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【中国】記者おびき寄せ特定→「公安風」が取り囲む 劉暁波氏「最後の地」厳戒下の瀋陽で見たのは異様な情報戦だった[8/05]

1 :ねこ名無し ★@\(^o^)/:2017/08/05(土) 18:17:31.92 ID:CAP_USER.net
 獄中でノーベル平和賞を受賞した中国民主活動家、劉暁波氏が死去したニュースは世界を駆けめぐった。例外は中国である。報道を規制し国内で影響が広がるのを押さえ込んだ。

 しかし劉氏は自らの死と引き換えに、死んでもなお自由が認められない中国の異様な実態を世界の前に示した。私服の警察関係者が大量動員され、厳戒態勢が敷かれた劉氏最期の地、遼寧省瀋陽市から報告する。

■    ■

 劉氏が入院していたのは、瀋陽市中心部の中国医科大付属第1病院である。ホームページ(HP)を通じて、劉氏の病状について「危篤」と公表したのは7月10日だった。

 夕方に一報を得て北京の支局を飛び出し、飛行機に乗って瀋陽に到着したのが同日深夜。空港でタクシーをつかまえ、ようやく病院の正門前にたどり着いた。が、どこにもメディアの姿が見られない。ノーベル賞受賞者だけに欧米メディアも押し寄せると予想していたが、一人もいなかった。拍子抜けした。

 しばらく立っていると、若い男たちがどこからともなくやってきて、病院前のビルの中に吸い込まれるように入っていく。

 『私人会所』。高級クラブのようだった。劉氏が生死の境をさまよっているというのに、真向かいのクラブには若い女たちの嬌声(きょうせい)が満ち満ちていた。

 地元の女子大生(21)に質問をぶつけた。

 「劉暁波を知ってる?」「ノーベル平和賞の受賞者なんだ。聞いたことあるでしょ?」「今、そこの病院に入院しているんだけど知らない?」。笑って首を横に振るばかりだった。

 「民主活動家なんだ」と言ったときだけ、顔が一瞬こわばったように見えた。

 病院前の大通り沿いにホテルがあった。病院の正門を見下ろせる部屋という部屋の全てに明かりがともっていた。

 「なるほど−。同業者たちはここにいたのか」

 日付が変わっても、病院の周囲を警察車両が巡回していた。
    
□    □

 中国医科大付属第1病院は、1908年設立の南満州鉄道奉天医院などを前身とする。毛沢東も治療を受けたという歴史のある国立総合病院として知られる。

 劉氏は獄中で末期の肝臓がんと診断された後、服役していた遼寧省錦州の刑務所から同病院へ移送。6月下旬、当局の監視のもと同病院で治療を受けていることが公にされた。

 7月11日午前9時すぎ、病院の構内に入ると、人の多さに驚いた。まるで百貨店のようなにぎわいを見せていた。受診者らが数珠つなぎでエスカレーターに乗って診察棟の中に消えていく。

 何気なくスマートフォンを取り出し、パチリと写真を撮って立ち去ろうとしたとき、小太りの男が近づいてきて行く手を阻んだ。

 「消せ」。有無を言わさぬ口調である。写真が消去されたのを見届けると、人込みの中に消えた。どこか北朝鮮の最高指導者に似ていた。

 病院の内外には、私服の公安関係者が無数に配置されているのだろう。当局が警戒しているのは、外国メディアというよりも、中国各地から劉氏の支援者や民主活動家らが集まってくることだ。

 劉氏の病室は23階の腫瘍内科の病棟にある。23階のエレベーターホールには10人以上の公安関係者が待機し、患者・家族以外、病棟にアクセスできないような状態だった。

 気温31度。湿度が高く、少し歩いただけで汗が噴き出す。病院の周りを徘徊(はいかい)していると、「北朝鮮の最高指導者」に再び遭遇してしまった。目が合った。近付いてくる。写真の消去はもう真っ平だ。

 きびすを返し、走行中のタクシーを止めて強引に乗り込んだ。

□     □

 病院側は連日、HPで「劉暁波病状」を公表、日々悪化していく劉氏の病状を伝えていた。

 「服役中の民主活動家」への対応としては極めて異例である。本来、当局は劉氏関連の報道を規制しているが、唯一、この病状公開だけは黙認、奨励した。

 (1)欧米が求める劉氏の海外移送は困難である(2)中国側も最善を尽くして治療などに当たっている−ことをアピールする狙いがあったようだ。

http://www.sankei.com/premium/news/170831/prm1708310001-n1.html

>>2以降に続く)

2 :ねこ名無し ★@\(^o^)/:2017/08/05(土) 18:17:55.94 ID:CAP_USER.net
>>1の続き)

 12日の夕方には、「生命を維持するために気管挿管が必要だと家族に説明したが、家族は拒絶した」といった情報まで公表し、自己弁護しようとしたのには驚いた。

 中国当局は、病院から歩いて約10分の距離にあるホテルの7階に「メディアセンター」も設置した。訪ねてみると、「病院関係者」と名乗る男が対応した。しかし風体は公安関係者である。病状を聞いても何も知らない。「記者会見を行うときは連絡してほしい」と名刺を渡すほかなかった。

 1階のロビーに降りると、知人のジャーナリストがソファでスマホをいじっていた。声を掛けようとして目を疑った。両隣のソファにも、前のソファにも、後ろのソファにも、公安風の男たちが彼を取り囲むように座って、自分たちのスマホをじっと見ていた。

 まるで、砂糖に群がるアリのようだった。

 当局はメディアセンターなるものを設けることで、瀋陽に集まった海外メディアをおびき寄せて特定し、管理しようとしている−。

 そう実感した。

□     □

 中国の民主活動家の中で劉氏が特異なのは、中国にとどまり続けたことだ。魏京生氏、王丹氏、ウアルカイシ氏、柴玲氏…。元リーダーたちは中国を離れる決断をした。

 劉氏は「私に敵はいない。憎しみもない」として安全な国外に出る道を選ばなかった。そして、一党独裁体制の廃止などを訴えた「08憲章」を起草し、発表直前の2008年12月に拘束された。

 しかし、である。中国国内で民主化運動を行うことにあれほどこだわった劉氏の存在を、一般の中国人はほとんど知らないのだ。

 12日、陽が落ちてようやく涼しくなったころ、病院横の広場に市民たちが集まって、くつろいでいた。巨大な毛沢東像の脇で、中高年の女性グループが音楽に合わせてダンスに興じている。すぐ近くでノーベル賞受賞者が闘病しているなんて思いもよらないだろう。

 そして、13日を迎えた。

□     □

 病院周辺のホテルでは奇妙なことが起きていた。13日の宿泊客を取らないホテルが続出していたのだ。

 「満室だ」「試験会場となった」「大きな会議が行われる」…。少なくとも3軒のホテルで新規の宿泊を断っていた。私も延泊を拒まれ、少し離れたホテルに移らざるをえなかった。

 この日、病院の警戒態勢はピークを迎えた。午後4時すぎ、病院の内外を歩いて回ったが、これまでになかったような厳しい視線を感じ続けた。

 歩いている途中で振り返ると、若い男が携帯で私の写真を撮っている。後ろから撮って何の意味があるのかと思いつつ、またしばらく歩いて振り向くと、別の若者が同じように私の写真を撮っていた。

 こうなると、停留所でバスを待つ背広姿の男性も、ベンチに腰掛けたお年寄りさえも私服の公安に見えてきて気分が悪くなる。“公安酔い”である。

 葬儀関係などの車両が病院から出ていくのが確認されたのは午後6時半ごろだ。現場では劉氏死亡説が流れ始めた。

 病院周辺を再度回ってみると、公安関係者の男たちはまだかなりいたが、数時間前と空気が違っていた。まるで大きなイベントが終わった後のような、どこか弛緩(しかん)した空気が漂っていた。

 原因は何であれ、劉氏が病院を出たのは確実だろう−と思った。

 それからは、当局が用意したシナリオ通りに物語が進行していく。

 午後9時ごろ、瀋陽市当局が死去を発表。「国内で著名ながん専門医が治療を行い、米国、ドイツからも権威ある肝臓がんの専門医が参加した」「手を尽くしたが、緊急治療の甲斐なく死亡した」。病院のHPも死去を公表した。

 午後11時すぎから、例のメディアセンターで主治医らの記者会見が開かれた。「死去後、妻の劉霞さんは医師一人ひとりの手を取って礼を述べた…」

 主治医によると、劉氏の死亡時間は午後5時35分。ということは、息を引き取ってから約1時間で遺体が葬儀場に搬送されたことになる。

 当局は何よりも、支援者や民主活動家らが病院に押し寄せ、混乱が拡大する事態を恐れた。それとともに死後、劉氏の墓が民主化運動の“聖地”になることを警戒していた。

 香港の人権団体が明らかにしたところによると、中国側は遺体を火葬し、遺骨を海に沈める「海葬」を行うよう妻の劉霞さんらに要求していたとされる。

 墓が必要なくなるからだ。

□     □
(続く)

3 :ねこ名無し ★@\(^o^)/:2017/08/05(土) 18:18:07.83 ID:CAP_USER.net
(続き)

 「記者の皆様 おはようございます」。メディアセンター側から、日本語のメッセージが携帯に届いたのは15日の午前6時すぎである。内容は瀋陽市当局の会見に関するものだった。

 「8:30(8時30分)の会見にご参加でしたら、確認のご返信をお願い申し上げます」

 前日までは中国語のメッセージだったのに、わざわざ日本語のメッセージで会見の案内を送ってきた。

 当局はこの日、午前と午後の2回記者会見を行い、「遺族の意向」で告別式、火葬、海葬が行われたと発表。総仕上げとして、最後に劉氏の実兄を出席させ、当局の発表が事実であると証言させた。

 しかし劉霞さんは、遺体を冷凍して長期間保存することを希望していたとの情報もある。何よりも劉霞さん自身が会見に出席しなかったのはなぜか。当局は「体調が悪かった」と釈明するが、真に受けるものなどいないだろう。

 「人道的対応」をアピールする裏で、情報を統制・管理しようとする中国当局。だが、劉氏は自らの死によって、中国の異様な実態−死んでも自由が認められない中国−を浮き彫りにした。

 劉氏の火葬・海葬が発表された15日、実はもう一つ重大な事件が国営メディアを通じて公にされていた。

 中国共産党の孫政才政治局員が重慶市党委員会書記に再任されなかったニュースだ。その後、孫氏の拘束・失脚が明らかになっていくわけだが、第一報は15日午前に報じられていた。

 劉氏死去をめぐり中国を非難する外国メディアの報道はそれ以降、権力闘争をめぐる報道にその重心を移していくのである。

(中国総局長、写真も)

http://www.sankei.com/images/news/170831/prm1708310001-p3.jpg
劉暁波氏が入院していた病院の周辺。敷地内に保安要員が整列しているのが見える
http://www.sankei.com/images/news/170831/prm1708310001-p4.jpg

(おわり)

4 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2017/08/05(土) 18:24:19.73 ID:Gthi89g9.net
これがGDP2位 国連常任理事国なんだよなぁ クズ蛆虫の猫食いが!


最新ミリタリー関連記事.
http://yamatotakeru999.jp/index.html

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★日本-ドイツ防衛装備協定発行  新型車両も登場

★マラバール2017 大型艦の競演! 一方インド国境は燃えている!

5 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2017/08/05(土) 18:24:19.98 ID:EigCAtT9.net
こういうルポを朝日も書いてくれないかな
どういう目線か比較したいわ

6 ::2017/08/05(土) 18:25:13.92 ID:oG+JUhv2.net
彼はまだ歩いている

7 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@\(^o^)/:2017/08/05(土) 18:26:57.73 ID:D4ZKVmf6.net
自由経済の恐怖政治  マジで怖い暗黒世界

8 ::2017/08/05(土) 18:28:22.44 ID:wlCE2RnF.net
>>1
敷地内のことしか書いてないけど、写真の右上側、道路の左に駐車された3台の車はすべて公安の車だと思うよ
判断した基準は、車の駐車間隔
1台半ずつ間隔を空けているけれど、この広さなら監視対象の車が来た時、すぐに発進できる
下側は1台目しか見えないけれど、同じように3台並んでいると思う
つまり、警察の車2台と公安の車3台×2(反対側の車線にもいる場合は、さらに3台×2)が駐車してる

9 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2017/08/05(土) 18:53:41.27 ID:LVse38x2K
したたかな中国人たちは自分さえよければが強すぎる
日本人にもそういう連中がうようよしているが
政治体制は選挙で選べる自由主義が息づいている
まあこの違いだけだろう
日本の進歩派と言われ自称して論陣を張る連中は
中国共産党の一党独裁統治に対してはまともな議論なし
安倍ちゃんを非難しようが日本人は最後には良心の結論を出すぞ
この奥さんの行動が中国ではギリギリの民主的抵抗だろう
チンペイはどんどん独裁を強め最後には凋落しそう
経済次第の中国に相変わらずヨ−ロッパやアメリカついでに日本の
ブランド企業がボロい金の差や抜きのため中国共産党を儲けさしている
綺麗事大好きメルケンなんぞは中国に日参してアダイダス・ワーゲンなどの
自国企業が不利にならないようにゴマをすりまくる
中国人民は自力で共産党を倒さなければ民主国家は生まれない

10 ::2017/08/05(土) 18:49:53.97 ID:LP3swf0v.net
脳みそくれえ

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