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【産経】北朝鮮のミサイル発射をよそに森友・加計… 政争の具と化した国会 憲法改正、堂々と論じよ[6/25]

1 :ねこ名無し ★@\(^o^)/:2017/06/25(日) 21:05:47.56 ID:CAP_USER.net
◆国家の歴史を汚すもの

 「党派が集まれば議会を復讐(ふくしゅう)の場所のごとく思って罵詈讒謗(ばりざんぼう)の言を放つというのは、これ国家の歴史を汚すものなりと言わなければならぬ」

 初代首相、伊藤博文の演説の一部(『伊藤博文演説集』)。表記を読みやすく改めて、もう少し見てみる。

 「政党というものは政見の異同ということに過ぎないのである。(略)政権争奪の上のみに着眼しているのはいかなる訳であるか」

 「(政党の所論は)日本国民全体の上にそれが行わるるのであって、おのれの党派のために行わるるという次第ではない」

 政治に限らず、近代日本のありかたを模索した明治人の洞察は、ものごとの始まりから是非を問うていて、本質を突いていることが多い。

 伊藤の言にしても、どれも至極当然である。だがあたりまえのことがあたりまえにいかないのは、伊藤の時代も現代も変わらないらしい。

 先に閉会した国会には、うんざりした。

 天皇陛下の譲位を可能にする特例法、テロ等準備罪を新設する改正組織犯罪処罰法など、重要法案が通りはした。けれども全体として、森友・加計(かけ)両学園の問題に振り回されていたという印象を抱くのは、筆者ばかりではあるまい。

 日本の安全保障への脅威が日々増しているなかでの、このていたらくである。国家の歴史を汚したといえば厳しすぎようが、遠からずではないか。

◆木を見て森を見ず

 この間、北朝鮮はミサイル発射による挑発を続けた。それも国会で議論されはした。だが森友・加計問題にかき消された。

 別の演説で伊藤はこうも言っている。政見の異なる党派があっても、外交は国と国の関係だから国論を一致させないといけない。「国論を一定したものは強大なる勢力を持ち、分裂したものは自から微弱の位地に立たなければならぬ」、と。

 すでに日本は「微弱の位地」に立ってしまっているといわなければならない。国会の様子を見て、北朝鮮の指導者はあざ笑っていたのではないか。

 森友・加計学園の議論があってもよい。ただし、日本が抱えている課題の重要度に応じてであることは、言をまたない。

 森友問題では、国会閉会後、詐欺容疑などで大阪地検特捜部の家宅捜索が入った。会期中から学園の疑惑はいくつも指摘されていた。疑惑の渦中にある人物の発言が事実かどうか、慎重であるべきなのに、そうではなかった。

 加計学園の議論を通じても、客観的な事実かどうかの論証に堪えるべくもない「忖度(そんたく)」が争点化された。

 要するに森友・加計問題は政争の具にされた。安全保障上の課題はなおざりになり、木を見て森を見ずの国会となり果てた。野党の罪は重いが、十分な説明をなさずにかわそうとした政府の責任も明らかである。

◆憲法改正はどうなった

 会期中の5月、安倍晋三首相は、現行の9条1、2項は残しつつ自衛隊の存在を明記した憲法改正を行って、平成32年に施行したい旨を明らかにした。

 国会で滞っていた改憲議論が活気づいたが、それも終盤の加計国会となって、かき消された感がある。

 党派を超え、堂々と論じてほしい。9条を残す道が改正のための現実的な選択肢であるにせよ、論ずべき原理原則はそこにとどまらないはずである。

 9条とは国権、交戦権という国家の権利の制限にほかならない。平和を尊ぶのは当然として、独立国としての憲法のありかたをこそ考えたい。

 伊藤はまた別の演説で、こんなことも語っている。

 「意見を闘わせるのはよろしいが、帰着する所統一して日本国をまっとうするという所に、各種の政見を持する人達も合同せられて行くようにならんことを私は深く希望する」

http://www.sankei.com/column/news/170625/clm1706250005-n1.html
http://www.sankei.com/column/news/170625/clm1706250005-n2.html

>>2以降に続く)

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