWGr.net
幸ちゃんしゃべりすぎ!

246 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:18:24.07 ID:VppAoSpi.net
もっともその場合、愛妾が政治に嘴を入れないということが前提となっていることはいうまでもない。
いっぽうこうした側室たちは、性の名誉については例外的な存在であり、一般的法則から除外されている。
なぜなら彼女たちは、自分たちとしても愛しているし相手からも愛されてはいるものの、けっして相手に
結婚してもらうことはできない男だけに身をささげているからである。――だが一般的に、女の名誉原則
がけっして純粋な自然な源から出たものではないことは、この原則がもたらした数多くの血なまぐさい
犠牲――嬰児殺しや母親の自殺――が証明している。それはともかくとして、法に即さずに身をささげた
娘は、同性全体に対し背信したことになる。ただしこの場合の貞節は、ただ暗黙のものであって、決して
口に出して誓われたわけではない。そしてふつうの場合、問題の娘の利益は最も直接に被害を受けること
になるのだが、それも、彼女が悪いというよりは、彼女があまりにも愚かだったからである。

 男性の性の名誉は女性の性の名誉から派生するのだが、女のそれとはまったく対立した「団体精神」
に依存している。この団体精神は、相手がたにとって有利な降服条件、つまり結婚生活にはいった者は
だれしも妻が結婚の掟を厳守するよう監視することを求めている。それは結婚の掟がなおざりにされ裂
け目が生じてくるうちに、いつのまにかいかげんな結びつきに変化し、男たちがそのすべてを犠牲に
することにより代償として受けとるもの、すなわち妻を独占することすらあぶなくなるようなことが起
きないためである。したがって男の名誉は、妻の不貞を罰すること、すくなくとも離婚によって妻をこ
らしめることを求めている。妻の不貞を知りながらそれをこらえている夫は、仲間の男たちから誹謗さ
れる。そうはいってもこうした男の恥は、性の名誉を失った女がこうむるほど根の深いものではなく、
むしろ「あまり意味のない汚点」にすぎない。なぜなら男というものは、性的な事柄よりも他のもっと
多くのたいせつな事柄にかかわずらっており、性的な事柄は第二義的なものだからである。近世の二人
の偉大な詩人が、ともに二度にわたって男の性の名誉のテーマをとりあげた。
すなわちシェークスピアが『オセロ』と『冬物語』で、カルデロンが『おのれの名誉の医師』と『秘められた
恥辱には、秘めら れた復讐を』を書いている。それはそれとしてこの名誉は、女を罰することだけを求めており、
単なる 「余分の行為」をしただけの間男の処罰を求めていない。このことからも、この男の名誉の源は男の
「団体精神」であるという仮説の正しさが証明される。――

247 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:18:53.50 ID:VppAoSpi.net
 日本を訪れた次のアメリカ船乗組員の発言は、彼が人類はすべて純粋のユダヤ人からなる
にちがいないと割りきっている単純さのために、なかなか愉快である。一八五四年十月十八日付の
「タイムズ」紙は、バー船長が乗るアメリカ船が江戸湾に着いたところ日本人から歓迎されたことを
伝えたあと、最後に次のように述べている。

 「彼も日本人が神の存在を否定し、礼拝の対象として都にいる精神的皇帝あるいは他の日本人を選
んでいることを理由に、日本人は無神論の国民であると主張する。彼は通訳から、以前には日本人の
宗教は中国の宗教と類似していたが、最高存在に対する信仰は最近まったく消滅した。自分は神を信
じていると《アメリカ化した日本人》が宣言するのをきいて、彼らは衝撃を受けていると聞かされた、云々。

248 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:21:21.95 ID:W821w20h.net
幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAPは「ショーペンハウエルのコピペする俺頭いい」と本気で思っているバカ。
議論で形勢が悪い時もコピペをして精神の安定を求める傾向がある。

249 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:21:37.05 ID:VppAoSpi.net
>>245
コピペが終わったので幸ちゃんは寝るよ、

250 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:22:53.22 ID:VppAoSpi.net
>>248
幸ちゃんは君主制のメリットを述べるためにコピペをしたんだよ。
無論この君主制は「父親から性格が遺伝する」という大前提あってのものだ。

251 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:24:33.91 ID:W821w20h.net
>>250
シヨーペンハウエルの論はナポレオン戦争という時代背景があることをお前自身が無視というか理解できないで何を述べてるの?w
だから「ショーペンハウエルのコピペする俺頭いい」と本気で思っているバカなんだよw

252 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:26:43.93 ID:ZSFhwWGr.net
幸ちゃんが寝た!

253 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:28:20.57 ID:VppAoSpi.net
>>251
パレルガ・ウント・パラメポーリナの出版は1848年で、ドイツ革命の年だよ。
ナポレオンの時代から半世紀経っている。この年にはカール=マルクスとエンゲルスが
「共産党宣言」を出版している。まあ現代のナポレオンはオバマだけどな。

254 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:33:31.40 ID:ZSFhwWGr.net
幸ちゃん寝てなかったー!

255 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:35:52.46 ID:ZSFhwWGr.net
若い頃、立派そうな本をたくさん読もうと試みたがショーペンハウエルは
あえて避けた。

ションベンハウエルみたいで名前がかっこ悪かったから。
マルクスとかエンゲルスとかは当時すでに負け組だった。勝ち組はドラッカー。

ハイデッガーとかキェルケゴールとかヤスパースとか、名前がかっこいい人の本読んだ。

256 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:35:59.68 ID:VppAoSpi.net
寝る前にもう一度言っておくが、明仁はアメリカの操り人形だよ。乃木将軍に
教育勅語を叩き込まれた裕仁天皇とは違う。そしてその結果が平成日本の没落だ。
戦後の日本の経済成長が裕仁天皇のお蔭なら、バブル崩壊後の「失われた20年」も
明仁天皇のせいだろう。アメリカは長い時間を掛けて日本を滅ぼそうとしている。
日本がキリスト教を受け入れなかったからだ。表面上はキリスト教に改宗した
韓国を宗教国家アメリカが庇護して日本を叩くのは宗教上の理由だ。

257 :幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:37:23.64 ID:VppAoSpi.net
>>255
トーマス=ホッブスの「リヴァイアサン」は岩波から出ているぞ。トマジウスの「畜妾論」は邦訳がない。

258 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:38:29.89 ID:QeD3w27q.net
身体には気をつけてください

259 :Ikh ◆tiandrU0uo @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:39:04.85 ID:bAuP87gV.net
天皇陛下はホセ・リサールの記念碑に献花されるのか。 ホセ・リサールといえば、フィリピン独立の
英雄として知られていて、日本との縁も深いわけだねw 安重根のような実態はただのテロリストに過ぎない
インチキ英雄と違って、本物の英雄といえるね。 そのようなフィリピン独立の英雄に天皇陛下が献花する
というのは、日比関係の総体的歴史を想起するうえで有益といえるねw

260 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:39:15.00 ID:ZSFhwWGr.net
>>257
ホッブスは読んでみたい。

あと若い頃シュンペーターと組織論のチェスターバーナードを読んだ。

結局、バーナードが一番すごいと思った。

261 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:49:30.43 ID:jMHJa//+.net
>>253
ショーペンハウエルが生まれたのはナポレオンの時代だぞ。
彼が影響を受けたのはナポレオンだろ。
ドイツ革命の年の出版?
ドイツ革命だけで君主論を語ったのか?

262 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:55:22.46 ID:ZSFhwWGr.net
第二次大戦後の初のフィリピン大統領マニュエル・ロハスって人がいる。

この人に対して、戦時中フィリピン占領軍たる日本軍の指導に来た参謀本部の
辻ーンが勝手に反日テロリストとして処刑命令を出した。本間中将と参謀本部の
承認を得た命令書になっていたが、命令を受けた日本陸軍将校がそれを疑問に
思い、本間司令部に確認したところそのような命令が出ていないことを確認。
そこで彼はロハス氏を保護した。結果、ロハス氏は戦争を生き延び、戦後フィリピン
大統領になる。で、その日本陸軍将校、終戦時は転勤で中国大陸にいてBC級戦犯に
なっていたが、それを知ったロハス氏が急遽中華民国総統蒋介石に電話と手紙で
連絡し、当該日本軍将校は戦争犯罪を犯すような人間ではないから釈放すべきと
進言。蒋介石はこれをうけて当該将校を釈放した。

伊藤圭一の本に出てた。

263 :Ikh ◆tiandrU0uo @\(^o^)/:2016/01/28(木) 02:59:11.19 ID:bAuP87gV.net
まあ朝鮮というのは贋物の英雄しかいない虚偽にまみれた国といえるねw

264 :262@\(^o^)/:2016/01/28(木) 03:02:46.60 ID:ZSFhwWGr.net
>>262
なんか変だと思って確認したら、、、

伊藤桂一だった。伊藤圭一じゃない。失礼。

265 :Ikh ◆tiandrU0uo @\(^o^)/:2016/01/28(木) 03:17:47.38 ID:bAuP87gV.net
フィリピン独立の英雄に天皇陛下が献花することで、日本とフィリピンの独立をめぐる諸事件が
想起され、日本によるアジア解放の歴史もまた自然と想起されるわけであるねw 献花は言葉よりも
多くを語るわけだねw

266 :風老児 ◆ZPG/GcTAlw @\(^o^)/:2016/01/28(木) 03:18:48.82 ID:PEeIpr8j.net
>>262 失礼

神保信彦中佐(士33・山形)
ダバオの司令部

国民党裁判・済南法廷

267 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/01/28(木) 03:20:54.86 ID:ZSFhwWGr.net
>>266
ああこの人!神保中佐!さんくす!

268 :風老児 ◆ZPG/GcTAlw @\(^o^)/:2016/01/28(木) 03:26:29.60 ID:PEeIpr8j.net
>>267

「昭和の戦争記念館」第4巻に詳細あり
フィリピン関係では、他にも立派な軍人がいる…「望月重信中尉」

伊藤桂一さんの著書はいいねえ
あの人の感性はすばらしい!!!

269 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/01/28(木) 03:30:52.69 ID:ZSFhwWGr.net
>>268

望月重信中尉、関連本探してみます。ありがとう!

伊藤桂一さんの本、いいですよね。

270 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/01/28(木) 10:49:34.22 ID:pikbsv3W.net
ご高齢なのに痛々しい。
皇后陛下の気高さ、きょらかさには胸を打たれる。
私たちは皇室に頭の良さ、語学に堪能なことなど求めていない。
他者をして侵さざる気品と気高さ清らかさ真摯さだ。
皇太子にはぜひ反省してほしい。

271 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/01/28(木) 10:51:08.18 ID:Fk3uSaun.net
>>256
幸ちゃんはちょっと脱線し過ぎて自重してほしいけど
あなたの言ってることもわかるよ。
日本も保守や親米派を装おってる売国奴が増えてしまったからね
あなたみたいな意見をいう人も必要だと思う。

272 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/01/28(木) 11:16:26.70 ID:g5OxTpw0.net
幸changが今上陛下に並々ならぬ執着心を持ってるのはよくわかった
クソスレだけどな

273 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/01/28(木) 13:39:25.23 ID:z6qIWvCg.net
やはりフィリピンの態度が現代の国においては正しい姿だと再認識したよ
立派な態度で歓迎も暖かい
戦後中国や韓国にはフィリピン以上に謝罪や賠償や援助をしたのに今だに陛下に土下座しろだのと国のトップが発言してはばからないところからもわかる
あの2国が集りの893国家だってことがな

274 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/01/28(木) 17:44:36.99 ID:EemI5qGr.net
>>273
腐れ儒教の上下関係で説明付くけど 本質は強い者には言わず弱くなったら言う 中も韓もアメリカに文句言う時は相当気を使った言い方する
対等な人間としての尊厳とかの価値観は無い

275 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/01/28(木) 19:53:11.70 ID:lE6Z1a3P.net
習近平の海外資産は3億7600万ドル 姉夫婦はカナダ国籍 
娘の習明澤 米国国籍でハーバード大通ってたのに親父に戻されて中国帰国中
香港資産と特定企業資産は5560万ドル也江沢民と江錦恒親子が上海で米ワーナーと
自分の華人文化産業投資基金が提携した時に200億元着服
江沢民の孫の江志成はアメリカ国籍で海外資産が15億ドル
曽慶紅の息子の曽偉はオーストラリア国籍 
28億円相当のオーストラリアの豪邸で贅沢三昧 
賈慶林の孫の李紫丹はアメリカ国籍で現地名がJasmine Li 
胡錦濤の子供の胡海峰は精華控股有限公司社長で資産126億元 1320万ドルの海外資産  
温家宝一族 本人の海外資産が1億2000万ドル 
弟の温家宏の海外資産2億ドル 息子の温云松の香港資産が1億ドル
楊潔チの孫の楊家楽は米国国籍

276 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/01/30(土) 09:45:40.23 ID:T0RWvk0M.net
>>53
ホラ吹くな朝鮮人

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