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【石平】南京は遺体なき殺人事件。30万人も殺されたら大量の人骨が出てくるはずだが実際はどこにも無い。歴史は嘘つかない★2[1/7]

708 ::2018/02/06(火) 21:36:28.32 ID:S6GzVcsd.net
安全区国際委員長だったラーベは虐殺を1件も目撃しませんでした。
ラーべの日記や手紙の中では
ラーべ本人が殺人現場を見た記述は一つもありません。

ラーベは、1937年12月17日に、日本軍による破壊や犯罪が極めて少数で
秩序が回復した旨の『第6号文書』を日本大使館宛に送っていました。

ところが、東京裁判で検察側書証として提出された
「1938年1月14日付のドイツ上海総領事宛のジョン・ラーベの手紙」
(ジーメンス社社長マイアー宛の手紙)には、
「約2万の婦女子を冒し、数千の無辜の市民を殺害」と書いていました。

さらに、『ヒトラーへの上申書』には、
「中国側の申し立てによりますと、10万の民間人が殺されたとのことですが、
これはいくらか多すぎるのではないでしょうか。
我々外国人はおよそ五万から六万と見ています」と報告しました。

ラーベの報告は、数千だったり5〜6万だったり滅茶苦茶です。
もしも、本当に日本軍が市民大虐殺をしていたのなら、
日本軍憲兵隊に通報したり日本大使館に抗議するのが
安全区国際委員長の責務であるのに、それをせず、
南京の外(上海やドイツなど)に向けてのみ、
日本軍の犯罪を発信していたのは、
彼が嘘の宣伝工作をしていたとしか考えられません。

このラーベの嘘宣伝は、安全区国際委員会全体が
嘘の宣伝工作委員会と化していたのが大きな理由ですが、
ラーベ独自の事情もありました。

ラーベは、安全区の自宅に、現金を一杯に詰めたトランクを
幾つも持っていた支那軍将校の龍大佐と周大佐を潜伏させていました。
これは、中立と、安全区の保護を責務とする安全区国際委員長としては、
言語道断であり、この行為自体が支那軍のための工作活動です。

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