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【週刊現代 】青島の海軍博物館で中国の「内なる戦い」に思いを馳せる[9/13]
- 1 :ダース・シコリアン卿 ★@\(^o^)/:2016/09/13(火) 11:18:31.38 ID:CAP_USER.net
- 現代ビジネス 近藤大介の青島レポート(『週刊現代』編集次長)
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■国家AAA級指定の観光地
翌朝、ギラギラする陽光を浴びながら、海岸に沿って歩いてみた。中国では、港のある所には、必ず「天后宮」(ティエンホウゴン)がある。天后宮は船の守り神であり、古代から船乗りたちは天后宮で、航海の無事を天に祈願してから出港した。
青島の天后宮は、青島湾を見下ろす高台の上にあった。そこから海岸沿いに、さらに西側に下っていくと、海軍博物館があった。
湖南路の坂を上りきったところで、左折して中山路に出た。ここが、青島旧市街のメインストリートである。4車線の中山路の左右には、ショッピング街が広がっていたが、午後のショッピングの時間帯というのに、どの店も閑古鳥が鳴いていた。デパートもあったが、まるで開店休業状態で、静まりかえっている。
人通りのまばらな大通りを、「百度外売」(バイドゥの宅配サービス)のバイクだけが、元気よく駆け抜けていく。やはり青島は相当、不景気なようだ。
右手にカトリック聖堂を仰ぎ見ながら、天津路を再び青島駅の方へ下っていった。途中、ドイツ時代の2階建て洋館を改装したカフェを見かけたので、一息つこうと中へ入ってみたのだが、客はおろか店員すら見当たらない。おまけに店内の電気も消えている。入口のドアには「月曜日休業」と掲示してあり、今日は木曜日なのに、はてどういうわけだろう?
だが、こうしたことは差し置いても、青島駅東口の界隈は、いまだに百年前のドイツ人たちの息吹が伝わってくるようで、風情がある。上海や天津の旧租界地区ともまた違う情緒だ。
中国海軍は、黄海を防衛する北海艦隊、東シナ海を防衛する東海艦隊、そして南シナ海を防衛する南海艦隊を擁し、北海艦隊の本拠地が青島である。天安門事件が起こった1989年の国慶節(10月1日の建国記念日)に、この地に中国唯一の海軍博物館がオープンした。
海軍博物館は、国家AAA級に指定された観光地なので、外国人である私が訪れても問題はない。というわけで、「古代から現代に至るまで中国海軍のすべてを展示した博物館」というホームページの宣伝文句に惹かれて、35度の猛暑の中、わざわざやって来たのだ。
だが、あろうことか、博物館は7月15日から拡張工事のため閉館していた。そんなことなら、ホームページで知らせてくれればよいのにと、思わず係員の男性に文句を言ったら、彼は胸を張って反論してきた。
「しばらく前に、習近平主席が青島を視察し、仰った。『海軍博物館を大幅に拡張し、わが海軍の勇姿を国民に示すのだ』と。そこで『五四運動100周年』に間に合わせるべく、工事を始めたのだ」
五四運動というのは、1919年5月4日に北京で発生し、その後、中国全土に広がった、有名な抗日運動である。第一次世界大戦後のパリ講和会議で、「日本がドイツから接収した山東半島の権益を認める」とベルサイユ条約に定められたため、これに反対する中国のインテリたちが起ち上がったのだ。
つづく(長いです)
- 2 :ダース・シコリアン卿 ★@\(^o^)/:2016/09/13(火) 11:24:36.93 ID:CAP_USER.net
- >>1
注)>甲板を前方に進むと、11門の砲身が付いた砲台があり、射程距離は15q〜80qだという。 原文ママ
実際は、 H/PJ-33A 100mm連装砲の連装を11門を誤記だと思われる。射程は80qもあるわけない。
=====================
青島は、山東半島を代表する港湾都市であり、後述するように、市庁舎近くの五四広場が町のシンボルとなっている。
それでも私がげんなりした表情でいると、係員は「屋外の展示はやってるから、半額の30元」と宥めるように言って、海の方を示して三つ指を立てた。そこで、言われるままに海沿いの細道を下っていった。
道の陸側にあたる右手には、海鮮料理のこじんまりしたレストランが並立していた。以前訪れたナポリの港町のようだ。道を下りきったところが、臨時の博物館入口になっていた。
戸外の展示物は、第二次世界大戦や戦後に活躍した戦車や爆撃機などだった。子供たちが遠慮なくそれらに乗って、親に写真を撮ってもらっていた。
左手の海側には、フリゲート艦『鷹潭』号が停泊していて、中を見学できるようになっていた。入口には、次のような看板が立っていた。
〈 鷹潭号は、わが国が開発した初代の053K型航空ミサイル護衛艦である。艦長103.5m、幅10.8m、最大排水量1755t、最大速度30ノット。1974年に服役し、1986年8月に中央軍事委員会によって『鷹潭』号と命名された。
1988年3月14日、『鷹潭』号は南沙諸島において、赤爪礁の海域で、自衛反撃戦に参戦した。他の艦艇と共同作戦を取り、敵艦1隻を沈め、数隻に打撃を与える戦功を得た。祖国の領海と主権の防衛に、多大なる貢献をしたのだ。
その後、1994年に引退した。これまでケ小平、江沢民、楊尚昆、劉華清らが参観している 〉
赤爪礁の戦いとは、日本では「スプラトリー諸島海戦」と呼ばれる、南シナ海における中国とベトナムとの衝突だ。この海戦に勝利した中国は、ジョンソン南礁(赤爪礁)を実効支配するに至った。
早速、灰色の鉄艦に乗船してみた。乗船口近くの後部には、ヘリコプターの発進装置がついていた。甲板を前方に進むと、11門の砲身が付いた砲台があり、射程距離は15q〜80qだという。
続いて、隣に停泊している『済南』号にも乗船してみた。艦長132m、幅12.8m、最大排水量3833t、最大速度38ノット。『鷹潭』号よりも一回り大きいミサイル駆逐艦だ。大連造船所で建造され、1971年の大晦日に海軍に編入された中国第一号のミサイル駆逐艦である。
『済南』号にも、1979年8月2日にケ小平が参観していて、「現代の戦闘能力を有した強大な海軍を建立するのだ」と訓示したという。この前後、ケ小平は、改革開放政策を始めたり、アメリカとの国交正常化を果たしたりと多忙を極めたが、海軍にも視察に出かけ、鼓舞していたのだ。
甲板の上では炎天下の中、砲台の影に立った二人の中年女性が、自分たちの子供が甲板を走り回っている姿を見やりながら、大学時代の軍事訓練の思い出話を語り合っていた。小銃訓練で何発命中したとか、匍匐前進訓練が辛かったとかいう話だ。
別の父親は、やはり砲台の前で小学生の息子の頭を撫でながら、「お前も大きくなったら、祖国の海洋大国への道に貢献するんだぞ」と諭していた。
中国は徴兵制は敷いていないが、大学生に一定の軍事訓練を課している。私は1995年に北京大学に留学したが、当時は北京大学に入学した男性学生は、まず軍の宿営地に押し込まれ、一年間の軍事訓練を課せられていた。二度と天安門事件のような学生運動を起こさないようにと、ケ小平の鶴の一声で決めたというが、事実上の徴兵制だった。
つづく
- 3 :ダース・シコリアン卿 ★@\(^o^)/:2016/09/13(火) 11:25:18.49 ID:CAP_USER.net
- >>2
■内と外、それぞれの戦い
軍艦の参観者たちの中に、お揃いの黄緑色のTシャツを着た高校生の一団がいた。そのエキゾチックな彫りの深い顔つきは、外国人のようだ。
Tシャツには、「青春魯新携手同行 山東新疆青少年手拉手夏営令」と書かれていた。「山東省と新疆ウイグル自治区の青春は手を携えて同行する 山東と新疆の青少年が手を繋いだサマーキャンプ」という意味だ。
彼らの姿を見て私が思い起こしたのは、王楽泉・前新疆ウイグル自治区党委書記(1944年〜)のコワモテの顔だった。
山東省の副省長だった王楽泉は、1991年に新疆ウイグル自治区に転身。1995年に新疆ウイグル自治区党委書記(自治区トップ)に就任し、2010年に離任するまで、15年にわたって「新疆王」と呼ばれた。王党委書記はウイグル族に対する厳しい政策で知られ、ウイグル自治区と自分の故郷である山東省との交流を推進した。だがウイグル族の一部は、「漢族によるウイグル民族同化&移住作戦だ」と反発した――。
いま眼前にいる若者たちは、王書記が進めた「交流政策」の今年の参加者たちに違いなかった。引率者の山東省の高校教師が、「あなたたちも、わが海洋大国の一員なのです!」とマイク越しにがなっていた。
そんなウイグル族の女子高生3人組が、団体から逸れて、1個3元のアイスキャンディーを買い求めていた。そこで彼女たちに近づいて、「新疆ウイグルから、遠く山東省まで来てみてどう?」と聞いてみた。すると彼女たちは、エキゾチックな笑みを湛えて、流暢な中国語で答えた。
「初めて海を見たの。もう感動!」
「貝とかエビとか、初めて食べたんだけど、おいしいわ」
中国には、56の民族が共存している。うち全体の92%を占める漢族は、残りの8%を占める55の民族の人々を統治するのに苦心している。中国には、外国勢力との戦いとは別に、「内なる戦い」も常に存在していることを、海軍博物館で再認識した。
こうして屋外の展示だけを見て、消化不良のまま海軍博物館を出た。灼熱の陽光を浴びながら海岸沿いの細道を歩いていると、そのヨーロッパ的風景もあいまって、アランドロンが主演した映画『太陽がいっぱい』を思い出した。だが悪臭が鼻を突いて、すぐに現実に引き戻される。海面に目を凝らすと、薄汚れた藻が一面に溢れていた。
魯迅公園の西側を上がって右に折れると、軍事兵器のプラモデル屋があって、客たちで盛況だった。その向こうは、さらに「人山人海」(黒山の人だかり)。そこは、海底探検ができるという触れ込みの青島水族館の入口だった。人混みの中にちゃっかりと、海南島から運んできた椰子の実ジュースの屋台が繰り出している。
人々が手持ちぶさたで眺めている青島水族館の壁面には、尖閣諸島(中国名:釣魚島)の地図の巨大なパネルが掲げてあった。そして「釣魚島はわが国固有の領土である」と書かれたタイトルの下に、「中国の海岸線は1万8000qに及び……中国が海洋大国となるのは当然の道である」と、解説が記されていた。
それだけでなく、「日本は勝手にこんな主張を繰り返している」として、日本語の地図まで掲げて、いかに日本の主張が誤りであるかを説明していた。右から左へ壁伝いにどんどん続いていくパネルは、2012年8月15日に、香港の活動家たちが尖閣諸島に上陸した時の「栄光の写真」で締めくくっている。
尖閣諸島のパネルの次は、南シナ海について、再び延々と中国の主張が書かれていた。中国は海外へ向けても激しい「宣伝戦」を展開するが、国内でも同様に行っているのである。この執拗なまでの中国の「布教活動」は、日本も見習うべきところがあるだろう。
つづく
- 4 :ダース・シコリアン卿 ★@\(^o^)/:2016/09/13(火) 11:25:45.36 ID:CAP_USER.net
- >>3
■100年前の息吹を感じ
炎天下ではあったが、そのまま青島駅まで歩いてみようと思った。
地下鉄3号線が開通していれば、涼しくパッと駅まで行けるのだが、至る所、工事中のテントを張っている。前日のタクシーの運転手曰く、「本当はとっくに開通しているはずなのに、おかしい。市政府は伏せているが、きっと工事中に大事故が起こっているのだ」。
この言葉を聞いて思い起こしたのは、再び大連だった。700万都市の大連も同様に、10年ほど前から海沿いに地下鉄の工事を行ってきたが、度重なる事故に、いまだに全線開通には至っていない。ある大連市政府の職員は、こう愚痴っていたものだ。
「大連の海側の地域は地盤が緩くて、地下鉄にはまったく向かない。それを中央政府が、全国一律に地下鉄計画を立てたものだから、こんなハメになる。しかもそれでも工事を止めない」
一応、インターネットで青島の地下鉄工事事故を検索してみたら、2013年5月25日に一人死亡、2014年1月18日に一人死亡、同年3月7日に一人死亡、2015年4月28日に3人重軽傷……と、いろいろ出てきた。だがタクシー運転手が言っていたのは、この手の「小規模事故」ではあるまい。
文登路の緩い坂を、てくてくと上っていたが、灼熱の陽光のコンクリートへの照り返しは尋常でなく、途中でめげてしまった。そこで、バスに乗って行くことにした。実際、いくつもの路線のバスが目の前を走り抜けていくが、肝心のバス停がない。1qほど歩いて、ようやくバス停に辿り着いた。
古風な802番のバスが来たので乗ったら、全線1元だった。だがあいにく、私の財布には5元以上の札しかない。そこで運転手に5元札を渡して、「おつりを下さい」と言ったら、運転手は怪訝な表情をして、「1元がないなら5元払え」と言ってきた。
そこで最前席に座っていた女子大生風の女の子に、「5元をくずしてもらえませんか」と言ってみたが、「没有!」(ない)と素っ気ない一言。続いて客席に向かって、「誰か5元札をくずせる方いませんか?」と声を張ってみたが、シーン。またまた比較して恐縮だが、大連人はもっと親切だ。
結局、5人分のバス代を払って、青島駅に着いた。二度とこんな目に遭わぬよう、すぐにセブンイレブンに入ってペットボトルのミネラルウォーターを買い、10元札で払って小銭を受け取る。
クーラーが心地よかったので、ついでに店内を一周してみた。北京のセブンイレブンよりも、大方の商品が2割くらい安い。
青島駅の東口でも、例によっていつ終わるともしれない地下鉄工事をやっていた。その現場を大きく迂回し、湖南路の緩い坂を上った。
湖南路という名前がついているが、両側のアパート群はクリーム色の壁にオレンジ屋根で、まさにヨーロッパ風だ。右手は、前日に行った雲霄路のグルメ街のミニチュア版のようなレストラン街だったが、それぞれ家族経営の店のようで、雲霄路の店より良心的な気がした。ちょうどランチとディナーの合間で、電気が消えていたりコックが昼寝したりしていた。
つづく
- 5 :ダース・シコリアン卿 ★@\(^o^)/:2016/09/13(火) 11:26:09.69 ID:CAP_USER.net
- >>4
■海魚主体の「青島魯菜」が気になって
巨大な青島駅を大回りし、前日降り立った西口へやって来た。波止場側の西口は、東口とはまったく異なり、荒々しい港町の趣を湛えている。日焼けした二の腕に入れ墨を光らせた海の男たちが、せわしく行き交う。怪しげな安ホテルが乱立し、陽が暮れると角に娼婦が立ちそうな雰囲気だ。
駅から26番の路線バスに揺られること半時間ほど、ホテルに戻って来た。そしてシャワーを浴びて気分を一新、前日同様にスマホで「易到」の配車システムを使って車を呼び、青島華僑国際飯店に向かった。
青島華僑国際飯店は、現存する青島最古のホテルの一つで、1936年オープン。当時から連綿と続くホテル2階の山東料理店に入った。
一般に中国料理は、「魯菜」(山東料理)、「?菜」(上海料理)、「川菜」(四川料理)、「粤菜」(広東料理)が4大源泉で、「京菜」(北京料理)は「魯菜」の派生である。
それでは「魯菜」の源泉はどこにあるかと言えば、これは意見の分かれるところで、一つは山東省の省都・済南だろう。だが、私は済南で「魯菜」を食べ歩いたことがあるが、済南には黄河が流れているが海はないため、伝統的な「済南魯菜」の海鮮料理は、川魚が主体である。
そこで、山東省最大の沿海都市と言えば青島なので、海魚主体の「青島魯菜」が気になって仕方なかったのだ。だが前日の晩は期待外れに終わったため、今晩は宿泊先のホテルのコンシェルジュと、上海に住む青島人の友人に聞き込みをした結果、両者から一致して勧められたのが、この店だった。
荘厳な伝統店のインテリアと、着飾った町の名士たちがディナーを愉しむ華やかな光景を想像していたら、現実はまるで異なっていた。店内は北京の場末のホテルのレストランを思わせ、客も喧しいサラリーマン5人組がいるだけだ。女性店員からぶっきらぼうに、「どの席でも勝手にどうぞ」と言われた時点で半ば幻滅し、メニューをポンと投げ置かれた時に、完全に興醒めした。
「魯菜は清(複雑でない)、淡(味が濃くない)、鮮(食材が新鮮)、嫩(料理が固くない)をもって旨とする……」などと、以前、済南で覚えたうんちくが脳裏をよぎるが、そんなことはどうでもよくなってきて、とりあえず青島生ビールのジョッキと枝豆を頼んだ。
その間に、スマホでググって、ではなくバイドゥって、この店のお薦め料理を探った。するとこのレストランの情報は山ほど出てきて、始めに目に留まったのが、次の一文だった。
〈 国画大師の劉海粟先生がここの料理に感銘を受けて、「其味無窮」(その味は尽きるところがない)との書をしたためた 〉
劉海粟(1896年〜1994年)は、20世紀中国を代表する書画家の一人で、戦前に日本に留学したり個展を開いたり半ば亡命しに来たりして、日本との縁が深い。江蘇省常州の出身だが、上海人と言ってよく、1914年に初めてヌードモデルを使って写生会を開いて、大いに物議を醸したことで、上海史にも名をとどめている。
そんな劉海粟の名前を見て、少しまた感興が湧いてきた。
〈 1987年に開かれた「第1回魯菜大賞選手権」で、この店の「葱焼海参」(ネギをまぶして焼いたナマコ)が「十大名菜」の一つに選ばれた 〉
この記述を見て、ナマコはあまり好きではなかったが、先ほどの女性店員を呼んで、「葱焼海参」を注文した。すると彼女は突然、真剣な表情に変わって、「同じナマコ料理でも、『全家福』の方が絶対お薦めです」と言い出した。
その凄みに気圧されて、「全家福」を頼んだ。これは「一家団欒」のような意味である。ナマコ、エビ、ホタテが、ウズラの卵や鶏肉のピースなどと共に炒められていて、確かに、これぞ「ザ・山東料理」と言えるような逸品だった。
もう一皿、店員が「絶対お薦め」と主張したのが、「??餅」(パンスービン)と呼ばれる山東式中華パンだった。小麦粉を練って、ラーメンのように細長くし、落花生油を使って熱したものだ。小麦粉を細くして繋ぎ合わせる技術が、大変高度なものらしく、確かにこれほど繊細な食感の中華パンは初めてだった。
前菜に薦めてきた「蝦皮苦菊」(エンダイブの小エビあえ)も美味だった。スープに薦められた「佛跳?」(フォーティアオチャン=坊主も壁を飛び越えるほど美味という名のついたスープ)も、本来は福建料理だが、青島の海鮮がふんだんに入っていて旨かった。
結局、この晩は青島最高の一食に与ったのだった。
つづく
- 6 :ダース・シコリアン卿 ★@\(^o^)/:2016/09/13(火) 11:26:24.40 ID:CAP_USER.net
- >>5
■平和は武力によって保たれる
すっかりご機嫌で青島華僑国際飯店を出て、「易到」で車を呼ぶ。やって来た青年に、「第一海水浴場近くの?泉王朝大酒店まで」と念を押して、そのまま青年と雑談を始めた。
だが、途中で青年が、「あなたは日本人か?」と聞いてきたので、「そうだ」と答えたら、以後、青年は押し黙ってしまった。
車はそのまま海沿いの東海西路を西へ向かっていたが、突如、その青年が徐行を始めた。
「あれを見ろ、わが青島の象徴である五四広場だ!」
窓を開けて指さされた方角を見ると、まるでUFOが降り立ったかのような巨大な赤いモニュメントが建っていた。直径27m、高さ約30m、700tもの鉄板を組み合わせた彫塑だ。五四運動については前述の通りで、山東省の植民地化に反対して1919年5月4日に起こった大規模な抗日運動だ。
「われわれは前世紀に日本が犯した罪を忘れない。3年後の2019年5月4日の五四運動百周年には、必ずや習近平主席もここへ来て、一緒に祝ってくれるはずだ。21世紀は、中国第一の時代だ」
車は五四広場を後にすると、東海西路から正陽関路に折れて、ホテルへ着いた。その間、20分ほど、われわれは無言だった。
何だかそのままホテルの部屋へ戻る気がせず、ビーチまで歩いて行った。
もう夜の10時半というのに、いまだに海の家が開いていた。店員に40元を渡して、青島ビールの生ジョッキをもらう。
浜辺に座って、ビールを呷った。潮風の微風と夜波の微音が心地よい。水平線の彼方の上空には、微笑みかけるような半月がかかっている。
目を凝らすと、半月に照らされて、沖合いに一艘の船影が見えた。昼間も目にした人民解放軍の監視船に違いなかった。
「平和は武力によって保たれる、国力は危機感によって磨かれる……」
私は残ったビールを、一気に呷った。
おしまい
- 7 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/:2016/09/13(火) 11:31:33.93 ID:Gtqssqma.net
- >>わが海軍の勇姿を国民に示すのだ
国内問題を外政問題で誤魔化すよくあるパターン
- 8 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/:2016/09/13(火) 11:40:55.17 ID:cpbF0sCd.net
- > 3年後の2019年5月4日の五四運動百周年
このころまた反日を煽るのか?
中国の経済状況次第か?
- 9 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/:2016/09/13(火) 11:54:23.60 ID:dvfn4wrH.net
- ヒョンダイのキム大介の主張は、
いつもながらキムチ色に染まっている。
- 10 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/:2016/09/13(火) 11:59:59.03 ID:zNDbFl0I.net
- 2ちゃんでこんな長文読むの無理
なんて書いてあるの
- 11 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/:2016/09/13(火) 12:03:32.71 ID:b/1BOQGe.net
- >>10
中国は150年前から相変わらずってこと
- 12 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/:2016/09/13(火) 12:29:51.25 ID:UxLXp6Q5.net
- 100年後に青空文庫があったら収録されてそうな文章だな
- 13 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/:2016/09/13(火) 13:09:42.90 ID:CWVj1oqb.net
- 最後だけ読んだけど日本も見習うべきでは?
平和ボケをやめろ
- 14 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/:2016/09/13(火) 13:29:32.35 ID:SLL4j6dF.net
- 天后宮?媽祖さまじゃなくて?
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