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【東京新聞】原告側、近く新日鉄住金の本社を訪れ賠償命令に応じるよう申し入れ 徴用工訴訟、韓国最高裁判決受け[11/7]

479 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2018/11/07(水) 16:51:37.33 ID:DrqLCd/p.net
拾いものです。白紙ってあったのねw

「川崎長太郎作「徴用行」白紙・青紙

 古い人間なので、「赤紙」「白紙」は知っていた。
日本に徴兵制度があった時代の召集令状が、赤い色をしていたから人びとはこれを「赤紙」と読んだ。

 では、「白紙」はどうだろう、知らない人も多いだろう。中国との戦争が続いた昭和14年に「国民徴用令」が施行された。
人手が足りなくなった軍需産業などに、国民を強制的に召集した、これを「徴用」と言った。
召集された人は「徴用工」である。この徴用を伝える白い紙を人びとは兵役の「赤紙」に対して「白紙」と呼んだ。

 「赤紙」が来ると、表向きは、名誉である、お国のために役に立てると万歳三唱、人びとは駅や街頭で見送った。
「白紙」の場合も、これに近いとはいえないが、名誉なことと世間では認める風潮があったことを次の小説で知った。

川崎長太郎作「徴用行」(「コレクション 戦争×文学」第15巻所収)である。
 「故郷の小田原に住んでいた「私」は売文稼業も行き詰まり、つまり食えなくなって、徴用を志願することを決める。「白紙」が来た。
   
五日十三時横須賀駅前に集合
 キニーネを用意すべし
 主として内地勤務なれども情勢によって外地に赴くこともあるべし
 褌(ふんどし)まで支給する故服装には心配なし
 徴用期間二ケ年   云々という横須賀海軍運輸部からの徴用令状を市役所の小使がもってき、受け取ったという判をとって行った。
 もう鍋の中に投げこまれた魚のようなものであった。
 東京の先輩、友人、土地の知り合い等に挨拶のハガキを出したり、顔を出したり、猟師、ペンキや、市のゴミとり夫、大工、魚屋といった隣組の連中から五円の餞別が届けられたりした。
 自分もいける口なので、闇で手に入れたビールを持ち、料理屋へひっぱって行った友人、とっときの砂糖を紅茶に入れてすすめてくれた知人、何やかやと忙しくはずみのついたような二日間であった。

「私」とは私小説作家・川崎長太郎で、徴用は事実だろう。隣組が五円の餞別をくれたのは、川崎が日ごろの付き合いが良かったからであろうか。
彼は特別だったのだろうか。あるいは、最初は祝う雰囲気だったが、戦争末期ともなると、それどころではなくなったのか。どなたか、白紙が来たときの世間の雰囲気を教えていただきたい。

 それにしても、川崎の一文の長いこと。「コレクション」310頁4行目の「大体私は」からマイナス2行目の句点まで、11行続く。
次ページの8行目から次ページ5行目の次の句点まで、えんえん、16行続く。短いのがいい文章と言うが、朗読では短い文章の方がいいとは一概に言えない。
彼の長文も朗読は案外やりやすい。感情移入しやすいのだ。

 忘れていたわけではない、「青紙」である。かつての戦争と言えば、軍馬が欠かせなかった。軍馬に適した馬を農耕馬から選別して、召集した。
この令状が青い紙だったので「青紙」と呼ばれた。4年前ほど、一度召集されたが一年後戻された珍しい馬を取材したことがあった。
それでじいさんも初めて知った。 
じいさんは自分が生まれた昭和を知りたい、事実を記憶したい、未来に活かしたい、と思っている。当時の時代を知らなければ、現在の倫理や価値観で判断する愚を犯してしまう、それを避けたいためである。
当時に生きた人たちの立場にできるだけ沿いたい、と考えている。
 軍馬や軍犬については、また、話す機会があると思う。」

http://blogs.yahoo.co.jp/jackyhakusyu/trackback/426069/4461580
https://blogs.yahoo.co.jp/jackyhakusyu/4461580.html


この、いわゆる元徴用工どもは白紙を持ってるってことなのかな?まさか終戦時に日本軍が自宅に来て白紙を燃やしていったニダとか言わないよね?

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