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【歴史戦】仏博物館で「南京事件」展 記憶遺産の登録後初 日本軍の「残虐性」を印象付け 「中国の視点。真実かどうかは別」と館長
- 56 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/:2016/11/24(木) 05:39:14.10 ID:Gkx8hZ6A.net
- >>52
ジョンラーベと言えば、南京市に安全避難区を作ったメンバーだ。多くの中国人が彼こそが南京大虐殺の目撃者
であると自信を持って反論してくる。しかしながら彼はたった一度さえも大虐殺というシーンを見てはいない。
にもかかわらず、ジョンの祖国であるドイツのヒトラーに数多くのレポートを送り、日記にもそう残している。
しかし事実、彼の日記の数字そしてドイツに送ったその数字には大きな隔たりがあるが何故だろうか?
反論されるのを恐れてか、ジョンは日本宛の手紙にはその被害者を49名と書き、その反面、ドイツの
ジャーナリストとヒトラーに宛てた手紙には数万人もが日本人に殺されたと書いてありその違いはあまりにも
大きすぎる。何故このような間違った手紙をヒトラーに送ったのだろうか?
ドイツ人歴史家Gerhard Krebs(ベルリン自由大学)によると、その理由は彼の本国であるドイツの、
政治的権力が裏にあったと説明している。第1次世界大戦による財政困難と疲労にあえいでいたドイツにとって、
中国は最高の貿易パートナーであったのだ。蒋介石は中国共産党との戦闘で、大量の兵器をドイツから
購入している。そんな状態から一変したこの支那事変は、ドイツ本国の政策転換を迫られていたのである。
日本政府は繰り返しドイツに対して、中国に武器を輸出しないよう求めていた。
蒋介石軍が日本の戦争相手だったからだ。悩んだ末にヒトラー政権は、中国における巨大な軍需産業の利益
よりも、安全保障上ソ連を牽制する必要から日本との関係強化を選び、中国の蒋介石政権への武器輸出を控えた。
(事実、1940年にはドイツと日本は同盟を結んだ。)
それにひとり強力に反対する人物が親中派の軍需産業ジーメンスの利益代表ジョンラーベだったのだ。
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