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【韓国】 「国家が条約を通じて個人の同意なしに個人の請求権を消滅させることはできない」〜ソウル地裁で不二越に賠償命令[03/16]

777 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2017/03/16(木) 21:51:37.32 ID:3saPSubr.net
総監を辞めたのはむしろ保護国化しなくて併合に突き進みたかったからなw

朝鮮内で独立運動である義兵闘争が盛んになるにつれ考え方を変え明治42年(1909年)4月、時の首相・桂太郎と
外相・小村壽太郎が伊藤に恐る恐る「韓国の現状に照らして将来を考量するに、韓国を併合するより外に
他策なかるべき事由を陳述」すると、「公は両相の説を聞くや、意外にもこれに異存なき旨を言明」し、なおかつ
桂・小村の提示した「併合の方針」についても「その大網を是認」した。その2週間後の東京での演説でも伊藤は、
「今や方に協同的に進まんとする境遇となり、進んで一家たらんとせり」と併合を示唆し聴衆を驚かせたという。
そして同年5月、統監職を辞職する。伊藤の翻意を確認した桂と小村は、「対韓大方針」と「対韓施設大網」を作成し、
「韓国」を併合する方針を明らかにし、韓国保護国化政策に全く未練が無くなった伊藤は統監辞職後、
4度目の枢密院議長に就任し、事後処理の為訪韓し陣頭指揮に立ち、「韓国」政府に「韓国司法及監獄事務委託に
関する覚書」を調印させ、また「韓国軍部廃止勅令公布」を行わせた[24]。併合方針の閣議決定に反対した形跡は無い
(適当ノ時期ニ於テ韓国ノ併合ヲ断行スル事 明治42年(1909年)7月6日)。
また統監として日本の政策への韓国国民の恨みを買うことになり、朝鮮人・安重根による暗殺に繋がった。
事件に動揺した親日派が韓国併合を加速させたが、前述の通り、併合方針は事件前に内閣の閣議で決まっていた。

>併合方針は事件前に内閣の閣議で決まっていた。 ←伊藤の意思

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