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【韓国】 日本が教えないこと〜日本経済成長の原動力になった朝鮮陶工の役割に触れず自画自賛だけに汲々とする日本[10/07]

1 :蚯蚓φ ★@\(^o^)/:2016/10/07(金) 21:38:19.99 ID:CAP_USER.net
http://www.koreadaily.com/_data/article_img/2016/10/06/172632294.jpg
▲倭乱の時、連れていった陶工・李参平.

1543年、ポルトガル船が台風で日本九州島南側の種子島にかろうじて漂着した。船に乗っていたポルトガル船員らは現地日本人たちの助けで生きのび、彼らは感謝の表現として鳥銃2袋を贈り物に渡す。この鳥銃は後日、壬辰倭乱の時に登場した新武器の主軸になった。当時、日本は朝鮮.沖縄とは外交、貿易のパートナーとして清国とオランダは貿易パートナーとして相手にした時期だ。

ポルトガルは日本にキリスト教文明を伝える事に非常に熱を上げたあげく、日本は1639年、彼らに対する入国措置を取る。それで1609年からオランダは摩擦なしに交流を拡大させていく。このように日本が東南アジア、東北アジア、中東、ヨーロッパなどを網羅して商品市場ネットワークを形成していった時期、陶磁器は本来、中国製品が有名で'チャイナ'という言葉も生まれた。当時、中国は陶磁器はもちろん茶、絹など三つの品目を持って強大な威勢をふるい、世界のすべての銀をかき集めていた。

壬辰倭乱(1592-1598年)当時、日本軍による大々的な朝鮮人拉致がなされた。拉致者などの相当数は陶工だった。百婆仙(ペクパソン)と彼女の夫、金泰道(キム・テド, 日本名:深海宗伝)は佐賀県武雄市に定着して陶磁器生産に専念した。後に李参平がいた有田地域から906人の陶磁器技術者が移住する。

明国が滅びて清国が大陸を席巻した14年後の1658年から日本はアジアはもちろん中東、ヨーロッパを相手にして陶磁器輸出国としての位置づけを強化し、結局は中国陶磁器産業を萎縮させた。17世紀以来、経済的成長を元に江戸時代の繁栄を経て19世紀に日本大跳躍の元を作ることになる。

日本の教科書は壬辰倭乱の時、朝鮮陶工たちが日本経済に及ぼした革新的な影響を努めて無視しようとする。ただ朝鮮陶磁器のおかげで日本茶道愛好家らがより良い器で茶を飲む様になり、茶道文化に肯定的影響を及ぼしたという程度だ。

朝鮮陶工の力による日本陶磁器技術の発展は海外市場で日本商品の地位を引き上げる契機になったし17、18世紀の経済成長の基盤になった。しかし、この様な事実が日本の歴史教科書には出てこない。朝鮮の助けを受けたという事実より徳川幕府の陸路および海路の整備が日本商業発達を促したという自画自賛だけならべているのが現実だ。

イ・チョムボン記者

ソース:コリアデイリー(韓国語) 日本らが教えないこと
http://www.koreadaily.com/news/read.asp?art_id=4656645

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