■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
【竹島問題】 17世紀の国際法で「独島は朝鮮領土」[01/10]
- 319 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2018/01/13(土) 20:32:39.72 ID:J+nlrbvq.net
- >>314
おっしゃる通りですね。
幕末から明治初年の現在の竹島から鬱陵島の認識は、現在とは全く異なります。
1858年に、吉田松陰が、桂小五郎にあてた書状には、「竹島・大坂島・松島合せて世に是れを竹島と
云ふ」と書いてあるように、竹島というのは、固有名詞でもあり、総称でもあった。
したがって、松島も竹島も人によって、どの島をさしているか不明確であって、一つの発言を切り取って
こじつけてみても意味がない
それに加えて、1870年に佐田白茅たちが朝鮮を訪れたときと、1877年の太政官指令の時点では、
さらに別の島が認識されていた。それは、朝鮮の海岸にごく近い位置に描かれた、攀陵島と千山
島という幻の島だった。これはアルゴノート島でもない別の物。
だから、1877年の太政官指令は、攀陵島と千山島または、鬱陵島と于山島(竹嶼)、または
アルゴノート島とその属島のことです。
つまり、島根県の竹島とはまったく無関係の島だったのですね。
総レス数 332
106 KB
新着レスの表示
掲示板に戻る
全部
前100
次100
最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★