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【慰安婦】挺対協の新事務処長、在日3世ヤン・ノジャ氏・・・「韓国語ができず恥ずかしかったが、今や水曜集会率いる司会者」[03/23]

2 :HONEY MILKφ ★@\(^o^)/:2017/03/23(木) 10:06:03.47 ID:CAP_USER.net
>>1のつづき

ヤン処長は、高校在学の時、自分の意志と関係なく日本国籍を取得した。結婚前に帰化した父
の意向によるものだった。「(コミュニティの同僚たちは)帰化の事実をあまり好まなかったんです」。
彼女は今は故人となった父親に帰化の理由を問うたことがある。父の答えはこうだった。「人間に
生まれたからには、人間の権利を手に入れたかった。人間らしい暮らしを享受するためだ」

“差別の記憶”について聞くと、ヤン処長はこう答えた。「小学生の時、キムチやニンニクの匂いが
すると言って、友達が遊んでくれませんでした。後で聞いた話ですが、幼稚園の時も、日本人の
親が子どもに朝鮮人とは『一緒に遊ぶな』と注意していたそうですね。幼稚園で『朝鮮人はあっち
行け』と言われたこともありました。就職も大変でした」

当初韓国に来たときは、1〜2年間韓国語を勉強してから帰るつもりだった。「在日同胞コミュニ
ティで活動を始めてからは、韓国語ができないのが恥ずかしくなりました」。2006年には聖公会
大学社会学科3年生に編入し、修学しながら、時間を見つけては挺対協でボランティアをした。
慰安婦被害ハルモニ(おばあさん)たちに会ってから、韓国滞在期間は一年ずつ増えた。

朝鮮の女性たちが日本軍性奴隷として虐待されていたという事実は、日本で会社に勤めていた
20代の時初めて知った。「90年代中盤に日本で慰安婦問題が話題になりました。当時、日本語
の慰安婦関連の本を読んで、大きな衝撃を受けました。被害者たちが受けた苦痛が赤裸々に
書かれていました」。当時は“戦時中に女性に加えられた暴力”という女性主義的観点よりは、
“同胞が受けた苦痛”という民族主義的な観点の方が強かったと、彼女は振り返った。

彼女は3年前、在日同胞3世と結婚した。夫は日本で働いている。「水曜集会で会いました。
結婚前は1カ月に1回ほど会っていたんですが、今は会う回数が減りました。ハハ」

挺対協で活動している間、最も印象的な瞬間を尋ねると、やや意外な答えが返ってきた。
「一昨年、韓日政府の間に慰安婦の合意をしたというニュースを聞いた時です。(その前には)
何とか解決できる可能性があると期待していましたが、合意によってそれが一瞬にして崩れて
しまい、とてもつらかったです」

彼女は、今年5月の大統領選挙に出馬する有力候補たちが合意無効化を掲げていることに期待
を寄せているとしながら、このように付け加えた。「合意を確実に無効にしなければなりません。
政府のお金で10億円を日本に返還し、ハルモニたちが求めるやり方で解決しなければなりません。
そうしなければ、ハルモニたちの名誉と人権を取り戻すことができません」。ハルモニたちは、日本
政府が軍慰安婦犯罪を認め、法的賠償をすべきだと要求している。

おしまい☆

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