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【韓国】 韓国人は戦闘では負けても戦争には勝つ「戦略的な愚か者」として歴史に残るのか/朝鮮日報コラム[06/01]

248 ::2018/06/10(日) 13:21:51.57 ID:cDP1EX2O.net
2018/06/07
【朝鮮日報】米国は時に韓国を裏切ってきた
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1528362411/
 1905年9月、セオドア・ルーズベルト米大統領が派遣したアジア使節団が大韓帝国を訪れた。高宗と大臣たちは日本に国権を奪われる
危機に直面していたが、「米朝修好通商条約」に基づいて米国が助けてくれると期待し、使節団を手厚くもてなした。
使節団長のウィリアム・タフト陸軍長官が日本で桂太郎首相と「日本の大韓帝国支配を承認する」という密約(桂・タフト協定)を
すでに結んでいたとは、夢にも思わなかった。使節団訪問から2カ月後に乙巳条約(日本名:第二次日韓協約)が締結され、
大韓帝国は外交権を日本に奪われた。
 1950年1月、ディーン・アチソン米国務長官が韓国に不意打ちを食らわせた。
米国の極東防衛線をアリューシャン列島・日本・沖縄・フィリピンを結ぶ線に定めるという「アチソン・ライン」を発表、
韓国を防衛線から除外してしまった。これは、後の北朝鮮国家主席・金日成(キム・イルソン)にとって南侵挑発の決断を
しすくする要因の1つとなった。
 1971−72年、国家安全保障問題担当のキッシンジャー米大統領補佐官は中国の周恩来首相との秘密会談で
「米国と中国が韓半島(朝鮮半島)で排他的に利益を共有」することに合意した。キッシンジャー補佐官は米軍が撤退する場合、
日本軍が韓国に駐留する状況についても言及した。キッシンジャー補佐官が同席したニクソン大統領と周恩来首相の会談で、
ニクソン大統領は「南であれ北であれコリアンは衝動的な人々だ。重要なのは、我々がこの衝動的で好戦的な人々が事件を起こし、
我々の国(米中)を困窮に陥らせないよう影響力を発揮することだ」と言った。韓国がいない場で韓国の運命をもてあそんだのだ。
 あと数日すれば、ドナルド・トランプ米大統領が韓国の運命がかかる問題で北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長
と会談する。「一括妥結」「短期間内の完全な核廃棄」を公言してきたトランプ大統領は、金英哲(キム・ヨンチョル)朝鮮労働党副委員長
に会った後、言葉を変えた。「6月12日の米朝首脳会談は1つの過程であり、始まりだ」「ゆっくり進めることもできる」と言った。
「一括」と「短期間」は消え、北朝鮮が主張してきた「段階的廃棄」「ゆっくり」に近づいた。しかも、北朝鮮の核廃棄と北朝鮮支援
にかかる資金は「韓国が出すだろう」と言った。マイク・ポンペオ国務長官も「米国の目標は、我々が座っているまさにこの場所に
(北朝鮮が)核兵器を発射することを防ぐことにある」という奇妙な発言をしたことがある。
 トランプ大統領と金正恩委員長の会談で、韓国を脅かす北朝鮮の核はそのまま残し、米国を脅かす大陸間弾道ミサイル(ICBM)
に搭載する核兵器のみ取り除くという、韓国としては最悪の取引が成立することになるかもしれないという疑念は杞憂(きゆう)ではない。
そうした合意でトランプ大統領はノーベル平和賞を受賞することになるかもしれない。
 大韓帝国を裏切ったルーズベルト氏は、日露戦争終結を仲介した功績で1906年にノーベル平和賞を受賞した。
キッシンジャー氏もベトナム独立同盟会(ベトミン)のレ・ドゥク・ト氏とベトナム戦争終結のためのパリ協定を結んだ功績で
1973年にノーベル平和賞を受賞した。その協定で米軍はベトナムから撤退したが、ベトミンは2年後にベトナムに侵攻し、陥落させた。
協定は詐欺だった。

249 :春つらら :2018/06/10(日) 13:25:16.59 ID:M/9NoBCn.net
てす

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