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【中央日報】 ロシアも制圧した朝鮮鳥銃部隊、なぜ消えたのか [11/08]

2 :荒波φ ★ :2018/11/08(木) 16:32:06.21 ID:CAP_USER.net
>>1の続き。


◆倭人捕虜を鳥銃開発に投入

宣祖は投降した倭人から鳥銃と火薬の製造法を積極的に受け入れ、技術の開発に拍車を加えるよう命じた。独自で開発できないため技術者を確保しようという方向を定めたのだ。

「今回捕まえた倭人が煙硝を作る方法を知っているという。この倭人は殺しても得るものがないため命を助けて、すぐに職人を連れていって、その方法をすべて把握するように兵曹判書の李恒福(イ・ハンボク)に密かに伝えるべき」 (『宣祖実録』26年3月11日)

今でいうと国防長官にあたる李恒福に密命を出し、敵軍の捕虜を処刑せず鳥銃に必要な技術を引き出すよう指示したのだ。3カ月後には処遇に言及した。

「捕虜の倭人2人のうち1人は煙硝を作ることができ、1人は鳥銃を作ることができるというので、煙硝を作る者は寧辺(ヨンビョン)に送って秋から始めれば多くの煙硝ができるはずで、鳥銃を作る者は鉄が生産される村に送れば多くの鳥銃を作り出せるだろう。その倭人にまだ鎖をはめているというが、殺さないと決めたのならそうする必要はなく、鎖を解くのはどうか」(『宣祖実録』26年6月16日)

「倭人が投降してきたので保護するしかない。妙術を獲得できるなら敵国の技術は我々の技術だ。外敵だからといってその技術を嫌って身につけることを怠けてはならず、着実にするよう備辺司に伝えるべき」(『宣祖実録』 27年7月29日)

加藤清正の配下の将帥として戦い、朝鮮に帰化した金忠善(キム・チュンソン、沙也可)も活躍した。彼の息子、キム・ギョンウォンによると、「父(金忠善)が投降した後、1693年に朝廷は訓練庁を設置し、降倭(降伏した倭軍)300人を集めて火薬を作り、火砲を作った」という。このように朝鮮の鳥銃開発の成功の裏には投降した日本人のノウハウ伝授があった。


>>まだ続きます。

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