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【テレビ】<橋下徹>日韓慰安婦問題で提案「他国の事例を参考にして謝罪..」金慶珠「真心のこもった謝罪を求めてるの!」★2
- 649 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん@\(^o^)/:2017/05/24(水) 10:24:08.39 ID:4TP/MG3Q.net
- >>647関連
【23】------------------------------------------------------------
【慰安婦問題】 加害者はあなたと私〜被害者ハルモニ「一番大きな苦痛は帰ってきた私に
韓国の人々が投げた言葉だったよ…。」[02/02]
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1454517682/
>13才に平壌(ピョンヤン)から引きずられて行ったキル・ウォンオク、ハルモニは「行くやいなや
>性病にかかりました。それでもずっと薬を飲んで日本軍を受け入れなければならなかったんですよ。
あり得ない。
■性病感染防止──
【慰安所規定】
一、本慰安所には陸軍軍人軍属のほか、入場を許さず。慰安所入場者は慰安所外出証
を所持すること。
一、入場者は必ず受付において料金を支払い、これと引き換えに入場券、及びサック1個を
受け取ること。 ←★
一、入場券を買い求めたる者は指定せられたる番号の部屋に入ること。
但し、時間は30分とす。入場時間は午前10時から午後5時まで。
■一週間ごとの軍医による定期健診──
これらの慰安婦の健康状態は良好であった。彼女たちは、あらゆるタイプの避妊具を十分に
支給されており、また、兵士たちも、軍から支給された避妊具を自分のほうからもって来る
場合が多かった。慰安婦は衛生に関して、彼女たち自身についても客についても気 配りす
ように十分な訓練を受けていた。日本軍の正規の軍医が慰安所を週に一度訪れたが、罹患
していると認められた慰安婦はすべて処置を施され、隔離されたのち、最終的には病院に
送られた。軍そのものの中でも、まったく同じ処置が施されたが、興味深いこととしては、
兵士は入院してもその期間の給与をもらえなくなることはなかったという点が注目される。
■米国戦争情報局心理作戦班報告書No. 49:売春に関する日本人捕虜への尋問(米公文書)
【対訳】 http://texas-daddy.com/comfortwomen.html
■独立攻城重砲兵第2大隊本部 昭和12年12月陣中日誌
慰安設備は兵站の経営するもの及軍直部隊の経営するもののニヶ所ありて
定日に幹部引率の許に概ね一隊約一時間の配当なり
衛生上の検査の為め軍医をして予め立会点検せしめつゝあり
http://www.awf.or.jp/pdf/0051_2.pdf(p228)
■昭和十九年五月 軍人倶楽部利用規定 中山警備隊
第四条 部隊付医官は軍人倶楽部の衛生施設及衛生施設の実施状況並に家族、
稼業婦使用人の保健、調理、献立等の衛生に関する業務を担任す。
■ペニシリンは戦後に普及した薬──
日本では、1943年にドイツの医学雑誌から存在を知った陸軍軍医学校で開発が始まり、
翌1944年に少量ながら生産に成功。 「碧素(へきそ)」と名付けられ、数人の患者に
投与されて実績を挙げたが、大量生産には至らないまま終戦を迎えた。
角田房子「碧素・日本ペニシリン物語」
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