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【慰安婦】朝日の若手記者もガックリ…慰安婦誤報・植村隆氏が訴訟会見で見せた“論理のすり替え”[5/18]

689 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/05/18(水) 20:44:16.04 ID:Fw7/ZDfO.net
さがしてみた。

思い出すと今も涙

元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀思い口開く

【ソウル10日=植村隆】 日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺(てい)身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、
一人がソウル市内に生存していることがわかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、十六団体約三十万人)が聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、
女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、
戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。

韓国の団体聞き取り

尹代表らによると、この女性は68歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。最近になって、知人から「体験をつたえるべきだ」と勧められ、「対策協議会」を訪れた。
メンバーが効き始めると、しばらく泣いた後で話し始めたという。

女性の話によると、中国東北部で生まれ、17歳の時、だまされて慰安婦にされた。二、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。
五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は、「春子」(仮名)と日本名をつけられた。一歳年上の女性が日本語を話しし、将校の相手をしていた。
残りの四人が一般の兵士二、三百人を受け持ち、毎日、三、四人の相手をさせられたという。

「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手がこないように思い続けた」という。また秋に一回は軍医の検診があった。数ヶ月働かせられたが、にげることができ、
戦後になってソウルに戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている。

女性は「何とか忘れて過ごしたいが忘れられない。あの時のことを考えると腹がたって涙が止まらない」と訴えている。

朝鮮人慰安婦は五万人とも八万人ともいわれるが、実態は明らかでない。尹代表らは「この体験は彼女だけのものではなく、あの時代の韓国女性の痛みなのです」と話す。
9月からは事務所なかに、挺身隊犠牲者申告電話を設置する。

昨年十月には三十六の女性団体が、挺身隊問題に関して海部首相に公開書簡を出すなど、韓国内でも関心が高まり、十一月に「同協議会」が結成された。十日には、
「韓国放送公社」(KBS)の討論番組でも、挺身隊問題が特集された。

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