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【話題】関東大震災で朝鮮人6600人虐殺したのに謝罪も補償も真相究明もしない日本

492 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2016/09/07(水) 19:10:23.88 ID:ivQIobAi.net
実は、関東大震災においては、震災そのもの、あるいは震災時の建物倒壊や火災よって亡くなったり
行方不明になった人は、やはり、1万名程度であったろうといわれているのです。
つまり、14万人の死者・行方不明者のうち、なんと13万人が、震災そのものではなく、
別な理由でお亡くなりになっているのです。では、その理由とは何でしょう。

答えは「放火」です。

関東大震災は、なるほどお昼どきに起こりました。そのため、あちこちのご家庭の炊事の時間が直撃されました。
当時は電機炊飯ジャーなんてありませんから、食事の仕度も毎回かまどで火を焚いていす。
ですが、それによって起きた火災は確認されいます。たったの136件なのです。

もちろん、当時能登半島付近にいた台風の余波による強風はありました。
そのため失火した火が、折からの強風にあおられて、火災旋風を引き起こしながらいっきに広がったとされています。
しかし震災直後の火災は、ほとんどが失火と同時に消火されているのです。震災によって家屋が倒壊したり、
あるいは焼けだされた人たちは、指定避難所に退避していました。そこは土地が広てく、
安全な場所だったからです。ところがそうした避難所が、地震の翌日になって、地震の翌日になって
火災のために丸焼けにされているのです。たとえば、東京の本所区横網町
現在の墨田区内)にあった本所区被服廠は、2万430坪もある広大な敷地内に4万人近い人が
避難していました。ところがその避難所を火炎柱が襲い、ここだけで3万8千人も亡くなっているのです。
集まっていたのは、もちろん地震による家屋倒壊や火災によって避難を余儀なくされた人達です。
安全だから、被服廠にいたのです。そこを震災後まもなく消し止めたたはずの火災が襲ったのです。
それだけではありません。なんと爆弾を使った建物破壊や放火までありました。
誰がそんな不埒なことをしたのでしょうか。そこで当時の新聞を見てみます。

「朝鮮人、隊をなして石油・爆弾使い放火」
(小樽新聞 大正12年9月3日号外第一)

「朝鮮人、各所暴動検束数千名」
(小樽新聞 大正12年9月3日号外第三)

「朝鮮人、横浜〜王子放火」
(大阪朝日新聞 大正12年9月3日号外)

「朝鮮人、爆弾・放火・王子横浜で軍隊と衝突」
(荘内新報 大正12年9月3日号外第十八報)

「朝鮮人、屋根から屋根へ放火 婦人凌辱 略奪」
(新愛知 大正12年9月4日号外)

「朝鮮人浦和高崎に放火検挙 爆弾所持し唯氷峠列車爆破自白」
(名古屋新聞 大正12年9月4日号外第二)

「朝鮮人、殺人虐殺凶悪ぶり 進行中の列車に爆弾投げつける」
(福岡日日新聞 大正12年9月4日号外)

「朝鮮人、爆弾・掠奪・鮮人・銃殺」
(小樽新聞 大正12年9月4日号外第一)

「朝鮮人捕縛 爆弾其の他押収。軍隊が治安維持に出動したため、不逞鮮人は爆弾を携帯しながら各地方へ退散、鎮圧鎮静化へ」
(九州日報 大正12年9月4日号外第三)

「朝鮮人暴挙は完全取締を遂行」
(大阪毎日新聞 大正12年9月4日号外第二)

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